“人類史の祖”
食事を済ませ、一段落した俺はみんながいると話もできないと思い蒼穹の魔女――エルシーを連れて外に歩きに来ていた。
十分もしないところにある公園は昼ご飯を済ませたばかりの時間帯では人は少なく、話すにはちょうどよかった。エルシーをベンチに座らせて、俺は近くの自販機でホットココアを買ってベンチへと戻る。互いにココアを持ったところで話は始まった。
「それで? 本当の用件はなんです?」
「あら? 私が嘘をついていると?」
「……あの、」
本当に何が目的なのだと言いかけてやめた。というのも、ココアを一口飲んだエルシーがようやく話をすることを決めたようで、話し始めたからだった。
「ふふ。やっぱり恭介さんは面白い方ですね。私としたことが、少し遊び過ぎてしまいました」
「……じゃあ、やっぱり他に用件があったんですね?」
「ええ、まあ。婚約の話も用件の一つでしたけどね」
俺としてはその話は一生忘れていてくれると助かる。
可愛らしいエルシーは、俺には少々毒なのだ。何より、それに嫉妬したような二人がいるから被害は甚大と言う他無い。
さて、では話とはなんだろう。
エルシー――蒼穹の魔女ともなれば情報網は数知れず。正義の番人であるエルシーは数多のツテを持っていると聞いた。それに元幽王の仲間だった白伊たちの助力もあって、幽王を知っていそうな人物を片っ端からあたっているに違いない。
もちろん、白伊たちから直接幽王の情報を聞ければ速いのだが、それはあいつらの信条に反するということでできない。
おそらくはその話だと踏んでいた俺は、もう一口ココアを飲んだエルシーの続きを待つ。
「――――本当は」
「?」
「本当は、これは私の口から言うべきことではないのかも知れません。それを前提の置いて話を始めますね」
何やら含みを持たせる語り始めに俺は仄かに体に力を込めた。
「まず。私の情報網で、彼がこの街に戻ってくることがわかりました」
「……彼?」
「《極東の最高戦力》です。約半年もの間、この地を離れていた彼ですが、何を思い至ったのかこの地……日本へとその歩みを進ませているという情報を掴みました」
「え……っと。それが?」
すでに颯人との戦いは済ませている。颯人と俺は完全ではないにしろわかりあえているはずだ。だから、颯人が日本にやってきているのは、きっと義妹である実と穂に会いに来るとかその程度の理由だろう。
なので、今更そんなことを教えられても仕方がないと思うのだが。どうやら、エルシーはそうは思わないらしい。
もう三口目になるココアを口に含んで、甘い香りを立たせるエルシーが告げる。
「彼は私や姉さん、そして我ら色薔薇の魔女の三女である《空白の魔女》主導による全魔女と、“最初期の人類”と呼ばれる者たち――例えば、“放蕩の剣星”もこの中の一人に含まれますが、全弐拾壱席で構成された“人類史の祖”による認証。要するにすべての不老不死者の厳正な審査により、《選ばれし者》としての称号を頂いた豪傑です」
「つまり?」
「彼の歩みに意味がないことなどない。まあ、そもそも《極東の最高戦力》は新たなる席である弐拾弐席目として“人類史の祖”に名を連ねるかもしれなかった人物なので、根本から嵐のような人なんですよ」
おやおや? なんだか雲行きが怪しくなってきましたよ?
難しい専門用語が増えてきたが、要するにこういうことだ。
颯人は魔女の頂点である色薔薇の魔女と呼ばれる、蒼穹、緋炎、空白の魔女たちの合意と、天國もその中に含まれるという超強い不老不死者十人で出来上がった“人類史の祖”の認証を貰って、《選ばれし者》の称号を手に入れたすごいやつなのだそうだ。
そして、そんなやつが歩くと決まってその周りは面倒なことが起こる。俺のときだってそうだった。
おそらくはあのときのような事件が起きるだろうと危惧しているのだ。
……ん? ちょっと待てよ?
俺は疑問に思ったことをぶつける。
「なあ、聞きたいんだけどさ」
「なんでしょう?」
「その……“人類史の祖”っていうやつらはみんな歩くだけで事件を起こすのか?」
「はい。噂によればバミューダトライアングルを引き起こしているのはそこに住処を持つ不老不死者によるものだと聞きますし。何より、“放蕩の剣星”が日本に来る際、搭乗していた飛行機が観測できない突風に巻き込まれ、あわや墜落するところだったとか。彼ら“人類史の祖”は存在自体がイレギュラーすぎて、世界がその存在を確定させるために気象に致命的なバグを起こすんですよ」
「…………その、颯人もそこに含まれるかも知れなかったって話は……」
「本当ですよ? だってそうでしょう? 彼がいる世界=終わりが確定した世界なのですから」
「あー……」
確かにと思ってしまったのは内緒だ。
颯人は数多くの世界の終末を観測している。それは逆を言えば、颯人は終末を迎えていない世界を知らないということになる。
そして“人類史の祖”が致命的な気象のバグを起こすなら、世界の終末を間接的に引き起こす颯人がその中に選ばれないのは筋が通らない。何より、颯人は世界を繰り返しているせいで、本来の年齢は最低でも一万歳は越えている。最初期の人類と呼ばれるにふさわしいと言えばふさわしい。
だとするなら。
颯人が今、日本にやってくるという。
問題ばかりを起こすやつらと同じ土俵に入れられそうになった颯人が、どうして問題を起こさないと言えるだろう。さらに言えば、それに俺が巻き込まれないとどうして思えるのだろう。
ゴクリと生唾を飲み込む。
考えたくはないが、颯人が問題を起こす。それに俺が巻き込まれる。そうして、ひどい目に遭う…………容易に考えられることで恐怖が湧く。
ぶるりとまだ見ぬ恐怖に体を震わせると、エルシーが他人事のように告げる。
「ですが、本当に注意しなければならないのは、その義姉である黒崎由美です」
「……はい?」
「彼女は要注意人物ですよ。不老不死者であることは間違いないのですが、この世界の誰一人として彼女がどのような世界矛盾を持ち合わせているのかを知らない。聞く人によって“付き添うもの”“真似る者”“模倣する悪魔”などと呼ばれていますが、それは彼女の目がいいだけで、見るものすべてを模倣できるというだけです」
じゃあ、いつか麻里奈が放った《破神の弓》も見様見真似でやってみただけということなのか。もしもそうだとすれば、それはもう目がいいというレベルの話ではない。度が過ぎている。
そのような言い方では、俺が真に警戒しなければならないのは颯人ではなく、由美さんであるのは明白だ。もしも、本当にそうであれば、の話だが。
俺はこの期に及んでも二人を警戒するつもりはなかった。
どう転んでも、俺と颯人が争うような未来が見えないからだ。すでに颯人とは話がついているし、由美さんと争う必要もない。
エルシーの言うように嵐を呼ぶ存在だとしても、すでに幽王という特大の嵐に巻き込まれている俺にとって、その程度の嵐ならばあってないようなものだ。
だから、俺は買ってきたココアを一気に飲み干して、ベンチから距離のあるゴミ箱に缶を投げる。見事にゴミ箱に缶が入ったのを確認して、エルシーに向き直る。
俺のなけなしの技術に驚いているエルシーに笑いかけ、言葉を放つ。
「大丈夫さ。颯人との話はもう済んでる。由美さんを怒らせるようなこともしてないし、きっと妹にでも会いに来たんだろうよ」
「そう……だといいですね」
「そうでなくとも安心していい」
なぜ。エルシーの疑問の目に続ける。
「俺が《常勝の化け物》だからだ。俺はさ。答えを得るまで死ねない。そして、その答えは勝ち続けることでしか得られない。俺はその答えがどうしても欲しい。だから、たとえその“人類史の祖”とかいうとんでも集団に入りかけた颯人が相手でも負けやしないよ」
「……本当におかしな人、ですね」
「あっははは……昔からよく言われるよ」
良い意味ではないが。
「では……恭介さんの言葉を信じて安心していましょう。ところで」
同じく飲み得たらしいココアの缶をエルシーはようく狙いを澄ましてゴミ箱へと投げる。大きく狙いを外した缶が、何かに誘導されるように起動をあからさまに変えて見事にゴミ箱に入る。その後に仄かに温かい風が頬をなでた。
気象を操る世界矛盾。その片鱗を見せたエルシーは代償である自傷も見られず、代わりになびく髪を手で抑えて俺へと振り返る。
「結婚は、いつにしますか?」
満面の笑み。優しさを孕んだ温かみのある笑み。
しかしてそれは、俺の背筋を少しずつ凍らせた。
「だーもう! せっかく忘れようとしてたのに!!」
「残念でしたね。私はこう見えてしつこいですよ、恭介さん」
にっこり笑顔の魔女がそろりそろりと歩み寄る。俺は、それから逃げ道を失った……。





