颯人の知る真実
ようやく落ち着きを取り戻した三鬼女神がまるで俺を分割するように右手に麻里奈、左手にクロエ、胴体にエルシーと巻き付いていた。それを見てなおも青筋を立てるかと思いきや、変なところで太っ腹な颯人はそのまま話を始めた。
「麻里奈が来たなら話は速い。魔女二人がいるのは少し考えようだがな」
「麻里奈がいないとできない話でもあるのか?」
「できないわけじゃない。いたほうがいいというだけでな」
言うなり颯人は空き地に放置されていたドラム缶を横に倒してそこに座った。そうして、大きく息を吐くととても嫌そうに続きを紡ぐ。
「黒崎美咲――――まだ結婚はしていないから、“神埼美咲”の話だ」
「なんだよ、改まって……?」
「お前なら……俺の記憶を見たお前なら知っていると思っていたが、どうやらそうでもないらしい。率直に言う。美咲は神崎家の家系だ。それも、直系のな」
神崎家の直系。それはつまり、前神崎家当主の――“最強の人間”の二つ名を持つ者、神埼紅覇の血を引く者ということになるのだろう。しかし、俺は一人だけその血を引く者知っている。
視線を右に向ける。右手にしがみついている美女――神埼麻里奈へ視線がぶつかる。しかして、麻里奈はキョトンとした目をしている。
考えすぎか……いや、知らないだけか。
その答えは颯人の口から明かされる。
「麻里奈。美咲は……神崎美咲はお前の姉だ。三十歳上のな」
衝撃、といえば言い過ぎだった。なんとなく、そんな気がしていたからだろう。だから、俺はさほど驚きはしなかった。
似すぎていたのだ。美咲さんは、麻里奈に似ていた。いや、麻里奈が美咲さんに似ているというべきなのだろうが、それは些末なことだ。ともかく、美咲さんが俺を撫でた手付きや優しい言葉は、麻里奈のそれにまるでそっくりだった。
美咲さんが俺の母親だと言う事実を落ち着いた今、性格に噛み砕いた俺は、その相似点を露骨につまみ上げることができる。
だが、俺が驚かないからといって周りの誰もが驚いていないとは限らない。美咲さんと言えば、“世界最後の王妃”として知られるただならぬ人物だ。その人が麻里奈の姉などと聞いて、麻里奈やクロエ、エルシーは相応の声を上げた。
「颯人くんは……知っていたの?」
「ああ。生まれた時期は知らさられていなかったけどな。神崎家は“美咲を産むための家系”だから、いつか生まれることは知っていた」
「…………じゃあ、私が幼い時に颯人くんたちが来ていたのって……」
「もちろん。定期的に美咲が現れたかを知るために出向いていたに過ぎない、…………まあ、美咲の妹でもあるお前の成長も気にはなっていたがな」
神崎家が美咲さんを産むための家系?
神崎家は日巫女――緋炎の魔女の家系ではないのか? そうであるから、日本の頂点に立っているのでは?
まさか、逆なのか?
颯人は言った。魔女と呼ばれる者たちは“結社”という家族を作ると。“結社”というのが言葉通りならばおそらく、家族のような固い絆で結ばれた仲間のようなものだろう。そうであるなら、家族は決して血が繋がっていなければならないというわけではない。
やがて世界の終わりを作り出す血筋を緋炎の魔女が手中に収めたのだとすれば?
いつか来る世界の終わりの前兆をいち早く知るために、緋炎の魔女の監視下に入れたのだとすれば?
神崎家とは、すなわち世界を終わらせる最悪の家系ということにはならないか。
ぶるりと体が震えた。それは恐怖か、それとも……。
慄く俺をよそに、俺よりも驚いていたはずの麻里奈がゆっくりと颯人へと視線を向ける。それを覚悟したと読み取った颯人は言葉をさらに続ける。
「お前の母親がお前を産むと同時に死亡したのは、俺と美咲のせいだ」
今度こそ、俺は驚く。
だが、話は終わらない。
「美咲が生まれて、五年する前に美咲は自らの意思で五つ目の世界矛盾を発見した。そして、自らの意思で“神崎美咲”を封印するためだけに創られた氷獄結界《コキュートス》へと封印された。だが、すでに影響は出ていた」
一息。
「お前の母親は、美咲をわずか十四才で産んでいた。そのせいで、子供が産めない体になってしまった」
では、麻里奈はどうしてこうして存在しているのだ。
今までの話が美咲さんのせいについての話であったように、これから始まるのは颯人が原因の話だった。
「これまでの世界で、美咲に妹はいなかった。それは美咲の生みの親――麻里奈の母親が美咲を産んだ直後に死亡していたからだ。だが、今回は死ななかった。子供が産めない体にはなってしまったが、それでも生き残った。だから、俺はそこに賭けた」
まさか。
まさか……。
この話の続きを俺は聞きたくなかった。聞いてしまえば俺は、颯人を善人という形で見られなくなってしまう予感がした。
目を伏せた颯人が真実を口にする。
「神埼紅覇にも使った若返りの霊薬を緋炎の魔女から受け取り、それを使って美咲の母親を十四才にまで若返らせた。そして、復活した子を成す機能を使って、美咲の妹を創らせた」
とうとう俺はしがみついていたみんなを剥がして颯人へと駆ける。右手を伸ばし、颯人の胸ぐらを掴み上げ、震える左拳をあと一歩のところで踏みとどまらせる。
わかっていた。それが正義でないと他でもない颯人が理解していることなど。そして、終わりの決まった世界を救うためには、正義だけでは駄目だということも。
けれど。
颯人は正義の人だ。間違ったことなど、おそらく自分の中では何一つとしてなかっただろう。
だったら、どうして今、颯人は下を向く。間違いだと分かっていて、どうしてそんな愚策を起こした。
追い詰められても、颯人はそんなことをしないと思っていた。過去の颯人は少なくともそんなことはしなかったはずだから。俺の知る颯人は、そんなことをするやつではなかったから。
だから、俺は吠えた。
「どうしてだ。なんでそんなことを!!」
「それが俺の正義だった」
「ふざけるな!! ならなんで……どうして下を向く!! 正しいと想うなら胸を張れよ!!」
「胸を張れる正義と張れない正義があるんだ」
「胸を張れない正義なんて、悪行と何が違う!! 少なくともお前は……俺の知る黒崎颯人はそんな格好悪くなかったよ!!」
空き地に俺の声が響く。そしてすぐに静寂が包み込む。誰もが動けないでいた。すべてを知っていたであろう由美さんも。すべてを行ってきた颯人も。初めて事実を知った者たちも。
俺の目をまっすぐに見た颯人が力なく笑う。
「蒼穹の魔女は正義を捨てて力を暴走させた。黒痘の魔女は自分を殺そうとして力を暴走させた。なら美咲は……?」
「何を――」
「美咲は――――世界最後の王妃は諦めることを忘れることで力を暴走させたのさ」
颯人は知っていた。
世界は蒼穹の魔女の怒りによって終わった。
世界は黒痘の魔女の愛憎によって終わった。
世界は左翼の龍姫の傲慢によって終わった。
その根底には必ず、世界矛盾の暴走があったのだ。
そうして、颯人は自身の世界矛盾の暴走を引き起こす方法を知っている。なぜなら、颯人も一度ならず世界を終わらせていたから。
そのトリガーとは――。
「今宵は闇に。其は夢に惑う一差しの光。悠久なる時の倫理に人は無し、無限なる果の理由に人は成す。斯くも悲しき最期の果てにおいて、我――――幾億の現実を起こす者」
白い右翼が五枚開かれる。頭には光輪が眩う。其の姿はまるで――。
「“右翼の天使”……」
「――――さあ、世界の始まりを歩もうか」
一陣の風が吹く。それが膨張した右翼のはためきから現れたものだと気づく頃には、形勢はまるで逆転していた。
掴んでいた胸ぐらの手を振りほどかれ、俺は颯人の成人にしては筋肉質な手に顔面を捕まれ、それを振りほどけずにもがく。
「きょーちゃん!!」「きょーすけ!?」「恭介さん!」
俺が捕まったことで三人が動き出そうとした。けれど、それは間に立つ由美さんによって防がれた。
颯人に顔面を掴まれたまま引きずるように移動させる俺はなおも藻掻きながら抜け出そうとするが、とんでもない握力で抜け出せそうにない。
やがて由美さんの隣まで移動した颯人が由美さんに告げた。
「ここは頼めるか? 俺はこいつとサシでやり合いたい」
「いいよ。あの子達程度なら、完封できるし」
「じゃあ任せた。おい、白犬! いつまで隠れてやがる。お前も手伝え」
まだ一人。この場にいない者の名を叫んだ颯人の怒気に、呼ばれた者が仕方なさそうに、いや怯えたように姿を表した。
その現れた者を知る人物が二人。蒼穹の魔女と黒痘の魔女だ。
二人は驚いたように同時に声を荒げた。
「白犬!?」
「空白の魔女がどうして!?」
どうやら、颯人は初めから戦う意志があったらしい。でなければ二人が驚くような人物を連れてくるはずもない。ならば、これは決められた結果か。あるいは回避できなかった未来の一片だったのだろう。
もう一度、颯人の右翼がはためく。
さらに颯人は言葉を交えた。
「場所を変えるぞ。ここは煩わしい」
次の瞬間。俺は知らない場所に投げ捨てられていた。





