あの日、答えられなかったもの
この世の地獄を答えろと聞かれれば、俺は間違いなく今の状況だと答えるだろう。
今まで雲隠れをしていた俺のもう一人の父親カイン。それを恨むように睨みつける俺の祖母の黒崎由美。背後では麻里奈の形をした災厄が暴れまわり。世界は終わりの一歩手前。
その中心に立たされている状況以外で、地獄というものを表現できるものがあるとするなら、是非とも教えていただきたい。
「このタイミングで現れたってことは、君の目的は達成できたってことでいいのかな?」
「君だなんて、悲しいなぁ母さん? いつもみたいに言ってくれたまえよ。愛らしい息子だろう?」
「クソ野郎って?」
「愛おしいカインだろう?」
目が笑っていない由美さんと、その逆鱗を丁寧に逆撫でするカイン。両者の間には雷撃が交差しているかのようにバチバチと空気が震える。
そこに居合わせた俺と小野寺誠は一歩引いて、顔を引き攣らせるばかりだ。この二人を引き合わせてはいけない。そのことを今になって思い知った。時すでに遅しという言葉の通り、俺と小野寺誠は世界の破滅を背後にして、面倒ごとに巻き込まれてしまったと苦い顔をした。
これを収拾できる人がいるのなら、今すぐにでもどうにかしてもらいたいと願いつつ、そんなことができる人はいないだろうと肩を落として、仕方なく俺が前に出た。
「二人が仲が悪いのは十分にわかったけど、今はやめてくれ……」
「だ、そうだよ、母さん?」
「……これだけは答えて。ハヤちゃんが消えるのも計画のうちだったの?」
颯人が消えた。その言葉を聞いて、不思議と驚かなかった。そんな気がしていた。そうなる予感があった。願わくば、美咲さんと一緒に行けたならどれだけ幸せだろうと思ってしまった。
由美さんからすれば、二度も大切な人を失うことだと知っているのに、だ。
カインはというと……。
驚かない。眉一つ動かさない。笑いすらしない。
ただ、一言。
「そうだよ」
と。
今までのふざけた態度とは一変して、何よりも真剣に。
タナトスであった頃の性格ではあり得ないほとに誠実に。
「嘘つき」
しかし、由美さんはそれを嘘と言い切った。
初めて由美さんがこの場で微笑んだ。その目には涙が滲んでいたが。
罰が悪そうにカインは目を逸らし。
「そう言い切れる根拠が欲しいところだね」
「君のことならなんでもわかるんだよ。だって、お母さんだもん」
母親とはそういうものであると、由美さんは断じた。どれだけ憎もうと、どれだけ恨もうと、妬もうと、怒ろうと、親子の縁というものは断ち切れるものではない。俺と美咲さんや颯人がそうであったように。この二人にも絶対に断ち切れない縁が存在するのかもしれない。
それをカインは信じられないと鼻で笑おうとする。だがしなかった。単純にそういう気分ではなかったのかもしれないが、それでもやらなかった。
険悪な雰囲気が崩れる。由美さんの質問への答えは……。
「不出来な弟の件は黙秘させてもらう。その代わり、初めの質問に答えよう。僕の目標は未だ達成できていない。いいや、概ね終わりを迎え、最終段階を迎えたというべきかな」
「じゃあ……」
「そうだ。最終決戦を始めよう。御門恭介くん。君の手で、彼方の君の願いを叶える時が来た」
彼方の君の願い。つまりは幽王の願い。
俺ではない俺の願い。それを、俺はもう知っている。気がついてしまったのだ。多くの戦いと、多くを失った末に、俺は幽王の願いを理解してしまった。
だが、本当にそれをしていいのかと悩んでいる。だって、幽王の願いは……麻里奈の姿をしたあれは……。
カインの問いに答えられないでいる俺の肩を、カインが掴んで真っ直ぐな目で見つめてきた。
その目には俺は映らない。ただ漆黒の影だけが写っている。飲み込まれそうになるのを掬い上げるように、カインは語る。
「最新の英雄。世界の明日を作る愚者。よく聞きたまえ。君はすでに僕の予想を大きく逸脱した。幽王が願った通りに成長した。世界が求めた通りに変質した。しかし、物語には必ず終わりが存在する。それは破滅か、救済か。決めるのは読者ではない。主人公だ」
「そんなこと……」
カインの手が俺から離れる。
一歩、また一歩と下がり、カインは両手を広げながら天を見上げた。
まるで、この場にはいない誰かに語りかけるように。
「螟悶↑繧狗・ではない。決して傍観するだけのお前たちでは。僕は作り上げたぞ。螟悶↑繧狗・に届く刃を。くだらない物語を終わらせる主人公を。今回ばかりは不可能だとも思ったが、ようやく……ようやくこの時が来た」
カインの瞳が俺を捕らえた。
今度は俺の姿が写されている。捕捉されたように……まるで蛇に睨まれたように体が動かなくなる。
それは由美さんも、小野寺誠も同じなようだ。
そうして、金縛りのようにした俺たちに、とかく俺に語りかけた。
「君が選ぶのは破滅か、救済か」
「どう、して……俺なんだ?」
ふっと笑い。
「簡単さ」
「これは僕が始めて」
「君が終わらせる物語なのだから」
一歩、もう一歩と近づき、カインの端正に整った顔が近づく。
「御門恭介くん。僕と一緒に世界征服でもしてみないかい?」
初めてタナトスと出会った時に言われた謳い文句。
考えてみれば遠いところまで来てしまった。初めは俺を殺したカンナカムイをどうにかするだけの話だったのに、気がついたら世界を巻き込んだ大事だ。
全て、こいつが始めた物語だった。俺はその中の登場人物でしかなかったんだ。
今は?
今の俺はどうだろう?
考えるまでもないよな。俺は変わらない。何があろうと、俺の根本は絶対に。
だから、この答えも初めから決まっていたのだ。
「いや、いいや」
あの日答えられなかったものを、俺はようやく出すことができた。
初めから変わらない。俺はどこまで行っても俺だった。
ニヤリと笑うカインが、俺の左目のあたりを触れる。
「良い、答えだ」





