流転する天使
危機をなんとか脱した俺の前には、依然として次なる危機が迫っている。
黒崎颯人。暴神カンナカムイなんて比にならないほどに強いイケメン野郎。しかも、信じられないことに、颯人は不老不死だ。つまり、殺せないということになる。強くてイケメンで死なないなんて、そんなの存在自体が勝利者じゃないか。心底ムカつくやつである。
しかし、そうも言ってはいられない。本来の力とかいうものを見た限り、食らったら最後、俺の体は文字通り木っ端微塵になるだろう。
はてさて、どうしたものかな……。
俺の中で魔王黒崎颯人の形ができつつある中、それに向かう俺はさながら雑兵Aだ。必死だな、これは。早く勇者様に来てもらいたいものだよ。
しかして誰かが言うのだ。勇者様はお前だと。
敗北濃厚の空気で、針穴に糸を通す思いで勝機を見つけようとする俺の右手を握るイヴの力が強くなる。それで、気づかずに焦っていた俺の視線がイヴへと向かう。
すると、少し大人びたイヴの表情が目に映る。
「ますたぁ。あなたがきずつくことで、きずつくひとがいます」
言われて、イヴの遠く後ろでクロエの容態を見る麻里奈が、心配そうに俺を見ていた。俺が血を流したせいで、その不安はずっと増えたんだろう。意識があるクロエも、悲しい目で俺を見ている。そして、イヴも、奈留も、女性陣は皆、俺が傷ついた姿を見て悲しそうになっている。
そうして俺は、自分がやっている行動の意味を再認識させられた。
ゾンビアタックだって……? もういいだって……? それは、俺が勝つことを期待するみんなを不安にするだけの行為なんじゃないか? 俺はクロエを安心させるために戦ってるんじゃないのか? 麻里奈とこれからも一緒に歩いていきたいから戦ってるんじゃないのか?
――じゃあ、この有様は一体何だよ……ッッ!!
パシンと、頬を思いっきり叩いた。気持ちが爆発した結果、熱くなる頬にジンワリをにじむ痛みを噛み締めながら、俺はイヴに向き直る。俺が間違ってた。結局やることは最初と大して変わらないかもしれないけれど、超短期決戦、それしか俺が真に勝利したと言えることはできないだろう。
そのために、俺は格好悪くてもみんなの力を貸してもらう。
「イヴ。力を貸してくれ」
「もちろんです、ますたぁ。わたしはそのために、ここにいるんですよ」
「ようやく吹っ切れましたか。“元”主様といい、“現”主様といい。どうして私の使用者は皆阿呆なんですか……はぁ、仕方ないですね。主様、私も忘れてもらっては困りますよ?」
「言葉の棘が痛々しいけど……奈留も力を貸してくれ。黒崎颯人を倒す。屍の上に成り立った平和が正しいだなんて思ってるあいつを、全否定したいんだ」
俺は一人では何もできない。そういうように育てられた。麻里奈に始まり、大切な戦いにおいても無害そうな女の子の手を借りないとまともに戦うことすらできない。とても……とても弱い男だ。
でも、大切な人のために、尽くを殺そうとする颯人には負けたくない。それは、自分の命を賭してまでも、見知らぬ人を救おうとした俺の神崎麻里奈を冒涜する行為だから。絶対に負けたくないのだ。
腹は決まった。クロエは守る。颯人も救う。だけど、颯人にはきっついお灸が必要なようだ。俺みたく、いっぺん死ぬほどの強烈なお灸が。そのためには、力が必要だ。颯人に追いつけるだけの、強力な力が。そして、俺にはそれに近い力が存在していた。
「貴様が仲間を傷つけるなら、その怒りは何倍にもなって返って来よう。我が剣は的を過たず、貴様に永劫癒えぬ傷を与えるだろう。――――我が魂は願い乞う――――」
クロエの掠り傷を触媒に、俺はダーインスレイヴを武装化する。しかし、これでは《右翼の天使》で一秒を引き伸ばした世界に潜った颯人には届かない。だから、もう一つ武装を展開する。
「正義は我が手に。我が下すは悪を滅ぼす神罰の輝きなり。正しきものは憂いなく、悪しきものには永劫の苦しみを。ここは、正義が住まう楽園であるがゆえに――――我が魂は願い乞う――――」
カンナカムイの神格の一つである神鳴り。天を駆ける電光であれば、たとえ一秒を引き伸ばした世界に潜ったとしても、追いつけるはずだ。
右手にはダーインスレイヴを。服装は大きく代わり黒い革のロングコートを身にまとって、左手で指鉄砲を作る。そうして、その指鉄砲の照準を現界にいる颯人に向けて、蒼白く発光する雷を放つ。
避けられないはずだ。だが、そう決めつけていたわけではない俺は、颯人が雷を避けたという事実に驚きはしなかった。おそらくは一秒の定義を更に引き伸ばしたのだ。そうすることで、一秒に満たない光に追いついた。
しかし、そういうこともあるだろうと思っていた俺はすでに《完全統率世界》で一秒を引き伸ばした世界に潜り、颯人が生きる時間にまでやってきていた。
剣を振るい上げる。体が軋む。けれど、向かい来る颯人に反撃をしなければならない。たとえ、それで体がどうにかなってしまっても。
ダーインスレイヴの攻撃が当たれば勝機はある。だからこそ俺は剣を振るった。
されど、俺は颯人のポテンシャルをすっかり忘れていたのだ。
颯人は元から戦闘のセンスが有り余っていた。
素人が振るう剣になど当たりはしない。紙一重で見事に避けて見せ、威力を殺さずに右の拳で俺の腹部を殴り挙げる。
嗚咽を吐き出しそうになったが、それを必死に我慢して、俺はもう一度剣を無造作に振るい、指鉄砲で射撃を行う。しかし、それすら華麗に避けてみせた颯人は数歩後方に飛んで、着地と同時に再度駆ける。
これでも追いつけないのか、……なら!!
無茶は承知。みんなに心配をかけるなど重々分かっている。それでも、俺はこの瞬間を勝つためならどんな犠牲だって出してみせる。
何度目になるかわからないが、再び左目に力を込める。“未来予知”それに加えて、何やら軌道が示される。それがこの場における最適解であると悟ると、それに沿ってダーインスレイヴを振るった。
するとどうだろう。迫っていた颯人の左拳の攻撃が左腕ごと吹き飛んだ。
「ぐぅぅ……!!」
痛がる颯人だが、戦い慣れしているせいで一瞬の隙きしか見せなかった。
けれど、それだけで十分だった。俺がダーインスレイヴで颯人の体を貫くには。
ぶつり、と。生肉をフォークで刺したかのような感覚。
貫いたダーインスレイヴを引き抜く。颯人は腹を抱えながら数歩下がって、血反吐を吐き捨てた。勝負はついた。ダーインスレイヴは回復できない傷を負わせる。俺が能力を解除しない限り、おそらくは回復しないはずだ。
これで終わりのはずなんだ。
全身全霊で戦った。そして、多少のズルは有ったかもしれないが、それでも勝敗は決められた。故に、俺は颯人にここまでにしようと持ちかける。
「もういいだろ、颯人。このまま戦い続けても、無意味なだけだ。俺たちは死なない。なのに、死ななきゃ終われない戦いをするなんて、馬鹿らしいだろ?」
「ふざけるな……っ。戦いはここからだ。行くぞ、《右翼のてん――」
ズゴンと、鈍い音が颯人の後頭部から鳴った。すると、颯人は血走った目のまま前のめりに倒れ、少しの砂ホコリを立ち上げて沈黙する。
一体、どういうことなのかと誰もが唖然とする中、一人の女性が呆れた風に息を吐く。
「ハヤちゃん、やりすぎ」
「「「え、え…………え?」」」
状況を飲み込めない俺と仲間たちが悲鳴のような言葉を漏らす。
なんと、颯人を後ろから近くで拾ってきたと思われる鈍器のような石で殴ったのは、その姉、黒崎由美だった。
というか、今の感じ……確実に死にましたよね?





