英雄は何処
四方八方全てが真っ白で統一された世界を俺はよく知っている。
そこでは現実の時間の約百分の一で時が進み、食事も睡眠も必要としない。そして、そこには一人の神だけが存在していた。
「結局、私を使うような事態にはならなかったね。それは私としても喜ばしいことだよ。できることなら、私も私を使ってほしくはないからね」
「…………そうでもないさ。実際危なかった。俺が前の戦いで勝てたのは奇跡に近い」
「だとしてもだよ。君は自分の殻を破って敵を撃退した。つまりは今の君こそが君本来の君ということだ。それが全力だと言っても過言ではない」
真っ白な世界に燕尾服を着込んだ初老の老人がまるで初めから用意されていたように思えるテーブルに腰掛け、カップを傾けていた。
彼の名前はカオス。かつて世界を飲み込もうとして俺と対峙し、敗北を期して左目の住人になった原初の神である。今の彼は神というよりは終末論として存在を確立している。そして、俺は終末論を武器にする。故に、彼は終始自身をモノのように例えるのだろう。
しかし、時間が経つに連れ、俺の中でカオスの存在は終末論の一説から一個の存在へと変わっていた。
先日のアジ・ダ・ハークとの戦いを終え、俺はクロエに会いに行こうとした。目的はもう一度力を貸してもらえないかと打診するため。加えて、クロエを守るという約束を今度こそ果たすためだった。
けれど、左目の力をフル活用してもクロエの存在を見えなかった。《黙示録》によれば、クロエは己が存在を隠しているそうで、探知は不可能と結果が出てしまった。
無策で探すのもよかったのだが、黒崎双子がツテがあると言うので連れて行ってもらうことにした。
そういう経緯があって、俺は今どういうわけか豪華客船……もとい移動要塞《晴天》のVIP席で眠り、真っ白な世界でカオスと約五十年ほど修行と称した談話を楽しんでいた。
昔を懐かしむように会話をしていたのだが、腕時計を見たカオスが小さく息を吐いた。
どうやら時間らしい。というのも、カオスとの修行は現実時間にして半年を目処にしていたからだ。半年という数字は、望月静香……元凄腕養護教諭の見立てにより容態が急変したアジ・ダ・ハークの構成員の一人である白伊の意識が戻るのがそれくらいだろうということだったからである。
クロエも見つからない中、無為に時間を過ごす暇もないと修行を始めたのだが、本当に強くなったのかは疑問である。
その不安を読み取られたのか、カオスがカップをテーブルに置いて話し出す。
「君は強くなった。いや、強くならざるを得なかった。限界を迎えた君の体はこれ以上自力では強くはなれない。そのために私がいる」
「……遠回しな言い方はあいつと一緒なのな」
「なに、時が来ればわかるさ。そのための五十年だ」
言うことはなにもない。そういう意味も込めて、カオスはカップを口に持っていき傾ける。
五十年。俺はただカオスと話をしていただけ。
たったそれだけで本当に強くなれるのだろうか。
俺の体はすでに引き出せるすべての力を引き出しているとのことだ。与えられた死ねない体は《世界矛盾》の《顔の無い王》へ変わり、《終末論》は《黙示録》へと変わった。俺の持ちうる力はこれ以上強くはなれない。
だが、《幽王》の戦力はこれ以上だ。そうだと五十年の月日の中で聞いた。だから、このままでは勝てない。それでも諦めきれないのなら、どうすればいいか。
結局、その答えは出なかった。でも大丈夫だと、カオスはさきほど言ったのだ。
信じるしか無い。たとえタナトスと同じ血が通っていようとも、信じきれないなどということはないのだから。
というか、信じないと打開策がない今、どうしようもないのだ。
「てか、俺はできるなら戦わないで済めばいいと思ってるんだけどなぁ」
「それは無理な話だろう。かの者の思想は君に酷似するが、かの者の方法は君とは正反対なのだから。相容れぬ存在だ。どちらかが折れねばダメなんだよ」
「みんなが幸せなら、俺が折れてもいいんだけどさ。どうもそういうわけでもなさそうなんだよ」
「ならば?」
「やるしかないだろ。決まってる。そのための五十年だ。そうだろ?」
ニィッと。三日月のように頬を釣り上げて笑うカオス。そういうところは本当にタナトスに似ていた。
カオスがどうして俺の味方をするのかはわからない。気まぐれか、あるいはクロエが俺の味方になったからか。はたまた別の理由があるのか。
どちらにせよ、俺の力がこれ以上向上しないのなら、外から蓄えるしか無い。幸いにも俺には《黙示録》という終末論を蒐集する左目がある。それに、強化されたおかげで性能も数段階強化されているようだ。
時間も頃合いということで、俺はカオスに別れの挨拶を済ませる。
「じゃあ、俺は行くよ。と言っても起きるだけだけどな」
「それでも十分別れにはなるよ。なにせ、私はまだこの世界から出られないんだからね」
「それじゃあ」
「ああ、良い終末を。出来得るなら、君に最上の幸運があらんことを」
目を閉じる。意識が遠くなり、やがては重くなる。目を覚ますと、そこはさきほどまでの真っ白な世界ではない。明かりがあり、色があり、そして俺の体を心配する双子と美女の姿があった。
現実に戻ってきた。そう実感するには充分なだるさだ。
「おはよ、せんぱい」
「おはよ~なのですよ~」
「本当に半年も眠り続けるなんて……体は大丈夫?」
実質寝たきりになっていた俺の体はだるさと重さとで不満が多い。けれど、それも数秒の間の話だ。
枯れた声でつぶやく。
――矛盾解消……終焉を超えて輝け、《顔の無い王》、と。
するとどうだ。点滴のみで永らえた痩せこけた体に肉が戻っていく。色味も、声帯も、不調という不調の尽くが回復していく。
数秒で半年前の体に戻った俺は、景気よく起き上がった。
けれど、その様子を見ていた三人は驚愕と呆れで頭を抱えてしまっていた。
「いやぁ、さすがにせんぱい……それは……」
「もう化け物ですよね~……」
「私の立場よ。養護教諭……もう必要ないわよね?」
失敬な。なら死にそうなまま過ごせというのか。
けれどまあ、こういう反応になるのも頷ける。死にながらに生き続ける、まるでゾンビみたいな存在の俺だが、果ては超回復まで手に入れてしまったら目も当てられない。
ほんと、俺が悪人だったらタナトスはどうするつもりだったのだろう。きっと、悪人だったならこの力を使って大暴れするぞ。
そのときはおそらく颯人に駆逐されるだろうが。
そんなつまらないもしもを考えながら、俺は自分が今いる場所の把握から始めた。
床が異様に揺れる。船に乗った経験はさほどないが、俺の知る巨大豪華客船は微振動すら無かった。それにさきほどからずっと聞こえるエンジン音のようなものは一体。
疑問に思っていると、黒崎実が簡潔に説明してくれた。
「今、日本に向かってるの」
「……日本?」
「そ。アオちゃんが数日前に急に居なくなっちゃってね。それを探してくれって頼まれたんだ」
アオちゃんとは豪華客船の所有者にして艦長の女の子である。
引きこもり体質であると聞いている彼女が居なくなるのは珍しいことらしい。でなければ、探せなど客人である俺たちに言いはしないだろう。
それにしてもどうして日本……?
疑問は尽きないが、タイミング的には丁度いいだろう。あれから半年、そろそろ白伊のやつも目覚める頃だ。それに、そろそろ姿を見せないと麻里奈に本気で殺されそうで怖い。
疑問と期待と恐怖と不安が入り交じる中、俺はまだ日本で起きている惨状を知る由はなかった。





