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父の影

 麻里奈にとってとても久方ぶりのまともな食事がよもや分厚いサーロインステーキになるとは思いもしなかっただろう。

 見るからに五百グラムはあろうかという分厚いステーキを差し出され、まさか自分の分と間違えたのではないかと思えてしまう。それ以前にどうしてそんな高価な牛肉が裕福ではない普通の家庭の冷蔵庫にあるのかが不思議で仕方ない。

 颯人が肉を用意していないと考えれば、おそらくはカンナカムイが麻里奈に良いものを食べさせようと用意したものだろう。結局それを口にしようとしなかったがゆえに恭介の家の冷蔵庫に保管されていたのだと思われる。

 そんなものを躊躇も許可もなく調理し始めた颯人はやはり豪胆と言わざるを得ない。加えて、麻里奈がそんなにも暴食に見えるまなこをえぐり取ってしまいたいとさえ麻里奈は思っていた。


 しかし、その考えはすぐに消え去る。


 麻里奈のステーキを渡した颯人が次に自分の分の昼食を焼き始める。その量、目分量で一キロ。冷蔵庫に用意されていた肉の全てを使用した途方も無く分厚い肉の塊である。

 家庭用ガスコンロの限界に挑戦するがごとき調理に、さしもの麻里奈も唖然としてしまう。もしも、この場に恭介が居たのなら、大声で壊れるからやめろと叫んでいたに違いない。まあ、その場合、前提として颯人が恭介の自宅で料理をするようなことにはならないのだが。


「どうした。先に食べてていいぞ?」

「え、あ、うん……」


 先に食べても良いとは、きっと言葉通りなのだろう。颯人は善意で言ったに違いない。むしろ、食の細くなった女の子でも五百グラムの肉塊など食べれて当然とさえ思っているようだ。

 ゴクリと、麻里奈は生唾を飲む。確かにうまそうなのだが、それ以上に食べきれるかというところで脂汗が流れる。

 テーブルに並ぶ肉肉しいサーロイン。意を決した麻里奈がナイフとフォークを手にとり肉に刃を入れる。


「…………」


 フォークで取った肉の一切れを持ち上げ、嫌なくらいに滴る油にしかめっ面をしながら口の中へと頬張る。数回噛んだ後、口の中で肉が解けていく感覚でいっぱいになる。

 美味しい。柚子胡椒を混ぜた醤油が絡む肉は油っぽさを多少は軽減してくれる。けれど、それでも十分ではない。まして、半年まともな食事をしていない麻里奈には我慢ならないほどに。

 されど、せっかく作ってくれたものを食べきれないとは言えない。我慢して食べようともう一切れを口の中へと放り込んだ。


「おうおう。なかなかいけるじゃないか、神埼麻里奈」

「んっ……呼び方」

「あん?」

「その呼び方やめてよ。あぁでも、生徒会長っていうのもやめて」

「そうさな……」


 ずっと気になっていた麻里奈を呼ぶ颯人の呼び方を注意する。別に麻里奈はフルネームで呼ばれるのが嫌なのではない。颯人に……ひいては浅からぬ仲の知り合いにそう呼ばれるのが嫌なのだ。

 焼きたての肉を載せた皿をテーブルに置いて、考えるためにいつものように手を顎に当てる。

 そして、何やら思いついたようにフィンガースナップを鳴らし、軽快な笑みで言う。


「麻里奈……でいいか? 神埼ってのは生憎と紅覇と混同しやすいからな。それが嫌ならご当主になるが?」

「ご当主はやめて……麻里奈でいいよ」

「そうかい。じっとしてろ麻里奈」

「え?」


 百歩譲った形で名前の呼び方が確定するや、颯人が麻里奈に右手を伸ばす。

 その憂うような目が、どうにも嫌な雰囲気だったから警戒してしまうが、唇の少しした辺りを撫でられて、体がこわばってしまう。

 どうやら口元にソースが付いていたらしい。それを拭ってくれた颯人は、指についたソースを舐め取った。


「ぁ……」

「おっちょこちょいだな、お前さん。頬張るのもいいが……ん? どうした?」

「い、いや、なんでもない!」


 頬を赤らめた麻里奈の真意を汲み取れない颯人が首を傾げているが、麻里奈は口に出すことが出来ない。よもや、先程の颯人の姿が格好良かったから見とれてしまったなど、口が裂けても。

 颯人の麻里奈へするすべての行為は孫の世話をするようなものなのだろう。だからなのかはわからないが、やること全てが大胆なのだ。だから、ドキッとしてしまう。

 フルフルと首を振って、麻里奈は意識をはっきりさせる。自分が本当に好きな相手は誰なのか。それをはっきりさせるために。

 雑念を拭い去るために無心でサーロインステーキを貪るが、半分まで差し掛かったところで一気に油のボディープレスが効いてきた。ムカムカする感覚と、吐き気に似た何かがこれ以上のサーロインを拒否する。

 だが、無心で食べ続けるでもなければ、麻里奈の中で想いが爆発する。どうするか悩みに悩んでいると、クスクスと笑う颯人が一杯の飲み物を提供してきた。


「ほら」

「……なにこれ」

「いいから飲んでみろ」

「…………?」


 言われるがままに飲んでみる。レモンの香りと仄かな酸味にフルーツ系の甘さがする飲み物だった。しかも、氷で冷やされていて非常に飲みやすい。

 それを一気に飲み干すと、先程までのムカムカが嘘のようになくなっていた。


 颯人は麻里奈が半年もの間、まともな食事をしていないことを知っていた。というよりも、これ以上そのような生活が続くのを防ぐのも兼ねて訪問したのだ。カンナカムイの嘆きにも似た話を聞いていたから恭介の家の冷蔵庫に何があるのかもある程度把握していた。

 つまりは麻里奈に元気になってもらうためにやってきていたのだ。

 終始それを言わないのは、こっ恥ずかしいのと麻里奈をプライドの非常に高い女の子だと思っていたからだ。


「俺にも……」

「なに?」

「いや……俺にも娘がいればお前さんのような子になるのかと思ってな」

「…………居なかったの?」

「あぁ。…………いや、居た。すぐに別れちまったがな」


 その理由は聞くべきではない。颯人は幾千幾万の世界の終わりを見てきた唯一の不老不死だ。つまりはそういうことになる。

 颯人は決して面倒見の悪いやつではない。むしろその逆。面倒見が良すぎる。

 不老不死という特性上、長い時の中で颯人はこれまで何千人もの報われない子どもたちを引き取り育ててきた。確かに、子育てがうまかったわけではない。それでも家を与え、温かいご飯と仮初の家族を与え、何不自由なく育てた。

 その全てが社会で成功している。清廉潔白の由緒正しい人物となり、世界各地で今でもその血は受け継がれているのだ。

 だから、颯人の血を次ぐ子供が居たのなら、その子は……。


「きっと、私よりも優しくていい子になると思うよ」

「あぁん?」

「口は悪そうだけどね」

「るっせぇ。あいつの子供なんだから、お前さんより可愛いし優しいしいい子に決まってるだろうが」

「あ、あはは……」


 あいつ、というのが颯人が追い求める運命の相手であるのなら、颯人は本当に彼女が好きなのだろう。愛しすぎていると言っても過言ではない。

 少しだけ憧れるが、それを口にはしない。負けた気がするからだ。


 ああ、少しだけ会いたくなった。


 麻里奈は心のなかで彼の帰りを待つ。今はどこにいるかもわからない、世界で最も若い不老不死者を。

 憂いた空気の中、再び颯人が麻里奈の顔に手をのばす。今度は頬に触れ、撫でるようにさすった。

 一体何事かと思っていると、颯人は微笑む。


「少しは元気になったか?」

「…………っ! さ、最初から元気だし!」

「そうかい。そいつは重畳ちょうじょう。そいつを食い終わったら裁判に向かうぞ」

「わかってる……って、颯人くんのは?」

「あん? 食べ終わってるに決まってるだろ?」


 一体いつの間に。

 見れば颯人の皿には一キロの肉はおろか、ソースすら残されてはいない。きれいに食べ切られた姿を見て、麻里奈は目玉が飛び出そうなほどに驚いた。

 そして、颯人の顔を見直すと、どうだと自慢げな顔が目に映る。

 けれど、その目にはお前の負けだというような感情も見て取れて、麻里奈の負けず嫌いに火が付いた。急ピッチで肉にかぶりつく麻里奈だが、許容オーバーの量を口に放り込んだせいで咳き込んでしまう。


「ゆっくり食えよ。何だったら食べさせてやろうか?」

「結構です!」

「そいつァ残念。天災にあとで麻里奈の初体験は頂いたって言おうと思ったのに」

「とんでもないことを言うのやめてくれる!?」


 やははと笑う颯人を尻目に、麻里奈は呆れながらゆっくりと肉を楽しむことにした。

 その様子を見る颯人の眼差しは、少しだけ父親のそれで。不覚にも麻里奈は今はいない父親の影を颯人に重ねてしまうのだった。

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