カインの思慮
天國はどういった方法で作っているかわからない長刀と短刀を左右の手に持ち、あるいは投げるようにして怒涛の攻めを見せる。だが、それを同じくどういう方法かわからないがいくつもの刀を両手、両足、あるいは空中へ生み出し、振るう投げる蹴ると真の意味の用途とは全く関係ものまで折り前ぜた様々な手段で鬼気迫る剣幕で向かい打つ。
驚くべきは常人離れした行動をいとも簡単に繰り返す二人が互いに笑っていることだろう。
他にも、麻里奈は不定形の闇を操り、空には巨大な雷竜が舞いながらそれを支援する。向かい打つは白い悪魔。不定形の触手を百匹の蛇が喰らい、同じく数本の触手を自らの大顎で噛みちぎる。空からの支援である雷に関しては、肥大化した猿の手がそれを吸収するように防いでいた。
そして、全く別の戦いをしているようにも見えたそれらが、思わぬところで交錯する。
白い悪魔――――《空白の魔女》が麻里奈と戦いながらも弱点と見抜いたクロエたちに向けて攻撃をしばしば繰り出すのだ。それは手に吸収、帯電させた雷であったり。はたまた自らの縮地であったりと、多種多様である。
しかしながら、未だにクロエとエルシーに危害が加えられていないのは、由美と戦っていて手が抜ける状況ではないはずの天國が隙きを見て刀を放って打ち出された雷の避雷針としたり、縮地した白い悪魔の足元に投擲するなど、的確な攻撃を仕掛けていたからだ。
なお、それは由美にも言えることだ。
由美は交戦している天國の間で投げられた刀を、同じく投げた刀で弾くなどして天國の邪魔の邪魔をする。
そうして、それをただ見ていたクロエとエルシーは互いに顔を見合って、呆れるように息を吐いた。
「ねえ、蒼穹の魔女」
「なにかしら?」
「アタシたち何を見せられてるの?」
「――魔女危機一髪。もしかしたら、神話の大戦かもしれないわね……」
天國という絶対の守護者を得たことで、完全なる安全地帯を手に入れた二人は自分たちでは追いつけない領域だと悟って視界に入った恭介の武装という名の家族に目をやった。
奈留、イヴ、レオ、クロミのうち、レオとクロミが二人の元へ歩み寄る。
「いいの? きょーすけはここにいないわよ?」
「肯定。御門様の助力を考えましたが、不甲斐ない妹の力になることを望みます」
「ちょ!? アンタが妹だから! アタシがお姉ちゃん! いい!?」
「……承認。不服ながらも仕方なくクロエをお姉ちゃんと認めます。はあ」
「なにその文句たらたらな言い方!? ちょ、はっきりさせなさいよ!」
無表情のまま含みのある息の吐き方をしたクロミはクロエに抱きつく。ともすれば双子に見える二人が抱き合うようにしているのはたとえ見た目が幼女だとして扇情的であった。けれど、これがただの包容でないことを念頭に置かねばならない。
クロミとは、元を正せばクロエの力そのもの。それが具現し、擬人化した姿である。であるならば、その姿が何を示すかなど考えるまでもない。
クロエは強すぎる自らの力を操りきれないでいた。しかし、クロミの姿となったクロエの力は弱体化されたとは言え、不老不死者を苦しめるのに十二分の威力を誇る。それはつまり、クロエは自身の力を制御下におけるという意味にほかならない。
さらに、それはエルシー――蒼穹の魔女にも言えることだった。
エルシーの世界矛盾はその強力さ故に自らの肉体を崩壊させるという珍しいデメリットがある。それもレオとして擬人化したことで取り払われ、加えて恭介によって不老不死に戻されたことで、回復力は恭介と同等にまで押し上げられた。これによりエルシーに弱点という弱点は存在しない。
そして、傍観者となっていた二人だが、曲がりなりにも色彩を名に冠する魔女――天國のいう色薔薇の魔女たちである。デメリットがなくなり、力が自由に扱えるようになったならば、ここで起こる神話の大戦であろうと引けを取りはしない。
「レオも私とともに戦ってくださるの?」
「はい、ママ。マイマスターから許諾は得ています」
おそらくクロミもそうなのだろう。もしもの時、身を守る力のない二人のために恭介は事前に手を打っていたわけだ。
ありがたいと取るべきか。あるいはなぜ助けないと起こるべきか。どちらにせよ、自らを守る力があり、それを行使する機会ができた。二人は幼気な少女から、力ある魔女へと存在を変化させる。
エルシーはクロエを見、クロエはエルシーに微笑んだ。
「全力で行きます。ついてきなさい、クロエ」
「数百年ぶり……いや、あいつにぶつけたから一年ぶり? まあどっちでもいいや。久しぶりに本気出しちゃうんだから!」
手を握り、二人の周りの空気が変わる。
色薔薇の魔女は《空白の魔女》を除いて三人とも広範囲殲滅を得意とする。特に、今回のような混戦状態にひどく適した凶悪なもの。
その二人が同時に――しかも本気を出すと明言した。その意味をよく理解していた《空白の魔女》は何を差し置いても二人を止めるべく縮地を行う――が。
「矛盾解消――――神よ、この心臓を捧げます《無意識の革命》」
「矛盾解消――――冒して侵して犯しちゃって《黒蝕獣の瘴気》」
遅かった。《空白の魔女》があと一歩、ほんの数瞬速くに動いていれば、あるいはこのような自体にはなり得なかったかもしれない。縮地でクロエたちに辿り着いたときには分厚い空気圧の壁が白い悪魔の体を簡単に弾く。
無論、能力の主導権はクロエとエルシーには半分ほどしか存在しない。もう半分は前までは握れない手綱だったものが、今回はもう一つの意識として存在するクロミとレオによって操作されている。弱体はされても魔女の頂点たる所以はここにあり。色薔薇の二女と四女による本気は徐々に戦場を荒野へと変えていく。
強烈な風。それに加えて、皆々の体から力が抜ける。神経毒を含んだ凶悪な黒い風と成り果てた魔女二人による合技は一瞬にしてこの場の全員から危険視されるものへと変わっていた。
そうして、異変は地面だけに留まらない。本気を出したエルシーの世界矛盾の本領は気象操作にある。雷竜によってそもそも雲で陰っていたが、それを上回るほどに漆黒の暗雲が突如として現れ、次の瞬間徐々に強くなる雨が振り始める。
だが、驚くべきはそれではない。その雨は家の屋根を腐らせ、洗濯物を溶かし、鉄という鉄を錆びさせ、生き物の皮膚を爛れさせる。“死の雨”――――pH1を下回る酸性の雨が振り始めた。
それらは敵味方関係なく全員を苦しめる所業。しかし、戦いが速くに収まればそれでいいと考えていた二人はこれで収められると思い込んでいた。
そう、二人は黒崎由美という存在を甘く見すぎていた。
ズゴンと。あまりの鈍さに言葉にするにも難しい人体を頭から捻り潰すような音が響く。その音の方を見るや、ザクロジュースを五リットルほどこぼしたのかというほどの赤い水たまりと、その絞りカスを持った化け物が目に入る。
さらにその化け物は地面を割るほどの踏み込みをすると、颯人の《銀の右腕》と同じ輝きを右腕から放ち、それを思いっきり天上へと振り抜いた。するとどうだろう。空が――――あの暗雲立ち込めた地獄の雷雲が、一瞬の内に青空へと晴らされた。
もはや“死の雨”はその存在の微塵すら感じさせない。
その化け物――――黒崎由美は、酸によって溶けた皮膚の臭気によって湯気を上げる体をそのままに瞬時に体を回復させながら、未だに濡れる髪をかき上げて謂う。
「もう。体は回復できても服までは回復できないんだよ?」
この能天気な発言に不定形の邪神に守られた麻里奈が、雨と雨の間の空白を広げることで避けきった白犬が、“死の雨”の元凶であるエルシーが、神経毒を撒き散らしたクロエが、雲の上まで逃げていたカンナカムイが、そういった普通ではない一同が驚かざるを得なかった。
さらには、ザクロジュースの元のであった天國が回復して飛び退くと、一筋の汗を流しながら焦ったように笑いながら吐き出した。
「けっ……化け物が……」
化け物。黒崎由美を敬称するならば、まさしくそれが適当であった。それほどまでに埒外の存在だったのだ。そして、その化け物は露わになった自らの白い肌を隠すように見せつけながら、次にこう口にした。
「もう……えっち♪」
今度こそ白犬を除いたすべての遍く生き物が死を覚悟した。寒気などという生易しいものではない。圧だった。重力が増した。体感にして数十倍ほど。立っていられるわけがなく、肺が押しつぶされそうに息苦しい。
これが黒崎由美の世界矛盾かといえば――――違う。これはただ、由美の威圧に気圧されただけ。つまるところ、少しだけやる気を見せた由美に皆々が慄いたということになる。
この場で唯一死ぬことが許された人間である麻里奈は、すでに戦意喪失して無邪気に泣いていた。他の皆もそう遠くない時間で戦いを放棄するだろう。それほどに黒崎由美は圧倒的だったのだ。
「天――《放蕩の剣星》もいるし、もういいよね? 本気だすよ?」
「やらせるか――――――――」
「もう遅いよ」
回復したての天國が地面を駆ける。白犬のような空白を埋めて移動するということはできずとも、極めた縮地はそれに似たことを可能にする。だが、それでも間に合わなかった。間に合わせることができなかった。
結論から言おう。黒崎由美は何もしていない。指を動かしたわけでも、微笑んだわけでも、声を出したわけでも、骨音を響かせたわけでもなく、本当に攻撃につながることは何もしていない。何もせず、由美はこの場にいる敵対勢力をすべて気絶させた。
そして、これも黒崎由美の世界矛盾ではない。なぜなら由美はただ想像しただけなのだから。
殺すことで不老不死を止めることは不可能。特に永い時間を生きた不老不死ともなればなおさらに。だから真に不老不死を止めるならば、肉体的な死ではなく、精神的な死が最も正答に近い。颯人はそれを拷問まがいで成り立たせるが、由美はさらに一段階上を行く。
「遅い遅い。昔言ったよね。君と私とでは、見てる時間がまるで違うんだよって」
由美にはそれができる。なぜなら彼女には、彼女の頭には第三の頭脳がある。
――――《Kパーツ=モデル:アポ・メカネス/テオス=タイプ:5thシリーズ》
通称《カインの思慮》と言われるもの。命名“天才がゆえの片手間の浅慮”が由美の頭には埋め込まれている。
由美の見るだけで世界矛盾だろうが身体的な技術だろうが、見様見真似ができる理由の一つがこれだ。カインが作り出したものはどれもがオーバーテクノロジーであるため、完璧な説明はできないが。これは神経伝達の三十万倍の速度で情報を送信受信できるものであるというのが黒崎姉弟が辿り着いた答えである。
これのおかげで由美は反射的に避ける、攻撃する、動く以外に、反射的に熟慮するということが可能になった。この機能拡張の副作用として、由美はいるものすべてが意識的にスローモーションにすることも可能だ。
つまり、由美に銃弾を放ったとしても、弾の進行速度は通常の人の見る三十万分の一になる。それだけあれば、たとえ一秒に満たない交戦であろうとも、熟考することも叶うというものだ。
だが、それだけではこの惨状は作り得ない。では、如何にしたのか。
「シロちゃん。カンナカムイは?」
「もう落としたのじゃ」
「そっか。ありがとっ。“カインの思慮”じゃ、空までは制圧できないんだよね」
つまらなそうに聞いた由美に、猿の手から白い煙を上げる白犬が済ませたと告げる。
これにて敵対勢力の殲滅の確認がすんだことになる。多少は疲れたらしい由美が頭を抑えて《カインの思慮》を止める。
《カインの思慮》にはもう一つ解明不明の機能が備え付けられていた。それこそ、この現状を作り出した原因。
その機能とは“他人の精神体を受信し、任意の意識を送信する”というもの。
天國は走り出そうとしていた。麻里奈は戦意を喪失していた。魔女二人は呆気にとられていた。これらすべての精神を混ぜ、捏ね、ぐちゃぐちゃにしてそれぞれの精神体へと戻した。
そうすることで、方向性の失った意識が体にメチャクチャな命令を下して暴走を起こし、負荷に耐えきれなくなった精神に衝撃が走り気絶したのだ。
一つ息を吐いた由美は、顕になった自らの肌を改めて両手で隠し、あえて気絶させなかったイヴと奈留に向けて声をかけた。
「ねえ、服とか持ってないかな?」
二人は、怖気づいたように急いで恭介の家まで由美の替えの服を取りに走るのだった。





