正しい心と義の矜持
黒崎美咲……もとい、神埼美咲の放った蒼い太陽は放たれた数秒後には姿を消し去り、さらに当の本人も居なくなっていた。残されたのは状況がわからない人と、全てを見ていた黒崎颯人。そして、船の上で倒れたまま目を覚まさない御門恭介だけだった。
あれから翌日。御門恭介は未だに目を覚まさない。そんな日に黒崎颯人は義姉の黒崎由美とともに緋炎の魔女の下を訪れていた。
「珍しいではないか、黒崎姉弟の方から妾に会いに来るとは」
「聞きたいことがある」
「……よい。すべて答えよう」
「俺が聞きたいのは唯一つ。天災…………御門恭介は一体何者だ」
「…………」
緋炎の魔女は自身の城でもある小野寺誠の家の自室に存在する高級な椅子に深く腰掛け、天井を見上げたまま小さく息を吐いた。
やがて、観念した姿勢を見せた緋炎の魔女は立ち上がり、一通の手紙を引き出しから取って中身を開く。それを一瞥すると、颯人へと渡して再び椅子に腰掛けた。
おそらくその手紙に知りたいことが書かれているのだろうと推測した颯人は、何も怪しむことなく読み進める。すると、そこに書かれていたのは驚愕の事実だった。
「……これはなにかの冗談か?」
「すべて本当のことじゃ。信じられないかもしれないがな」
「これが……真実だと……? じゃあ、俺は……」
颯人の手が震える。どうも颯人の様子が変だと判断した由美も横からその内容を盗み見して、顔をしかめた。
二人が見た手紙の第一文にはこう書かれていた。
不老不死者の遺伝子変化による妊娠不審に関する考察と神崎美咲の遺伝子を利用した人工英雄の制作。
タイトルだけでも苛つきを覚えるが、それ以上に内容は胸糞悪くなるものだった。
不老不死者は人類を逸脱した存在である。そのため、不老不死者には子孫を残せない。考察として人類を逸脱した際に、この世界の生物としての存在を手放したとされ、生殖機能が麻痺して不能になるようだ。
結果としては考察と大差ないものであったが、では逆に生殖機能の麻痺を防げれば子孫を残せるのではないかという提案も上がっている。
しかし、それ以前に不老不死者とは絶大な力を持つことで知られている。また、不老不死者になる者には一つの共通点がある。それは常人とは比べ物にならないほどの自己の意思を持っている。つまり、究極の自己中心的な考えを持っているということになる。
もしも、不老不死者に子孫が残せればあるいはその能力さえも引き継がれるのではないかとこの研究を行った者は考えたようだ。
結局、未だに不老不死者の生殖機能の麻痺を取り払えてはいない。ただ、最初から不老不死になるとわかっている者が現れたらどうだろう。
やがて不老不死者になる者……ここでは神埼美咲がそれに選ばれ、不老不死者になる前に遺伝子を搾取されたらしい。そして、その遺伝子に男の遺伝子をかけ合わせ、不老不死者になる者の血を引く子供を作ることに成功した。
生まれた子供には生まれてすぐに正義の心と悪のすべてを叩き込み、悪の殲滅こそが素晴らしい行為だと信じさせる。そうすれば、不老不死者の血を引く者、要するに自己中心的な性格を持つ子供は深層心理に正義を行わなければならないと思いこむ。
これこそが人工英雄の作り方だった。
そして、その子供の名前は……。
「MIKADOシリーズ……第一人工英雄、名称は神埼美咲の願望で《恭介》…………つまり、あいつは……」
「彼女の息子ということになるな」
颯人は手紙を握りつぶした。そして、緋炎の魔女に怒りの念を撒き散らしながら近づこうとして立ち止まる。颯人が向かうよりも遥かに早くに、黒崎由美が緋炎の魔女をビンタしていたのだ。
黒崎由美の目には涙が流れていた。ビンタをされた緋炎の魔女も、そうされて当然だと少しだけ悲しそうな顔で二人を見ている。
「どうして……こんなことをしたの? ひーちゃんだったら――」
「確かに。この実験は非人道的なものだろう。だが、そうせざるを得なかったのじゃ」
「美咲がコキュートスに囚われていたことは知ってた。理由だって知ってる。だが、お前らしくないぞ。あいつは……日本人だろう?」
「そうじゃ……だからこそ、妾は彼女をコキュートスに落とすのも躊躇った。この実験を行うのも苦肉の策じゃった。じゃが、そうせねばならなかったのだ。ただ、それだけだった」
「何があった?」
颯人でさえも初めて見る姿だった。
緋炎の魔女はいつもの威厳を失いつつある。どこか震えているような、あるいは内心で恐怖と戦っているような。ともかく、今の緋炎の魔女は颯人たちが知る人とまるで違った。
最強の魔女とも呼ばれることがある緋炎の魔女は、一人で地球を滅ぼすことができるほどの能力を持っている。色彩の魔女と評される彼女の姉妹の中でも、トップクラスに危険な能力を持っているのだ。だというのに恐怖している。その存在は一体どのようなものなのだろうか。
椅子に腰掛け、緋炎の魔女は言うかを迷う。そうしているうちに、一人の青年が入室してきた。
「その先は俺が話そう。構わないな、魔女?」
「小野寺誠……そうか。ここはお前の家でもあったな」
「ああ。魔女、ここはあなたの部屋だが少し出ていてくれ」
「そう……しよう。妾は少し買い出しにでも行こうかの」
「そうしてくれ」
重い足取りで緋炎の魔女が部屋を出ていく。
そうして、小野寺誠と颯人、黒崎由美の三人になった部屋で重い一言がくだされる。
「何があったんだ?」
「二十年前、お前が生まれる前に緋炎の魔女を筆頭として蒼穹の魔女を後方支援に加えた総勢二百名の魔女が南極で生まれた、たった一人の魔女と戦争をした」
「まさか、勝敗は……」
「敗北だ。手も足も出せずに圧倒的な力でねじ伏せられた」
「じゃあ、その魔女は今どこにいるんだ?」
「わからない。わかっているのは二つ。一つはその魔女は自分の勝利にも関わらずそれ以降、今日まで姿を見せていないこと。二つ目はその忌々しい魔女の名前だけだ」
「その魔女は……?」
「絶世の魔女。世界初の魔女であり、以降発生する魔女のありとあらゆる能力を扱うことができる万能の力を持つ不老不死者であり、色彩の魔女を作り上げた魔女産みの魔女。そして、世界を渡る最初の不老不死者によって絶命されたはずの存在することがない魔女だ」
無感動に繰り出された言葉に、颯人は息を呑んだ。
知っているのだ、その名前を。その恐ろしさを。かつて、自分のすべてを否定した魔女の名を噛み締めて、颯人は苦笑いした。
「なるほど……あのヤンデレババァが生き返ったのか。そりゃあ、ガキも震えるわけだ。理解した。俺はこれから行くところがあるから失礼する」
「なあ、黒崎颯人。お前はあの絶望をどうやって乗り越えたんだ?」
「…………………………不可能だ。あいつが本気なら、一瞬で世界を終わらせられる。俺には手に負えない。一瞬は一秒に満たないからな」
「ああ、そうか…………あいつを、緋炎の魔女を許してやってくれ。あいつはもう、十分苦しんだはずだから」
答えず颯人は部屋を出る。出た先で、颯人は舌打ちをして玄関へと歩いていく。
わかっていたのだ。緋炎の魔女が苦しんだことくらい。緋炎の魔女は……日巫女は日本の最初の女王で、誰よりもこの国を愛している。そこに生きる民を溺愛している。だから、誰一人死なせようとはしないし、災害を未然に防ごうとさえする。
そんな彼女がこの決断にどれほど苦しんだか考えるまでもない。
ならば、この怒りは一体誰に向ければいいのだろう。誰もが被害者だ。加害者がいるとすれば、それはこんな研究を思いついた人くらいだろう。
行き場のない怒りをふつふつとさせながら、颯人は玄関を出る直前につぶやいた。
「何でもかんでもお前の思う通りになると思うなよ、クズ野郎」
手紙の最後。研究者の名前の明記には《カイン》と書かれていた。





