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4-2

 次の日の放課後。私はある場所を見張っていた。トランペットがパート練習をする教室の前の廊下。そこにひとりの女子生徒が来るのを待っていた。

 美佐子は首を回しながらお手洗いに向かっていた。私は偶然を装うのも不自然だと思い、まともに彼女の前に出た。

 美佐子はぎょっとして立ち止った。すぐに何か用があると思ったみたいだ。

「あのさ、いろいろ、ごめん」

 美佐子は「は?」みたいな顔をして眉を下げた。いきなりこんなことを言われたら誰でも驚くだろう。でも私はこれ以外の方法を知らない。ただ自分のやりたいことを伝える方法しか知らない。

「みんなに謝りたいから、今日のミーティング、お邪魔していいかな」

 すると美佐子は、とんでもなく不機嫌な顔になって、

「勝手にすれば。あんた元部長なんだし」

 スタスタとお手洗いのほうへ向かった。「準備室で待っとけば。部長に言っとく」振り向いてそれだけを言った。私はほっとしてうなずいた。

 ふと、私はどうしてわざわざ美佐子にお願いをしているのだろう、と思った。いまの二年生の部長か、顧問の先生に話してもよかったはずだ。むしろそっちの方が簡単だった気がする。なんとなく、彼女に一番に謝らないといけない気がした。私がこういうことができるのは、彼女のおかげでもある。

 一時間後、私は音楽室で、何十もの部員の視線を受けていた。現役のころはよく立った指揮台の上。楽団員の視線を一身に受ける特別な場所。

 ああ、この感覚。何度もやってきたはずなのに、どうして今、こんなに足が震えるんだろう。あのころはこんな視線、平気だったのに、今は喉がカラカラに渇いている。

 窓の外から運動部員たちの声が聞こえる。この部屋のことを何も知らない生徒たちの声が。

「急に、ごめんなさい」

 私は震える声をしゃんとさせた。

「このあいだのコンクール、入賞できなかったこと、謝ろうと思っていました。私もかなり間違えたし、あれだけ目標にしてたのに、結果が出せなくてごめんなさい」

 私は唇を噛み締めた。ちがう、こんなことを言いたいんじゃない。ふうと息を吐く。

「とにかく、ごめんなさい。みんなにひどいこと言ってたってこと。つらくあたってたこと、謝ってなかったこと、ごめんなさい」

 涙が出る寸前だったけど、こらえた。ここで泣いたらものすごく情けない。

 沈黙が数秒つづいたあと、後輩のひとりが言った。

「私たちのほうこそ、すみませんでした。先輩に全国大会、行かせてあげられなくて」

 私は顔を上げて後輩の顔を見た。首を振ろうとしたけど、頷いてしまった。

「ときどき部室に来てください」

 トロンボーンの子が言った。私はあいまいに笑った。受験生だし、と誰かが声をあげた。

「時々でいいんで、パート練習だけでも、見に来てください」

 誰かが言った。それは誰の言葉でもないと思った。社交辞令でも良かったし、先輩に対するなぐさめの言葉でもよかった。その言葉の裏でなにを考えているかわからない。ロボットみたいに何も考えていないのかもしれない。

 ただその言葉はうれしかった。私の心臓がぽっと温かくなった。

 私は小さくうなずいた。

「ありがとう。練習、じゃましてごめん」



***



 私は部屋でぼんやりとしていた。今日で何十回目かのため息をつく。

〈今日は、ため息が多いですね〉

「そうだよ。あんたが謝れって言ったから、みんなに謝ったのよ」

〈それは、素晴らしいことですね。えらいと思います〉

 マキはたんたんと言った。さっぱり感情がこもっていない。私は子どもの頃から、褒められることに慣れていなかった。色々なことは出来て当たり前だと思っていた。褒められると,くすぐったいとかいうものじゃなくて、どう反応すればいいかわからない。ほとんど不快に近い感情がわいていた。

 そういえば私自身も、人をちゃんと褒めることがなかった。マキの言い方は、嫌だと思わなかった。どうしてだろう。

 結局あのあと、後輩の部員から部に残るよう言われたけど、私はあいまいな返事しかできなかった。あれを最後に、部室には絶対に来ないだろうと思っていた。たぶん、将来的なことを考えると、部室に寄った方がいいのだと思うけど、今の私は、他人のことをきちんと考える余裕がなかった。また後輩を傷つけたくはなかったし、何より寄るのが怖かった。

 三月の、卒業コンサートのときくらいは、何か参加できるかもしれない。後輩からの卒業プレゼントだって、もう完全にあきらめていた。私にもらう資格なんてないと思っていた。それはもう、私がどうこう言うことじゃないのだけど。

 とにかく、もうこのことは終わったんだ。ちゃんと謝ることができた。それでいい。

 私はマキを正面から見つめた。

「マキ、もっとほめて」

〈えらいですね〉

「もっと」

〈素晴らしいです〉

「もっと」

〈アサミさんは、子どものようですね〉

 マキが珍しく困った顔をした。自分でもわからない。ただものすごく褒めてもらいたかった。これもこの間マキが言っていた、愛されたいってことなんだろうか。

「マキ、あんたと小山内のおかげでなんとかなった」

〈それは良かったです〉

「もっと素直に、謝るときは謝ればいいんだけどね。まあそれができないんだけど」

〈私を使ってください。私は言葉を伝えることができます〉

「わかったわかった」

 マキがベッドの上で横になるのを確認してから、私は布団をかけて眠った。このまま明日もずっと、一日じゅう眠っていたかった。


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