死後も現世でゾンビやってます
“終焉の魔女王”との激闘がもたらした影響は壮絶なものだった。まず、人口の大幅の減少。未知の物質によるヨーロッパ大陸の汚染は5割を超え、太平洋は3割ほど干上がった。新種の草木や昆虫が大量に現れその中には強烈な毒性を持つものまでいた。
とまあ、絶望的な打撃を受けたわけだが、この時を見越して準備を進めてきていた“人類史の祖”たちの奮闘により、おおよそ30年で復興が可能だと見込まれている。また、“終焉の魔女王”などもってのほか、不老不死者の存在すら知らない一般人たちへの対応は主に日本が中心となり、人類史に訪れた未曾有の大災害という体で凌いだらしい。
さらには俺を含む“選ばれし者”4人は日本、中国、アメリカに散り、小野寺誠に至っては未だ蔓延る終末の残滓を密かに消す旅をすることになった。“終焉の魔女王”との戦いから4年。生活はほんの少しだけ平穏を取り戻しつつあった。
「お前とこうやって過ごすのも悪かないな」
そよ風が気持ちいい窓際。
甚平の胸元から見えるのは痛々しい大きな傷。
ゆったりとした時間を楽しみながらそう呟いた。
「アタシ、お前って呼ばれるの好きじゃない」
「むくれるなよ、クロエ。一応俺のお目付役兼秘書兼お嫁さんだろ?」
「だーかーらー、なおさら“お前”って呼ばれたくないんだけど⁉︎」
俺、御門恭介はあの戦いから4年後も生きている。不安定な状態ではあるものの、色薔薇の魔女4姉妹の永久的な力の供給と左目が蒐集した終末論としての幽王の終末事象によって生み出された那由多の御門恭介としてのデータ、加えてダーインスレイヴの事象の絶対決定権の悪用によりかろうじて生きながらえたのだ。
ただし、恒久的な激痛と流血を伴うため痛み止めには保健室の魔女こと望月養護教諭のお手製の葉巻を吸う必要がある。これにより濃霧の能力で痛みと流血の両方が散らされるのだ。薬が切れると気を失うほどの激痛と貧血が起こるため、どうあっても今後の俺は薬物中毒者と呼ばれる未来が待っている。
まあ、一つよかったことがあるとすれば、クロエもエルシーも葉巻の煙の匂いを気にしないでいてくれることか。いや、お目付役として2人と強制的に結婚させられたことは喜ぶべきなのか……。なんにせよ、近いうちに麻里奈に会いに行けそうだと思っていた俺だったが、これからも長らく生きていかなければならないらしい。
「でも、もう4年も前の話なのね」
「そうだな。あんなことがあったっていうのに、時間が過ぎるのは早いのなんの」
「それって楽しいってことじゃない? なぁんだアタシと一緒でそんなに楽しいんだ」
「楽しいよ? じゃなきゃ一緒になんていられないだろ?」
「ひゃい⁉︎」
そんなことを言われるとは思ってもいなかったクロエは喉から変な鳴き声をあげていた。その様子を見てケラケラと笑いながらもう一度煙を染み渡らせる。
塩の柱へと変えられた由美さんだったが、さすがというべきか自力で塩の柱の解析に成功して人の形を取り戻し、意識を取り戻したかと思えばすでに病室からいなくなっていたらしい。またカインを探す旅に出たのか、黒崎颯人を追いかけに行ったのかはわからない。一言挨拶をくれればよかったのにと思いつつ、面倒ごとに巻き込まれるのは懲り懲りだと思う反面もあった。
エルシー……蒼穹の魔女は魔女団体をフル稼働させて海洋調査を行なっており、家に帰ってくるのは一年でわずか7日だけだ。寂しくもあるが、それは相手も同じだろう。緋炎の魔女も今は世界情勢を安定化させるので忙しいらしくここ2年ほどはお目にかかれていない。神崎紅覇に至ってはそれの手伝いで4年前のあの戦い以降電話での会話でしか互いを確認していない状況だ。
みんな自分ができる最大限のことをやっている。行方をくらましたものもいた。由美さんがその筆頭だ。そしてもう1人、カイン――俺の親父の1人にしてタナトスとして俺に近づき不老不死の体を与えた張本人もまた行方をくらましていた。
そんな中、俺はというと厳重な監視の下で4年もの間、外出を禁止されていた。監禁とかそういうことではない。ただ、不安定すぎる俺の体を維持するためにはできうる限り狭い一箇所に閉じ込めておく必要があるようで、俺を死なせたくないというみんなの意見で俺は静かにこの場所にいる。
常にクロエと共に。あの戦いの後で俺は俺の体を上手く扱うことができなくなっていた。いわゆる能力の過剰使用による後遺症だ。一定の痺れと息苦しさ、加えて薬を断てば信じられないほどの激痛と止まらない流血に侵される。正直に言えば生きている理由を知りたいくらいだ。
「君も災難だね、つくづく。激闘の末に死を与えてもらった方が幾分かマシだったろうに。こぉんな狭い島の狭い家で涼しい気候と常に補給される新鮮な食材に囲まれながら。外の情報の一切を統制されるなんてね。まあ、それも一つの幸せだ。英雄になり損なった気分はどうだい、マイスイートベイビー?」
「…………久しぶりだな。よくここがわかったじゃないか、父さん。知ってるだろ? 俺は英雄になんてならないよ。死んでもお断りだ」
時間が止まる。いいや、魂のみを抜かれたのだ。この感覚は久しぶりだ。あらゆるものから解放されるこの感触は、あの日以来じゃないか――俺が雷神に雷で焼き殺されたあの日以来だ。
失踪していたはずのカインが4年越しに俺の目の前に現れた。皮肉を言いつつ、あのむかつく笑顔で。
しかし、来る予感があった。長い付き合いだったからか。それとも血を引いているからなのか。どちらにせよ、歓迎はしよう。
「そうだったそうだった。君はそういう人間だ。だから、この結末に辿り着けたんだろうね。いいや誇らしいよ、本当に。何か一つ、プレゼントをしたくなるほどにはね」
「プレゼント? 面倒ごとの間違いだろ?」
「そう言っていられるのも今のうちさ。“メダル”はまだ残ってるんだろう?」
「ああ、1枚だけな。それがどうした?」
「出してみたまえ」
どうして常に持ち歩いていたのかわからないが、甚平のポケットに入っていた“簒奪のメダル”の最後の1枚を取り出した。それを見てうんうんと頷いて、タナトスの姿のカインが人のようなものを放り投げる。
咄嗟にそれを受け止めて、何をするんだという前に目に入ってきたその正体に度肝を抜かれた。
カインが放り投げたのは、神崎麻里奈の肉体だった。
「こ、れは……」
「神崎麻里奈のオリジナル……簡単に言えば、この世界の神崎麻里奈の肉体だ。いやぁ頑張ったんだよこれでもね。あの日、神崎麻里奈が神崎美咲によって殺害されたあの瞬間に誰の目にも止まらずに彼女の体細胞を盗み取るなんて所業、僕じゃなかったらできなかったね。さっすがボク、大怪盗の名前も作っちゃおうかな?」
「なんで、これを俺に……」
「いらないのかい? ならボクが代わりに貰おうかな。色々と実験をしてみたいしね」
俺の腕の中に収まっている麻里奈の肉体を取ろうとするカインの手を避けて、カインを睨みつけた。
その様子を見てカラカラと笑うカインは正直ウザかった。けれど、カインの言い分はおおよそ理解できた。“簒奪のメダル”を使用して神崎麻里奈を甦らせる。おそらくこういうことだろう。
だが、復活させてもいいのか。もしもまた“終焉の魔女王”なんてものになってしまったら、今度は俺では止められない。少なくとも回復の目処が立っていない俺では。しかしながら、その心配は無用のようだ。
「心配しなくてもいい。その体に記憶は残されていない。“簒奪のメダル”に収納してもおそらく赤ん坊になるだけだろう」
「赤ん坊?」
「言っただろ? これはボクからのプレゼントだ。元来、赤ん坊はコウノトリが運んでくるものだし、ハッピーエンドは須く登場人物の全員に訪れるべきだろう?」
「おま……お前ってやつは……」
「気に入ってくれたなら幸いだ。なら、ボクはもう行くよ」
「今度はどこで悪さをするんだ?」
「さあね。神のみぞ知るってやつさ。じゃあね、親友――死後も現世でゾンビを演じるバカ息子」
「じゃあな、親友――大嘘つきの死神を演じるバカ親父」
フィンガースナップを一度。それだけで俺の魂は肉体へと戻される。おかげさまでほのかな痛みが戻ってきて涙が出そうだ。しばし親友がいた虚空を見ていたが、俺の異変に気がついたクロエが俺の甚平の腰あたりを引っ張る。
忘れていた重さを思い出すように両手で抱いていた麻里奈の肉体を落としそうになりつつも、どうにか耐えてクロエの方へ振り向く。すると幽霊でも見たかのような表情になりながらも俺がもつ麻里奈の肉体を指差しながら少しだけ涙していた。
もう一度、そよ風が吹く。草原が奏でる音楽はどうにも心地よく感じる。
「そ、それって……もしかして、タナトスでも来てた?」
「ああ」
「うっそ。全然気が付かなかったんだけど」
「俺以外に存在を知られたくなかったんだろ」
「で、なんて?」
「もう行くってさ。行き先は知らないけど、きっとここじゃない別の場所だよ」
「そう――寂しい?」
「いいや。あいつの置き土産――プレゼントもあるしな」
麻里奈の肉体。これがどのような結果を生み出すかはわからない。カインの言い分では赤ん坊になるだろうって話だったが、そこまで信用していいものか。
けれど、親友の最後のプレゼントだ。期待しないほうが無理という話だろう。
条件は揃っている。“簒奪のメダル”“麻里奈の肉体”これだけあれば、俺が生き残った意味というのも自ずと出るはずだ。それが10年後か、100年後かはわからない。でも不思議と確信がある。これもきっと、カインの計画のうちなんだろう、とため息を吐きそうになるが。
「――――――――我が魂は願い乞う」
願わくば、どうか幸せに。彼女の願いは彼女をこそいて成立するものだった。
それは今でも変わらない。
変わったことがあるなら、それは…………。
世界とは何か――――
それは歯車だ。
それは未完成なものだ。
それは見えないものだ。
それは未来があるものだ。
どれもこれもくだらない言葉だ。
俺、御門恭介が考えるに、世界とは『ない存在』だ。
こんなことを言えば、他の人達は皆、笑いながら口を揃えてこう言うだろう。
「お前は、中二病か」
ってな。
まあ、普通に考えてそうなるのだろう。否定はしない。
しかし、ここで注意してもらいたい。俺は、中二病ではない。是非として。
そもそも、俺がこう考えるに至ったのは、あの馬鹿な悪友のせいなんだからな。
「わあ、かわいい! でもどうして赤ちゃんなの?」
「さあ? 世界が初めからやり直せって言ってるんじゃないか?」
「わっけわかんない。ねね、名前は決まってるの? アタシがつけたげよか?」
「決まってるだろ――マリアだよ」
だから、何も“ない”この場所で、俺は大切なものを育んでいこう。
いつか、この世界に確かな光が照らされることを願って。
5年もの間、お付き合いいただきありがとうございました。





