少年は自覚する
静かな食事。聞こえるのは食器をテーブルに置く音と、箸が食器と接触した際に出る音だけ。テレビはあるが点けず、また決して俺一人でご飯を食べているわけでもない。
麻里奈の死を公表するための集まりに無理を言って参加し、挙げ句の果てに場を荒らすだけ荒らして帰ってきた俺を迎えてくれたのはエプロン姿のクロエだった。
どうやら珍しく晩ご飯を作ってくれたらしく、それを食べるために席に着き、家にいるメンバーでご飯を食べ始めて今に至る。ちなみに、この場にいるのはクロエと俺、カンナカムイ、イヴ、奈留、レオ、クロミである。家にはもうひとり、アポカリプスがいるのだが、何やらやることがあるとかで、俺の部屋に引きこもってしまっている。
普段……と言っても、麻里奈が死んで一ヶ月ほどしか経過していないから、あまり変わりはないのだが。強いて言えば、颯人が先日の戦いのせいで入院中にも関わらず俺の家で飯を食べることが多くなったり、それに付随して由美さんも一緒だったりすることもあるくらいだ。
相変わらず、神埼紅覇は俺に逢う時間がないのか、それとも日巫女の容態を見るので忙しいのか、避けられるように会えていない。実を言えば、今日の集会で久々に顔を合わせたという程度だ。
「どうだったの?」
おもむろにそう聞かれた。
この場で神崎家の集まりの詳細を知らないのはクロエだけで、今の質問はクロエが居た堪れない空気を脱却すべく、苦渋の末に悩んで出した会話だった。
質問の内容について十分に理解しているはずの俺だが、あえて何がと返す。
「神崎家。急に扉が開いてみんなが居なくなったから、なにかあったのかと思ったじゃない。まあ、きょーすけのことだから、死にはしないとは思ってたけど……ごめん。言いたくないならいいの、別に」
急にしおらしくなったのは、おそらく俺が聞かれたくないと思っているように見えたからだろう。俺自身にそういった思いはないが、死ぬというキーワードがタブーのようになってしまった最近に、クロエは敏感になっているのかもしれない。
俺は食べる手を止めて首を振る。
「いや、別に言いたくないってわけじゃないよ。ただ……神崎の婆ちゃんが来ないほうがいいって言っていた意味を理解しただけで」
事前に、先の集まりがあるが来なくてもいいという電話はもらっていた。けれど、けじめをつけるためにも行かなければならないと、無理を言って行かせてもらったのは俺だ。無論、こうなる予想はしていたし、実際に俺は俺の怒りを止められなかった。
「なにか……言われたの?」
「いいや、言われる前にみんなが来てくれて助かったよ。じゃなきゃ、心無い言葉に押しつぶされてたかもしれない」
「あんたが言うと説得力がないわよね……まあ、気にしないほうがいいわ。権力者っていうのは、結局みんなそんなんだもの」
「だな、気にしても仕方ないよな」
再び静寂が訪れる。
ご飯を食べ終わり、食器を片付けようと俺が立ち上がるや、目の前のクロエが気がついたように言葉を漏らす。
「あっ」
片付けるからそのままにしておいてほしい。そういう旨を伝えるために立ち上がろうとするが、それを俺は制した。
右手でクロエに待つように見せ、首を横に振る。
「いいよ。これくらいはできる」
「で、でも……」
「その代わり、皿洗いは任せるよ。それとこれを片付けたら少し出かける」
「こんな時間に?」
言うほど遅い時間ではない。少し不良な高校生なら外に居ても然るべき時間帯だが、結果的に片目を失った俺を心配するクロエはそう聞いてきた。
クロエの心配がよく分かるけれど、約束をしたのは俺だからと言って食器を片付けていく。他に、イヴたちもついてこようとするが、それも俺はやめさせた。
「一人で行く」
「大丈夫? ちなみに誰と――」
もう一度首を横に振る。
答えないと意味する行動に、クロエはちょっとだけ怒っている様子だ。でも、教えられないから仕方ない。
「危ないこと?」
「いいや」
「本当に?」
「本当だよ」
「ね、ねえ……きょーすけ」
「ん、なに?」
どうにかして俺を引き留めようとするクロエだが、うまく言葉が出ないようだ。
話題を探すために目が泳いでいる。ようやく、しかし苦し紛れに出た質問は、あまりにも可愛らしいものだった。
「きょ、今日のご飯はどうだった? が、頑張ってみたんだけど……」
「美味しかったよ。日に日にクロエの料理が美味しくなっていくから、帰ってくるのが楽しみだ」
「そ、そう……あの――」
「大丈夫。勝手に居なくなったりしないよ」
食器を水に付けて、テーブルへと戻ってくると、俺は一生懸命に足止めをするクロエの頭に手をおいた。すると、それに驚いたようにクロエが目を強く閉じる。
怒られるとでも思ったのだろう。別に怒ってはいないし、煩わしいとも思わないが、不甲斐ない俺のせいで気を使わせてしまっていることを思うと、俺自身もどうすればいいのかわからなくなってしまう。
見た目が子供だから、れっきとした大人なのにどうしても子供扱いしてしまう。
優しく、サラサラの黒髪を撫で、ぷにぷにした頬にふれる。
「き、きょーすけ?」
「かわいいな、クロエは」
「は、は!? ちょ、何言って――」
抱きしめた。強く。離れられないようにしっかりと。
一瞬硬直する体。けれど、すぐにその意味を理解してしまったクロエが諦めたように自由の効く右手で俺の背中を擦ってくれる。
「約束、してもいい?」
「ああ」
「いつか……アタシでもいいって思えたときに、アタシと結婚して?」
「それは…………随分と待たせることになると思うぞ」
「いいよ。だって、アンタもアタシも死なないんだから。気長に待ったげる。ただし、結婚するまで絶対アタシを守ってね」
「…………ああ、絶対に」
「ん」
この約束に特別な意味はない。
心臓を抜き取られ、本来回復するはずの体が回復しなくなったクロエを“顔の無い王”で助けてしまったその時から、生死を握られたクロエは俺から離れられなくなった。エルシーと日巫女は気にせずいたるところで忙しくしているようだが、結社や組織を所有していないクロエにとって、俺に嫌われることは死に直結する。
もちろん、俺はクロエを嫌いになることはないから、気にする必要はないと何度も言っている。だが、俺に恋しているという前提が、クロエを不安にさせているのだ。
いつまでもクロエの温かさに縋り付いてはいられない。クロエを抱きしめる力を緩めて、やがては完全に離れる。
「そろそろ行くよ」
「ん」
「帰りは多分朝方になるから、ドアは鍵を閉めちゃって構わないよ」
「わかった」
「じゃあ、行ってくる」
「ん、行ってらっしゃい」
言って、虹色の炎の扉を開く。
そこを潜り、俺は待たせていたやつに一言謝罪した。
「待たせたな…………いや、あまり待っていないか。とにかく、久しぶりだな。タナトス」
そこには、俺の知る限り最もイタズラ好きな神様が、いつものように三日月のごとき笑みを浮かべて、タナトスは嗤う。目に映る俺の姿を、まるでいつか見た懐かしき光景のように。





