陽炎に揺れる
蒼い炎をはためかせて、空から舞い降りた美女は彼女を待っていた二人に待ちくたびれたと睨まれる。
二人の内、男子のほうが文句を口にした。
「遅いぞ、龍姫」
「ごめんごめん。彼がたまたま近くにいたからちょっかい出してきたんだよ」
「化け物が近くにいるのか? おいおい、大丈夫なのかよ?」
龍姫こと神埼美咲が近くに来ていた御門恭介の存在を教えると、男子は少しだけ焦ったように質問する。それに対して、美咲は首を縦に振って問題がないことを伝える。
しかし、それに安堵する様子は伺えない。むしろ、美咲のことを信用していないと言いたげに疑惑の目が向けられていた。されど、美咲は意にも介さずに保管されていたりんごジュースを取り出すと、ストローを刺して中身を飲み始めた。
美咲にとって、幽王陣営に仲間と呼べる存在はそう多くない。信頼されていないというのもあるが、もっともな理由として、美咲は他人を信用しないのだ。
もちろん美咲が信用していない陣営の仲間の一人にである男子に信用されるはずもなく、上司である幽王による命令のため一緒に行動しているにすぎない。それを知っているからこそ、男子は美咲の考えに疑問を持たずを得ない。
加えて言うなら、男子は考えて行動するような性格ではない。それも相まってか、美咲と男子の間にはとてつもない溝が出来上がりつつあったのだ。
りんごジュースを飲み終わった美咲が、大人げないと反省しつつ、考えることが得意ではない男子に声をかける。
「遥斗くん。白伊くんが気になるのはわかるけど、今日の私たちの目的は――」
「わかってる。白伊のやつを救い出すのが目的じゃない。俺たちをあまり子供扱いするな」
「……そっか。でも、助け出せるならそれに越したことはないよ? 別に私は助けないとは言ってないわけだし」
「あんたは優しすぎる。俺たちは悪だ。敵に捕まれば極刑は免れない。それを承知で俺たちは集まってるはずだ。それを理解して世界に挑戦していたはずだ。だから、たとえ敵に捕まったとしてもそれはそいつの落ち度だ。助ける助けないじゃない。俺たちは目的を達するための一手を指し続けなくちゃいけないんだ」
そうは言うが、内心では今の言葉の逆を考えているであろう男子――遥斗を見て、美咲は苦笑いする。
どれだけ大人な考えを語ろうと、心は未だに子供から脱せられはしない。むしろ、心が大人になっている人間がどれほどいるだろう。頭では確かに理解しているのだ。こうすればいいという理想を頭ではちゃんとわかっている。
されど、それを実現できる人間はそういない。それこそ、偉人に名を残すような人物でもなければ。
世界はつくづく残酷だ。ただの人間でありながら、ただの人間でない者を守るために世界に挑戦しなくてはならないとは。しかも、立場は誰もが認める悪である。理不尽とはおそらく彼らのためにある言葉だろう。
しかしながら、彼が言うことは正しい。正しいがゆえに解せない。美咲は絶対的な正しさの恐ろしさをよくよく知っている。
二人を連れて廃屋へと侵入してから振り返って美咲は問う。
「じゃあ遥斗くんは、白伊くんを助けてほしくないんだ?」
「……そうは言ってない」
「今は幽王も他の構成員もいないんだから、本音を言ってごらん。私は怒らないよ?」
「………………」
信用ならない。そういう顔だった。
困ったように頬を掻く美咲に、黙って見つめるだけの遥斗の代わりに後ろで控えていた女の子がひょいと現れて言った。
「助けてほしい」
「おい、椿――」
「うんうん。素直な子は可愛くて好きだよ。じゃあ、助けに行こうか」
「ま、待て、龍姫! 俺たちの作戦は――」
「私が決めた。私が願った。そして、私が誓う。ならもう、作戦もへったくれもないよ。白伊くんは助ける。作戦も成功させる。私は君たちを信用しないけれど、君たちを仲間だとは思ってるよ。だから、助けてあげたいの」
「んな出鱈目な……」
「知らないの? お姫様はワガママなんだよ」
ウインクを魅せて、美咲は振り返る。
ホワイトボードに作戦の始終が書かれているが、それを一瞥するや、美咲は作戦の一部を消し去って、ペンを片手に書き込みを開始する。
美咲にとって、今回の作戦は容易のものだった。そして、白伊を助けるのもあるいは簡単なことなのかもしれない。だが、不安要素は存在する。
目下未知数の力を持ちうる御門恭介。彼が今回の作戦に現れるか否かで作戦の難度は天と地ほどの差が開くと考えられる。されど、美咲はそれすらも些末なものだと考えていた。実際、実物を目にした美咲にはわかる。御門恭介が、言われるほどに強大な壁に成長していないことを。
故に、美咲は微笑んでいられるのだ。
美咲が作戦を改定している間に、二人はどこかへと去ってしまう。おそらくは作戦が出来上がるまでの暇を潰すのだろう。それはそれで構わないと思って、美咲は特に何も言いはしない。
ただし、この部屋に居た、もうひとりはそれを許すかどうかは甚だ疑問ではあるが。
陽炎のように揺れる影は初めからそこにいた。会話の始終を聞き漏らさずに佇み、全てを終えてからその存在を大きくさせる。
すると、美咲もようやくその存在に気がついたようで、少しだけ驚いた顔を見せるが、すぐにいつもの顔に戻って失敗したと苦笑いを見せた。
「ありゃりゃ、居たんだ。もしかして、全部見られちゃった?」
「問題ない」
現れたのは幽王その人だった。
何が問題ないのかはわからないが、きっと幽王にとって先程の会話は特別な意味を持たないということだろう。つまり、美咲は晴れて自由行動を認められたことになる。
自由行動自体に特には喜びを得られなかった。なぜなら、美咲にはさらなる自由が欲しかったから。
そのことを知ってか知らずか、幽王は次にこう問うた。
「あいつらは……どうだ?」
「御門恭介くんのこと? それともアジ・ダ・ハークのこと?」
「アジ・ダ・ハークだ。頭脳である白伊が捕らえられた今、実際にあいつらを起用して十分な戦力になるのか?」
「……本音を言えば、難しいだろうね。でも、君はそんな彼らを守ってあげたいんでしょ?」
「…………」
返事はない。が、それを肯定と捉えた美咲は微笑んだ。
幽王は御門恭介らから見れば残虐非道にほかならないのだろう。されど、美咲から見れば、誰よりも他人に優しい人に見える。本人はそれを否定するだろうが。
だから、幽王が迷っていることがわかってしまう。
その迷いは命取りだ。兎角、この絶対悪となった今では。
美咲は幽王の仮面に触れる。ひんやりとした鉄の感触が手に伝わるが、仮面の頬を撫でるように手を下げる。その間、幽王は動じるどころか身動きすらしなかった。
憂うように見つめ、美咲は最後には困ったように笑う。そうすると、幽王は振り返り、小さく言葉をつぶやいた。
「あいつらの処分は任せた。後はあなたのやりたいようにやればいい」
美咲からの返事を待たずに、幽王は再び陽炎のように揺れて消えてなくなってしまう。
それを最後まで見ていた美咲は、幽王の背を見てとうとうやることを決めたのだ。作戦は改定され、目標が一つから二つへと増えた。
作戦の難易度は最高まで上がったことだろう。しかし、美咲は笑っていた。
なぜなら、美咲は本当に欲しい自由を手に入れられたのだから。





