竜
竜を狩ることは騎士の誉れであった。
それが如何に人の理に適っていようと、我が同胞をそのために殺めることを看過することなどできる筈もなかった。
岩の如き肌を持ち、可燃性の吐息を吐き、鋭い爪で鉄を裂き、両翼で大空を翔る我ら竜。薄い鉄に身を包む人など恐れるには足りぬ。
その筈だった。
人はその賢しさから、岩をも砕き、燃ゆる吐息を跳ね退け、両翼を貫き大地へ堕とすことをやってのけた。我々は、人の知恵を甘く見ていたのだ。
されど我らは竜。それで易々と葬られるわけもない。
同胞の死を嘆き、激高した竜は大いに暴れ狂った。
怒りに我を忘れた竜は人の脅威としての威厳を取り戻し、驚くほどの人を屠る理性無き獣の姿がそこには在った。
しかし、それも長くは続かない。怒りに身を任せて暴れる竜は、時に同胞を巻き込み、あるいは単純極まる罠に掛かり、その命を絶やした。
人は己が力への自信を取り戻し、そして一方的な虐殺を始める。
人の身に余るほどの弩は放つ大矢で竜を地に堕とした。
火の吐息は、鋭利な鉤爪は、鉄よりも堅牢な鋼の大盾に阻まれた。
両翼は既に失われた。
人はやがて、竜の威厳のみならず我が同胞の亡骸をも辱め、その遺骸から新たな武器を、鎧を作り出した。
同胞の鉤爪は鋭利な剣へ。
岩の肌は強固な鎧へ。
透き通る瞳は怪しげな装飾へ。
僅かに残った我が同胞たちは、とうとう人の前から姿を消した。
人への畏れではない。我ら竜がその血を絶やさぬために、既に失いつつあった威厳を遂に捨てた。それだけのことだ。
姿を隠した我らを、人は執拗に追った。
それはもはや、名誉などの為ではない。
脅威ではなくなった竜は、その体を余すことなく利用できると知られた以上、今度は狩猟の対象として見られることとなった。隠れ住む竜たちの褥を暴き、人は群れを成して襲い来る。かつての同胞たちを武器に変えて襲い掛かる人の姿は、暴れ狂う我が同胞の姿と重なった。
欲に塗れた獣。それが人の本質だ。
確信するに至り、我は他の同胞たちを省みず、独り、秘境の深奥に身を潜めた。
どれほどの長い時間が過ぎたろうか。長い長い眠りから覚めると、鼻腔を人の匂いが掠めた。
反射的に身を起こし、辺りを見回す。あたりに人の姿は無く、どうやら風に乗って人の匂いが届いたようだと判る。
しかし、それは由々しき事態だ。
人里が、この秘境に近いということ。ここも、もう安全ではないと言うのか。
岩の翼はボロボロだが、どうにか羽ばたくことはできそうだ。ここから離れ、新たな住処を探し出さねばなるまい。この時ばかりは、この巨大な竜の体が憎かった。
苔むした身体をゆすり、四つの脚で大地に立つ。
久方振りの感覚に、違和感ばかりが体を巡る。
故に、気がつかなんだ。
足元に、小さな人の姿があったのだ。
見たところ「女」であることは間違いない。しかし、我の知るところの人にくらべると、やや小さい。何より、鉄の鎧を纏っていない。色鮮やかな布を羽織り、その手には枝で編んだ籠が提げられている。
我を見上げてぽかんと口を開ける幼子の姿はあまりに間抜けで、我は人への敵意など思い出せぬまま、それを見下ろしていた。
やがて、少女はその籠から一輪の花を取り出し、我が鼻の穴に挿した。
「はい、どーぞ」
我がくしゃみが少女を吹き飛ばした。
一面の花畑の中をころころと転がり、やがて起き上がった少女はけたけたと笑い出す。
「ねえ、もういっかい」
今度は数本の束を鼻に挿し、我は思わずもう一度くしゃみをする。
少女は再び吹き飛ばされ、転がりまわる。
駆けて戻って来る少女は、私の岩の肌に触れながら、問うた。
「ねえ、あなたのおなまえ、おしえて」
我はこの時、初めて竜と会話を試みる人に出遭った。
この翌日から、少女は我の元へ通ってくるようになった。
我が知能は人の言葉を解するには十分であったが、しかしこの喉は人の言葉を発するには不十分であった。我が彼の少女の言葉を解しようとも、こちらから話すことは叶わない。だというのに、少女は足しげく我が元へとやって来る。私の鼻に花を挿すのはやめて欲しいのだが。
少女がやって来るようになってから、我はなんとなくこの場所に居座るようになってしまった。早く別の場所へ行かねばならん、と分かってはいるのだが、どうにも居心地が悪くないのだ。
だが、そんな毎日に水を差す出来事が起こる。
少女の後をつけてきたらしい少年が、我を見るなり絶叫し、一目散に逃げだしたのだ。
それだけならば大したことはなかったのだが、勿論、そのことを少年が他の者に話さないわけもない。むしろ、少女が他の者に話していなかったことにも驚くべきなのだが、それはとにかく、とうとう少女は翌日から我の元には来なくなってしまったのだ。
三度の月夜を越え、とうとう我も決心をした。心有る少女への未練を断ち切り、次なる安住の地を目指さんと決めたのだ。
それでもやはり、少女のことが気になることは気になってしまった。あと一晩だけ、と我も己を甘やかし、その場で眠りについてしまったのだ。
月の満ちた夜。夜風に紛れ、嗅ぎ慣れた匂いが漂ってくる。
目を開けば、目の前にはボロボロの衣服を身に纏った少女が居た。体中の痣や血の跡は、およそ獣によるものではないように思われた。
少女は言葉にならない声を発したが、それだけは我にも理解の及ぶものではなかった。よもや喉を潰されていようはずも無かろうが、しかし、それほどに不明瞭な呻きであった。
「おい、いたぞ!」
思いの外に近い場所から、人間の声が響く。
それは、我の聞き慣れた憎しみの声だった。
人の匂いに慣れ過ぎたせいか、我はその接近に気が付くことができなかった。それを悔いながらも、拭いきれぬ違和を感じ、我は覆い被さるように少女を隠す。
「竜だ!みんな気を付けろ!」
手に思い思いの武器を握った人間たちが、好奇と敵意の眼差しを我に向ける。
そう、これだ。我を屠らんと挑みかかって来た騎士共の眼は。
我も負けじと息を荒げ、雄々しく唸りを上げる。
熱い吐息を正面から受け人の群れ共は怯んだが、こちらを再び睨み付けた。
「やっぱりアイツは魔女だった!間違いない、こいつもアイツの仲間だ!」
我の脚の下で、少女がびくりと震えた。
我はすべてを理解した。
しかし何故、人間は同族同士で争わねばならぬのか。我ら竜と同等以上の知能を持ちながら、何故、人間はこの幼子を追い立てるのか。仲間である、この少女を。
人間よ、愚かなり。そう、我は思う。
「魔女をどこにやった!出しやがれ、この蜥蜴野郎が!」
下品に叫び散らす人間を見下ろしながら、我はもう一つ鼻息を吹きかけてやる。
先頭の人間は勢いよく弾かれ、後ろの数人を巻き込んで転げまわる。
「この野郎、やっちまえ!」
上がる鬨の声。足元で、少女は言葉を漏らす。
「たすけて…」
我はもはや何も考えてはいなかった。
少女の望むまま、喉から熱い吐息を吐き出す。
可燃性の息は瞬く間に燃え上がり、人の群れを焼き払う。
燃え残った人間を、我が片足の一振りで肉塊と化す。
逃げ惑う者どもにはささくれ立った尾の一振りが見舞い、全てを灰燼へと還す。
「グルオオオオオオオオオオオオオオ!」
雄たけびを上げ、我は夜空へと飛び立った。その脚に少女を抱きながら。
よもや少女に安寧は無い。
ならばせめて、我が元にて一時の安寧を。
人を憎む我の倒錯した行動は、けれど矛盾の一つもない。
「トモニユコウ、リリー」
必死に練習した言葉は、少女の耳には届いたろうか。
何も言わぬ少女は、しっかりと我の脚にしがみついた。
憎しみは消えぬ。悪しき人間は存在しよう。
されど、罪は彼の少女には無い。
竜と人間の解り合える世界の為に、我は今、羽ばたく。
人間の可能性を、少女は見せてくれたのだから。
人外×少女
最高だと思いませんか?