絶世は終焉へと至れ
颯人は何も言わなかった。けれど、その瞳から、その態度から、その雄々しい背中から、少なからずの決意と決断、決別の意思を汲み取った俺は、振り返ることはしなかった。
俺の足はまっすぐに幽王……諦めてしまったやがての俺へと向かっていく。
しかし、その道中。
俺は思いがけない人と対面してしまった。
「あの日、君を置いて行ったことを後悔したことは一度もない。ただ、後悔があるとすれば、あの時……君を私の孫だと気がつけなかった自分の不甲斐なさがいつまでも後悔させる」
麻里奈の祖母にして、神崎美咲の母。俺の祖母でもある、人類最強の存在。
神崎紅覇が、俺の目の前に立ちはだかるように面と向かう。
けれど、その様子はいつもとは違うようだ。いつもの重圧を感じさせるようではない。それよりはむしろ、儚さ……一種の弱さに通ずるものを嗅ぎ取らせた。
「その先は君の望む未来じゃない。だから行くな。振り返り、あとは私達に任せるの」
「……」
「止まれ。止まってくれ。止まれぇぇぇぇ!!」
神崎紅覇の注意を聞かずに通り過ぎようとする俺を一閃。瞬間的な痛みが脳を焼いた。
両足が切断される。腕、腰、瞬時に回復する足を何度も何度も切断して歩みを止めようとする。しかし止まらない。
痛みは刺激となり、やがては熱を帯びて脳を焼く。それでさえも、俺を止めることは叶わない。
そうして、何をしても止まらないと気がついて、神崎紅覇の光のような剣戟の数々は音を止ませる。
その代わり、およそ誰も聞いたことがないであろう声を、俺は聞くことになってしまった。
「行かないでくれ……。どうして行くんだ。なんで言うことを聞いてくれないの……?」
「俺が行かなくちゃいけないから。決めたんだ。俺が、全部まるっとどうにかするって。婆さん。ありがとう。こんな化け物を救おうとしてくれて。でも……俺はここにはいちゃいけないんだ」
「行くな。行っちゃ嫌だ…………人類最強と持て囃された私の不甲斐なさで、いったいあと何度孫を失えばいい!? 行くな、御門恭介!!」
それは違う。
首を横に振り、俺は婆さんと呼ぶには若すぎる容姿の人類最強にあるいは絶望のような言葉を浴びせた。
「俺は……俺の名前は“御門”恭介だ。“神崎”でも、“黒崎”でもない。俺は神崎美咲と黒崎颯人の子供かもしれないけれど、何を選ぶかの最後は俺が決めていいはずだ」
「それで……誰かを悲しませても? それが間違いだったとしても!?」
「婆さん。間違えない人はいないよ。ただ、それが正しいと信じているか、そうでないかって違いがあるだけで。たとえ、化け物に堕ちようと、俺は人間だ。人間であろうとしている。だから、この選択が間違いであったとしても、これをしようと……これが正しいんだって思ったなら、俺は迷わずにそれをする。だってそれが――」
ついに、俺の右足が神崎紅覇の隣を過ぎる。
珍しく涙を流す祖母に、俺は正しい言葉を選べているだろうか。今生の別れかもしれないということを、きちんと理解できているだろうか。
――――これは、間違いではないだろうか。
間違いなどではない。誰かが望んだ結末ではないのだ。これは、俺が望んだ結末だ。
だからこそ、俺が出す、祖母への言葉はきっと……。
「婆さんの血を――世界最高の両親の血を継いだ俺の成すべきことだって、他でもない俺が信じているんだから」
俺に家族はいないと思っていた。家族だと思えたのは麻里奈だけだった。
でも、それは違ったんだ。ただ知らなかっただけ。作られた子供だということを、誰も知らなかったのだ。
長い時間だ。迷うには長すぎた。失うものも多かったかもしれない。失ってはいけないものまで失ってしまったのかもしれない。それゆえ、俺はもう迷うことはないだろう。
「見てろよ、婆さん。孫の晴れ舞台だ。死なない程度に見届けてくれ」
「やっぱり君は……英雄の子供なのか。この……わからず屋」
膝を折った神崎紅覇は俺の方を見てはくれない。しかし、諦めてくれたことだけは確かだ。納得は……していなさそうだが。
俺が決めたこと。ワガママな行動に振り回すのは、きっと今日が最後だ。
そして、絶望してしまった者の長い旅も、今日で最後にしなければならない。
「待たせたな、幽王」
「待たせすぎだ、英雄」
黒い無地の仮面に、ところどころ汚れやほつれが見える燕尾服を着た幽王が、乾いた笑い声を聞かせる。
「諦めろ。お前の願いは俺が叶えさせない」
「諦めろ? 諦めろだって? ――諦められるか。全てを失った。全てだ! 俺が持っていたもの。欲していたもの。手に入らなかったものも、何もかも! それでどうして諦めろと、諦めた言える!? 俺はこの世界を喰らい尽くすぞ。御門恭介には何一つ手に入れさせはしない。崩れゆく世界なら、俺がその最後を飾ってやる!」
ドッと、黒い空気が放出されているようだ。禍々しいなんてものではない。怨念や執念といったものだろう。
本当に厄介なやつだ。我ながらどうすればここまで壊れてしまえるのだろうと思えるほどに。
瞬きをした。その一瞬にも満たない時間で、幽王の隣に黒いドレスの女性が現れた。
その女性は俺ではなく、幽王を見下ろしていた。不気味な眼光で、何かを欲しているかのように。
俺は過ちを犯したと気付くには遅すぎた。もっと早くに幽王をどうにかしていれば、と。
俺は最後まで、幽王の仲間の中で一番強いのは神崎美咲だと思い込んでいたのだ。これから起きる終焉は、全ての魔女の母である、絶世の魔女こそが一番厄介で、一番強いということを、知らなかったのが事の顛末だろう。
「絶世の魔女。お前の願いを叶えてやる! 俺を喰らい、この世界を抹消しろ! 御門恭介が生まれる全ての世界に終止符を打て!」
「何を――」
「絶望を喰らい、希望を腐食し、絶世は終焉へと至れ! 俺の願いは――」
濃厚な黒が幽王を飲み込んでいく。その源泉はどろりととろける絶世の魔女だ。……いや、あれはなんだ。生き物ですらない。あれは……。
――――闇。人の悪意すら可愛く見えるほどの、罪深い暗黒。
溶け合う二人の中に光が漏れる。三原色の眩い光が。
液状化し、気化し、やがて固まり、人の形へと変わる。漆黒よりも濃い黒。墨色の吸い込まれるようなドレスが咲いて、一人の女性が形作られる。
俺は、その女性を知っていた。
「そんな……まさか……」





