吸血鬼と最強と
世界が終わる音が聞こえた。横たわる人であった消し炭を抱き上げ、小野寺誠の視界はまっすぐに世界の終焉を駆ける英雄へと向けられる。
懐かしい音だ。
瞬間的に小野寺誠はタバコをふかしながらそう思えた。
彼――御門恭介にとっては、初めての体験かもしれない。あるいは、あってはならなかった経験だったやもしれない。
しかし、こと小野寺誠から聞けば、少ない経験のうちの1つにしか過ぎなかった。世界の終わりなど、それほどまでに身近なものであったのだ。
そんな小野寺誠にも対処できない終わりが存在した。この事実だけは、信じがたいものであった。
「何もできないことが、これほどまでにいじらしいとは思わなかったな。紅覇ちゃん。君はいつもこんな思いを……いや、違うか」
人であったもの――神埼紅覇を抱きかかえた小野寺誠は訂正する。
彼女が歩んできた人生を、費やした情熱を、そして――救えなかった後悔を、死ねぬ獣が語るべきではないと首を振る。
その上で、小野寺誠は、同じ土俵へと堕ちでしまったがゆえに口にする。
「君は成長する事ができた。俺は――立ち止まってしまった。己の強さに邁進し、緋炎の魔女を守るという使命だけに命を燃やそうと決めてしまった。それがきっとこの結末だ」
先で戦っている少年は、自身よりも遥かに若い。その彼が命を賭けて、好きでもないもののために戦っている。
自分は? 自問した末に、答えはどれだけ見繕っても醜いものだけだった。
腕の中で眠る彼女に、小野寺誠は言い訳をすることすらできず、現実と向き合う地獄を味わうはめになる。
「綺麗な光だ。あいつを希望と呼ぶなら、俺は……俺の役割はもうなくなってしまったんだな。俺はあいつの兄ではなく、あいつの失敗作として生きるしか、道は残されていないのか。カイン。お前は俺に、どう生きてほしかったんだ」
長かった人生を思い返す。そばには緋炎の魔女。隣には年老いていく神埼紅覇。他にも多くの知り合いがいた。
鮮烈な戦いを繰り返し、数多の過ちに挫折しそうになりながらも、必死に走ってきた。そんな、どこにでもいそうな主人公の道だった。
地面に花が咲いていく。木々が成長する。緑が生い茂り、生命が息を吹き返す。
消し炭だった神埼紅覇の表皮が剥がれ、人であった頃の形を模していく。
再生しているのだ。不老不死でもない、ただの人間であるはずの神埼紅覇が。
しかし、不思議なことではない。むしろ当然のことだ。カインが作り出した、最高にして最低の傑作の力があれば。
御門恭介はそう願われて生まれてきた。
最善を求めて人生を繰り返す英雄ではなく。己の強さに邁進して未来を見通せなくなった吸血鬼でもなく。年老いてもなお失ったものを忘れることができずにいる最強でもなく。
あらゆる障害を。あらゆる苦難を。あらゆる理不尽を。己が願望を叶えんとする無二の力を以て覆す圧倒的なまでの武。遍く生命を導く、人工の神。それこそが、カインによって造られた《アポ・メカネス/テオス》の定義式だ。
「相変わらず、君はタバコ臭いな。それに陰険臭い。そんなんだから君はモテないんだ」
抱き上げていた神埼紅覇が息を吹き返し、目覚めの一言がこれだ。さすがは人類最強と小野寺誠はわらってしまう。
概ね何があったのかの検討はついていそうな神埼紅覇は遠くに感じる二人の孫を思い、胸を苦しそうにする。この戦い、どちらに転ぼうと孫を失ってしまうことが、やはり悲しいようだ。
小野寺誠も、今回ばかりはたとえ御門恭介であろうと、すべてを救い上げることは不可能であろうと踏んでいる。
「お前は馬鹿だよ、御門恭介。本当はお前こそが救われるべきなのに、戦い続けることを望んでしまうなんて」
「あの子は、救われることを望んでいないのよ。ただ、信じられる友人が、家族がそばにいる――そんな甘い現実を願ってしまった。それが、どれだけ大変なものであるかも知らぬまま、ね」
そう願われて、そうあり続ける。敷かれたレールを、嫌だと言いながらも律儀に進んでいく姿は、まこと滑稽だ。
だが、なぜだろう。それが羨ましいと思えてしまったのは。
密かに募らせた思いに長らく名前をつけられないでいた。ようやく、言葉に表せそうで、小野寺誠はその感情に笑ってしまう。
「楽しそうだね」
「あぁ。楽しいとも。どうやら俺は――」
小野寺誠の言葉は最後まで続かなかった。
向こうの戦闘が激しさを増したから。
二人の視線は奪われる。おそらく、この戦いを認知しているすべての人間が、この勝敗に注目しているだろう。
「最善を尽くせよ、最新の英雄」
勝てと言わないのは、それがどれだけ断腸の思いかを知っているから。救ってくれと言わないのは、それがどれだけ醜い願望であるかを知り尽くしているから。
だからせめて、小野寺誠は咥えていたタバコを捨てて、戦いに準じる若い英雄に言葉を送る。
失敗作には見られなかった光景を、一足先に見てきてくれと。





