もう一人の父親
世界が崩れる音がした。
再生した地球という星が、瓦解していく様を見た。
しかし、幽王は勝ち誇るでもなく、仮面に隠された素顔が泣いているのが感覚的にわかる。
何を涙することがあるだろうか。
幽王が望んだ通りの結果に終わったというのに、なんでそんな顔をする。
わからない。わからないが、この終わり方は幽王が本当に望んでいるものではなかったのかもしれない。
〈では、ここで終わらせてしまうのはもったいないな〉
左目に映し出された文字は語る。
俺の意思とは関係なく、《救済論》の言葉でもない。意思を持つ生命体のような語り口だった。
〈君としてもこの終わり方には不満が残るんじゃないかな?〉
確信した。これは誰かの意思だ。俺でもない、《救済論》でもない、第三者の意思だ。記録や記憶ではなく、今どこかにいる、そういう類のものなのだ。
けれど、一体誰が? 人の手では、まして神様でさえも作り出すことが不可能とされた左目に介入できる人物は誰だ。
たった一人しかいない。考えられるのはただ一人だ。
「カイン……」
製作者なら、左目に介入することができるだろう。この左目を作り出すような人物なら、ただの人なわけがない。事実、カインは黒崎由美の息子だという。
先日、と言っても時間的に言えば十年ほど前になるが、神代終末論をして自らを終末論と化し、世界を破滅させようとした神ロキが言っていたではないか。世界矛盾は遺伝すると。
世界矛盾が遺伝するのであれば、カインと呼ばれる謎の多い人物が不老不死である可能性は低くない。
つまり、今もどこかで生きているのだ。人知れず、のうのうと。
そんな人物が今、左目を通して話しかけてきている。理由は定かではないが、原因はおそらくこの終末事象だろう。
〈ボクとしてはこのまま世界が終わろうとも、君が奮起して世界を救いあげようとも、どちらでも構わないんだが、君はボクの息子でもあるからね。
人はこの世に生まれ落ちる際に、三つのものを持って生まれてくる。ひとつは漂白された人生。ひとつは母親からの愛情。そして、最後は父親からの祝福。
君にはまだ、祝福を与えてはいなかった。だから与えよう。最初で、最後のプレゼントだよ。左目で己の全てを見るといい。
ヒントは、そうだな。世界矛盾は遺伝する。君が馬鹿な弟と、その最愛の妻の世界矛盾を遺伝して『時』にまつわる世界矛盾を手に入れたようにね。
忘れるな。君にはもう一人、血の繋がった父親がいたはずだ〉
血の繋がった父親がもう一人。それはカイン、あんたじゃないか。
カインは不老不死者だ。今、俺がいる世界において不老不死者はイコール世界矛盾を持つものだ。そして、不老不死者になった人の子供は、親の世界矛盾を遺伝で受け取る。
俺の中には、美咲さんと颯人の世界矛盾の他に、もうひとつ……カインの世界矛盾もあるはずだ。
だが、世界矛盾とは見つけることによってなされる奇跡だ。俺は一度、死に直面して幽王とタナトスの策略によって不老不死の体を手に入れ、後に世界矛盾を見つけたことによって完全な不老不死者となった。
完全な不老不死者になった経緯も、近くに父親と母親がいて、二人の世界矛盾に触れたからだ。
俺は、カインの世界矛盾も、なんだったら素顔すらも知らない。
カインの世界矛盾を遺伝しているのだとしても、きっかけがなければ見つけることすら困難だ。世界が終わる数瞬前ともなればなおさらに。
崩れていく景色。空に亀裂が入り、闇が差し込んでくる。空には禍々しい島が浮かび、歴戦の強者でも膝をついて見上げることしかできない。
その時、俺の左目が捉えていたものは……。
「終わりじゃ、ない?」
最初はただ、幽王に全てを持っていかれるのが気に食わなかった。あったかも知れない自分自身に、何もかもを明け渡すのが癪だったのだ。だから、何度も止めると嘯いて走り回っていたに過ぎない。
だから、負けることに悔しさを覚えていた。麻里奈を失ったことに強く怒りを覚えた。ゆえに、終わりが確定した瞬間に、俺は諦めてしまった。
諦める必要なんてなかったのに。
「終わりじゃない。そうだ。まだ終わってない」
強がりじゃない。負け惜しみじゃない。
負け犬の遠吠えだと思うならそう思っていればいい。
カインは言った。左目で己の全てを見るがいいと。何を言っているのか理解できていないが、きっと自分を見つめ直せと言うことだろう。名前しか知らない、会ったことのない父親の言葉だが、それでも俺の父親だ。世界の終わりに一度くらい信じてみてもいいだろう。
誰もが空を見上げる中、俺は左目に手を押し付けて、自らの深淵を覗き込む。
何が出たって構わない。負けたくないのだ。限りなく自分に近い他人に。
何より、厨二病全開な自分自身に負けるのが心から嫌なんだ!
「嫉妬は……悪ではない……?」
左目によって、より深く自らの深淵へ潜っていく。誰も発見することができない無意識の外側へ。自分が自分であると証明することが可能な領域へ。
人と神との間に差が存在しなかった場所へとたどり着く。
鮮やかな緑と、人型を模した粒子。二重螺旋の大きな樹木には、鼓動する木の実があり、木を取り囲むように1匹の大きな蛇がいた。
俺は、その蛇の名を知っている。
「ま……りな……?」





