小悪魔のような悪魔
昨晩はお楽しみでしたね。
と口には出さないが、表情で伝える受付のお姉さんに否を告げたい気持ちを抑えて、妹に宿泊代を出してもらい外へと顔を見せる。
裏路地ということもあって、人通りは少ない。殆どは夜の仕事を終えた帰りといったふう。
しかし、一度大通りへ足を踏み出せば、忙しないサラリーマンや学生たちがそれぞれの目的の場所へと足を進めている。そんな中、俺と御門恭子は宛もなく歩いていた。
目標は決まっている。
元の時代に帰ることだ。
そもそもどうして過去の世界に来てしまったのかがわからなければどうしようもないようにも思えるが、まずは最終目標を立てておく。
さて、ではどうすれば元の時代に戻れるのだろう?
おそらく、その鍵を握っているのは物珍しそうに周りを見回している御門恭子を於いて他にはない。
とりあえずは腰を落ち着かせよう。そう思い、腹の好き具合を見計らって声をかけた。
「なあ――」
「おなか空いたんでしょ」
「……まあ、そうだけど。いや、そうじゃなくて――」
「ついでに元の世界に戻る方法を聞き出したいんでしょ?」
「……ねえ、俺の思考を先回りするのやめてもらってもいい?」
さすがは、というべきか。彼女は嫌がるだろうが、話し方や先回りの仕方が美咲さんにそっくりな気がする。なんというか、相手の思考を読んでいるような感じ。
とにもかくにもお腹が空いた俺達は、どこにでもあるハンバーガーショップにやってきた。
朝食メニューを注文し、席で届くのを待っている。先に渡されたアイスティーを頂きながら、俺は彼女に訪ねた。
「それで、どうなんだ? 帰れるのか?」
「ん。できるよ。今すぐにでも」
「じゃあ――」
「でもいいの?」
「いい……? 何がだよ?」
頬杖を突き、御門恭子は云う。
「空のあれ。解決しないといけないと思うけど?」
「そうだ……俺たちの時代で起きたはずの終末が、どうして過去の世界に影響を及ぼしてるんだ?」
「神様は過去現在未来と、記憶を統一化してるからね。思い出そうとしないと思い出せないみたいだけれど」
そう言えば、タナトスやカンナカムイもそんなことを言っていた気がする。たしか、カオスも別の世界の颯人を覚えていた。
であれば、神の窓の中にいる善神とやらも記憶を統一化していても不思議じゃないってことか。
「この時代じゃないと解決できないのか?」
「元の世界に戻ってもパパに邪魔されてお終いってだけだよ。まあ、お兄ちゃんがパパを倒して、あの窓をどうにか出来るって言うなら話は別だけど。多分ムリだと思うなぁ」
「なんで?」
「時間がないから」
時間がない。
御門恭子の云う、終末は始まっているという言葉は嘘ではない。
そう遠くない時間で、あの窓は突破されるのだ。だが、なぜ?
御門恭子曰くあの窓を開くには彼女の心臓が必要なはずだ。そして、この時代に幽王は存在しない。
なら、この時代にいれば、幽王はあの窓を開くことが出来ないはず……それにしても、時間がないという回答はおかしいだろう。本来ならば、幽王を倒すことが困難だからと答えるはずだ。
まだ何か知らないことがあるようだ。首を傾げる俺に、御門恭子は告げる。
「はい。問題です。神様の記憶は統一化されています。天上には神の窓が浮かび上がり、あとはそれを開くだけ。鍵は私の心臓で、開こうとするパパはこの時代にはいません。そして、重要なのは“終末はもう始まっている”ということ」
問題を出し終えたところで、注文したハンバーガーが届く。
それを笑顔で受け取り、待ち焦がれていたハンバーガーにかぶりつく彼女を見ながら、怪訝そうにハンバーガーを持つ俺。
一口頬張り、もぐもぐと口を動かしている彼女は、回答が出ないと見るや飲み込んでヒントを開示した。
「ヒントは……私はお兄ちゃんと違って未来からやってきていません」
未来から……つまり、元の時代から来ていない。
それは要するに……。
「この時代の、御門恭子……?」
「せーいかーい。ご褒美にお兄ちゃんにはもう一つ重大な事実を教えちゃいまーす」
ででんと、口で言って、御門恭子は嬉しそうに語った。
「未来の私は今、パパを裏切って三日三晩戦争をしてまーす。すでに四桁を超える死を経験して、魂が擦り切れる寸前でーす。現場の私からの伝言は…………さっさとどうにかしてよ、お兄ちゃん。だそうでーす」
パクリと、悲痛の叫びのあとに美味しそうにハンバーガーにかぶりつく。
……いや待て。どういうことだそれは。
この時代の御門恭子。だが、御門恭子はこの世界には存在しないはずだ。どうやって、この世界に? 幽王とともにやってきたんじゃないのか? 何かがおかしい。そもそも、幽王はどうやってこの世界にやってきた? 終末論? 世界矛盾? 俺である幽王にそんな能力があるわけがない。では……。
いいや、それよりも……。
「どうして、未来の記憶が、過去のお前にあるんだ……?」
半分まで食べ終わったハンバーガーを持ちながら、御門恭子はにっこりと笑う。
それは小悪魔というよりかは悪魔に近い。背筋が一瞬にして凍りつきそうな冷たい笑い。
その表情のまま、彼女は俺のハンバーガーを指差しながら言う。
「食べなよ。冷めちゃうよ?」
震える手が、ゆっくりと包み紙をめくっていく。だが、あれほどまで空いていたお腹が、今では食欲を失っていた。





