アポ・メカネス/テオス
颯人から受け取った手紙を簡単に説明するならば、強大な力を有するとされる“神埼美咲”の遺伝子を元に人の手で英雄を作り出す実験だ。
計五枚からなる紙の束は一枚目が研究内容の概要で、二枚目から四枚目まではその方法と結果。そうして五枚目はこの実験をするに至っての契約書――――そこには緋炎の魔女の名ともう一つ、“カイン”と書かれていた。
識別名称《Kパーツ=モデル:アポ・メカネス/テオス=タイプ:MIKADOシリーズ》
その第一人工英雄
正直な話。これだけでは何がなんだかわからなかった。いや、俺はこの手紙を貰う前から違和感が有ったんだ。あの日、神埼美咲との戦いのあと。天の扉が開いたあの圧倒的なまでの瞬間。神埼美咲は俺に向けてこう言った。
――――ごめんね。こんなお母さんで。
あの言葉がそのままの意味であったなら。そして、この手紙の結果に書かれた最後の一文『名称は神埼美咲の願望で“恭介”』というものが真実であったなら。
そして、MIKADOが“御門”という文字を示しているのなら――――。
この手紙に書かれているのは俺――――御門恭介なのではないのか?
ゴクリと生唾を飲み込む。もう三回は読み込んだ手紙の内容は当然変わらない。残酷な運命を記しただけの紙の束はされど内容を変えようとはしなかった。
ぎゅっと、背後で俺を抱きしめる由美さんの手に力が込められる。
「こ……れは……」
「すべて真実だ。世界の四分の三を回って調べた結果だ。覆すことは敵わない」
「どういう……これは一体何の冗談だよ?」
「言っただろ。すべて真実だ。お前は“カイン”によって創られた。この世界を救う人工英雄として生まれたんだ」
颯人の表情は暗い。それもそうだ。自分のお嫁さんが何の断りもなく遺伝子を提供し、“カイン”とかいうわけのわからない研究員の手によって世界を救う英雄を作る手伝いをしていたなんて聞いて、はいそうですかと受け入れられる者がどれだけいるだろう。
それはもちろん俺にも言えることなのだが。
俺は狼狽えてしまった。呆然として立ち尽くす。もしも、由美さんが俺を抱きしめていてくれなければ、おそらく俺は地面に膝をついて遠くを見ていたに違いない。
それほどの衝撃だった。
なぜなら、この手紙はつまるところ、俺がどれだけ“ただの高校生”だと言い張っても根底から否定する材料になりえてしまうのだから。
「じ、じゃあ、俺の母さんは? 年に一度電話をくれる親父は?」
「すべて緋炎の魔女が用意したものだ。魔女と呼ばれる者は“結社”と呼ばれる家族を作る。お前の義理の家族もそこで見繕ったんだろう」
予感はあった。数年に一度しか会えぬ母親と、年に一度電話でしか話さない親父など、周りのどこを見ても居やしない。決定的だったのは颯人と戦ったあの日だ。あれからずっと、俺は特別な立場にいるのだと薄々気がついていた。
それでも、俺は普通であろうと試みたんだ。だって、それが分相応だと思っていたから。
だが蓋を開ければどうだ。俺は美咲さんの遺伝子から生まれた人工英雄だという。
なら、俺が今まで過ごしてきた日常は……すべて偽物だったのか? 俺は初めからこうなる運命だったのか? 全部全部……仕組まれていたってことなのか?
わからない。こんな手紙では。このような報告書では!
しかし、それを颯人に問い詰めてもお門違いだろう。なぜなら、颯人もこればっかりは被害者のようなものなのだから。
手紙が手からこぼれ落ちる。叫びたくなる。それを必死に抑え込んで、俺は漏れ出そうになる何かを手で抑えた。
「俺は――――!!」
「どうしたの、きょーちゃん?」
ハッと。背後から聞こえた声に目を向けてしまう。
そこに居たのは急いでやってきたらしく、少しだけ息を上げた麻里奈だった。
「麻……里奈?」
「うん。そうだよ? どうしたの、きょーちゃん」
「どうしたも……なにも……」
麻里奈も思うはずだ。俺の足元に落ちている報告書を見れば。俺がどれだけ滑稽な生き物なのかどうかを。
そして、想うはずだ。こんな俺のそばにいることがどれだけ危険なのかを。
離れていってしまう。そう思った。だから、俺から先の言葉は出せなかった。しかし。
「その程度で何か変わっちゃうの? そんなもので、きょーちゃんの存在はなかったことにできちゃうの?」
「何を……言って……」
まさか知っていたのか? いや、聞いたんだ。さっきの俺と颯人の会話を聞いていたんだ。その上できっと、麻里奈は言っている。
どこまで知っているかなどこの際どうでもいい。近づいてくる麻里奈の姿が、とても懐かしく感じた。気がつけば由美さんの拘束は解除され、自由になった体は支えることができずに麻里奈に抱き寄せられてしまう。
温かい。この温もりを俺はよく知っている。
「きょーちゃんは間違ってなんていなかった。普通であろうとしたきょーちゃんも、誰かを守ろうとしたきょーちゃんも、なにかに苦しんでるきょーちゃんも、何一つ間違えてなんかいないんだよ。それでいいんだよ。きょーちゃんはきょーちゃんでしょ?」
一歳しか変わらないのに、どうして麻里奈はこんなにも母性溢れているのだろう。こんなんだから、ついつい甘えそうになるのだ。
心が折れそうになるとき、麻里奈は必ず俺を助けてくれた。俺だけに留まらず、目に映るすべての人に手を差し伸べる麻里奈に憧れた。俺の根底を造ったのは他でもない麻里奈なんだ。
ようやく、落ち着きを取り戻しつつあった俺に、コホンと咳払いが割り込んでくる。
「いちゃつくのはいいが後にしてくれ」
「…………今日はお開きにしようぜ」
なにはともあれこの場から退散したくなった。もちろん恥ずかしさからだ。
麻里奈は何がそんなに嬉しいのかいつまでも俺の頭を撫でるし、なんだったら包容が由美さんよりもガッチリしていて、どう力を込めても抜け出せそうにない。
なにやらスイッチの入ってしまった麻里奈。これは寝ぼけた麻里奈の状態と酷似している。つまり何がいいたいかと言うと。
「さっさと離れろ。話の続きができん」
「できてればとっくにそうしてる」
離れない。離してくれない。
いつまでもいちゃついていると勘違いしている颯人――あながち間違いではないが――は沸々と怒りのゲージを貯めている。いつの間にかその横に移動した由美さんはニコニコと微笑ましそうにしている。
そうこうしている内に何やら背後が騒がしくなってきた。
「ちょっと、まりな! あんた……早すぎ……って、は、はぁ!? ちょ、離れなさいよ、まりな! ねぇえ!」
「あら、これは嫉妬っていうのですか? なんだか、今なら世界の二つや三つ壊せる気がします」
顔は見えないが声からしてクロエとエルシーだ。まずい。これは非常にまずいぞ。
ギャーギャー文句を言う声に恐ろしいワードが混ざっていた。しかも洒落にならないような。
待て待て。俺は一刻も速く離れたいんだけど、麻里奈が離してくれないんだよ! だからちょっと待て、落ち着いておふたりとも!
俺が二人を静止するよりも速く、怒声が響いた。
「るっせぇ、アホども! コロがされてぇか、あぁん!?」
黒崎颯人激おこである。青筋を立てた鬼は、今すぐにでも喧嘩を始めそうな勢いで怒りのオーラを纏って俺を睨みつけていた。
いやだから、これは俺のせいじゃないんだって!!





