希望の光
何かを望む、それ自体がいけないことだったんだ。
努力を知らない人間が、人間以上を望んではいけなかった。
波打つ浜辺で、俺は呆然としていた。やけに遠くから声が聞こえると思ったら、俺の意識が遠くへと流されていたよう。肩を揺らされて無理矢理に現実に戻されるや、俺の右目を通して小野寺誠が映り込む。
「しっかりしろ! まだ、戦いは終わったわけじゃない!」
「…………いいや、終わったよ」
「ふざけるな!! このまま奴らを放っておけば世界は確実に終わるんだぞ! 今、ここでお前が万全を期して戻らなければ――」
「だから、終わったんだよ」
左手で自らの左瞼を触れる。指で瞼をこじ開けて見せてやる。
そこにはもう左目はないのだと。俺の唯一の力が、すでに失われてしまったのだと。
「なっ……」
「わかっただろ? もう終わったんだ」
終わった。終わってしまった。俺が慢心しなければ、あるいはこのようなことにはならなかったかもしれない。幽王たちのことをなめていなければ、もっとやりようはあったかもしれない。
でももう、後の祭りだ。俺はもう、戦う理由すら失ってしまったのだから。
俺の状況を見て押し黙る小野寺誠は少し離れて何やら思考している。その傍らには心臓を抜かれた三人の魔女が横たわっていた。
それら全てを無視して、俺に近寄ってくる二人がいた。颯人によって連れて来られた黒崎双子、すなわち実と穂である。
「で? どうすんの、せんぱい?」
「うだうだしてても良いんですけれど~。あまり時間はないのですよ~?」
どうやら、俺の言葉を理解していなかったらしい。俺はもう戦えない。死ねない体程度では、幽王には届かない。まして、美咲さんにも、あの魔女にも。俺では力不足だったのだ。
それを理解してくれない双子に、俺は告げようとする。
「俺は――」
「諦めんの? こんなの全然。これっぽっちだって終末じゃないのに?」
「それでも――」
「嘘をつくのですか~? 私達に終末の後に希望の光を与えてくれると約束したのに~?」
「それは……」
嘘ではない。嘘ではなかった。あのときの俺は、何でもできる気でいた。みんなが力を貸してくれるなら、みんながそばにいてくれるなら、なんだってするつもりだった。
でも、それは俺の独りよがりだったんだ。だから、今日のような事件が起きてしまった。
麻里奈を失う。それは、俺にとってあってはならない出来事で。
敗北を味わう。それは、俺への結論を下すうえで成ってはならない結末で。
それらが同時に起こってしまった。ゆえに俺はもうダメだ。
心が折れてしまっている。自分でもはっきりとわかるほどに。
「そ。じゃあ、そのまま諦めちゃえば?」
「なのですよ~」
二人が離れていく。どこへ行くのかと訪ねると、二人は振り返って言う。
「お兄ちゃんのところ。すっごく嫌だけど」
「あの人も一応は《選ばれし者》なので~。見捨てるわけにはいかないのですよ~」
それだけで二人は振り返ることなく闇に消えていく。方向からしてログハウスに戻ったのだろう。
今すぐに立ち上がれば間に合う。……何に? 二人に追いついてどうするつもりだ。守るべきものをいっぺんに失った。どうだって良いじゃないか。
…………本当にそう思っているのか? なら、なんで俺の体は動き出そうとしているんだ。
失うものが何も無いわけじゃない。家族がいる。砂浜に寝る魔女たちは弱いながらも息をしている。おそらくは不老不死の力が死を拒否しているからかもしれない。神埼紅覇にしたってそうだ。派手に血が流れたが、致命傷というだけで絶命しているわけではない。
立ち上がれば間に合う。全てとまではいかずとも、多くの命を取り戻すことができる。
だが、心だけがうまく動いてくれないのだ。
「失ったものを数える人生は辛いぞ」
「小野寺、誠……?」
「お前はつくづく俺に似ている。知りたくなくとも見ればわかってしまう。今は辛いだろう。その辛さは一生、いいや永遠に忘れられるものではないのかもしれない。けどな。それでもお前は生きなくちゃならない。なぜか? お前が不老不死だからだ」
「そんな地獄があってたまるか。それならいっそ――」
「世界なんて終わってしまえばいい…………それだけは、どうか口にしないでくれ」
ピタリと言葉が終わる。
小野寺誠がどうにも悲しそうな顔をするから、言おうとしていた言葉を詰まらせた。
「お前を生み出したのは俺を含めて、緋炎の魔女にも非がある。初めから戦う運命に仕立て上げてしまったことを悔いたこともあった。だが、同時に俺たちは願ったんだ。どうかこの子にも幸せがあるようにと」
「…………」
「お前は戦うために生まれてきたわけじゃない。誰かに幸せになってほしいと願われて生まれてきたんだ。だから、どうか世界を嫌いにならないでくれ」
それだけ告げると、小野寺誠も振り返る。行き先などわかっていた。
けれど、俺はどうして問わなくてはならないと感じた。
「どこへ、行くんだ?」
「絶世の魔女を倒す。それが色彩の魔女の悲願であり、それを叶えるために俺がいる」
闇に溶ける。残された俺は、横たわるみんなに近づき、触れていいものかと悩んでしまう。
幽王の言う通り、覚悟が足りなかった。世界を殺すという奴らに対するだけの思いを俺は持ち合わせていなかった。それが敗因かと言われるとそれだけではないことくらいわかっている。
結局、俺は今に至るまで逃げ続けていただけだったんだ。自分が普通ではないという現実を受け入れていなかった。だからこれは、誰でもない俺の責任だ。
麻里奈は死んでしまった。俺の甘さが原因で。
そして今、俺の目の前で誰かが死にかけている。それを見過ごせば、本当の意味で俺は後戻りできなくなってしまう。俺という存在を、憧れの背を見失ってしまう。
それは、嫌だと思う。
「は、はは……最低だな、俺は」
何かを失わなければ、前を見ることができないのか。麻里奈を失って、ようやく自分が普通でないことを理解したなんて。
もっと早くに気がついていれば、なんて言わない。それを口にすれば、後悔してしまうから。
今の俺に後悔なんて必要ない。後悔をする前に、幽王に盗られた左目を取り返しに行かなければならない。
と、立ち上がる勇気を取り戻したその時、背後から声が聞こえる。
「まったく、お花を摘みに外に出てみれば、急に“ろぐはうす”が爆発するし、びっくりして砂浜まで走ってくれば、どうも姉上たちは瀕死だし、はてさて一体全体これはどういう状況なのじゃ?」
これが希望の光になり得ると、このときの俺はまだ知らない。
半泣きの白犬が、よろよろと歩いてきていた。そう、魔女の心臓を捕りに来たという絶世の魔女の存在をまだ感知していない白犬が。





