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5 好きな男の子はいないのですか


 弟の哲平が外で遊びたいと言い出した。いつまでもチェスで遊ぶのは飽きたらしい。私もその話には賛成なのだけど、マキは外に出ることを禁じられていた。彼女が掃除や洗濯ができるのは、あらかじめ家の間取りをインプットしているからだ。外に出るといろいろな刺激がセンサーに引っかかるだろうし、何よりマキ自身が危険になる。

「じゃ、父さんに頼んでみれば?」

「ダメなんだって。父さんが一緒についていっても難しいって。借りものだから」

 私はマキを見つめた。確かに外には出てみたいけど、マキが壊れるのはこわい。きっと少し前までの私なら、すぐに諦めてしまっただろう。けど、今は少しだけ望みがある。マキと過ごすのはあと少しなんだし、許してくれるだろうという算段もあって、私は父さんに話した。

 案の定、父さんは眉をひそめた。

「うーん、ちょっとそれは、だなあ」

「私のお願い。河川敷をぐるっと回るだけでいいから」

 私は数年ぶりに、へたをすると生まれて初めて、父親に懇願した。私は今まで、親との摩擦を極端におそれていた。コミュニケーションをしなければいいとも思っていた。そしてたぶん、今まで私のしたいことは、たいてい両親が許してくれた。私もそういう願いを無意識に選んでいたのかもしれない。

 父さんは散々うなったあと、「相談してみる」と保留にした。そしてその願いは、次の週に実現することになった。

 私と哲平、父さんとマキで、河川敷に出かけた。あらかじめ設定してあるのか、マキは器用に車に乗り、河川敷の駐車場で降りた。彼女は私の手を握り、私についてくるように設定された。哲平はサッカーボールを持って先に歩き、段差や傾斜がない道を案内する。父さんは自転車や人が来ないか見張っている。

 九月中旬の夕方。空気がなまぬるい。うんざりするほどの緑の中で、少しだけ秋の色を感じる。

 横目でマキの顔をのぞくと、彼女はいつもの無表情な顔をしていた。もしかするとカメラを切っているのかもしれない。外の景色について、マキはどう思ってるのだろうか。さすがに植物を見て感動したりはしないだろうけど。

「ここらへんでいいか?」

 ひと通り歩いたあと、地面がでこぼこしていない木陰を見つけて、持ってきていたシートを敷く。まずマキが立て膝の格好で座り、父さんが隣に座る。私と哲平はシートの外で立っている。

 哲平は哲平で、「外に出たい」と言っていたくせに、肝心の何がしたいかはわかってなかった。結局、マキと外に出ただけでおおかた満足したらしい。鉄平はサッカーボールを小脇に抱えて父さんを誘う。もともと父さんは、どちらかというと登山やサイクリング系が好きで、こういう球技にはとんと疎い。私も父さんを焚きつけて二人を広場に追いやった。空いたマキの隣に座る。

「外に出てみて、どう?」

〈わかりません。私はまだ、外の景色を処理することができません〉

「哲平と父さんが動いてるのは見える?」

〈わかりません〉

「いま、ふたりはサッカーで遊んでる。哲平ははしゃいでるみたい」

〈なぜですか?〉

「さあ、遊ぶのが久しぶりだからじゃないの。ってか父さん、このあと仕事なんだけど、大丈夫かな」

 父さんは、大学の研究室から抜け出しただけで、このあとすぐに戻る予定だったはずだ。

 パスのやりとりをしている遠くの二人を見て、私は横目でマキを見た。

「そろそろ、いなくなるんだね」

 私が話しかけても、マキは答えなかった。話しかけられたとわかっていないのかもしれない。

「マキは、私たちのことってさ、ずっと覚えてるの?〉

〈いえ、つぎの実験が始まるときは、記憶はほとんどなくなっているかもしれません」

 私はぎょっとした。おもわず「うそ」と変な声が出る。

〈つぎの実験のときに、アサミさんたちの記憶が残っていると、混乱してしまう可能性があります。私はまだ、記憶をうまく処理することができません〉

 私はマキの顔を正面から見つめた。

「それって次にあんたと会ったときは、また初めましてって言うってこと?」

〈そうです〉

 そのときの様子を想像して、私は目を細くした。

 まただ。記憶がなくなってしまうと、意味がないのだろうか。マキが私のことを忘れて、私だけがマキのことを記憶していくなんて、情けなくて悲しくなってくる。

 それなら私の記憶だって、消してほしい。マキと過ごしてきた記憶を消してほしい。

〈ですが、反応モデルは残ります〉

 何それ、と私は眉をひそめる。

〈私の反応パターンのことです。この一ヶ月で学習した、話し方や理解のしかたです。人は、赤ん坊のときの記憶をほとんど持っていませんが、話し方や体の動かし方は忘れていません。それと同じです〉

 ふうん、と私はあいづちをうった。マキの表情を見ても、何を考えているのかはわからない。

 このまま別れるのは、なんとも悔しい。だいたい私は、卒業式でも泣くタイプじゃない。人との別れは苦手だった。その人にもう会えないわけじゃない。けど、マキはおそらく、もう二度と会えない。

 言わなければ、伝わらない。人ですらそうなのに、ロボットなんてもっとそうだ。ロボットに『わかってほしい』は通用しない。私はぼそりとつぶやいた。

「私は、あんたと会えて良かった」

 私が言うと、マキはこちらに振り向いて、ありがとうございます、と答えた。本当は彼女とは、離れたくない。でも、離れないといけないという気持ちもある。これ以上マキに頼ってしまうと、私は戻ってこれなくなる気がする。 

「あんたは記憶がなくなったりするのが、怖くないの」

〈わかりません。危険は、避けなければなりません。私自身が壊れるより、みなさんが傷つくことのほうが、恐ろしいことです〉

 マキは正直に答えた。

「あたしさ、最近、けっこう死にたいなって思ったときがあったんだけど」

 マキは眉を下げる。

〈アサミさんがいなくなると、ご両親は大変悲しみます〉

「それはそうなんだけどね」

 私は苦笑した。なんとも彼女らしい返事だった。マキ自身が悲しむとか、そういうのじゃない。彼女は、たんたんと事実だけを言う。

 心配しなくても、最近、私は市の吹奏楽団の知り合いと連絡をとった。週に一度、大人たちに混じって練習をしようと思っている。楽団員の大半が私より年上だ。私の進路が決まるまで、短い時間かもしれないけど、少しでも楽器に触れていたかった。純粋に練習して、演奏を楽しみたいと思った。

 不思議なことに、演奏している自分を想像すると、死にたいという気持ちが少しだけやわらぐ。人間って単純なんだなと思う。楽しいことがあると、なんとかやっていける。

 私はマキを見た。それを言うかどうかはだいぶ迷った。けれど、心のどこかで、まだ元気になりきれない自分がいた。ふと思いついたことだった。

「もしあんたに私を殺してくれって言ったら、そうしてくれんの?」

 マキは少しだけ遅れて、目を見開いた。返事を考えているのだろうか、しばらく沈黙が続いた。いつもはすぐに返事をするのに、どうしてこんなときだけ、いつもと違う反応をするんだろう。

 私はすぐに謝った。今の言葉は忘れて。私もロボットで遊ぶのが過ぎる。相手が人間だったら絶対に言わないのに。

 私は広場にいる哲平と父さんの姿をちらっと見て、立ち上がってマキの前に立った。広場から見えないように、一瞬だけ彼女にキスをする。マキは唇が触れる瞬間だけ目を閉じる。そうするものだと私が教えたからだ。

〈アサミさんは、好きな男の子はいないのですか〉

「うっさいわね。そりゃいたときもあるけどさ。それは別にいいでしょ」

 意図的に訊いているのか、ただ話題に関連付けて言っているのかよくわからなかった。ごろんとマキの膝に頭を乗せて横になる。目を閉じると、頭に手を乗せられた。この気持ちよさだけは確かだと思える。情けないけれど。

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