暁光の焉燚
目を覚ますまで一体どれだけの時間がかかっただろう。俺の目の前には神埼美咲に首を掴まれた椿と呼ばれた少女がいた。そして、その足元にはいつ目を覚ましたのか知らないが震える副会長、安心院奈々美の姿もある。
逃げた先で捕まったのか。あるいは、俺が倒されたことで囮を駆って出たのかはわからないけど、どうやら無茶だったらしい。こうして捕まっているのだから、逃げたほうが懸命だと言えるだろう。
しかし、安心院奈々美を囮にしなかったのは、アジ・ダ・ハークのせめてものプライドなのか。
ともあれ、俺は間に合った。まだ誰一人として死んではいないのだから。
「驚いた……」
言葉通り驚いているであろう神埼美咲が、ふと首を締めていた手を離す。
そして、俺に向かって右手を翳す。おそらくは再び黒い炎を使って消し去ろうと言うのだろう。予想通り、黒い火の粉が舞う。それを右手で掴むと一気に燃え上がり、すぐに右手は包まれた。
それを静かに見ながら、俺も右手を前に翳す。そうして、俺は告げるのだ。
「イヴ。俺の右手を斬れ」
「はい」
あっさりと、俺の右手は切り落とされた。だが、その御蔭で俺は黒い炎から逃れる事ができた。《顔の無い王》を使用した俺にとって、部位の欠損など有って無いようなもの。故に、簡単に命令できる。
無論、以前のイヴではその命令に躊躇しただろうが、なぜか成長しているイヴにその躊躇は一切感じられない。むしろ、俺を唯一の主人として認め、その言葉に絶対の忠義を尽くすようだ。
さらに俺の後ろには奈留、クロミ、レオが立つ。
そして隣には……。
「もう、おっそーい。何してたの、せんぱい?」
「そ~ですよ~。抵抗していいものか、悩んでしまったではないですか~」
黒崎実、穂が立っていた。
その存在を初めて近くするかのように、神埼美咲の目が大きく見開かれる。
さらには神埼美咲は二人を知っているみたいに言葉にする。
「あなたたち……そう。御門恭介くんはそこまで……」
「んー? 私達のことを知ってるの?」
「まあ、ね。別の世界で、颯人があなた達と契約してるのを見たから。“終焉を越えさせる獣”。“世界の明日を迎えるための供物”。“英雄の選抜者”。そんなあなた達がそこにいるということは……」
「うん。私達は選んだ。せんぱいこそが世界を救う者。終焉の救世主。絶望を晴らす希望の極光。私達を知るなら、私達の言葉の意味はわかるよね? たとえ、あいつのお嫁さんでも……世界の終焉を観測したあなたでも、せんぱいには敵わないよ」
「なのですよ~。今降参するなら~、許してあげないこともないのですよ~?」
ちなみに、俺はそんなことを一言も告げられていない。内心驚きすぎて何も言えない状態だ。
そう言えば、双子と契約した記憶もある。なりふりかまっていられない状態だったとは言え、安易に契約をするものじゃないな……。まあ、闇金よりは良心的かもしれないが。
勝ち誇る双子を前にして、神埼美咲は明らかな怒りを魅せて、翼が広げられる。
「言うね。あまり大きいことを言うものじゃないよ。負けたとき、恥ずかしいでしょ?」
右手から黒、灰、紅の火の粉が舞う。
俺たちを逃さないための攻撃だとわかり、逃げることも考えたがその必要がないと知る。
突如として風の壁が形成され、火の粉を散らしたのだ。それをやったのはレオだった。レオ――クオレ・ディ・レオーネは蒼穹の魔女が作り出した赤道を超える超巨大台風という終末論そのもの。その能力がどれだけ減弱されようと、強化され続ける風の壁という能力は同じ終末論でなければ突破は難しい。
それを見て、神埼美咲の顔が初めて悔しさを見せる。
「蒼穹の魔女の終末論……」
「もちろん、それだけでは無いわけですが」
「肯定。クロミを忘れてもらっては困ります」
翳された神埼美咲の右手を青白い雷撃が撃ち抜く。綺麗な白い肌が一瞬にして黒焦げになるほどの雷撃。それをしたのは奈留――鳴雷だ。
そして、続けざまに黒い霧が舞う。それの正体に察すると、神埼美咲は左翼をはためかせて霧を霧散させようとするが、意思を持つ黒い霧は意も介さないように神埼美咲を包み込んでいく。すると、神埼美咲の肌に黒紫斑が浮かび上がり、終いには血を吐き出す。
クロミの裾から黒い霧が発生しているのを見て、俺はようやくクロエを敵にしなくてよかったと思った。
クロミは元を正せばクロエの世界矛盾だ。そして、颯人から聞いた話ではクロエは黒死病を蔓延させた張本人だという。その正体は……。
「黒霧。人体にあらゆる害を成す細菌、ウイルス、毒物を作り出す能力……恐ろしいな、おい」
我ながら、クロミの能力を使用するのは極力最終手段にしようと思った。
激痛とめまい、あるいはそのほか様々な症状に悩まされ、のたうち回る美女に向けて、俺は告げた。
「もうお終いだ。あなたの負けだよ、美咲さん」
「ガハッ……グッ……ア゛ア゛ァァァァ」
まるで獣のように唸る美女を見ながら、早く敗北を認めてくれと願う。
なまじ颯人の記憶を追体験した俺は神埼美咲の優しさを知っている。悲しい運命を知っている。できることなら、苦しめることなく済ませたかった。
だから、一秒でも早く負けを――。
しかし、彼女は屈しなかった。
「わた……し……は……熾す……者――」
「なんだ……何を言って――」
「外なる……神を……屠る……聖骸――」
「これは……まさか!!」
気がつくのが遅かった。
神埼美咲がつぶやいていたのは何かしらの能力を起動させるための聖句。俺の左目がその理を解き明かして危険を知らせる。
「蒼に……沈み……黒に……泣き……灰に……堕ちて……紅に……魅せられ――」
完成してしまった。完了してしまう。これは終末論。
颯人は言った。世界矛盾だけが能力ではない、と。
では、同じ時を生きて、同じ時間の戦った神埼美咲が、颯人のように世界矛盾以外の力を持っていないとなぜ言える? 逆だ……逆だったのだ。あの炎の翼は世界矛盾によるものではない。
世界矛盾を持つ女性は、一部を除いて総じて魔女と呼ばれる。彼女はなんと呼ばれていた?
――――“左翼の龍姫”あるいは“龍姫”
彼女は魔女ではない。姫なのだ。彼女は世界最後の姫に選ばれた、災厄の申し子だった。
颯人が世界を一度守る権利を持つならば、おそらく彼女は世界を一度終わらせる権利を持つのだ。
その権利を今、行使しようとしている。別の世界矛盾を以て。
そして颯人はこうも言っていた。
俺より強いし、容赦がない、と。
「今……世界は……白紙に…………戻る」
熱量が膨張する。完了してしまった。彼女は今、世界を終わらせる準備を追えてしまったのだ。
激痛に叫ぶ神埼美咲は、己の力で寝返りを打って、天を見上げる。愛おしそうな目を向けて、神埼美咲は天を仰ぐ。
「堕ちろ…………熾天使の……剣…………清濁を……焼き尽くす……生きる……焉燚」
天に見ゆるは虹の炎を猛々しく滾らせる巨大な剣。
それを目にして俺は生唾を飲む。嫌な予感のせいか、それとも膨張した熱量のせいか、汗が止まらない。
俺の左目、《黙示録》がその終末論の名を映す。
その名は……。
「“暁光の焉燚”…………」





