兆の幻想
「“十の星弾”――‼︎」
黒雲のカーテンの向こう側でもわかるほどの光を放つ星屑が降る。太陽には遠く及ばずとも確かな熱量は世界を終わらせることができる。恐竜の時代を終わらせた星ふるう日の再現だ。いいや、規模はおそらくその10倍に相当するだろう。
隕石が近づいてくるにつれて気温が少しずつ上がっていくのを肌に感じる。ただし、麻里奈の攻撃はそれでは収まらなかった。
必ず俺を仕留めんとする険しい表情で麻里奈の頭上にか細い針が無数に作られる。
「“一の閃断”――‼︎」
どちらかに意識を集中すれば、もう片方によって存在を、あるいは世界を失う。
なるほど頭のいい麻里奈のやりそうなことだ。けれど、それで俺が止められると本当に思っているのだろうか。
否、思っていない。故に麻里奈は第3の終末事象を再現する。
「“千の愚兵”――‼︎」
死臭漂う血肉を持って、大地から生えたるは腐り落ちゆく二千の腕。それらは俺の足を掴み離すまいとしている。身動きが数秒遅れる。それだけで致命的な遅れだとわかってしまう。
無数のか細い針が俺へと飛び交い、空では星屑の弾丸が星を砕かんと向かってくる。
隕石の到来までまだ数秒残っている。そのため真っ先に対処しなければならないのは存在を消し去るか細い針だ。それさえ見極めればやるべきことはわかっている。背に生える灰白色の八翼を勢いよくはためかせる。
「雨と風……? 違う、これは――暴風雨?」
そよ風は一瞬のうちに暴風へ。雨はそれに乗せられて肌を指すような凶器へ変わる。瞬きの間に暴風雨を作り出した俺の目的は、雨で麻里奈を攻撃することではない。雨でか細い針を打ち落とそうというのだ。
左目が蒐集した“終焉の魔女王”の終末事象はすでに解析が済んでいる。“一の閃断”の能力は触れたものを塵に返すというもので間違いはない。ただその対象が物質であればなんでもいい。なんでもいいなら、水でも構わないということだ。
無限に発生するか細い針だが、雨――特に激しい暴風雨の中を何にも当たらずに俺へ到達することは不可能だ。俺の予想通りにか細い針は生成から発射までの一瞬で暴風雨に撃ち落とされていく。それを見た麻里奈は苦い顔をするが、勝ち目はあるというふうに叫ぶ。
「それでもまだ、空には隕石が――」
「麻里奈。お前は雷が天へ登ったところを見ていたはずだろ?」
「まさか――」
黒雲に青い亀裂が走っていく。神による天罰は、神と袂を分かった人類には与えられるべきではない。そも、神は人類の繁栄に寄与しなければその存在を維持できないほどに弱々しくなってしまったのだから、人類をこそ救済しなければならないはずだ。
黒雲が青白く発光を始めた。その意味を知っている麻里奈は、その刹那の輝きに魅入られるように天を見上げている。
右手を伸ばし、手で銃の形を作って俺は黒雲に命令を下した。
「天へ至れ、鳴雷」
次の瞬間、耳を塞いでもなお大地ごと大きく震わす轟きと共に青白い発光は天に向かって線を刻む。
一瞬。瞬きの時間もないほどに天を彩った雷は、星を穿つ星屑のことごとくを打ち滅ぼした。明るく発光していた黒雲は再び暗闇を世界にもたらしつつも、その威光は未だ健在している。
ほんのわずかな時間で2つもの終末事象を簡単に突破された麻里奈は表情を曇らせていた。
「“億の――”」
「聞きたいんだが、そいつはゾンビたちがいなければどういうふうになるんだ?」
「え?」
怨念を増長し伝播させる終末事象“億の私刑”。これを使うには恨みを持った動く死体が必要だ。無論、動く死体でなければならない必要はなく、生きた人間たちの怨念を増長することも可能なようだ。しかし、死した者の怨念は生きた人間のそれを遥かに凌駕する。つまるところ、効率が段違いに変わる。
であれば、その動く死体がなければどうなるのか。まして、ここは戦場。一般の人間もいなければ、俺の仲間たちだってここには存在しない。誰もいない場所で、誰の怨念を増長しようというのか。
困惑する麻里奈の目に黒いモヤが映る。発生源は俺の体だ。よくよく見れば右腕が欠損している。数多の世界を見てきた麻里奈にはわかる。体の部位の欠損から発生する黒い霧。ただの毒に過ぎなかった病原菌の集合体が、覚醒を経て得た救済の能力は“忘却”。有機物、無機物に限らず生死問わずに感染し、あらゆるを忘却させる。それは記憶であったり、能力であったり、その存在であったりとさまざま。それが今、発生しているのだ。
「俺の足元に、ゾンビたちはいなかった。そうだろ、麻里奈?」
「その人たちの生きた記憶すら消し去ったの?」
「そうしなくちゃ俺がやられる。存在それ自体を消したわけじゃない。ここにいたその事実を忘れさせただけだ」
忘却を行う黒い霧が破滅を呼ぶはずだった死人をなかったことにしてしまった。これによりゾンビたちの怨念を利用した精神汚染は叶わなくなる。これにより少しは心配していた“億の私刑”を使わせず不完全ながらも無力化に成功したようだ。
手札が少しずつ、しかし確実に失っていく麻里奈。その表情は暗雲さながらで、絶望を表現するのにあと一歩といった様子だ。けれど注意しなければならない。いくら手札を削ろうと、1枚でも残っているのなら気を抜いてはいけない。その1枚で世界を終わらせられるだけの可能性を十分に秘めているのだから。
それを知っているからこそ、麻里奈はまだ諦めていない。
「“万の蛮行”」
“億の私刑”と同様、精神汚染を起こす終末事象が発動された。左目の観測では“万の蛮行”とは認識できる排反事象を入れ替える類のものだそうだ。前後上下左右、善悪といったものを一時的に逆転させ、脳に深刻な混乱を起こさせる。幽王が世界を終わらせるために行ったことを全生物および天体の全てに向けて行っているのだ。
流石の俺もこの終末事象には抗いきれない。左目によってかろうじて意識を保ててはいるが、残念ながら反応はいくらか遅れてしまう。その隙を麻里奈が見逃すわけもなく……。
接近する。素手で俺の頬を触れられるほどに近く。そして、これだけの距離であれば麻里奈は俺を完全に封印できる能力を持っている。
「“百の塩柱”」
心臓のあるあたりから塩でできた円柱状の結晶が生成される。これは1度、俺を封印した終末事象だ。くらえば回避は不可能。たとえ不老不死者であっても逃れられない。黒崎颯人が使った塩の槍とは根本的に能力のあり方が違う“百の塩柱”は、体を塩に変えるのではない。人を塩でできた生物へと変態させてしまうのだ。故に不老不死者は砕かれようが人間としての肉体を取り戻すことはできない。
かくいう俺も完全に塩の柱へと変えられてしまえばどうしようもなくなる。だからその前に自分自身を固定しなければならない。
俺の左手に収まっているダーインスレイヴを逆手に持ち直し、勢いよく体へ突き刺した。そのせいで血液は大量に流れ出るが、体の塩柱化は停滞する。
「ダーインスレイヴの……事象の絶対決定権で突き刺された今の自分の体で固定して塩柱化を防いだの?」
「その通り。ただ誤算だったのは塩柱化を止めるためにはかすり傷じゃなくて、突き刺すほどの代償を払わなきゃいけなかったってことくらいだな」
「ばか……それじゃあ、私を倒しても――」
「多少無茶ができなくなるくらいさ。もちろん、塩柱化が解除されてもダーインスレイヴの傷は癒えないからこの痛みは一生物になるだろうけどな。それでも、麻里奈を殺すくらいなら十分だ」
「は、はは……嫌われたものだね、私も」
「何言ってんだ? 愛しているよ、これまでも――そして、これからも」
愛しているから殺さなければならない。愛し続けたいからこそ殺さなくてはならない。この間違いだけは間違いのままにはできないのだ。
“終焉の魔女王”の能力は全て淘汰した。無論、封じたわけではないため早々に決着の必要があるために立ち止まることはできない。戦意を失いつつある今だからこそ、この瞬間に終わらせるために駆ける。左手のダーインスレイヴを持ち直し、その切先を麻里奈の心臓へ。
愛する者の心臓を穿つ感触が脊髄へ、そして脳へ伝わる。念の為、麻里奈が俺に触れられないよう暴風の楔によって両手足を縛り、指先から存在を忘却させる黒い霧で侵蝕を行う。もしものための黒雲も十二分に静電気を蓄積させ、万が一逃げられることがないように左目で麻里奈の終わりを、その一部始終を見逃さない。
「終わりだ。逃げることも、復活も許されない。“終焉の魔女王”はその存在自体を喰われ、世界から排除される。麻里奈……お前も同様に」
「うん……。負けちゃった。勝たなくちゃいけない勝負だったのに。君を救う……最後の手段だったのに」
「どうしてとは聞かない。もしも俺が同じ立場なら、きっと同じことをやっていただろうから。それでもきっと、結果は変わらなかったはずだ。あの時――――俺がこの道を選ばなかったとしても、俺か麻里奈は戦うことになっていたはずだ」
「それが……幽王の計画? 違う、でしょ? これは――君が終わらせる物語だもん。でもね。……でも、たとえ手足を失っても、心臓を貫かれても、私の力が及ばなくても、諦めきれないことはあるの。君を救う。私の憧れを伝説にはさせない。誰が、なんと言おうと手に入れる。手に入らないなら奪えばいい。一緒にいようよ。一緒にいてよ。私と2人で幸せになろうよ、きょーちゃん?」
「……できないんだ。できないんだよ、麻里奈。俺には君の他にも大切だと思える人がいるから。だから――」
「だよね。わかってた。だからこれだけは……したくなかったのに――――“兆の幻想”」





