大体全部読まれない手紙
シリアス回です
家までダッシュで帰ってきた俺は、流石に息が切れていて、玄関に入った瞬間に膝に手をついて肩で息をする。肺か、心臓のあたりが無性に苦しい。それほど懸命に走り抜いてきたのだ。なぜなら、全裸の幼女を抱きかかえていたから……っ。
何度か、おばさまたちの目で心がやられそうになったが、どうにかこうにか家にまで帰ってこれた。しかして、俺の災難はここから始まるのだ。
当初、俺は麻里奈に頼まれて買い物に出かけていた。その先で、黒服と喫茶店でコーヒーを嗜む事になったのだが、俺はまだ買い物を済ませていなかった。もちろん、強盗に襲われた後に買い物をする余裕なかったし、なんだったらそのまま現在に至っている。
つまり、俺は頼まれた用事すら満足に済ませられないで帰ってきたことになるのだ。これを怒らない麻里奈ではない。理由を言ったところで、黒服とコーヒーを飲んでいたなど、言語道断だろう。
はてさて、少し待ったが、俺を怒る相手が一向に姿を現さない。いつもだったら、飛んでくるところなのに、今日に限って来ないとなると、帰りが遅いせいで眠ってしまったのかもしれない。そう思って、俺はまだ疲れの残る体を動かして、リビングへと向かった。その先で、俺は妙なものを目にしてしまう。
「麻里奈~? すまん、買い物は……あれ?」
まず最初に、俺は麻里奈がリビングにいないことに気がついた。リビングに来る途中にトイレとバスルームがあるので、そこに麻里奈がいないことは図らずもわかっている。思い当たるフシと言えば俺の部屋だが、幼馴染だとは言え、本人がいない部屋には入らないだけの暗黙の了解はある。
とするならば、麻里奈はどこへ行ったのだろうか。
ふと、視線をテーブルへと向けると、そこには完成した料理と、それに添えられた少し厚めのある封筒があった。
「……料理の材料足りてるじゃん」
俺の好きな餃子に、光沢のある白米とまだ温かさのある味噌汁。どれも材料が足りていないとは思えない出来栄えだった。一体、何のために俺に買い物へ行かせたのだろうと思えてしまう料理の数々を見た後、俺は封筒に手を伸ばした。
写真束を持ったようなずっしりとした重さ。中身を取り出すと、十数枚ほどの折り畳まれた紙があって、俺はすぐにそれが手紙であることを悟る。
なんだか嫌な予感がして、俺は急いで手紙を広げて目を通していった。
「……なんだよ、これ」
手紙の内容に、俺はそんな言葉を漏らした。
『拝啓
きょーちゃんがこの手紙を見ている頃、きっと私は神々の世界へと旅立っていると思います。
心配しなくても、大丈夫です。私は、神々の世界に出入りすることで、人間でありながら神様たちの世界で生きる事が可能になりました。
私はこれから、神々の世界で目下人間界を脅かしている神様と婚約を結ぶつもりです。その代わりに、人間界への干渉を控えてもらえるという条約まで受け付けてもらえました。
だから、きょーちゃんは戦わなくていいんです。ずっと、平凡な生活を送ってほしい。
私のことは忘れて、何事もなく平和な日常へと帰ってください。
そういえば、今日の晩ごはんの材料が足りないなんて嘘ついてごめんなさい。本当は――』
一枚目の途中で紙を投げ捨てた。
どうしてこうなった? 誰がこんな役目を麻里奈に与えたんだ……?
麻里奈が急にどこかへ行ってしまったという驚きよりも、麻里奈にこんな手紙を書かせたやつが許せなかった。
手紙に書かれている目下人間界を脅かしている神様とは、きっと黒服のことだろう。
拾い上げた手紙にはどことなく丁寧な字で書かれていたのは、俺とのはじめての出会いなどが長々と語られており、どう見ても別れを助長しているようだ。
……気に食わない。
そんな言葉が脳裏を過った。怒りはふつふつと湧き上がり、まだ半分以上残っていた手紙は破り捨てた。勿体無いなどという思いはなかった。そもそも、麻里奈は手紙で関係を終わらせようなんて言うやつではないのだ。これは致し方ない理由があったに違いない。
例えば……そう、喫茶店で別れた後に黒服がアクションを起こしたとか……。だが、それではタイミングが合わない。だとすれば、これは元々決められていたことだったのだろうか。そうであれば、最近麻里奈が修行とか言ってものが、神々の世界への侵入だと考えが着く。
なるほど。つまり、麻里奈は最初から、その他大勢のために命を投げ捨てる覚悟だったわけだ。
「ふっざけんなッッッッ!!!!」
俺は、その場で地団駄を踏んで、怒りを顕にした。それを間近で見ていたダーインスレイヴは、ビクリと体を震わせて、怯えたような目でこちらを見ていた。俺は、それを見て反省し、ダーインスレイヴの頭を優しく撫でると、つぶやくように誰にともなく言う。
「誰かを守るために、自分の命を捨てるのは間違ってるんだ。自己犠牲の美学なんて、そんなのは所詮物語の美しさでしか無いんだよ。物語の英雄と、現実の自分を履き違えちゃいけない。誰かの犠牲の上で成り立つ明日を、人が喜んで受け入れられるわけがないじゃないか」
なおも心配そうに見つめるダーインスレイヴの手を取って、俺は立ち上がった。行く宛はない。探す宛だって有りはしない。手紙の内容が真実であるならば、麻里奈は今神々の世界へと向かったはずだ。追いつくはずもないし、追いついた先で何を言われるかもわかったもんじゃない。
でも、行かなくちゃいけない。自分の命と引き換えに、多くの人々を救おうとする馬鹿な考えの幼馴染の目を覚まさせなければいけないのだ。それで何を言われても良い。罵られようが、嫌われようが関係ない。何より俺は、麻里奈を救う恩がある。いや、もはやこれは義務と言っても過言ではない。
心配ないから来るなって言われて、オメオメとしているつもりなんて無いぞ、麻里奈。お前の幼馴染が、どれだけ面倒なやつなのかを思い出させてやるぜ。
だが、俺にはダーインスレイヴしかいない。しかも、ダーインスレイヴを満足に扱うことができない。魔義眼と呼ばれる左目も、未だ六時間しか経過しておらず、完了まであと六十六時間も残っている。こんな体たらくで本当に大丈夫だろうか。いや……。
俺は左目を閉じて、左手を添える。傍から見れば痛い人間だが、どうにかしたいという思いが今は勝っていたのだ。
こんな時のための魔義眼だろ……!? 定着だなんてかったるいこと言う前に、せめて……せめて、俺の幼馴染くらいどうにかしてくれよ……!!
現状を脱するための祈りが行われた。そして、それは須らく叶うことになる。
左目の暗闇の中に、文字が描かれた。そこには……。
「ハロー……アンダーワールド?」
英語の文字が浮かび上がってきたのだ。その後には、何やら読み込みのようなモーションが行われた後、八%と文字が浮かんでくる。さらに、視線を下へと向けると、そこにこんな言葉が書かれていたのだ。
「定着までの時間を停止させて、限定的に能力を発揮しますか……だって?」
俺の思いに応えるように左目が反応したように感じた。人間だけがつけることができる神様たちの義眼。その全容は全く知られていないとタナトスは言った。ならば、ここで定着の時間を停止させるのは危険なのかもしれない。けれど、限定的とは言え、魔義眼の力無くして、黒服と渡り合うことができるとも思えない。
一か八かの大勝負を仕掛けるしか無い。俺は、定着までの時間を停止させる方を選んだ。すると、左目の視界が徐々に変わっていくのがわかった。そして、その変化の意味も同時に理解した。
俺は、終始心配そうな目で見ていたダーインスレイヴに手を伸ばして、頭を撫でてやる。そうして、もう心配はいらないと告げると、こう続けた。
「行こう、ダーインスレイヴ。麻里奈の馬鹿らしい自己犠牲をぶち壊してやろうぜ」
「は、はい、ますたぁ!」
鏡に写った自分の左目の虹彩が、紫色に輝いているのを見て、こんな自分に平和な世界で行きてほしいと言った麻里奈をやっぱり優しいやつだと思ってしまった。





