これは正義とは何かを問う戦い 下
“蒼き星の守護者”を打ち破った俺だが、颯人にはまだ四つもの世界矛盾が存在する。一つは世界を渡る《終わりの出発点》。一つは一秒を引き伸ばす“右翼の天使”。一つは経験した終末を蒐集して弱体化したものを放つ“万象は其をして遍くを記される”。一つは正義を体現する希望の右腕“銀の右腕”。
一つを失った程度では揺るがない強さを前にして、俺は震えが止まらない。
「気をつけ給え。彼の“蒼き星の守護者”は踏み越えたが、決して消えたわけではない」
「どういうことだよ?」
「謂っただろう? 彼は星霊と婚約を交わしたと。それは確かに世界矛盾になり得ることで、それによって能力を使っていたのかもしれないが、能力を踏み越えた程度で彼と星霊との婚約がなくなったわけではないということさ」
「バカでもわかりやすく言ってくれない!?」
威圧的なオーラを纏う颯人を視界に入れつつ、苛立って早口でカオスに尋ねる。すると、カオスは呆れた様子で首を振りながら、無粋だと言いたそうに続きを話した。
「つまり、“蒼き星の守護者”をまだ彼は使えるということだ。無論、世界矛盾としてではないから代償を必要とするだろうけれどね」
驚いている時間はない。だが、カオスの言っていることが本当なら――いや、十中八九本当なのだろうけれど、それは俺にとって致命的な情報になりえないだろうか。
世界矛盾を踏み越えても、なお颯人はそれを行使できるとしれば、どれだけ戦っても颯人を弱くすることはできないと言われているようなものだ。
「第二ラウンドといこうか。星の自壊はもう使えないからな。例えば、こういうのはどうだ?」
左手を翳すと、急に俺の足元がぬかるんだ。おそらくは再び“蒼き星の守護者”を使用したのだ。それに足を取られて俺はバランスを崩す。しかし、それほど深い泥濘ではなかったため、俺を絶命させるには足りない。
というのも、そもそもこれが俺を殺すための手段ではないことを悟った。
一瞬だけ意識を颯人から外したことで、俺は“アカシックレコード”が起動していることに一手気がつくのが遅れた。その僅かな時間が致命的になるなど、思いもしなかったのだ。
“アカシックレコード”から放たれるのは一発一発が必死で終焉の一撃。さらに、颯人は一秒を引き伸ばす能力を持ち、終末を退けた右腕を宿している。しかも、代償を支払えばまだ“蒼き星の守護者”が使えると云うではないか。
勝ち目など見えるはずもない。勝機を感じ得ることはない。
それでも勝たなければならないと分かっていた。
やがて、“アカシックレコード”から一撃が放たれる。それは斧。ただ手斧ではない。まるで大陸を両断せんとする巨大な斧。其れが振り下ろされたのだ。
とっさに叫ぶ。あれを止めるにはやつの力が絶対に必要だと感じたからだ。
「止めろ、カオス!!」
「人使いが荒い……いや、神使いと言い直した方が良いかな?」
「ふざけてないで――なっ!?」
驚いたのは、俺の目の前に一瞬で現れた颯人が右腕を振りかぶっていたから。
急なことだったが、反応が間に合った俺はそれでも両手で狙いと思われる顔面をカバーするだけで其れ以上は時間が間に合わなかった。
“銀の右腕”が俺の両腕を吹き飛ばし、あまりの衝撃は俺を更に背後へと吹き飛ばす。受け身を取る事もできない中、俺はカオスに告げる。
「必ず防げ!! 颯人は俺がどうにかする!!」
返事は聞き取れなかった。だが、おそらくはやってくれるはずだ。そう信じて吹き飛ばされた先で、対峙する颯人に目を向けた。
両腕の回復はいつもどおりに異常なまでの回復力で完治してしまった。対する颯人は、唯一俺を殺すことができたであろう“アカシックレコード”をカオスにぶつけて俺との戦いに集中するようだ。
「よかったのか? “アカシックレコード”だっけ。あれがなくて俺を殺せるのか」
「問題ない。俺にはまだ三つも世界矛盾が残ってるからな」
「そうなんだよなぁ……」
まだ三つ。されどではない。颯人にとっては、世界矛盾の数などさほどの意味を持たない。なぜなら、颯人のそれはすべてが必死の一撃を内包した規格外の能力ばかりなのだから。
きっと今の俺ではそのすべてを受け止めることは敵わない。“銀の右腕”は受けるたびに体の一部が欠損する。“右翼の天使”もそうだ。
状況は不利。勝ち目はまるで見えず、敗色濃厚。勝ち得る手があるとすれば、それは……。
「もう使うしか無いのか……」
噛みしめる。これ以上俺に差し出せる勝ち目はなかった。俺の絶対勝利条件はたった一つ――――颯人の世界矛盾をすべて踏み越える、これのみ。
終末論を再現したとしても、一つの終末では颯人の世界矛盾は踏み越えられない。そして、終末論には代償が伴う。代償を負いながら颯人と戦うことは言語道断だ。
ハンデを負うような戦いはこと颯人との戦いではできそうにない。ならば、俺が取れる手は一つに絞られる。
「そろそろお互いに体が温まってきたか。そうだろう、おい」
声が聞こえる時にはすでに颯人の体が、俺の懐へと消えていた。そして繰り出されるは“銀の右腕”の強烈な一撃。
顎を穿とうとするそれを、俺は右腕で弾いて漏れなく右腕が消え去る。追撃を逃れるために後方へ転げるが、それを逃さない颯人の右足が腹部に突き刺さった。
それにより数回地面を回り、なんとか足で地面を捉える俺にはもう迷いは消えていた。
使うしか無い。迷っていれば勝機を失うだけだ。
左目に集中する。虹の炎が猛々しく咲き誇り、俺はその言葉を紡ぎ出す。
「“終末の終末論”――――多重定義連続稼働!!」
瞬間にして俺の服装が変わり果てる。広いブリムの漆黒のテンガロンハット、黒いロングコートを着込み、右手には濃紺の劔を持って、左目には眼帯を付けて左手に白い仮面の褐色白髪の少女を抱き寄せた。
そうして、右手に持つ濃紺の劔――ダーインスレイヴの切っ先を向けて再度問う。
「これが……俺が持ちうる最大の力だ」
「知ってるさ。知っているとも。俺はその姿を、一度見たことがある。その強力なまでの姿をちゃんと見ていた」
なんと。では、この姿を見て驚かなかったのは、初めてではなかったからか。きっと、記憶があやふやな美咲さんとの戦いの時に颯人も一緒にいたのだろう。そして、その時にこの姿を見たことになる。
であれば、颯人はこの姿になるのを待っていたのかもしれない。これが俺の本気であると分かった上で、俺に本気を出させるために戦っていたのだろう。
末恐ろしいどころか、ともすれば喜ばしいとさえ思えてしまう。俺は、自分が思うほど俺は颯人にとって弱い存在ではないと認識されたことになるのだから。
かといって、笑っていられる状況でもない。
見たところ“終末の終末論”の代償は実と穂との契約で本当になくなったようだが、これにはちょっとしたデメリットが存在する。というのも、俺が左腕で抱き寄せている少女――――《黙示録》が原因だ。
俺の左目に《黙示録》は存在しない。だが、俺の脳には《黙示録》の能力が扱える。しかも、常時とは比べ物にならない速度で尋常ではない計算で占領されている。
これはおそらく少女が俺の左目の代わりに景色を見て、俺の思考領域を使って計算しているからだ。彼女自身に悪気はない。これも俺を勝たせるために必要なことなのだから。けれど、思考領域を占領されているということは、脳の処理が通常よりも多くなってしまっていることに違いない。
つまり、激しく疲れるのだ。体ではなく、脳が――あるいは精神が。
〈未来視を発動――完了〉
〈敵戦力の行動パターンを解析――完了〉
〈敵戦力の行動メニューのうち可能性が高いものから精査――完了〉
〈敵戦力の行動予測線を示します〉
この四工程を俺の意思とは別に俺の脳で処理されていると考えれば、どれほどの違和感が起きているかわかるだろう。俺の脳に俺ではない誰かが命令を出して、現状予測線が右目を通して見えてるのだ。
強化された《黙示録》には“右翼の天使”の一秒を引き伸ばした世界であろうと対応することが可能だ。だから、俺は辛うじて颯人の攻撃を避ける事ができていた。けれど、それにも限界というものがある。
例えば、颯人が“右翼の天使”を使用したとして、俺もそれに対応するために《完全統率世界》を発動しなければならない。左目の補助を受けていたとしても、左目を起動し続けるのに思考領域を支配されたままでは疲労が通常の比ではない。
「未来視か……厄介な目だな」
余裕そうな颯人が冷静な観察でそうつぶやいた。
しかし、それはこの際どうだって構わない。なぜなら、テンポを早めた颯人の動きは鋭く重くなっていたから。何にせよ、予測線を頼りに避け続けなければならない。
〈未来予測と現状との誤差を認識。再計算を開始――完了〉
〈行動予測線切り替わります〉
かすかに颯人の拳が予測線とずれた。俺を捉えることはなかったものの、かなり危ない距離を通り過ぎていったことに俺はぎょっとする。
颯人の動きを未来視が間違えた……なんてことはない。考えられることは颯人が自ら可能性の高い戦略を変えたのだ。例えば一秒の定義を予測よりも遥かに引き伸ばすなどして……だから誤差が起こる。呆れるほどの対応力に自分が相手にしている人間の凄さに驚嘆する。
こればかりは颯人の戦闘センスというよりも危機感の察知能力が高すぎるのがネックになっているにちがいない。そして、このままではたとえ《終末の終末論》を発動したとしても颯人の対応力によって敗北に帰すると思った。
故に、こちらも変化が必要だ。そう考えて、このまま未来観測をさせても無駄だと判断した俺は《黙示録》に告げた。
「颯人の行動予測はいい。勝ち筋を再検索」
〈イエスマスター。勝利条件を検索――完了〉
〈現状の最適解を検索――エラー〉
〈マスターの脳スペックでは思考領域が僅かに足りません〉
「それは遠回しに俺が馬鹿だって言ってるってことでオーケー!?」
〈イエスマスター〉
「女の子じゃなかったら張り倒してたよ!! 未来視を取りやめて再検索!!」
このクソ忙しい時にユーモアを取り入れる必要などない。
こうしている間にも颯人の猛攻は続いていた。すでに予測線を頼りにできない俺はそれをどうにか捌きながら叫んでいたのだ。
〈ですがそれでは……〉
「いいからやれ!!」
〈イエスマスター。未来視を停止。現状の最適解を再検索――完了〉
〈“塩の槍”を含むその他一七八四個の終末論を順次ダウンロード――完了〉
〈続いてインストールとコピーを順次開始――完了〉
〈マスターの装備を一新――完了〉
瞬時にして俺の服装が、武装が変わっていく。
テンガロンハットは消えて変わりに雄羊の角が生え、ロングコートは灰の浴衣に変わって真っ赤なロングマフラーで口元が隠れる。手袋は指輪へ、濃紺の劔は黄金の槍へと変わって眼帯が包帯へと変わっていた。
〈“虚無の口”“神罰ver.鳴雷”“夜の落陽”“黒霧”“ダーインスレイヴ”をアウト――完了〉
〈続いて“神罰ver.大地の怒り”“死の赤き水”“現実の介入”“儚き人の夢”“塩の槍”をイン――完了〉
颯人の攻撃の嵐が止む。どうやら俺の変化を目にして立ち止まったらしい。
新しくなった俺の姿を見てさすがに驚いた様子の颯人だったが、その理由は俺の考えていたものとは違っていた。
「俺の世界矛盾の終末論…………なるほど、カインの忘れ形見はそれを選択したか」
「……ああ。そのようだな」
「なら……そうだな。俺も相応にならなくちゃいけないな」
諦めたような。しかし何かを確信しているような。そんな顔で颯人はつぶやいた。そして、それは起こった。
颯人と俺の間に一人の少女が現れたのだ。しかも直接見たことはないのにどこかで間接的に見たことのある幼女。その存在に颯人は優しくほほえみ返した。
「もう、いいの?」
幼女が告げる。それはまるで、世界の終わりを告げる鐘のように。
そうして、颯人は頷きながら謂ったのだ。
「ああ。俺は――全力を持ってアイツと戦わなくちゃいけない。たとえそれで、これまでの歩みが止まろうとも」
その笑みを、言葉を、颯人の姿を――――俺は生涯忘れないだろう。
全てにおいて正しいはずの青年が、今まさに悪に染まったその瞬間を。





