兵どもが夢の跡
一秒に満たない僅かな時間の隨に、幾重も剣戟で塗りつぶしていく景色の中で、たしかに俺たちは笑っていた。進化し続ける己の技術と、もはや上限が壊れてしまった限界の最中で俺たちはこの時間を楽しんでいたのだ。
黄銅色の劔が地球を割るが如き縦振りを、塩害へと帰す黄金の槍で往なしながらその切っ先を終焉を告げる心臓へと差し向け続ける。互いに息もつけぬ閃撃の中で一秒を引き伸ばし、相手の隙きを伺い続ける。すでに俺たちの速度へと追いつける者は世界広しと言えど一人として居はしない。
まさしく光の速度で息をする闘争の権化に必死に食らいつく不老不死の化け物。目に映るものからはおそらくそう評価されるに違いない戦闘が一瞬止まる。
「やっぱりテメェは……」
「んだよ。疲れ一つ見せないお前に化け物呼ばわりされる覚えはねぇぞ」
「それはお前も同じだろうが」
地面を軽く蹴る。すると、圧縮された風は颯人の足を縛り付けた。目を見張りはしたが、驚きはしなかった颯人は俺よりもわずかに速く一秒を引き伸ばして、《銀の右腕》を地面へと振り抜く。そうすることで風圧を地面ごと吹き飛ばし、自由を取り戻した。
しかし、それを予知していた俺はわずかに遅れながらも一秒を引き伸ばして颯人へと槍を差し向ける。地面を吹き飛ばしたことでバランスを完全には取れない颯人だが、その程度でこの槍が心臓を貫けることはない。左腕をたたみ、左腕のみで心臓を守り切る。
本来であれば槍の切っ先が触れたものは原則塩に変わる。ただし例外が存在する。それが《終わりの出発点》だ。あれは理論解消をすることで世界を作り変える能力を得る。そのものの能力は世界を渡らせるものだったはずだ。だが、俺の脳には別の理論が書き込まれていた。
颯人は現在、自分の左腕を一つの世界として認識している。そうすることで、自身の体を作り変えることができるようだ。つまり、槍が刺さり塩に変わりゆく左腕を、槍が刺さっていない左腕へと作り変えているのだ。
あらゆる悪を制裁する正義の拳と、あらゆる災害をなかったことにできる究極の防御を手に入れた今の颯人は真に《極東の最高戦力》と呼ばれるにふさわしいだろう。
「嫌な世界矛盾だな……」
「お前の左目も相当だろうさ。ろくに槍術なんて学んですらいないのに、お前の左目はあらゆる武術を知識として脳内に焼き付ける。そして、俺との戦いについてこられるような無茶な体の酷使を可能にしているのは雷龍神の生き血を浴びたことによる強靭な体のおかげだろう? 嫌になるのはこっちのほうだ」
言われてみればそうなのだが、むしろそれだけの要素がありながら容易に倒せない颯人は本当の意味で化け物なのだろう。
あっけらかんと言う颯人には余裕が伺える。対する俺はどんどん余裕がなくなっていく。持ちうる技が通じないとなれば、新たな力が必要になるか、あるいは新たな戦術が必要になる。情報として脳内にそれらを焼き付けるのは可能だが、実践するのは俺の体のほうだ。
いくらカンナカムイの血を浴びた体だとしても、そして《顔の無い王》で即時回復する体だとしても、体を酷使していることに違いはないし、酷使しているということはそれ以上の無茶は無謀であると同義だ。
無茶無謀……ね。
ほくそ笑む。頬を一筋の汗が流れ、体の限界を感じさせる。
体が悲鳴をあげようが、脳がとろけ出そうが、俺の意思は折れていなかった。常に勝ち筋のみを考えてフル稼働していた。無理無茶無謀は俺の大嫌いな言葉だ。限界を決めてしまうからではなく、それらが常に善人を苦しめるから。
それに俺は今までも無理無茶無謀は押し通ってきた。だから、今回も押し通れない道理はない。
「まだ諦めないんだな」
「そっちこそ」
「それでこそ御門恭介……俺がすべてを擲ってでも倒さなくちゃいけないと思った男だ」
「嫌な肩書だな……神埼美咲の連れ子って方がまだマシだぞ」
無論、その呼ばれ方も嫌だが。
「絶対にその呼び方だけはしねぇよ」
でしょうね!
分かっていた答えを最後に俺は駆ける。槍を突き出して心臓へ。それを左腕で庇われることを知りながら。そうして、右腕で左腕を吹き飛ばされ、余波で体が宙を舞うと知っていながら。
宙を舞う体はそれでも颯人を向いていた。左腕は回復の途中。颯人との距離は少し伸びて五メートル。互いに一秒を引き伸ばし、颯人は落下する俺へと走る。地面まであと一メートル。颯人の足で十分に追いついてしまう高さだった。
しかし
そこまでを未来視で知っていた俺には対策ができないわけではない。
右腕に握られた黄金の槍は、本来の扱い方をされてはいなかった。颯人は初め、黄金の槍をどう扱ったか。剣や鉄球などと混ぜられて隠していたつもりだろうが、この黄金の槍の本当の扱い方は突き出すのではなく、投擲。
黄金の槍――――“塩の槍”とは投擲槍だったのだ。
空中で体を捻り、黄金の槍を逆手に持って右腕を振りかぶる。そのモーションまでわずかゼロコンマ一秒。投擲槍が放たれるまでトータルでゼロコンマ三秒。
颯人の足はすでに前へ向けられ、その速度を緩めることは不可能、故に避けることは絶対にできない。左腕で防がなければ死は免れないだろう。だから、絶対に防ぐ。左腕を畳んで心臓を守るはず。
かくして、颯人は予想の範囲内の防御を固める。槍は颯人の肘に突き刺さり塩へと変えようとするが、即座に回復されてしまう。
だが、颯人は気がつくべきだった。どうして突き刺さった槍が消えたのかを考えるべきだった。
劔の刃と左腕で上半身をカバーする守り方では、一瞬顔が隠れる。要するに一旦視界が塞がるのだ。わずか一瞬に満たないことであっても、俺には十二分に勝機になりうる時間だった。
「うぅ、ぉぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!」
俺が勝利するための絶対条件は颯人の左腕の無力化。そして、三つの世界矛盾の攻略。そのうえで絶対的な障害は左腕の防御力だった。
“塩の槍”では貫けない左腕をどうにかしなければ、颯人の矛を砕くこともままならない。天使の翼を引きちぎるには到底及ばない。
だから、俺にはその一瞬の隙きが必要だった。
転倒しそうな体を右腕を使って着地して、足はバランスを取り戻して隙きを見せた颯人へと駆ける。颯人との距離が一メートルを切る。その頃には左腕を伸ばし終えた颯人が俺を視界に捉えていた。
けれど問題ない。黄銅色の劔が俺を両断するために斜めから振りかぶられていようとも、何一つ問題足り得ない。振りかぶられた左腕をついさっき空になった右手でつかみ取り、俺は八割が回復しきった右手に収まる濃紺の剣を振り上げた。
そうして、颯人の左腕を切り飛ばし、紅い花を咲かせた。
「くぅぅぅ……!! ダーインスレイヴ、だと!? まさか――!!」
やられたことを認識して颯人は自らの左腕を垣間見る。一つの世界として認識されていた左腕は本来であれば作り変えることが可能だ。つまり、切り飛ばされたとしても回復できるはずなのだ。しかし、ダーインスレイヴで切り落とされた左腕は一向に復活しそうではない。
そのわけは――。
「そうか…………事象の絶対決定権……俺の左腕を再現できない物に変えたのか!!」
「そうだ。ダーインスレイヴの斬撃は受けたものを何があろうと癒やすことがなかったという逸話を元にした、あらゆる事象を治癒不可という一つに固定する能力――事象の絶対決定権。現在過去未来を塩に変える“塩の槍”は世界を作り変える《終わりの出発点》によって塩にならない世界に作り変えられたけど、その世界に治らない傷を作るダーインスレイヴの斬撃は作り変えることができないだろ」
俺がダーインスレイヴの能力を解かない限り、たとえ不老不死者の再生能力があろうと癒えることのない斬撃であれば、世界を作り変えるという絶対の盾だった颯人の左腕を無効化することもできる。
「だが、俺にはまだ右腕がある――!! 輝け、正義を体現するために!! 《銀の右腕》!!」
左肩から吹き出す血液をそのままに颯人は輝ける右腕を振りかぶった。
けれど、颯人の右腕の輝きは儚く散りゆく。左腕をかざした俺の薬指にはめられた指輪が光っていた。
「盾がなければ、これは防げないだろ……?」
「なっ……それは……」
“儚き人の夢”。一度だけあらゆる攻撃を防ぐことができる蒼き星の守護者の特権。カオスの一撃を受けきったあのときのものだった。
エネルギーを失った右腕はいつにも増して無防備だ。そこに俺のダーインスレイヴが刃を立てる。左腕に続いて右腕をも宙を舞った。が、しかし、颯人は諦めることをしなかった。
一秒を引き伸ばし、加速された右膝が俺の腹部を砕かんが如く突き刺さる。されど……。
「感触が……ない!?」
「もう終わりだよ、颯人。終わったんだ」
「霧……望月静香の世界矛盾――いや、終末論か!」
腹部を捉えたはずの右膝は煙のように霧散する俺の体を捕まえることはできなかった。そして、俺も一秒を引き伸ばし、いつかやられたように颯人の背へ。
いつの間にか一枚になってしまった純白翼を左手でつかみ、ダーインスレイヴで切り落とす。
「がっ……ま、だ――」
「いいや、終わりだ」
ダーインスレイヴから、“塩の槍”に持ち替えた俺の右腕が颯人の背を貫いた。
敗北を察した颯人からは息遣いが聞こえる。ゆっくりと颯人を構成する細胞が塩に変えられていくさまを見ながら、俺は涙を流した。
「俺の…………勝ちだ」
「ああ……そう、だな。お前の、勝ちだ……お前が、正しかった……」
“塩の槍”に貫かれた体は《顔の無い王》では修復できない。なぜなら、“塩の槍”もダーインスレイヴと同じく事象の絶対決定権を持ちうるものだから。現在過去未来を塩に変える“塩の槍”はある時間で固定する俺の世界矛盾の天敵だ。
だから、黄金の槍で貫いた颯人を回復させる手段は現状において存在しない。そもそも、どちらかが死ぬまで終わらない戦いを始めてしまった俺たちには、相応の罰なのかもしれないが。
崩れ行く颯人の体を支えながら、ゆっくりと地面に寝かせる。未だに息があるのは不老不死者だからだろう。こうして見ていると死ねないというのは残酷なものだと思ってしまう。
戦いは終わり、破った兵も破れた兵も等しく夢の跡に成り果てる。最後に残されたのは哀愁漂う後悔の念だけ。すべてが終わってしまった。終わらせてしまったことに対する後腐れは、颯人が消え失せるまで続くだろう。
だから、俺の後悔は一生消えない。彼女がそれを許さない。
「終わらせないよ」
彼女――――黒崎由美はいつもとは違う、ひどく冷たい声色でそう呟いた。





