お前の心臓をいただく
御門恭介という存在を作ったのはカインだったのかもしれない。それを育てたのは俺を取り巻く環境だったのかもしれない。でも、俺のあり方を作ったのは間違いなく神崎麻里奈だ。彼女がいなければ俺という存在は完成しなかった。彼女がいたから、俺は俺として今この場に立っていられる。
左目の仮想空間の中で幽王は俺に語った。神崎麻里奈が俺という存在を超越しようとした場合にのみ現れる更生装置――御門恭介にとっての天使である、と。そのことが本当であるのなら、俺は知らぬ間に道を踏み外そうとしていたのだろう。あるいはすでに踏み外してしまっているのかも。なら、この結果は俺が招いたことだろうし、麻里奈がああなってしまったのは俺のせいなのだろう。
俺にはまだ核心を知る術がない。何が正しくて、何が間違いなのかを知る由もない。だから、これから――いいやこれまでもの全てが俺のわがままだ。世界を仕切るルールが麻里奈か世界かを選ばせようとするなら、俺は選ばないつもりだった。幽王が望みをかけた選択肢が麻里奈を殺すこととみんなを諦めることだったなら、全てを救おうと愚策に走ろうとさえ思っていた。
“簒奪のメダル”によって俺の体を根本から構成し直した際に、俺はあったかもしれない未来の俺の姿を、記憶を、感情を、あらゆることを簒奪してしまった。“勝者”としてあり得た俺の未来すらも。
ここにある俺の体は本来俺のものではない。全てのパラレルワールドにおいて“勝利し続けた”未来を切り貼りして繋ぎ合わせた、あるはずのない模造の世界の俺自身。“常勝”を体現するために作り上げた究極体だ。
その体の本来の能力は――
「緋と濡羽色の劔、世界を黒く塗り替える黒雲、避けられない腐食の黒い霧、暴風を生み出す灰白色の八翼、万象を蒐集し再現する左目……あり得ない。だって、それは――」
「別の世界の俺が使っていた能力だって?」
「どうして……そのことを知ってるの? ……違う。そうか、幽王が――終末論としての幽王が教えたんだね。ここまでが幽王の計画だったんだ…………」
知っているさ。俺の左目は全てを蒐集する。“視る”ことさえできれば、それが“終末論”であるのなら、蒐集できるんだ。そして、俺はとうの昔にこの姿を、この未来を見ていた。黒崎颯人の半生として数多の終わりと共に。
今までの俺の体ではその終末を再現することは叶わなかった。体が耐えられなかったんだ。なぜなら、ひとつひとつが終焉を超えられるだけの能力を持った完全にして無欠の唯一無二の救済事象であるために。ひとつの世界でこれらの能力はひとつ昇華するだけで不老不死者としての存在そのものをかけて行わなければ至ることは不可能なものだった。故に、麻里奈はこの姿を見て驚いているのだ。見たかぎりたったひとつの命で5つの武装を救済事象へと昇華してしまったこの姿を見て。
本来ではあり得ないこの変貌の種明かしとしては別の世界に存在した“勝者”としての俺の体とその俺の未来を簒奪し、結果的には終末論としての幽王のあり方を利用して別の世界の俺自身を犠牲にした。全てはこの世界が“勝利”するためだけに、俺は他世界の未来を喰ってこの能力を発動した。
「“終焉の魔女王”――それは君が存在するパラレルワールドを全て終わらせてしまう終末論。どこか一つでも終わらせられることができれば、事象は全てその世界に収束されてしまう恐ろしい終焉事象。だから幽王は“終わりの見えているこの世界”って言っていたんだ」
「そう。そして私がこの世界での“終焉の魔女王”だよ。だから、きょーちゃんは勝つことができない。だって他の世界はもうすでに終わってしまっているから」
「終末は越えることができても、終焉は越えることはできない。なら、救済するだけだ。その力を俺はもう持っている」
「何を――」
右手に持っていた劔を横薙ぎする。俺が握っているのはかつてダーインスレイヴと呼ばれた事象の絶対決定権を有する不治の魔剣だ。それが名工である天國との修行により能力の覚醒を果たし、意思を持つ武装として最高傑作へと到達した。そうして、今のダーインスレイヴならば世界を遮る次元の壁すら断ち切ることができる。
異変に気がついた“終焉の魔女王”は狼狽する。彼女の能力は事象の絶対的収束だ。彼女の存在を中心として結末を固定化させる能力を持っている。なら、その世界のつながりを切り離してしまえばいい。そうすれば彼女は世界が終わる確固たる余裕を持てなくなる。
もちろん、俺が終焉事象を完全沈黙させなければ状況に大した変わりはないが。
「終焉の収束ができなくても、私にはまだ終焉事象が残ってる。人類史を、世界を終わらせることができるMIKADOシリーズの怪物たちが‼︎」
「“救済論”を舐めるなよ」
終焉を回避できるのは救済だけだ。それがたとえ、どれほど強大なものであっても救済は存在する。存在しなければならない。そうでなければ世界は今日この日まで一部の平穏を保てはしなかったのだから。
それに怪物は怪物になりたくてなったものではない。その力が人の手に余るから、その存在を世界が疎ましく思うから、怪物なんて名前は自分ではない誰かによって貼られたレッテルの一つでしかない。“終焉の魔女王”が作り出した怪物は、ただ生まれてこなければいいと願われ続けた者たちの怒りでしかない。
だから、俺が救済するのは世界ではない。人類史ではない。怪物へと成り果ててしまった者の悲しい運命だ。だから左目が覚えている限りで最も安らかな終わりが選択される。
「もう眠れ。御門恭介になれなかった悲しい怪物たち。――“一の閃断”」
7本の透明な針が終焉事象の核へと突き刺さる。無闇に生み出され、爪弾きにされた悲しい怪物たちはその存在をなかったかのように永劫の眠りにつく。人の悪意や好奇心によって生み出されてしまった者たちにこれ以上の地獄は必要ないだろう。もちろん、この戦争――俺と麻里奈の喧嘩にも、彼らは必要ない。
麻里奈は驚愕していた。“終焉の魔女王”でなければ扱うことができないはずの能力を使用したからか。それとも世界を罰する7つの罪が瞬きの間に破壊されてしまったからか。あるいは救おうとしていた御門恭介が埒外の力と共に復活を果たしてしまったからなのか。
滅んでいく終焉事象を横目に、麻里奈は震える唇で俺へと問う。
「どうしてなの?」
「俺は救いを求めてはいない」
求めたのは答えだ。
俺がどうあればいいのか。どうあって欲しいのか。
誰かに求めるべきものでないことはわかっていたはずなのに。
「誰よりも救われなくちゃいけないのはきょーちゃんのはずなのに……」
「俺はただ君がそばにいてくれればよかっただけなんだ」
今でも君を愛している。
この言葉に嘘はない。この言葉の本当の意味を理解してしまっただけで。
この感情が偽りだったというだけで。
「この世界を恨んでいるのはきょーちゃんも同じはずなのに‼︎」
「俺は――この世界を恨んじゃいないよ。今、ここにいる俺は、な」
愛すべき世界。愛していたはずの世界。俺から何もかもを奪い去ろうとする酷い世界。確かに恨みたくもなった。憎みたくもなったさ。それでも俺は恨まなかった。君が愛した世界を、俺は憎めなかったんだ。
これは呪いだ。神崎麻里奈という俺を俺で在らせるためのシステムが生み出した究極の呪い。世界を守るために愛した人が愛していると言ったものを壊せなくする祝福。俺はこの世界を恨めない。
世界のために愛する人を殺すのではない。愛する人が愛した世界を、愛した人から守るために愛する人を殺すのだ。
「終わらせよう、麻里奈。大丈夫、俺も遠からず地獄に行く」
「まだ終わらない。終われないよ。終焉事象のことごとくがいなくなっても、“終焉の魔女王”としての能力はまだある。きょーちゃんに勝ち目なんてないんだから‼︎」
未だ健在の能力をひけらかし、激情に任せて麻里奈は最後の戦いを始めようとする。
威圧感は幽王の右目が代行していた時とは比べ物にならない。俺も知らない本気で怒った麻里奈の姿には驚きそうになった。
空気が震えている。緊張する空間の中で、俺は一考の後にダーインスレイヴの切先を向けた。
「なら使えばいい。そのことごとくを払いのけて、神崎麻里奈――お前の心臓をいただく」





