最も大きい壁
この世に同じ人間が存在する現象を、ドッペルゲンガーと言うらしい。
そして、ドッペルゲンガーに出会ってしまうと、人は死んでしまうのだ。
何故か。
人は、自分と全く同じ人間を目にすると、自分という唯一無二を失い、自壊してしまうのだ。誰が決めたわけでもなく、高度な知性を手に入れてしまった人間だからこそそうなる。
では、同じ“御門恭介”がいるとしたら?
俺はそれを目にした時、果たして自壊してしまうのだろうか。そもそも、不老不死の化け物である俺は、その程度で壊れきることができるのか。
その答えを知ろう。あるいは知らせるために、幽王がこの場に現れたのかもしれない。
終焉を呼ぶ仮面の王は自らを“御門恭介”だと語る。それこそが真実だと宣言した。
「君が来ることはなかっただろうに」
「お節介だったか? それともそっちの御門恭介に酷だったか? ……どちらも同じだ。結局、最後にはこの結末に辿り着く。遅かれ早かれ、こいつはこの真実を目の当たりにしていたさ」
「だとしても……」
今ではなかっただろう。そう言いたげなタナトスに、幽王は右手で黙らせる。
視線を俺へと向けて、何も言わずに仁王立ちする。
わかっているさ。お前が何を言いたいのか。何を言わせたいのか。
左目で真意を見据えなくとも、お前は俺なのだからわかってしまうんだ。息を吸うように、ただあるがままに気がついてしまう。
故に、俺は聞かれてもいないことに言葉を返す。
「俺は英雄じゃあない」
「そうだろうとも」
「俺は勇者じゃあない」
「思い上がりも良いところだ」
「だったら、俺は一体何だ?」
「「わかっているさ。答えが無いことこそが人生だ」」
一致する。一言一句がピタリとハマる。
これだけで幽王が“御門恭介”であるという証明は成される。さらに、幽王が未だにその答えにたどり着いていないことも理解した。
人とはなにか。生きるとは、死ぬとは、幸せとは、不幸とは、それらを構成する全てのことは一体何を中心に組み上がっている?
世界とはなにか。
充てがえない言葉では済まされない。この問に、無理やり答えをつけるならきっと――俺ならおそらくそう言うだろうと思っていた。
世界とは人生だ。人生とは答えのない連続した時間だ。積み上げた時間の長さが、その人を構成する全てになる。生まれてから死ぬまでの時間の蓄積こそが、その人の真の価値になるのだ。
つまり、死ぬことができない俺にとって、世界の価値は無である。
多分、幽王は仮面の下で微笑みながら、大げさな仕草で聞いてくる。
「これで満足か?」
「それはこっちのセリフだ」
幽王は“御門恭介”だ。しかし、カインの研究である、人工英雄は事実上俺だけしか成功しなかったはずだ。れっきとしたそういう資料があるわけではないが、日巫女や小野寺誠の言い方からしても、そして覗き見た記憶からしてもそうだった。
であれば、この世界に二人目の“御門恭介”は存在しない。だのに、目の前には堂々と在る。
正直、そんなことはどうでもいい。目の前の男が“御門恭介”である、それ自体に意味はない。興味もないし、文句もない。
ただ、腑に落ちないことがある、ただそれだけだ。
「どうして、麻里奈を殺した?」
「必要だったからだ」
「“御門恭介”は麻里奈を殺さないはずだ。お前が本当に“御門恭介”であるなら――」
「それはお前だからだろう?」
言い切られる。
俺だから、麻里奈を殺さない。大切なヒトは麻里奈だったはずだから、俺の手で麻里奈を殺害するなんてありえない。
しかし、裏を返せば、俺でない俺――つまり、違う生き方をした俺であれば話は変わる。護る対象は代わり、大切の定義が、前提が変わってきてしまう。
わかった。こいつが何者であるのかが。
そして、俺とこいつは相容れない存在だって言うことが。
俺は虚空を掴み、そこから“天國守夜鴉”を抜き、幽王へ刃を立てる。すると、幽王の背後に隠れていたらしい虹色の髪をした幼女がチラリと顔をのぞかせ、その剣先を見つめる。
「喧嘩を売ったのはそっちだ」
「それを買ったのはお前だろう?」
一触即発。しかも、今回に限っては珍しく俺もやる気がある。
それもそうだ。クロエには悪いが、危険なことに手を出してしまっているわけだから。
しかし、今ココで幽王を仕留めなければ後悔する。そう今はなき左目が告げている。だから、俺は刀を呼び出した。
だが、それを止めるために俺と幽王の間にタナトスが立つ。
さらに、双方を見た後に告げた。
「死神の前で仕事を増やすのはやめてほしいものだ。幽王、君はまだ万全ではないはずだろう? 御門恭介、君もだ。双方、まだ戦うべき時ではないはずだ」
「関係ないさ。万全でないからこそ、幽王を今殺さなきゃいけない」
「万全でなかろうと、俺はお前には負けないさ。未だ甘さを捨てきれないお前には」
タナトスの言葉を持ってしても止められない。なのに、説得を諦めないタナトスが次なる言葉を出そうとした時、街に天高く届く火柱が上がる。
それに驚いて目を向けると、遠目ではあるが確かに日巫女と小野寺誠の姿が見えた。さらにはそれを追跡する炎の翼を生やした美咲さんの姿までもが目に映る。
「まさか……」
「お前は知らなかったようだな。色薔薇の魔女たちは皆、絶世の魔女の直系だ。そして、絶世の魔女には色薔薇の魔女の居場所を探知する能力がある」
「白犬の心臓か……!?」
今すぐにでも助けに行こうと、幽王との戦いを放棄する。が、それを幽王が許さなかった。
虹色の髪の幼女の右目から赤い光が俺の体を撫でると、見事に切断される。真二つにされた胴体は、持ち前の回復力でどうにかなったが、名実ともに足を止められた。
「…………王様自ら足止めを買って出たのか」
「なに、お前を単騎で止められるのが俺しかいなかっただけの話だ。最後のピースはいただくぞ」
「やらせねぇよ。今ココで、テメェを殺して、白犬を助ければいいだけの話だろうが!!」
これで最後にしなければならない。負ければ世界は終わり、時間を稼がれても世界が終わる。俺のやるべきことは一つ。色薔薇の魔女の最後の一人、空白の魔女を全力で護ること。
失敗は許されないぞ。今度こそ、幽王の目論見を止めなきゃいけない。そのためには目の前の自分を越えなければならない。
地面を蹴って駆ける。俺の知る限り、最も大きい壁に立ち向かうために。





