獅子王の行進
蒼穹の魔女の胸に鮮血の花が咲く。心臓が破裂した音も聞こえた。回復能力が低下していると言っても蒼穹の魔女は不老不死者だ。心臓が破裂したとしても本当に命を失うことはない。されど、血を失いすぎれば気絶はする。
勝負など初めから決まっていたのだ。能力を使ったところで、蒼穹の魔女に勝ち目などない。だから、この場の誰もが何もしなかった。
血を流し、心臓を失ってそれでお終い。そのはずだった。
「くっ……がぁ……」
「気絶しないのか。苦しかろうに」
「家族……一人、守れないなら……正義の、力なんて……いらない!!」
床が大きく揺れる。異変に気がついた颯人が外を見ると、息を呑んで蒼穹の魔女を睨む。
「正義の執行者が正義を捨てる……無秩序の力を存分に振るいやがる気か、魔女」
「何を言っている、黒崎義弟。それに、この揺れは……」
「外を見てみろ。お前さんの妹は世界を終わらせるつもりだぞ」
すぐさま外を見た日巫女が目の当たりにしたのは、大荒れの海と何千と墜ちる雷の閃光だった。雲は歪み、風は狂い、うねる空気がやがて超弩級の台風を形成していく。
心臓を失って今にも意識が消え入りそうな蒼穹の魔女が作った文字通り全身全霊の一撃。世界を終わらせる赤道を踏み越える台風。その名は――
「進みなさい……《クオレ・ディ・レオーネ》。正義を捨てて……秩序を砕いて……前へ……前へ!!」
「蒼穹の魔女!」
ついに気を失った蒼穹の魔女は力なくその場に倒れ込む。それを白伊が手錠をされた手でなんとか支える。回復能力が低いせいか、胸に空いた傷が塞がらない。いや、よく見れば回復していない。
そうして、白伊は悟る。
蒼穹の魔女は命を代償にしたのだ、と。
通常、不老不死者は死なず老いないから不老不死者である。それは世界に与えられた呪いの祝福のはずだ。しかし、不老不死者が死ぬことができる抜け道も辛うじて存在する。
それが先日の御門恭介との戦いで使用した短剣であったり、御門恭介が所持するダーインスレイヴの本来の能力であったりするわけだが、その他にも存在する。それは不老不死者が《世界矛盾》を能力としてではなく、理屈として解消することである。
そして、蒼穹の魔女はそれを行った。理屈を持って世界矛盾を解き明かした。
「その回答が……世界の終わりなのか、蒼穹の魔女……君ほど、世界を愛している人はいなかっただろう!? 僕なんかのために君の愛するものを捨てて良いわけがないじゃないか!!」
肩を揺らすが反応はない。半目を開けたまま魂が抜け落ちたような体からは熱が徐々に失われていく。
手錠をされたままの状態で白伊は蒼穹の魔女を抱きしめる。
二度、三度と大きな揺れが起きたかと思えば、鉄を引きちぎる音が耳を攻撃する。どうやら船の天井が段階的に暴風で剥がされているようだ。波も高くなっている。どう考えても《クオレ・ディ・レオーネ》が近づいてきている。
この場で《クオレ・ディ・レオーネ》に対処できる者は三人。黒崎颯人と日巫女、そして小野寺誠である。だが、この三人は《クオレ・ディ・レオーネ》をどうにも出来ないでいた。
理由としては二つ。
一つは《クオレ・ディ・レオーネ》が能力で作られた自然災害であるということ。完全に消し去らなければ何度でも復活するようなものである可能性が高いのだ。
もう一つは足場が悪すぎるのだ。《クオレ・ディ・レオーネ》を完全に消滅させるには確固たる地盤が必要である。しかし、今は船の上で、しかも船は嵐で大きく揺れている。
自然災害を打ち消す強大な力を、間違っても外してはいけないという前提がある今、三人は絶望的な状況に立っていた。
「おい、日巫女。何かいい案は無いのか?」
「この場の全員が死んでもいいなら海を干上がらせることで対処はできるが?」
「アホかバカ! そんなことしたら生き残るのは不老不死者だけだろうが」
「では逆に聞くが、黒崎義弟には何かいい案があるのか?」
「無いから聞いてんだろうが、アホが」
いつものごとく喧嘩を始める二人の仲裁にそっと黒崎由美が入る。
そんな三人を横目に見ながら小野寺誠が窓から外を眺めて、渋い顔をしてみせる。と、そこに神埼紅覇がやってきた。
「貴殿には何かできそうにないの?」
「俺が? 無理無理、それは無理だよ紅覇ちゃん。さすがの俺も全員無事にあのサイズの台風を消し去るなんて出来ないよ」
「犠牲が出ればできるの?」
「もちろん。俺は緋炎の魔女の右腕だからね」
ここに来て、不老不死者ではない麻里奈の存在が邪魔になるなど一体誰が考えただろうか。もしも、麻里奈さえ居なければ、海を干上がらせたり、地形を変える一撃を放つなど、世界レベルの損傷を持って蒼穹の魔女の作り出した世界の終わりを対処できたかもしれない。
三人の一瞬の迷いが最後の防波堤を破壊する。すべての天井が剥がれ落ちた今、雨風が弾丸のように降り注ぐ。
痛みすらある雨に一行は飛ばされないようにするために手近なものにしがみついた。
「くっ……一か八かだ……矛盾解消――――加速して廻れ、《右翼の天使》!!」
五枚の種々の翼が颯人の右背に生える。蒼穹の魔女の世界矛盾に同じく世界矛盾で対抗しようというのだ。そして、生えた翼が颯人の右手へと絡みつき、銀の輝きを強める。
かつての世界で颯人が神ヌアザから受け取った正義の右腕《銀の右腕》の輝きを持って、颯人は《クオレ・ディ・レオーネ》を打ち消そうとするのだ。
「う、おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
そうして放たれる正義の鉄槌は見事《クオレ・ディ・レオーネ》に衝突。しかし、減衰したと思われた《クオレ・ディ・レオーネ》は数秒もなく減衰前よりも勢いを増した。
一部始終を見ていた皆は悟る。これは世界の終わりではない、と。
《銀の右腕》を撃ち終わった颯人は動かなくなった蒼穹の魔女を睨みつけた。
「こいつ……命を賭して、終末論を完成させたのか!?」
「ちぃ! 我ながら厄介な愚妹を持ったものよ! これでは妾も加えた最大火力を撃っても打ち消せるかどうか……」
慌てる二人をよそに、一人の男が揺れる船の上で《クオレ・ディ・レオーネ》に向けて右手をかざす。
小野寺誠は今が危機的状況だと判断して、己が持てる最大火力を持って目の前の脅威に対応しようとしていた。それはこの場の緋炎の魔女以外誰が死んでもいいという考えで、ただ盲目的に。
小野寺誠を中心に空気が異様に揺れ始める。だが。
「……けてくれ」
「ん?」
「助けてくれ、頼む」
「何を言って――」
小野寺誠の注意がそれたことで絶望を振り払う理不尽な一撃は止められた。
助けてくれとつぶやいたのは白伊だ。もうわずかにも感じられない蒼穹の魔女のぬくもりを確かめるように抱きしめる。目には涙が流れ、ひねり出した言葉を復唱する。
一体誰に助けを求めているのか。一瞬、幽王を含む仲間に願ったのかとも考えたが、すぐにその考えは打ち消された。
「助けてくれ、頼む……聞こえているんだろう、御門恭介!! 僕はどうなってもいい。だけど、この子だけは……彼女だけは助けてくれ!!」
およそ考えられないほどに弱りきった白伊の叫びに場にいるすべての人が注目する。敵であった白伊が助けを求めた。白伊はプライドをかなぐり捨てたのだ。
白伊を家族と呼んだ蒼穹の魔女は白伊にとっても家族だったのだ。それはもう彼女のために世界を終わらせてしまおうと思えるほどに大切な家族なのだ。
その生命が今、なくなりつつある。もはや神様にすがりついてでも、胡散臭い宗教にすがってでも助けてほしかったのだ。
《クオレ・ディ・レオーネ》の脅威がとうとう船の上の誰もに襲いかかろうとしていた。小野寺誠でもどうにも出来ないほどに近くに来てしまった脅威に対し、誰もが諦めた時だった。
颯人にしか認知できない感覚が背筋を走る。その予感を探すように振り返って、颯人は笑った。
「にゃろう……」
「ど、どうした、黒崎義弟!?」
「来るぞ……」
「何が!?」
およそゼロコンマ一秒。そこに現れたのは……。
「なんだよ。お前にも、守りたい人はいるんじゃないか」
御門恭介が颯爽とこの場に現れた。そして、何も言わずに御門恭介は風に乗って飛ぶ。その先には今にも飛ばされそうな麻里奈の姿があって。
麻里奈は柱にしがみついているだけで精一杯で、死んでしまうことに恐怖して誰にも気づかれぬまま涙していた。精神的にやられていた時期が半年も続いていたため、好調ではない状態が響いたのか本当に動けなかった。
それを見抜いたわけではないが、御門恭介は麻里奈の側に着地すると、飛ばされないように細心の注意を払って近づき抱き寄せた。
「わっ……え?」
「ただいま、麻里奈。ごめんな、一人にさせちまって」
半年ぶりのぬくもりを麻里奈は覚えていた。突然のことでも麻里奈には理解できたのだ。最愛の人が帰還した。こんな絶望的な状況でもこれほどまでに嬉しいことはない。
色々と言いたいことはあったが、今はすべてを忘れて麻里奈はただこう返す。
「おかえりなさい……きょーちゃん」





