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されど、足取りは止まず

 世界がどれだけ不平等であろうとも、人生が先の見えない地獄であろうとも、きっと俺はこいつの言葉を信じてしまうのだろう。

 三日月のように怪しげに笑うタナトスは、それでも微かな光を持っていた。伸ばされた手は、いつかの出会いの時みたいに優しいものだ。


「いつから、ボクだとわかっていた?」

「声が似てた」

「そんな身も蓋もないことを言われる日が来るとはね」


 なら変声機でもつければ良いだろうに。

 なんでもお見通しのように思えた神様だったが、どうやらこの事態だけは見通せなかったらしい。それを幸いと思うべきか、最悪と思うべきかは考えないことにしておこう。

 しかし、もう二度と俺の目の前に現れないと思っていたタナトスが、こうして俺の目の前に現れたのは、どういう風の吹き回しだろう。


「時は満ちてしまった。時計の針は終焉の時刻を過ぎ、世界はカインが記した最後の結末へ向かう。そう、ボクが予期した最悪の終わりだ」

「俺が最後に見た、あの空中島のことか?」

「そうだよ」


 幽王のシナリオを、俺は左目を通して知った。おぞましい計画を知ってしまった。

 あの空中島は神々を作り出した外なる世界の住人たちが、こちらの世界へと渡るための唯一の出入り口だ。その解放条件は世界の純然たる定義である、善を悪に、悪を善に変換すること。


「あの島を浮上させるために必要だったものは6つ。終末論を蒐集する能力に長けた左目。一秒を繰り返す世界矛盾。色薔薇の魔女の四つの心臓。星辰を操る絶世の魔女。破滅を知る者の命。そして、左目で蒐集した知識を終末論へと転用できる右目。これらを以て、善悪を入れ替える準備が整う」


 終末論は、悪ではない。もちろん、善でもない。ただの事象に過ぎないものだ。しかし、それは不思議と悪が起点として起こるものだった。

 善神が善を見極める際に、善行と悪行を見て判断する。誰もが一度は口にし、或いは聞いたことのあるフレーズがある。神様はいつだって見ていると。それが神の窓。人には到底辿り着くことができない大きな扉のことだ。


「神の窓を開くためには、外の世界の住人が送り込んだ絶世の魔女の力が不可欠になる。そうだろ?」

「どこでそんなことを?」

「聞いたわけじゃない。ずっと前に絶世の魔女は現れた。その際に色薔薇の魔女を作り、消えた。もう一度現れた時、色薔薇の魔女たちとの交戦があって完勝を果たしたにも関わらず、消えた。なぜ? ……時を待ったんだ。そして、幽王がその時を進めた。外なる神を呼び出す方法を知っていたから」


 俺の戦いは全て奴の手のひらで行われていたものだった。

 全てが計画の上でのことだったんだ。

 息を呑む。ここが原初の世界だということも忘れて、ただひたすらに繋がっていく情報を口にする。


「あいつが終わらせたがっているのは、俺の人生でも、世界の命運でもない。自分自身だ。世界を殺してもなお、終われない自分を殺すためだけに世界それ自体を壊そうとしている。そうだな?」

「さあ。今のボクにはもうわからないよ。彼は、きっとボクの血を色濃く受け継ぎ過ぎたんだろう。世界を破滅させることしかできない、この呪われた血を」


 天を仰ぐタナトスの目には、哀が色づいている。

 考えるまでもなく、タナトス……カインは憂いているのだ。自らの在り方を、そして御門恭介という化け物を、この上なく哀している。

 おそらく、カインにとって、この結末は望ましいものではなかったのだ。


 では、カインが望んでいる結末とは?


「幽王の目的はわかった。それにかけた膨大な時間も、費やされた数多の策略も。美咲さんが成し遂げたかったことも、全て知った。でも、最後に一つだけ、これだけはわからなかった」

「それは?」

「お前だ。タナトス…………いいや、全ての元凶たる俺のもう一人の親父。カイン、お前の思惑だけがわからなかった」


 揺れる。

 遠くの方で、世界が瓦解していく様子が見える。

 どうやら、幽王の呼び起こした外なる神の余波がここまでやってきたようだ。


 時間は残されていない。何もかもが終わってしまう前に、俺はどうしてもカインの目的を知る必要があった。

 俺を不老不死にし、親友と謳う幽王を手引きしたカインの思惑を知らなければ、タナトス(こいつ)から始まった物語は終わりを迎えられないだろう。

 数秒の沈黙の後に、カインは告げる。それは見知った悪魔のような笑いではなく、人を小馬鹿にしたような笑いでもない。少年のような、嘘偽りのない純粋な笑みで、だ。


「言っただろう。ボクは世界が終わろうと、これから先も続こうとも構わない。結末として、どちらかに落ち着いてくれれば、それで良いのさ」

「お前……」

「ただ」


 短く切られる。

 反論も、口を挟むことすら許さない口調で、すっぱりと空気を裂いた。


「兄弟殺しは、ボクだけで十分だ」


 左目が熱くなる。

 これまでも何度かこういうことがあった。その度に、左目は新たな力を手に入れたものだが、《救済論イーヴァンゲリオン》を介して、それが能力の拡張ではなく解放であることを知った。

 俺の左目は、初めから全ての終末論を、能力を獲得していたのだ。ただ、解放条件があったというだけで。


 こぼれ落ちそうになる左目を押さえつけ、何かをしたであろうカインを鋭い形相を睨みつけてやった。

 しかし、カインは優しい表情のままで、まるで動揺していない。


「君では幽王には敵わない。この後に及んで左目を扱い切れない君ごときでは、死地に向かうことすら叶わないだろう。であるなら、この場で君を殺してあげるのが、せめてもの温情というものだろうね」

「勝手に……」


 息を呑む。


「勝手に決めつけるな! 俺が弱いなんてことは他でもない俺自身がよく知ってる。けどな、今度の敵は、その俺自身だ。何もかもを諦めちまった俺自身なんだよ! 前に進もうとしている人間が、諦めた人間よりも弱いのか!?」


 激痛は止まない。溢れ出す痛みと同時に、俺の左目からは虹色の炎が吹き出している。

 俺の覚悟とも言える叫びを受け、カインの瞳が変わる。哀情から驚きへ。まるで予期していなかったと言わんばかりの形相へと変貌した。


「そんな……まさか……この後に及んで、とはよく言ったものだ。見えていなかったのは、どうやらボクの方だったらしい。君は、初めから予想を上回っていたのか」

「俺は終末を超える。文明が消え去ろうが、知ったことか。俺は絶対に仲間を守るし、ついでに世界だって救ってやる。いいかタナトス。これは、俺とお前の契約だ。あの日に誓った、たった一つの約束だったはずだ!」

「ああ。だからボクは、君を選んだんだ。最後の世界の御門恭介を。終末世界の最先端の英雄を、君に託した」


 崩れていく原初の世界の瓦解が止まる。やがて逆再生のように地面が再び生まれ落ちていく。

 背には純白の翼と、白銀の龍翼が煌めき、頭には錆びた王冠が乗っかっている。覚悟は力へと変わり、俺はここでは終われないのだと物語る。

 終われやしない。自らの過ちをそのままに、明日を生きるなんてことは恥ずかしくてできるものではない。


 だから、まあ。

 一発、自分を殴ってやらないといけないだろう。


「俺は行くぜ。お前が諦めた俺を殴ってやらないと気が済まない」

「好きにしたまえ。ボクはただ記すだけだ。君という英雄譚を。そして、彼という終末論を、ね」


 タナトス……カインは敵でありつつ、味方でもあった。結局は、どちらに着くのが正解なのかを決めあぐねていたのだと思う。でなければ、こうも簡単に俺を行かせるわけがない。

 感謝はしないが、恨むこともないだろう。できれば、次に会った時は、ゆっくりと話ができればとは思うけれど。


我は終末(ラスト・)を超える者(エンブリヨ)――――」


 会合が終わる。一度だけ見た、太陽の守護者の能力である時間の跳躍を使い、俺はあの時間へと帰るのだ。

 幽王が勝ち誇る、あの時代へと。

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