我が魂は渇望する
アンダー・ワールド。それはもう一つの世界。死者が蠢く地獄と呼ばれる世界。神々が畏怖する冥界と呼ばれる世界。そこではこことは違う法則が適応される。そこから漏れ出した法則を運悪く見つけてしまった者を世界は《不老不死者》にする。
死後の世界で知るはずの知識を、世界自体が求めたのだ。その知識を逃さぬように、世界は永久に縛り付けるために不老不死にするのだ。つまり、不老不死者とは、世界が傲慢にも縛り付けた悲しき存在のことをいう。
「――――ほんと、俺はいつからこんな大役を任されるような人間になったんだろうな」
どうしてそんなことがわかるのか。左目が教えてくれるのだ。カインの義眼が俺の脳に直接情報を流し込むから、俺は知りたくもない情報を得てしまった。
いや、もしかしたら必要な情報だったのかもしれない。俺が世界すら救ってみせると決意してしまったから、カインの義眼が反応したのだろう。
要するに、これを知らなければ俺はあの終末論を超えることはできないってことだ。
左目にはいつの間にか眼帯が掛けられていた。外そうとしても外せず、俺はすぐに諦めることにする。なぜなら《黙示録》が仕事をしなくなったわけではないとすぐに理解したから。
俺の背後にいたみんなはすでにいない。《終末の終末論》を発動したせいで、俺の力となるべく装備に変わった。通常よりも幅が広いブリムの漆黒のテンガロンハット。黒革のロングコート。両手には革の手袋が嵌められ、右手には濃紺の剣を持っている。他にも様々変わっているところがある。そして、《黙示録》は今、俺の隣にいる。
〈不服ですか、マスター〉
声というには嫌に頭に響く。白い仮面を付けた褐色白髪の少女が俺の横で跪いていた。
こいつが《黙示録》だということを伝えられたわけでもないのに知っているのは、おそらく先程から延々に情報を流されているせい。本来であれば汚物を吐き捨ててもがき苦しむほどの情報量だが、《竜の血》と《平等な停滞》て強化された俺の体は外と内ともに人間のそれではない。
多少のめまいはすれど、倒れるほどではなかった。
「いいや。お前が必要だと思ったのなら、それが正しいことなんだろうさ」
〈では、ご命令を。我々はマスターのご意思とともに〉
「《暁光の焉燚》を押し返す。お前の持ちうるすべての知識を俺にくれ」
〈御意に〉
そうして、俺の頭の中にいくつかの提案が浮かべられる。
きっと、これらがあの終末論をどうにかできる手段なのだろう。だが、そのどれもに結果的に死者が伴うという。それは俺の望むところではない。
そもそも、これには一つだけ欠点があった。
「被害は俺だけだ。それ以外は許さない」
〈ですが……〉
「アポカリプス。お前は知っているはずだ。俺がそういうやつだっていうことは」
〈……御意〉
そして、たった一つの方法が提示された。俺以外の人的被害はなく、最小限の被害で事はなされる。
失敗は許されない。一つのミスで世界が終わる。けれど、俺は心配などしていなかった。
だって、終わりは必ずあるもので。
だって、俺には守りたい人しかいなくて。
だって、俺は望む明日を持っていなくて。
俺の失敗で世界が終わるのなら、それはそれでいいのだ。潔く死を選んで俺は俺を救うことができる。
許せないのは、敗北することのみ。
あの終末論が俺の敵だというのなら、俺は勝利しよう。そのことが世界を救うのだというなら、俺は世界を救ってみせよう。
すべてを救う。俺が俺を救うために、俺は俺の目の前で泣くすべての人を救い上げる。
「せ、先輩!」
「なんだ、意外と元気じゃないか、安心院くん」
「くん付けして呼ばないでください! じ、じゃなくて……行くん、ですか?」
安心院奈々美にはあれが絶望に映るのだろう。人には越えられない絶対的な壁に見えるのだろう。
しかし、残念なことに俺にはそうは映らない。終焉を迎えても、人類は終わらない。終焉など、ただ通過点でしかないのだ。
終焉の更に先で人は笑ってこういうのだろう。終わらせてみろ、と。傲慢にも、強欲にも、ヒトは口にするのだ。人類は決して屈しない、と。
「ああ。俺が行かないといけないっぽいからな」
「で、でも――」
「大丈夫だよ。俺がどうにかするから。安心して見てろよ、奈々美ちゃん?」
「~~~~っ!! だから、下の名前でちゃん付けしないでください!!」
顔を真赤にして怒る安心院奈々美をそのままに、俺は墜ちてくる《暁光の焉燚》をもう一度見つめる。
今から行うのは、確実に一度死ぬ方法。それに怖気づかないかと言われれば、恥ずかしながらすごく怖い。今ここで颯人が現れたなら、全てをあいつに押し付けて逃げ出したいくらいだ。
それでも今、ここにあいつはいない。《暁光の焉燚》を止められるのは俺だけ。そんな事ができるのは人間を辞めてしまった俺だけなんだ。
だから行くしか無い。負けることが許されない俺は、敵と定めてしまった《暁光の焉燚》を止めなければならない。
どういうタイミングで行こうか悩んでいる俺に、白伊が問いかける。
「勝率は?」
「三割ないかな」
「厳しいね」
「そうか? 俺はいつも数パーセントの勝率で戦ってきたけどなぁ」
「それは君がおかしいのさ。人は博打で誰かの命を賭けたりはしない」
「なら、俺は人じゃないのかもな」
言うなり、俺の背に純白の鳥の右翼、真珠のように輝く鱗を持つ龍の左翼がそれぞれ五枚ずつ。五組の翼として生えた。
さらにそれをはためかすと俺の体が宙を浮く。その様子を見た白伊が驚きの声を漏らした。
「黒崎颯人……それに神埼美咲の世界矛盾を模した……いや、これは――」
「んじゃ行ってくる。戻ってくる頃には泣き止んでおくんだぞ、奈々美ちゃん」
「な、だ、だから――」
怒り狂う安心院奈々美を最後にもう一度翼をはためかす。次の瞬間、俺の体は音速で天上へと昇っていく。《暁光の焉燚》に近づくに連れて熱量が増加する。俺の体が原型を保てているのは、おそらく音速であることに加えて装備となったみんなのおかげだろう。
速く。もっと速く。終末を越えるために、疾く駆ける。ダーインスレイヴに雷撃を纏わせ、風の層を形成させてさらに強度を高めて。捨て身の粉砕を以て、終末を終わらせる。
加速する。音速は亜音速へ。亜音速は超音速へ。超音速を越えて、光へ。
あと数メートル。触れるだけで終末を晴らす事ができる威力を持った剣が真っ直ぐに駆ける。
だが。
「――此処から先は通行止めだ」
ガクンッと、進行が止まる。あらゆる強化を済ませたダーインスレイヴが目の前に立つ男によって完全に遮られた。
その男は……。
「―――――――幽王!!」
「そう逸るな。煩わしい」
俺の前に現れたのは燕尾服を着こなし、漆黒の仮面を付けた男。自らを幽王と名乗る、世界を終わらせようとする者たちの首魁である幽王だった。
幽王は強化されたダーインスレイヴを己の体を貫かせることで完全に停止させたのだ。癒えぬ傷を与えるダーインスレイヴを受けてもなお、痛がる素振りを見せずに幽王は余裕綽々に目の前に居座る。
「テメェ……テメェ!!」
あと少し。あと数メートルで消しされたはずなのに。これでは無理だ。あの速度を出すにはもう一度地上へ……いや、その時間もなさそうだ。
失敗した。敗北する。誰もが死んでしまう。
こんなはずではなかった。怒りが溢れ出て、前に立つ幽王の胸ぐらを掴んで仮面に額をこすりつける。
仮面の視界を通す穴から幽王の目が見える。どこかで見たことのある瞳。覚悟を決めた者の決意の瞳。俺は、こいつに会ったことがある。
近づきすぎた俺を引き離すために、幽王は俺の腹部を押すように蹴った。そのせいでダーインスレイヴが幽王の体から抜け、俺もバランスを崩して高度を落とす。
癒えぬ傷を与えるダーインスレイヴの傷が見る見る内に回復していく。不老不死者を殺害できる武装であるにもかかわらず、幽王の体は全快してしまった。
悠然にして、幽王の背から翼が広げられる。鴉の右翼と悪魔のような左翼が五組。俺によく似たその姿で彼は告げる。俺の生き様をすべて否定するかのごとく。
「そこで見ていろ、仮初の勇者。絶望とはこういうものを言う」
右手に収められた何かを《暁光の焉燚》に向けて弾く。
そして、彼は紡ぐ。俺と、全く同じ言葉を。
「――――――――我が魂は渇望する――――――――」





