希望は未だ絶えず
誰も救えなかった。
何も守れなかった。
全て無駄になった。
救おうとした人はこぼれ落ちるように死んでいき、守りたかったものは有無を言わさず破壊され、自己満足の努力は水の泡への変貌した。
所詮は出来すぎた日常だったのだ、と。どこかの神が言った。
結局はなるようにしかならないんだ、と。不老不死の少年は肩を落とした。
大丈夫。
そんな心を縛り付けるような優しさを幾度となく味わった。
心配ない。
消えゆく命の最後の灯火は決して誰かを責めたりはしなかった。
さようなら。
その言葉に置いていかれる気持ちばかりが積み重なっていく日々だった。
うんざりだ。
もう誰かを失うわけにはいかない。そう心に決めて、かの者は顔を隠した。
長い長い、悠久の時を歩む夢の物語の始まりである。
「おはよう」
ベッドに横たわり、静かに少女は告げた。その言葉に返事が来ないことを理解した上で。
彼女の名前は神埼麻里奈。神埼家に生まれ落ち、多彩なる才能を持ち合わせる彼女はやがては歴代最強の称号を次ぐであろうと先代――神埼紅覇から言われ続けていた。
そんな麻里奈は今日日、堕ちるに堕ちた生活をしていた。それもこれも話はすべて半年前に至る。
御門恭介が居なくなってから半年が経った。
一時は大勢が出入りするある程度にぎやかな家だったのに、今では麻里奈とカンナカムイしか出入りしない寂しい場所になっていた。
さらに、今では麻里奈は学生でもなく、神埼家当主の引き継ぎも終わりを迎えてほとんど何もすることがないため家から――ひいては部屋から出ない生活を続けていた。
それを見かねたカンナカムイが何度か部屋から出そうと策謀したが、あえなく失敗。あわや麻里奈を不眠症にまで至らしめた。
目の下のクマをそのままに、あまり回っていない頭で麻里奈はスマホを手に取る。充電を忘れていたようで画面が点かない。部屋に置かれていた時計も最後に時刻を合わせたのが不明のため合っているかどうかも怪しい。
しかし、その時計を信じるのであれば、現在時刻は優に正午を超えていた。
普段の――半年よりも前の――麻里奈であればこれほどの寝坊はまずありえないだろう。そして、寝坊したと理解すれば、飛び起きて階段を駆け下り、リビングでお腹を空かせているであろう人のためにキッチンに向かうはずだ。
だが、どれほどお腹が空こうと、もうこの家には自分以外に人はいない。人が居ないのであれば、もうご飯など作る必要もない。
端的に言えば、麻里奈はうつ病になった。
しかも大分重い症状が出ていると聞かされた。原因はおそらく愛していた男の子に見捨てられた、あるいは置いていかれたことへの悲しみ。それから全く連絡が取れず、その男の子が無事なのかもわからないという状況からくる不安。
急に一人になり、学生から日本を担う長になったことが重なって、心が重圧に耐えきれなかったらしい。
小さく息を吐いて、麻里奈は手に取ったスマホを放り投げた。
窓から差し込む日光が顔にあたってうるさい。それから逃れるために寝返りをうつが上手く逃げられなかった。
やがて階段を上がる音が聞こえる。ハッともしもに期待して麻里奈の目が光り輝いた。
果たして、ドアを開いた人物を見て、麻里奈は世界が与えた絶望に再び心が折れてしまう。
「おいおい。堕ちるところまで堕ちると聖女様もこうなっちまうのかね」
「………………………………颯人、くん?」
「おうとも。完全無欠に黒崎颯人様だぜ、っと。そっちも元気そう……でもないが、まあお互い生きてて良かったな」
はつらつとした笑みは健在で、黒崎颯人は玄関の呼び鈴も、さらにはドアのノックすらせずに上がりこんできていた。
一体何をしにやってきたのだろう。この家にはもう、黒崎颯人が認めた男の子はいないというのに。
警戒すらせずに、麻里奈は何の気になしに颯人の方に耳を傾けていた。ただし、体は更に重くだるくなっていく。きっと、期待しすぎたせいだろう。
そうこうしているうちに颯人の話は進んでいて、快活な話し方は生気のない麻里奈にはとてもじゃないが追いつけなかった。
しかし、どうも話についてきていないと悟った颯人が、頬をかきながら少し考える。そうして、何やら思いついたようにポケットからスマホを取り出すやどこかへ電話をつないだ。
そして、そのスマホを麻里奈に向けて投げると、麻里奈はクエスチョンマークを浮かべつつ颯人に問う。
「なに?」
「いいから出てみな」
「…………?」
『もしもしお兄ちゃん? なにー、今コッチは忙しいんだけどー』
電話相手は若い女の子の声だった。
どこかでこんな声を聞いた覚えがある。確か、黒崎穂、あるいは実と言ったはずだ、と。回らない頭で理解する。
加えて、恭介が居なくなった頃にちょうど黒崎双子と望月養護教諭が居なくなったことを思い出して目を見開いた。そのままの勢いで颯人を見ると、颯人はにんまりと笑いながら首を縦に振る。
恭介についていったと思われていた黒崎双子が生きていた。これはあるいはそういうことなのかも知れない。逸る気持ちが麻里奈の口を動かした。
「きょ、きょーちゃんは!?」
『でさー、今から飛行機に――あれ、女の人の声……うわやば、せんぱいのお嫁さんだ!!』
ぷつんと電話が切られた。
確認できなかったが間違いない。恭介は生きている。そして、麻里奈は見捨てられてなどいなかった。
その二つが知れたことにより、麻里奈に気力が戻ってきた。
様子を見ていた颯人は元気を取り戻しつつある麻里奈に一通の手紙を渡した。それが元からの目的だったみたいで、さっそくその手紙について説明しようとするが。
「そいつは――」
「出てって」
「は? おいおい。せっかく朗報を伝えてやったんだ。少しは俺の仕事にも――」
「着替えるから出てってって言ってるの」
気力が戻り、今更ながらに麻里奈は自分の格好を思い出す。
麻里奈は布団に入る際は服を身に着けない。所謂裸族と言われる類だ。例に漏れず最近も服を身に着けず布団に寝ていた。先程までは究極的にやる気が起きずに全裸であることすら忘れていたが、今は別だ。
だが、それを最初からわかっていたであろう颯人はその言葉を聞いても首を傾げてしまう。
「何言ってんだ? ガキの裸見たくらいで興奮するとでも――」
「いいから出てけ、このおじいちゃん!!」
《神殺しの一矢》あるいは《破神の弓》と呼ばれる麻里奈が持ちうる最高の武具を手に取ったところで颯人は渋々部屋から出ていった。
出ていったのを確認してから、麻里奈は着替えを始める。体はまだ十分に重い。やる気だって回復したとはいえ充分ではない。けれど、麻里奈は立ち上がらなければならなかった。
なぜなら、颯人が持ってきた手紙には、神埼家の家紋が記されていたから。





