俺が守りたいものは
「――――起き給え、我が親友」
目を覚ます。しかし、覚めたのは意識だけ。俺の体と呼ばれていたものは今、俺の足元に転がっていた。
この感覚は随分と前に感じたものだ。そう、あれは初めて死んだとき。カンナカムイに無慈悲な雷撃を心臓に受けたときの……。
こんな事ができるやつを俺は一人しか知らない。そして、俺を親友と呼ぶ不敵なやつは俺の知る限りあいつしかいない。
「……タナトス」
死神、タナトス。俺を不老不死にし、この戦いに巻き込んだ張本人にしてイタズラ好きの変態。
最近は目にしなかったので、どこかで暇つぶしでもしているのかと思っていたが、こいつはいつだって俺がピンチの時に現れるようなやつだった。そして今、俺は最大のピンチに陥っている。
体は黒い炎に溶かされ、原型が残っているのは左目のみ。あとは醜悪な肉塊のようなものになってしまっていて、ここからの回復は不可能。完全な死亡である。
不老不死を本人以外が殺すには通常二つの方法しかない。
精神を殺すか。殺し続けるか。
俺は後者をされたのだ。黒い炎は絶えることなく燃え続け、俺の体を溶解していく。
俺を意識だけにしたのは、おそらく話すためだろう。
タナトスはいつになく真面目な顔で俺を見ていた。
「常勝の化け物たるものが無様だね」
「言ってろ。そもそも俺をそう仕立てたのはお前だろうが」
「そう。僕だ。君を不老不死モドキにしたのも。君に戦う術を与えたのも。君に《終末論》……今では《黙示録》だったかな。その魔義眼を与えたのも…………総じて僕だった」
すべてタナトスが用意した道筋だった。
俺は何一つとして選択などしてこなかった。目の前で事件が起きて、俺の仲間が襲われて、それで俺は対処する。持ちうるすべての力を持って、俺はそれらに対処してきた。
それが間違いだったのかはわからない。もちろん正しいことだったのかも。
いつか幽王は言った。
借り物の力で救った世界は所詮、借り物の世界だ、と。
そうかもしれない。俺はこれまで、自分の力でどうにかなったことなどなかった。俺が今日、こうしていられるのは俺ではない誰かの力のおかげなのかもしれない。
なら俺は…………俺はどうすればよかったのだ。
見捨てればよかったのか。
正義に屈服すればよかったのか。
幼気な少女を殺せばよかったのか。
誰かの想いを踏みにじればよかったというのか。
違う。
違う。
違う。
違うだろう、御門恭介。お前がやりたかったことは何だった?
「すべて、僕や誰かが用意したものだった。
君が振るう剣は、君の力ではない。
君が望む未来は、決して君が創ったものではない。
それでも…………それを選んだのは君だ。
身に余る力を欲したのも。誰かを守ろうとしたのも。がむしゃらに走り続けたのも。
すべて君が選んだことだ。君が欲した未来だったはずだ」
「俺は……」
守りたかったものなど、思い出せない彼方にある。
モヤのかかるその人は、微笑んでいただろうか。
救おうとした少女は、幸せにいられただろうか。
何の力もない俺がしたことは、本当に正しいことだったのか。
「問おう。君は世界を救いたかったのか? 君は目に入らないすべての人を守りたかったのか?」
「それは……」
「違うだろう? 少なくとも近くで見てきた僕ならわかる。君は誰かを守ろうとしたんじゃない。決して不特定多数の誰かを救おうとしたんじゃない。君は――」
――――目に映る不幸な人に手を差し伸ばしてきたんだ。
「愛するものも。憎いものも。面倒なことも。君は等しく手を差し伸べた。
正しくとも。そうでなくとも。邪悪でも。自業自得でも。君は絶望の渦に飛び込んだ。
悲しむ顔を見たくないと。絶望した表情をさせたくないと。君は分不相応とわかりながら必至に走った。
そして、その都度君は救ってきたんじゃないか。
ここが終着駅なのかい? もう、助ける人はいないと? すでに絶望は払拭されたのかな?
君は――――――――君を救うことができたのかい?」
俺を救う。一体何から…………あぁ、そういえば
俺は願ったんだ。死にたくないと。助けてほしいと。
カンナカムイに殺害されたとき、痛みに耐えかねた俺は心のなかで願ったはずだ。死にたい、でも死にたくないと。
俺が《平等な停滞》を手に入れたのはタナトスのせいなんかではなかったのだ。俺が――俺なんかが分不相応にも願ってしまったのだ。
「……できてない」
「うん?」
「救えてない。全く、全然、これっぽっちも救えてなんかいない。俺はまだ死んでない」
俺は世界を救おうとしたのではない。
俺は誰かを救おうとしたのではない。
俺が本当にしたかったのは…………。
「まだ足りないんだ。少しも足りてない。俺を救うにはこの程度じゃ足りないんだよ」
「そうだね。足りてない。“死ねない”君を殺すも人間に戻すも、どちらもまだ足りていない。君が生み出した世界矛盾はとても厄介だ。なぜなら君に――君自身に死ぬか生きるかを選ばせるのだから」
生きていれば死ぬ。だから死にたい。
死ねばみんなに会えない。だから死にたくない。
俺はまだ決めかねていた。あの日からずっと、俺は生きたいのか、それとも死にたいのかを決めかねている。その答えはあるいは永遠に出ないのかもしれない。もしかすればある人の一言で決まってしまうかもしれない。
それでもその人はまだ現れない。だから、俺は“死ねない”。
「思い出したところでもう一度聞こう、我が親友。君は何を守りたかった?」
もう迷いなどしない。そのことを思い出した今、俺が守りたかったものなんて簡単に出てきてしまう。
俺が守りたかったものは……救いたかったものは、俺自身。俺というものを形成するすべて。生きてもいいと言ってくれるすべての人。死ねと殺意を向けるすべての人。俺を活かし続ける世界そのもの。俺を苦しめる世界という邪悪。
俺に死か生を決めさせるすべての要素を守りたかったんだ。
「直近では、アジ・ダ・ハークかな。あとは神埼美咲だ」
「ふふ。そうでなくては困る。では、《常勝の化け物》、我が親友。君の欲する答えは勝ち続けることでしか得られない。君に負けの二文字は許されない。で、あるならば――」
「勝つさ。勝って、俺は俺の答えを得る。答えを得るまで勝ち続けるよ。いつまでも“生きた死体”なんて状態は嫌だしな」
すべてが吹っ切れた俺の精神は軽い。
目に映るのは勝ち誇る神埼美咲の姿。今回の俺の敵。そして、俺が救わなければならない対象。
やるさ。やってやる。降り注ぐ火の粉は俺の持ちうるすべての力を使って対処する。勝ち続けるためなら、もう手加減はなしだ。
やることが決まり、やらなければならないことも決まった俺に、タナトスはクスクスと笑いながら告げる。
「“生きた死体”か、……人はそれをなんというか知ってるかい?」
「さあ?」
「“ゾンビ”というのさ。ホラー映画なんかでよく出てくる、あのね」
ゾンビ……ゾンビかぁ。
なんか聞こえが悪いなと思った。でも、妙にしっくり来るから困りものだ。
しかし、俺の知るゾンビには意思というものがない。むやみに誰かに危害を加えるような存在だ。ともすればそれは俺に合致しない。
意思があり、目的があり、特別な力があり、目に映る不幸な人を守ろうとする、そんなゾンビがただのゾンビなわけがない。
俺はタナトスを見ながら苦笑する。
「《常勝の化け物》なんて呼ばれてる世界を救うゾンビが、ただのゾンビなわけないだろ?」
「では、君は何だと思うんだい?」
「そーだな……力があって、意思もあって、目的もある。言うなら、“ハイスペックゾンビ”ってところじゃないか」
“ハイスペックゾンビ”。うん。こっちのほうがしっくり来る。まあ、納得はできないけどな。
俺の言葉が面白かったのか、タナトスは笑っている。本当に何を考えているのかわからないが、それでもこいつには感謝しているのだ。俺に選択の余地を与えてくれたこいつには。
そろそろ行かなくては。あまり待たせると、せっかくの美人も逃げてしまう。
笑うタナトスに俺は小さく行ってくると告げて、言葉を紡ぐ。
「――矛盾解消――――終焉を越えて輝け、《顔の無い王》」
次の瞬間、俺は現実で目覚めた。驚く神埼美咲の目の前で。





