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美しいバラには棘がある

 神埼美咲はそれがさも当たり前のようにそこに居た。優しげな笑みを浮かべながら、背には美しい蒼い炎の翼を生やして、文字通り視線を釘付けにした彼女は、次に何を望むのか。


「ありえない! 永久凍土であるコキュートスの最下層に封印術式を加えてまで隠蔽したはずじゃ! どうして、その貴様が……」

「え? だって今、コキュートスって無いはずだよね? ほら、クロエちゃん……だっけ? ひーちゃんの妹さんが契約してたカオスの暴走で全壊したでしょ?」


 まるで話がわからないが、どうやらクロエが関わっているようだ。

 俺が持ち得ない情報に戸惑っていると、それを保管するようにそっと由美さんが耳打ちしてくれた。


「コキュートスっていうのは、クロエちゃんを封印していた北極にある牢獄のことね。実はクロエちゃんが契約してたカオスって神様が暴走か、何らかの因果で力を使ってコキュートスを破壊し尽くしちゃったの。まあ、そのせいではやちゃんがきょーちゃんくんと出会うことになったわけだけど」


 なるほどそれは知らなかった。つまるところ、遠い昔に起きた事件の発端はそこが原因だったらしい。はた迷惑なことだが、それよりも問題は他に存在する。

 どうも、そのコキュートスとやらに美咲さんも投獄されていたらしい。しかも封印までされていたようだ。クロエがどういう状況だったかはわからないが、おそらくは同等の処置だろう。加えて、緋炎の魔女の美咲さんを見たときの態度と言葉から考えるに、一筋縄ではいかない話になっているようだ。


「まさか、どさくさに紛れて逃げたとでも言うのか……? じゃが、コキュートスに異変が起きてそう時間が経つ前に黒崎姉弟を調査で送ったはずだ、…………となると」

「うんうん。考えるひーちゃんは可愛いね。でも、答えは出ないと思うよ。だって、ひーちゃんはまだ、幽王に直接あったことが無いんだもん」

「それは……どういうことなのか。ぜひとも聞かせてほしいものじゃな」

「やーだよ。だって、ひーちゃん。私とお話するふりしてまた封印するつもりでしょ?」


 優しい笑みの下では何やら表現しづらい感情がうごめいているように感じた。それは怒りなのか。悲しみなのか。あるいはもっと別の何かなのか。ともあれ、美咲さんは確実に心で笑っていなかった。

 海で出会った美咲さんとどこか雰囲気が違うせいもあって、困惑は未だに晴れない。

 しかし、一つ確かに言えるのは美咲さんが完全に敵として今、目の前に立ちふさがっているということだ。


 そして、俺はもう一つ危惧していた事がある。

 それはこの場に颯人がいるという眼前たる事実だった。

 颯人は美咲さんの夫だ。永遠に守ると約束した仲でもある。それがこうして再開を果たしたとあれば、積もる話もあるかもしれない。けれど、俺は美咲さんに宣言されてしまった。

 美咲さんは颯人を生かすために、幸せにするために世界を終わらせると言ったのだ。


 果たして、颯人はその事実を知って折れずに居られるのか。いいや、それよりも今の颯人は大丈夫なのか。

 しかしながらそれらは杞憂に終わる羽目になる。


「久しぶりだな、美咲」

「……うん。颯人」

「元気……なわけないか。飯は食ってるのか?」

「うん」

「住むところは?」

「あるよ」

「そうか………………その様子だと、この世界では敵同士みたいだな」

「そうみたいだね」

「お前は、世界を終わらせるのか?」

「うん」

「俺の……俺のためにか?」

「うん」


 簡素な会話だった。わかりきっていたというふうな確認をするための会話。

 おそらく、颯人は知っていたのだろう。美咲さんがコキュートスにいることを伝えられていたんだ。でなければ、今この場で出会っていたら確実に緋炎の魔女に掴みかかって居たかもしれない。

 颯人は最初から美咲さんの居場所を知っていた。だけど、助け出そうとはしなかった。その理由はきっと、美咲さん自身に起因するのだろう。


「ごめんね」


 物悲しい声が響く。

 台風の後の静けさのせいもあって、やけに寂しく聞こえたそれは船の上に居たすべての人に届いただろう。

 その一言が一体どれだけの意味を持っているのか予想もできない。敵になったことに対してか、あるいはこんな再会になってしまったことに対してか。それとも他にあるのか。少なくとも俺にはどれが正解なのかわからない。

 だが、颯人には理解できたらしい。故に、カラカラな笑顔で颯人は告げた。


「いいさ。夫婦喧嘩もたまには良いもんだ。やるなら徹底的に。一歩も譲らずに喧嘩しようぜ」

「ふふっ……颯人のそういうところ大好きだよ」

「知ってる。俺も俺のこういうところが大好きだからな」


 きっと、二人にとってこれは本当に夫婦喧嘩なのだろう。意見の対立で世界の行く末を決めるなど、もうとんでもな考え方だけれど、なんだから二人を見るとしっくり来るから笑える。

 いい夫婦とは、おそらくはこういう関係を築ける人たちのことを言うのだ。俺は密かにそう思った。


 けれど、むざむざと喧嘩をさせるほど俺もお人好しではない。しかもそれがイチャラブ危機一髪ともなればなおさらだ。巻き込まれて痛い思いをするなど言語道断だと言えよう。

 だから、俺は場違いだとわかってはいても前に出るしかなかった。


「喧嘩なら他所でしてくれ。できれば別の世界でな」

「そいつァ無理な相談だな」

「うんうん。だって、私達がいるのは今、この場所なんだもん」

「人の迷惑を考えてくれって意味だったんだけどなぁ……」


 クスクスと笑う美咲さんに快活な颯人。どう見ても機嫌がいいと思われる。

 できることならこのまま穏便に話が終わってくれればよかったのだが。残念ながら、この場にいるのは俺達だけではない。それゆえに美咲さんの存在を許せない人だっているのだろう。

 その筆頭が小野寺誠と呼ばれた青年だった。

 青年は右手を突き出して、焦ったような表情で口早に叫ぶ。


「開け、妖精郷の門!! 駆け抜けろ、六番目の獣、絶対王獣の獅子(バシラス・レグルス)――」


 先程俺にやろうとしていたことを実行したらしい小野寺誠の周囲に異様な雰囲気が立ち込める。例えるなら、恐怖を助長する何かが現れたときのような悪寒だ。間違いなく小野寺誠は殺意を持って何かをしたに違いない。

 それを危険だと判断した直感が突発的に体を動かすが、颯人に右肩を掴まれたことで数秒出遅れる。

 何を考えているんだと叫ぼうとするが、それよりも早く颯人が首を横に振る。


「手を出さなくていい」


 その意味はすぐさま理解した。

 俺の目の前に蒼い炎がほとばしる。美しささえ思わせた炎が軽やかに火の粉を散らす。しかしながら、驚くべきはそこだけではない。蒼い炎が大きくなるにつれて、世界の歩みが遅くなっている。

 どうやら美咲さんは颯人と同じような能力を持っているみたいだ。


「世界は無常で、絶望は常に私達の背後で燻ってる。世界に終わりは決まってて、私はいつだって世界の最後を夢に見る」


 世界が停まった。微塵として動きはしない。どうして俺に意識があるのかはわからないが、俺の目の前で美咲さんが停止した世界を悠然と歩いているのが見える。

 どうも颯人に近づいているところを見るに、颯人に何かをしようとしているみたいだ。

 やがて、颯人の腰に手を回した美咲さんが、とても寂しそうにキスをした。そうして、次の瞬間。


「…………っ!!」


 停止した世界で、颯人の心臓をえぐり取った。鮮血が空中で止まる。颯人の表情に動きはない。もちろん、颯人の中では世界が動いていないのだから気がつけるわけもない。

 この停止した世界は颯人の世界矛盾に似て非なるものなのだ。颯人の世界矛盾が一秒を永遠に引き伸ばすものであるのと逆に、美咲さんの世界矛盾は本当の意味で時間を止めるのかもしれない。


 けれど、どうして美咲さんは颯人の心臓を狙ったんだ。今、やらなくちゃいけないのは颯人よりも小野寺誠の対処であるはずなのに。


 つまるところ俺は知らなかったのだ。颯人がどうして美咲さんを愛しているのか。どうして美咲さんが牢獄にいるのを知った上で何も言わなかったのか。

 全ては颯人の心臓に隠されていた。

 颯人の心臓を愛おしそうに見つめる美咲さんはその心臓を片手に収めて上着を大きく剥いだ。するとそこには柔肌ではなく、大きな傷が目に余る白い肌が見えたのだ。

 そして、美咲さんはその傷に沿って自分の肌を裂いていき、やがてその傷の中に心臓を押し込んだ。驚くべきことに、ちらりと見えた限りで美咲さんには心臓がなかった。


「それが……目的……だったんですね」

「ん。やっぱり君は特別なんだね。この世界で動けるのは本来私だけなのに」

「そ、れは……」

「颯人はね。あまりの困難に永遠の一秒の中に引きこもったの。私もその世界に行きたくてね。私は一秒に永遠の蓋をしちゃった。でもそれはね。生きる時間が違うの。静止した世界と停止した世界じゃ、似ているようでまるで違う」


 さらに驚く事があるとすれば、心臓を取り戻した美咲さんの頭上にあまりにも大きい時計が現れたことだ。その時計の針が一秒進んだかと思えば一秒戻っていく。

 これがおそらく美咲さんの能力の全貌なのだ。一秒の行進と後退を繰り返す世界。それは颯人の世界矛盾とはまるで違う。だから、二人は最も近く最も遠い場所でしか会えなかったのかもしれない。


「ごめんね。君を巻き込むつもりはなかったんだよ。ただ、君の成長を見たかったんだ」

「どう……して……」

「ごめん。その理由は言えないの。それを言っちゃうと幽王が怒るから」


 それだけ伝えた美咲さんは青い炎を揺らして空へ飛ぶ。それと同時に体の自由が効くようになり、時間停止の能力が解除されたことがわかる。けれど、それは俺と颯人だけのようだ。他の人やモノ、海の波でさえも動いてはいない。

 だから、颯人は手を出さなくともいいと言ったのだ。こうなることがわかっていたから。

 そして、やっと動けるようになった俺の横で颯人が血反吐を吐いていた。


「がはっ……どうだ? 久しぶりの自分の心臓の感触は」

「うん。颯人の熱が灯ってるよ。ありがとね。私の心臓を匿ってくれて」

「これで対等だな」

「ん。だから、今から始めようよ」


 その言葉を裏付けるように、美咲さんの頭上に時計の代わりに蒼い火球が生成される。その規模はおよそ直径二十メートル。まず間違いなく船を沈める以上の火力を持っていると思われる。

 生唾を飲む俺の横で、颯人が不敵に笑みを浮かべながら俺の背中を叩いた。


「気張れよ、天災へんたい。美咲は俺より強いし容赦がねぇぞ」

「あーもう、夫婦喧嘩なら他所でやれよほんとに!!」


 どうやら、美しいバラには棘があるように、美咲さんにも相当な棘があるようだ。

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