誓い
「のこのこと戻ってきたのか」
俺と視線がぶつかった幽王がそう述べた。
こくりと首を縦に振って、俺はそれに答える。目の前には傷ついた颯人と、動揺する美咲さん。仮面の男、幽王。そして、虚空のような瞳を持つ絶世の魔女。
敵は強大だ。俺が予想するよりも遥かに強い。そのせいで俺は失ってしまったのだから。
「幽王。俺が間違っていた」
「ようやく自分の愚かしさを自覚したのか。だがもう遅い。お前の弱さのせいで、全てが死に絶える」
「違う。違うよ、幽王。俺が間違えていたのはそれじゃない」
抉られたはずの左目が熱い。焼けるように、染みるように、ヒリヒリとした違和感が訪れる。
あたりが非常に明るくなる。森で陰ったものが輝いていく。
その様子を見ていた幽王が驚いたように声を漏らした。
「まさか……」
笑っているようだった。何かはわからない。けれど、たしかに幽王は笑っているようだ。少なくとも俺にはそう感じた。
左目を開く。そこには確かに眼球が存在していた。
「俺を俺と定義していたのは、生き方を教えてくれた麻里奈だったんだ。でも、俺を形成していたのは決して麻里奈だけじゃなかった。全てを失ったわけじゃない」
「捨てるのか。真に大切だと宣ったはずの女性を簡単に捨てされるのか?」
「勘違いするなよ。捨てるわけじゃない。置いていくわけでもない。想いも、憎しみも、期待も、何もかもを背負っていく。俺はようやく、自分の道を歩き出す」
一歩。また一歩。黒崎双子を越え、小野寺誠を越え、傷つく颯人を越えて幽王の目の前へ。
俺の前進に幽王が一歩引く。しかし、俺の伸ばす手はそれよりも早く、幽王の抱える麻里奈の死体へと届いてしまう。
謝りはしない。それは麻里奈を否定することだから。麻里奈はきっと謝ってほしいわけでは無いと思うから。
俺がすべきことはわかっていた。――護る。俺にまだ残されている仲間を、全力で守り続ける。
「本当に守りたかった人はもういない。けれど、まだ守らなくちゃいけない人がいる。目の前に困っている人がいたのなら、それに手を差し伸ばさなくちゃ俺じゃない。そうだろ、麻里奈?」
「お前は……まだ、そんな甘いことを――」
「俺はお前を殺さない。俺はお前を憎まない。ただ、お前が俺に殺されたいと思うなら、俺の仲間じゃなく、俺自身に喧嘩を売れよ。そうすれば、俺がお前をちゃんと殺してやるから」
光が強くなる。仮面越しでも眩しいようで、幽王が手で視界を遮る。
その手を、俺が握る刀で切り飛ばした。鮮血が散る。大きく後ろに飛んだ幽王が、苦悶の息を吐く。
麻里奈の体を地面に置き、残された右腕で左肩を押さえる。そうして、仮面の向こうから鋭い眼光が飛んでくる。何を言いたいのかよく分かる。わかってしまう。まるで、相手の心が読めるように。
「俺とお前は似ているよ、幽王。自らを弱いとわかっていて、それでも困難に立ち向おうとしている。正直、お前が何をしようとしているのかなんて微塵も興味はない。だけどな。お前は俺に喧嘩を売った。それを俺はたった今、買ったんだ」
落ちた左腕を幽王に投げる。それを掴んだ幽王はすかさず切り落とされた部位にくっつける。すると、一瞬のうちに傷が塞がり、蓄積するはずの手傷が綺麗サッパリなくなってしまう。
再び麻里奈を抱えた幽王は、駆け寄る美咲さんを制して立ち上がった。
「やる気になったって理解していいんだな?」
「お前がこれ以上続けるって言うなら、俺は付き合ってやるって言っただけだ。お前が世界を壊すっていうのなら、俺が世界を再生する」
「……どうあっても、お前は英雄足り得るんだな」
フッと笑う幽王に、俺は返す。
「お前がそうしたんだ。俺はただ、普通の高校生でいたいだけだったのに」
その思いに嘘はない。麻里奈がいて、クロエがいて、たまにエルシーや日巫女、小野寺誠なんかが遊びに来て。それを後ろで颯人と美咲さんや神埼紅覇が微笑みながら見守っている。そんな幸せな世界があったなら、それが一番いいに決まっている。
でもそうはならなかった。決して幽王のせいではない。誰かのせいではない。これが俺の運命、ただそれだけだ。
さようなら、普通の人生。ようこそ、悲惨で退屈のしない最低な人生。
ポケットに一枚だけ忍ばせておいたもしものための保険である、メダルを取り出す。
それを親指で弾いて、すべてと決別するように唱えた。
「我が魂は願い乞う――」
メダルは再生した左目に当たり、先程まで輝いていた周りが元に明るさに落ち着く。
そして、俺の横には見知った褐色白髪の少女が現れる。
その少女を見た幽王が驚愕と嬉々の声を挙げた。
「複製したのか。カインの左目を。矛盾解消をせずに、ほとんど再生能力でしかない、世界矛盾で?」
「体を再生するのに矛盾解消なんて必要ない。そうだろ? 俺たちは死ねない化け物だ」
「義眼を……自らの肉体と認識したのか。いや、しかし……」
「今日はこのくらいでいいだろう? 幽王。まだお前たちには最後のピースはくれてやらないよ」
返事を待たず、おもむろに左手を翳す。すると、幽王はその意味を知っているかのように、振り返って美咲さんと絶世の魔女を抱える。再び俺の方を見たやつは、対称に右手をかざしていた。
次の瞬間、俺の左手からだいぶ小さくなった太陽が放たれる。ちょうど《夜の落陽》を小さくしたようなものだった。
「そのようだ。右腕はくれてやる。どうせ再生するからな」
なんと、減弱したとはいえ、太陽を右腕一本で止めたらしい。見事に焦げているため、出血はしていないものの、燕尾服は煤まみれになっている。
「幽王!?」
「大丈夫だ。それよりも引くぞ」
「ダメ……まだ……一つ……足りない……」
「魔女。俺の言うことが聞けないなら、お前から殺すぞ」
「………………………わかった」
絶世の魔女から黒い霧が発生する。それらは幽王たちを包み込み、やがて完全に見えなくなる。
撤退するようだ。その最後、幽王の声が響く。
「また会おう、御門恭介。それまでは良き終末を」
脅威は去った。大きな代償を伴って。
無造作に落ちている下半身にはワンピースの下半分が赤い血が酸化して黒くなってしまっている。それを破り、再び失った左目を覆い隠すように眼帯とする。
眼帯からは生臭さと、少し懐かしい匂いがした。





