完全無欠にして天上天下唯我独尊
そうこうしているうちに連れてこられた場所は街一つ越えた先にある、ずっと昔に一度だけ訪ねた事がある場所。神崎家が所有する別荘だった。
神崎家が所有しているというだけあって、別荘なのに屋敷のように広いものだったが、メイドと執事、加えて七人もの客人を迎え入れるには少し狭く感じてしまう。屋敷の中には神埼紅覇の帰りを待っていたであろう執事が待機しており、俺はその人達に軽い会釈をして別荘の中を歩いていく。
古き良き日本の屋敷という風貌のため、洋服を来ているのは少しだけ場違いに感じた。和装が好まれるのかもしれないが、事が事なだけに贅沢は言ってはいられなかったようで、部屋へと案内されて神埼紅覇は初めて防護服を脱いだ。
「まったく、防護服というのはどうして昔からこう蒸れるのか」
「…………」
中学生の身なりだが、本人の年齢は百歳を越えている。しかしながら、それに有り余るような色気を漂わせるのだけはやめていただきたい。特に、防護服を脱いだら下着というハプニングは年頃の男からすれば致死に匹敵する事件だ。
当の本人は相当暑かったようで、下着姿だというのにも関わらず手で仰いで風を送っている。
「んんっ……ん”ん”」
「ん? なんだい?」
服を着ろ!! マジで!
必死の抵抗も虚しく、天然なのか凄まじくきれいな肌を見せびらかしていることに気がついていなさそうな神埼紅覇に、俺はそんな言葉すら掛けられずに天を仰ごうとしていた。
それから少しして、お茶をトレイに置いて持ってきたメイドがそれはもう天地がひっくり返るほどに驚いた様子で、持っていたお茶を擲って、近くにあったタオルで神埼紅覇を包んだ。
「お嬢様!? あられもない姿でお客人の前に出ないでくださいとあれほど注意しましたよね!?」
「だから、私はお嬢様ではなく、紅覇と呼べとあれほど……」
「冷静に言い直させるところではないです紅覇お嬢様!」
「百歳でお嬢様と呼ばれる私の身にもなってくれよ」
考えがいちいち常人のそれではない神埼紅覇に悩まされるメイドを思って、なおも目のやり場に困った俺は、床に落ちて割れてしまった湯呑やこぼれてしまったお茶の掃除を静かに始めた。
しばらくして、自らの姿を顧みた神埼紅覇が、合点がいったように手を叩いてつぶやく。
「なるほど。先程の咳払いは服を着ろということだったのか」
「今更気が付きました!? 少しは羞恥心ってものを持てって……」
「童に裸を見られるのがそんなに恥ずかしいことかな……?」
恥ずかしいんだよ、普通は! あんたがおかしいだけなの、オーケー!?
話が進まないまま小一時間が過ぎた頃。
ようやく湯浴みと着替えを済ました神埼紅覇が居住まいを正して俺に問う。
「さて、今回の事件については空白の魔女から大まかに聞いている。だから、君からは三つの結論を聞こう。一つ目はあの街の惨状に君は直接関与しているのかな?」
「俺と颯人はあの場にいませんでした。初め以外はね」
「よろしい。では二つ目だ」
返事からして本当に知っているようだ。
空白の魔女と言えば、あの時嫌々ながらに現れた幼女のことだろう。颯人の有利になる発言をしているものだと思ったがどうやら違うみたいだ。
そして、二つ目を問われる。
「君は自らの出自を予め知っていたのかな?」
「いえ。颯人に教えられて初めて知りました」
「そうかい。私達――神崎家としてもその情報は初めて齎されたものだ。まさか、君が私の初ひ孫だったとはね」
「それは……」
「気にしなくても良い。叔母と甥は結婚できるからね」
言っておくが、それは全く気にしていなかった。
ふふんと胸を貼る神埼紅覇の決して小さくはない胸に見惚れながら、俺は次なる質問を待つ。
これまでの質問が肩透かしだったこともあって油断していたが、急に表情が暗くなる神埼紅覇を見て、俺はかすかに悟り始める。
おそらく、真に聞きたかったのは次の質問なのだ。
「さて。最後の結論を聞こう――――黒崎颯人はどうなった?」
「……塩となって死にました」
わずかに空気がひんやりとした。
それから少しの間、神埼紅覇は何を言うでもなく、ただ齎された結論を自らの中で噛み砕いて吸収しようとしているように見えた。
次に神埼紅覇が話すのは。
「そうか。彼は死んだか」
「はい。俺の目の前で塩になって死にました。俺が……殺しました」
目をそらさずにまっすぐに、やってしまった事実を淡々と告げた。
わずかに肩を落とした神埼紅覇は俺から目をそらして窓を見つめた。そして、なんでもない話を始める。
「実はね。私も彼に決死の戦いを挑んだことがある。まあ、結果は惨敗。いくら最強の人間と持て囃されても、悪行を重ねた不老不死者を切り捨ててきたとしても、私は彼に…………彼の優しさに敵わなかった」
これがどのような意味を持つのかはわからない。ただ、神埼紅覇の心の底での黒崎颯人という存在は決して小さくはなかったものなのだろう。
音もなくいつの間にやら部屋に入ってきていたメイドが静かにお茶を淹れる。それを手にとって一口飲むと、憂うように息を吐く。
「彼は……どうだった?」
「どうだった、とは?」
「正しかったか。あるいは間違っていたのか。君にとって厳しい人だったか、それとも甘い男だったか。最後に、笑っていたのかそうでないのか」
「正しかったですよ、もちろん。ただ、俺が間違っていたとは思いませんけど」
それでも、他人の正義を犯したことに変わりなく。俺が父親である颯人を殺した事実には変わりない。よほど正しいというものは残酷だ。こうして、後悔を抱かせるほどに後味を悪くするのだから。
言ったら、俺は神埼紅覇に抱かれていた。そうして、頭の後ろを撫でられる。おおよそ初めてではないが、滅多にないことで動けないでいる俺に、神埼紅覇は耳元で呟いた。
「何があったかはおおよそ検討がつくよ。無責任な言葉は言えないが、私は君が勝ってくれたことに感謝を伝えたい」
「父親を殺したことで感謝をされる覚えはありませんよ」
「父親……やはりね」
知っていたわけではなさそうだ。だが、全く予想もしていなかったわけでもなさそうな答え方に、俺は少し疑問を持つ。
なおも抱かれ続けながら、その是非を問う。
「知っていたんですか?」
「いいや。だがそうではないかと思っていた。君と彼は嫌がるだろうが、二人はよく似ていたからね」
「ど、どこらへんが……?」
「自分という自己を確かに持っているところとか。他人と少しずれているところとか。大切なもののためなら考えるまでもなく自分を切り捨てて戦う姿とか。君は彼によく似ていた。だから、ぶつかることが有ったんだろうね」
言われてみればそうかもしれない。自分で気が付かなかっただけ。いいや、同族嫌悪をしていた自覚は有ったが、まさかそういうことがあったからなど考えも及ばない。
「まあ、君の優しいところは私の孫である神崎美咲に似ているだろう。彼には表面的な優しさはまるでなかったからね。それに君は磨けは光る“かくれいけめん”とかいうやつだ。私の孫はそれはそれは可愛らしい子だったからね。あんなガサツな男から君のような子供が生まれるのは、絶対に私の孫の血を引いている証拠さ」
唐突に始まる孫自慢を除けば、若すぎる曾祖母の包容はとてもいい時間だった。
しかし、そろそろ冷静に考えて恥ずかしさを覚えた俺は、必死の抵抗で離れようとするが、麻里奈同様、神崎家には秘伝のつかみ技か絞め技があるのかと疑いたくなるほどガッチリと抱きしめられてびくともしない。
諦めて誰かに助けでも呼ぼうと、第三者の到来を待っていると、見覚えのない少年のあまりに勢いのあるライダーキックが顔面に突き刺さる。
「ぐげっ」
変な声を漏らすが、おかげで神埼紅覇の包容から抜け出すことができた。だからといって、お礼を言うつもりはないけれど、神崎家には見知らぬ青年にライダーキックをするような不埒者がいるのかと少年を凝視する。
少年は勝ち誇るように親指を立て、それを自らに指す。そして告げるのだ。
「そして、俺が生まれたってわけ!」
髪の総量の半分が白髪で、あとは黒髪の少年がニッと笑いながら俺に向けて言い放つ。
この空気。纏うオーラ。何よりこの勝ち気な感じ。
本当に嫌な予感がした。
さらにそれを後押しするかのように、一人の女性が入室する。
「やっほ~一年……恭介くんからしたらさっきぶりだね」
髪を伸ばしたせいか、外見的に大人びて見える由美さんの登場で、俺の脳裏によぎる物があった。
それは神埼紅覇も同じようで……。
「まさか……」
「颯人……なのか……?」
頬を引きつらせる俺と神埼紅覇の問に、少年はなおも笑顔でこう答えた。
「待たせたな。完全無欠に黒崎颯人だぜ」





