何を守りたかったのか
面倒なことに巻き込まれることが確定してうなだれている間に、天國は何やら用意するものがあるとかで早々にどこかへ行ってしまった。
問題の人物が居なくなったというのに、立ち直る事ができない俺はしばらく体育館でじっとしているとそこに再び見知った顔がやってきてしまう。
「君は本当に不幸に愛されていると言うか、面倒事に巻き込まれるのが好きだね」
「……あんたもその一人なんだけど、自覚ある?」
綺麗な黒髪に端正な顔立ち。無表情が玉に瑕な美少女……もとい齢百歳を超える現役の《最強の人間》、神埼紅覇がそこにいた。
手には身に余る刀を持っていて、控えめに言っても仰々しい。まるで今から怪物と戦いに行くような姿に俺がジト目で答えるや、神埼紅覇は小さく息を吐いた。
「ふぅん。少しは落ち着いたみたいだね」
「落ち着いた……? 何の話だ?」
「………………暴走したことは覚えていないのかな。まあいいや」
まあいいやと言うなら俺も問い詰めることはない。だが、一つだけ言っておきたいことがあったのだ。
神埼紅覇は俺の家に突如として現れた。俺と天國の喧嘩を止めてくれたのは助かったと言わざるを得ないが、それでももう少しやり方があったんじゃないかと思うんだ。
そう、例えば人の心臓を握りつぶすようなやり方をしなくとも――あれ?
疑問が浮かぶ。しかも矛盾のような疑問が。
俺の家で見た最後の記憶には確かに神埼紅覇がいた。しかし、俺の心臓を握りつぶしたやつは俺の背後に居たはずだ。俺の目の前にいた神埼紅覇が一体どうやって俺の心臓を握り潰したんだ?
目の前にいる人物が俺の心臓を背後から握りつぶすなどできるはずもない。なら、俺の知らない人物がもうひとりいた事になる。
しかもそいつはただの人ではない。俺自身も忘れていたが、俺の体はカンナカムイの龍の血を浴びたせいで只人の剣では斬りつけることすら敵わないほどに強化されている。鋼鉄のような体をいとも簡単に貫くなど、普通の人ができるはずがないのだ。
であれば、あのときあの場所に居たのは神埼紅覇と、一体誰だったんだ?
「なあ、俺の心臓を握りつぶしたやつは……」
「……? あぁ、小野寺誠だよ。私一人では《放蕩の剣星》を抑えることはできても、君をも押さえつけることはできなかったからね。手伝ってもらったのさ」
「小野寺……誠……あのいけ好かないイケメンか。不老不死者なら俺の体を貫けるのもうなずけるか」
「…………? 君は何を言っているんだ? 彼は不老不死者ではないよ。不死者ではあるけれどね」
…………いや、アンタこそ何言ってんの?
不老不死者ではない。その言葉が正しいなら、やつは世界矛盾を持たないのか? でも不死者てことはただの人ではないということで……? だー、意味わっかんね。
混乱した頭ではいつまで経っても空回りするだけだ。悩ましいという顔をしていると、刀を置いた神埼紅覇が告げる。
「彼はご当代によって作られた不死者だ。彼の命は……まあ、私の命もなのだけれど……ともあれご当代の命と繋がっていて、ご当代の命が失われない限り生き続ける。だから、正確には不老不死者だけれど、世界矛盾を見つけたわけではないから“不死者”というわけさ」
「……つまりあれか? 緋炎の魔女が生かしてるって認識で合ってるのか?」
「そうなるね」
なんてもんを作ってんだよ、緋炎の魔女。無駄に生きるとこういうことをしでかすのかね。
一歩間違えば颯人に狙われるかもしれないことを聞いてしまった俺は、そのことを末永く心の内にしまい続けようと心がける。
まあ何より疑問が解けてスッキリした俺は、そろそろ心の整理もついたということで長らく重かった体を起こす。
たとえ緋炎の魔女が俺の世界矛盾のように全人類を不老不死にしてしまって、終末論が完成してしまいそうになったとしても、そしてそのせいで颯人に命を狙われたとしても、俺の預かり知らぬ事件だ。
もしも、それで俺に火の粉が飛んできたのなら、俺なりの対処はするつもりだが、自主的に助けることはおそらくしないだろう。
だから、この話はここでお終い。聞かなかったことにするんだ。
知らぬ存ぜぬで平和に生きていたい俺は、神埼紅覇から逃げることを悟られぬように足を進める。
しかし。
「私から君に質問をしてもいいかな?」
「…………何か?」
「そんな嫌そうな顔をするもんじゃないよ。簡単な質問さ。君は、一体何を守ろうとしているのかな」
どこかで聞いたセリフ。
特に最近になって聞くようになったセリフ。
そしてその都度答えが出ないセリフ。
誰を守ろうとしているのか。
そんなの当然……。
「………………」
「答えられないなら、君はこの戦いから降りるべきだ。何を優先して、何を捨てるのかの判断ができない人間が、世界を滅ぼすという幽王なる人物に敵うはずがない」
「なっ、神埼紅覇!?」
俺は初めて神埼紅覇の殺意というものを感じた。
いつ抜かれたのかもわからない刀の切っ先が俺の喉に当てられる。いつぞやの船の上のときとは違う。本気で首を切り落とすという意思を感じる。
とっさのことで俺の背後で話を聞いているだけにとどまっていたみんなの中から悲鳴に似た叫びが聞こえた。けれど、真に迫る空気に誰一人として動くことは叶わなかった。
本気だ。本気の質問なのだ。
どこで間違えたというのだろう。俺はただの高校生のはずで。俺には裕福でなくとも平和な日常が送れるはずだったんだ。
何を間違えたんだろう。俺に特殊な力なんてなくて。俺にはこんなふうに刀で脅されるような特別性なんて微塵もなかったはずだったんだ。
誰を守ろうとしているのか。
わからない。目に映るすべての人が幸せならそれが幸せだと思っていた。
それが間違いだなんて、俺には理解できないのだ。だって、俺は……。
答えの出せない俺に痺れを切らした神埼紅覇が刀の切っ先を首から外した。埒が明かないと判断したのかもしれない。
それは至極真っ当な判断だった。実際、俺にその答えが出せるはずがないのだから。
「もう君に期待はしない。これまでの功績は称えるが、これからもそうやって悩むのなら正直邪魔。今のままならいつか必ず大切な人を失う。そんな人に私の孫娘はあげられない。いつまでも答えが出せないなら、もう君は私達の戦いに関わらないで」
そう言うと神埼紅覇は踵を返して歩き出してしまう。
それを引き止めることは俺にはできなかった。声を出すことすら。
呆然とする俺に、今まで俺と神埼紅覇の会話を聞いていたみんながどう声をかければいいのか悩み始めてしまうのを空気で感じた。
なんだか格好悪いな。そんな割り切れない気持ちだけが俺の中で言葉として成立した。
と、そんなときだった。バッドタイミングで俺のスマホが鳴ったのだ。
その相手は――。





