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雷神は鎮座する

 俺のいる街には昔から少しだけ有名な山がある。

 逸話とか、そういった類ではなく、ただ封鎖されている山があるのだ。狩猟も、植林も、とにかく近づくことでさえ禁止されている山が。

 俺は今、その山の中にいる。御門恭子曰く、誘われているらしい。意味がわからないし、わかりたいとも思えないが、よもや……。


「よもや、山の中がこんなふうになっているなんて……」


 一度だけ来たことがある。空に霧がかかり、空気は澄んで、鳥肌が立つほどに音がきれいな場所。人が決して侵入してはいけないと直感できるような領域――――神代。

 俺がタナトスに連れられて、左目を取りに来た場所だった。


 どうして、山の入り口を通っただけでこんな場所に?

 いや、考えるべきものはそれではない。そもそも、どうして山が封印されていたのか、だ。はじめから分かっていたことだったのかもしれない。この山が、神々の世界とつながっているということが。

 もしもそうであったなら……。


「この山を封鎖していたのは……神埼家?」

「そうだよ。知らなかった?」

「逆に恭子は知ってたのか。あいにくと俺は誰も教えてくれる人がいなかったもんでな」

「恭子って……まあ、良いけど」


 名前で呼ばれたのに違和感を覚えたようだが、それについて深く言及せずに歩き始める。


 神埼家が封鎖していた山。なにもないわけがない。現にこうして神々の世界とつながり、足を踏み入れてしまった。

 しかし、俺たちの目的は仲間を探すことだったはずだ。このような場所に来ても、目的が達成できるとは到底思えないが……。


 緑の紅葉の参道を分け入って、随分と歩いて行った先。

 大きな湖と、その中心に巨大な岩の片鱗が顔を出した不思議な場所に出る。

 その岩を見つめ、彼女は小さく告げる。


「どうして、神埼家は緋炎の魔女に日本を任されたと思う?」

「緋炎の魔女の直系とか、そういう感じじゃなかったか?」

「正しいけど、すこし違う」


 澄んでいた空気が淀み、霧がかった空が曇る。

 環境の変化に動揺する俺をよそに彼女は話を止めなかった。


「神埼家は巫女の家系。それもただの巫女じゃない。神との親和性、協調性、神をも蠱惑する神秘性を兼ね備えた神の子を成すのに最適な体を持つ一族」

「つまり……?」

「神埼麻里奈は、一体誰と婚約していたっけ?」


 カンナカムイ。

 あの悪名高き雷竜神と婚約していた。そう答えようとした最中、目の前の岩に雷が落ちる。

 まさか。

 そう思った瞬間だ。雷が岩に腰掛ける人の形を象っていく。その姿は見たことのあるもので……。


「カンナ……カムイ……」

「よもや、こんな時に、こんな場所で、お前のようなやつに出会うとは……何のようだ、敗北者・・・


 黒いスーツ。今では懐かしい両腕を持つその男を俺は知っている。

 カンナカムイ。神にして龍。かつて、俺と戦い右腕を失ったはずの戦友。

 その男が今、こんな場所で再会することになるとは。


「敗北者とは……言ってくれるじゃないか」


 動揺を隠せない。それでもカンナカムイに出会えたのは良好だった。

 神は過去現在未来の記憶を保持している。未来で俺と戦ったカンナカムイならば、俺に力を貸してくれるはずだ。

 そう考えたからこそ、俺は提案を投げかけようとした。


「そんなことよりカンナカムイ、俺に力を――」

そんなこと(・・・・・)? 貴様……今、そんなことと言ったか?」

「な、なんだ……?」


 空気が震える。

 カンナカムイも怒りで震えていた。それに呼応する辺りが、ピリピリと危険な雰囲気を醸す。

 ギラリと光る眼光が、俺を見つめた。


「自分自身に敗北し、大切だと宣った人を容易く失い、最後には世界をも失った貴様は、それらをすべてそんなことという言葉で片付けるのか」


 カンナカムイの怒りは、正当なものだった。

 ただし、俺の放った言葉も適当なものではあったのだ。


 カンナカムイにとっての麻里奈は守らなければならない存在であり、救うべき対象であった。

 目の前で守れたはずの俺が、邁進によって失ったことで慰め合うという行為で協力していただけに過ぎない。だが、この時代では違う。

 神埼麻里奈はまだ生きているのだから。

 ならば、カンナカムイの怒りは俺へと向くだろう。カンナカムイから略奪した人を守れなかった事実だけが燦然と残っているのだから。


 ふわっと口元が緩む。

 握られた手をほどき、止められる手をどけて湖の中へと入っていく。


「近づくな、敗北者!! 救わなければならぬ者を救えぬ英雄が、常勝を名乗るべきではなかったのだ!! 所詮貴様では――」

「そうだよ、カンナカムイ。俺は誰も救えなかった。何一つとして助けられなかった。立ち上がることで、何かを守れると思い込んでいた、ただの子供だったんだ」

「…………っ!?」


 カンナカムイが何かに怯えるように立ち上がる。その目は開かれ、まっすぐに俺だけを見つめた。

 やがて下半身が全面に濡れながら、俺はカンナカムイに手をかざす。


「揺れる逆理の天秤。反転する善悪の中心。時は裏返り、針は錯綜する。人々は先を失い、今を解かれ、昨日を夢に見る。眠れる神獣を還し、鎮座する神々を侮辱する――――戻れ。在るべき姿へ。我が――――――」


 トン、と。背中から抱きしめられる。

 そうして、優しい声色が俺の口を黙らせた。


「ダメだよ、お兄ちゃん」


 視界が霞む。思い出したかのように頭が痛い。

 一体、俺の体に何が起きているっていうんだ……?


 背に感じる女の子らしさ。どこかで感じたことのあるような、ないような。

 御門恭子。

 俺の妹にして、世界を終わらせる最後のピース。

 しかして俺は……。

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