君は何を守りたいのか
青い火の粉が舞う。それを生み出しているのは片翼で宙を舞う天女――神埼美咲だった。
その姿を見た者は何者も身動きできなくなる。まるで魅了されたように、拘束されたように、俺達は動けなくなっていた。
「……龍姫」
遥斗と呼ばれた青年が神埼美咲を見ながらそうつぶやく。椿と呼ばれた少女も恐怖するように震え始める。
神埼美咲はそんな二人に何かを言うわけでもなく、右手を翳す。それが攻撃を行う前の行動だととっさに理解した俺は、二人の前に立って両手を広げる。
すると、神埼美咲は首を傾げて問う。
「どうして君が二人を守るのかな?」
「それは……目の前で誰かが殺されるのは、なんか嫌だろ?」
「………………その理由じゃまだ足りないかな」
瞬間、青い炎が弾ける。
俺の背後で悲鳴が聞こえた。振り返ると、右腕を焦がした遥斗が唸っていた。
攻撃されたのだ。だが、一体どうやって。
神埼美咲の世界矛盾は《左翼の龍姫》。その能力はおそらく“一秒を繰り返す”というものだ。
投擲しようとした炎の射線上にいたのに、どうして俺に直撃せずに遥斗のみを焼いたのか。それはきっと……。
「一秒を繰り返す世界に潜ったのか……」
「んー。当たらずとも遠からず、かな」
言って、もう一度右手を翳す。
今度はさせない。俺は左目に意識を落として、全力で神埼美咲を追いかける。
しかし。
「なっ――」
追えない。それどころか、今度は遥斗の左腕が燃え上がる。その炎の色を見て、俺はハッとなる。
その炎は“灰色”に燃えていた。
神埼美咲の背にある炎の翼の色は蒼。決して、灰色ではない。
けれど、遥斗を襲った炎が神埼美咲によるものであるなら、俺はとんでもない勘違いをしていたのかもしれない。
神埼美咲は、本気を一度も魅せてなどいなかった。
その一言が俺の中で繰り返し響く。
そして、ここまで来てようやく俺はこの状況が一大事だと理解して白伊や動ける者に叫ぶ。
「全員逃げろ!! 神埼美咲はまだ――」
俺の叫びも虚しく、遥斗の全身が焼ける。言葉にならない悲鳴が耳を痛めつけ、肉の焼ける嫌な匂い鼻を突く。
炎が鎮圧するや全く動かなくなってしまう遥斗に、椿と白伊が駆け寄る。
「遥斗!!」
「白伊! そいつを連れて離脱しろ!! 一塊になるな!!」
「君は!?」
「俺は――」
無理だとわかっている。
無茶だと理解している。
それでも、彼女の相手は俺にしか務まらない。そう知っているから。
俺は神埼美咲の前に立つ。分不相応に俺は一言を突き出す。
「俺があの人の相手をする」
「…………本気か?」
「ああ。それ以外に道はない」
「……わかった。僕もすぐに戻る。それまで耐えてくれ」
決して一人では戦わせはしない。そういう意志を感じた。けれど、白伊には悪いが戻ってきてほしくはない。邪魔だとかそういうことではなく、ただ無駄死にのように死んでほしくはないから。
だから、白伊が戻ってくるよりも早くに戦いを終わらせよう。そう思った。
白伊は遥斗を担いで、椿とは別方向から逃げていく。
神埼美咲はそれを追おうとすれば追えたはずなのに、追おうとはしなかった。
「……追わないんですか?」
「うん。君を殺したあとでも十分に追えるしね」
「簡単に言ってくれる……」
「だって、簡単だもん。今の君を殺すことなんて」
言うなり、俺の体が発火する。灰色の炎が俺の体を焼いていく。しかし妙だ。熱くない……というよりむしろ。
「冷たい……!?」
「やっぱり、龍の血を浴びた体とは相性が悪いかな」
「でも……じゃあ、なんであいつは――」
肉の焼けた匂いがしたんだ?
その理由は神埼美咲の次の言葉で理解する。
「じゃあ、もう少し力を引き出してみようかな」
翼が増えていく。一枚から二枚、四枚。最終的には颯人と同じ枚数である五枚まで増え、それらの翼はそれぞれ色が違う。
蒼、灰、黒、白、紅。炎を揺らめかせながら、五枚の翼がはためく。
俺は生唾を飲んだ。俺の嫌な予感が正しければ、あの翼にはそれぞれ違う能力が付与されている。そしてそれは……。
「はは……勝てる気がしねぇ」
「言ったでしょ? 今の君なら簡単に殺せるって」
神埼美咲が右手を握ると、俺を包み込むように黒い炎が燃え上がる。それを拭い去るように手を振るが、黒い炎は消える様子がない。動けば動くほどに炎は大きくなっていき、とうとう全身を包まれ、徐々に肉が溶けていく。
熱くも冷たくもない。溶解させる炎。しかも動けば動くほどにその速度を早める凶悪なもの。
すでに俺の回復力を凌駕して体が溶解していく。右腕が落ち、左足も半分以上の肉が溶けてしまった。立つこともままならなくなり膝をつく。
けれど、膝をついてもなお俺は神埼美咲を見ていた。
優雅に舞う天女は、その実人類を終わらせる龍姫。
世界の終わりを憂いて一秒を繰り返す悲しき女王。
俺は彼女に敗北するわけにはいかない。なぜなら、俺は。
「ねえ、御門恭介くん」
「…………」
「聞かせてよ。どうして君は戦うの? 一体何が君を突き動かすの?」
「そ、れは……」
「君は、何を守ろうとしているの?」
また、その質問か。
俺が何を守りたいかなんて、それほど重要なことなのか。何かを理由にしなければ、前に進むことすら許されないのか。
俺はただ、巻き込まれただけだって言うのに。
そんなもの、わかるわけがないじゃないか。
その思いを最後に俺の体は地面に伏せる。どうやら両足が溶けてしまったようだ。もう体を動かすことすら困難だ。ここが限界だったのか。
右目はとろけ、特殊な義眼であったためか溶けるのが遅い左目が最後に捉えたのは――。





