拝啓、ここはどこですか。
夢は覚める。突如に、唐突に、偶然に。
決められた結末などはなく、テープが切れたように終わりを迎える。
そうして、目を覚ますと絶望だけが目の前を覆っているのだ。
停滞した世界。鼻を突く醜悪な腐臭。浅黒く染まった全身を見下ろして、彼は思う。
――――一体、何を間違えたのだろう、と。
肺を広げ、息を吸い、光を捉え、前を向く。
――――何も間違えてなど、いなかった。
彼はただ望んだだけだ。誰もが微笑む、夢のような世界をただ切望しただけだった。
それを悪だというのなら、彼は悪に成り下がろう。停滞した世界の秒針を進めよう。幾重の死体を築き上げ、それを根城に平和の象徴に討たれる準備をしよう。
嘘で塗り固められたその存在を、人々は恐怖してこう呼んだ。
――――幽王、と。
季節は夏。蒸し暑さは健在で、今日も今日とて暑さが熱い。蒸し鶏の気持ちを味わいながら、俺はどことも知れぬ島で目を覚ます。
ホントどこなんですかね。右を見ても左を見ても砂浜で、後ろには原生林、前には海と来たものだ。加えて言えば俺の体からはまるで海で泳いだ後のような塩の匂いが染み付いている。
これらから推察され得るのは……そう、俺が知らぬ間に俺自身が海で溺れて遭難したとしか思えない。
「…………今回は誰のせいなんだ……」
まるで俺のせいではないように言っているが、俺の記憶に海に行くような一般家庭の夏休みのひとときなど存在しない。というか、俺は海が嫌いなんだ。サメに食われたらどうするんだ、まったく。
と、内陸県育ちでろくに旅行など行かなかったから、ありえない事を思いつつも、俺はもう一度前後左右上下と見回して、人っ子一人いないことを確認する。
「……え、これってどっきりとかじゃなく?」
流石に不安になってきた。不老不死と言えど、サバイバルができるわけでもなく、現代の利器に慣れ親しんだ現代っ子ともなれば、火を灯すのも石器時代の発明家にまで退化しなければならない。ようするに、火すら点けられない。
飯はどうする。餓死し続けろというのか、冗談じゃないぞ。
こういうときほど、テレビでやっていたサバイバル知識を覚えていればよかったと思うことはない。俺には関係ないと、話半分に見ているからこうして苦労するのだ。
しかしさて、とりあえず絶対的に何があろうとも死ぬことは無いので、そこはまあ安心しながらこれからのことを考えよう。
「にしても、ホントにどこの誰が俺をこんなところに呼び出しやがったんだ?」
〈お目覚めですか、マスター〉
「うおっ!? びっくりした……」
急に左目に文字が現れて飛び跳ねる。そのおかげで立ち上がることになったが、誰とも話せないと思っていただけあってこの誤算は少しだけ嬉しい。
左目と話すってちょっとやばいやつかも知れないけれど、周りに人がいないのなら、ヤバイやつが今では普通のやつだ。とりあえず、《黙示録》なら何か知っているかもしれない。
「ここはどこだ?」
〈北緯34.125447東経174.375000〉
「俺は海の男じゃないし、地理学者でもないんだわ。具体的にどんな島なのかを知りたいんだけど……」
〈地図にない島です。わかりやすく言えば、無人島ですね〉
おう。すごく聞きたくなかったよ、その言葉。
無人島。人が無い島。俺が話せる相手はおろか、俺にサバイバル知識を伝授してくれる人すらいないこの島に、どうして呼び出されたのだろう。いいや、それ以前に誰が俺を呼び出せるというのだろう。
ということは、俺が今ここにいること自体がミス? それとも俺の家から俺を排除しようとしているやつが……いや?
ここで俺は一つ大事なことを思い出す。
先日の黒崎颯人との戦いで、街に影響が出た。厳密には黒崎由美が戦ったからだけれど、その根本は間違いなく颯人だ。そして、その影響はもちろん俺の家にまで及び、俺は家を失った。
では、今ではどこに住んでいるのかというと、俺が神埼美咲、黒崎颯人、カインの息子である事実から、神崎家の元当主たる神埼紅覇によって神崎家の官邸に居候させてもらえることになったのだ。
神崎家と言えば、俺は左目を手に入れる直前、麻里奈の婆さん、つまりは神埼紅覇の家とやらに運び込まれたのだが、なんとそこは神々の世界だった。というのも、神崎家が建っている場所は、神々の世界とをつなぐゲートのところにあるらしく、神性を僅かでも持つ人間がそこにいると神隠しのように神々の世界へと行けてしまうのだとか。
幸いにもここは現実世界だが、おそらくはそれが原因になっているのかもしれない。
「つまり……神崎家で寝ると、目が覚めたら知らない場所にいると…………もう二度とあそこでは寝ない! ホント、移動先が海の中とかだったらどうするんだよ!?」
〈訂正します、マスター。正確には神々の世界へ転移し海神の寝床で不法侵入による怒りを買い、海の中に転移させられ、寝ながらにして五度の窒息死と、一度の客船衝突による死を経て、この島に流れ着きました〉
「見てたなら起こして? ねえお願い。もっと早くに事態を知らせて?」
ともあれ、俺を無人島に寄越したのは誰でもない、俺の不運だとわかると。俺はその場に寝そべり、大の字になって腹の底から声を挙げる。
「もう誰か、助けてくんねーかなー!?」
その声は海に、砂に、原生林に溶け、静かな風が吹く。
しかし、それに反応するものは何一つなかったわけではないようだ……。





