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にぶんのいち~異世界転移は気楽じゃない~  作者: マオミアーミー
【ナナコのばあい】
2/12

それは、にちじょうのいへん

風呂上がり、私は髪の毛をドライヤーで乾かしていた。


775。


ナナコ。


私の名前と同じように読める数字がプリントされた、よく解らないメーカーの安物ドライヤーだ。

買うのを決めたのも、アマゾンで適当に見ていて、この775の数字を見掛けたからなのと、割と安い値段だったからというだけである。


『ブオオオオッ』


と、髪をくしゃくしゃにしながら数分、私は電源を切った。

夜だからうるささに気を付けて、なんてワケじゃあない。

めんどくさくなったからだ。


まだ軽く湿ってる髪の毛だったが、そんなものは朝になれば乾いてしまっている。

どうせ朝にはシャワーを浴びるんだし、ドライヤーをする意味もそんなに無いような気がした。

ただ、女子力を磨け、というのなら、そういうめんどくさい事もやらなければならないのだろう。


まだ私は24歳だけど、そう余裕を持ってダラダラしていれば、あっという間にオバサンの仲間入りだ。

会社に居る行き遅れてガミガミうるさいアイツらみたいになんてなりたくはない。

普通の仕事をしてる彼氏も居るし、会社のオバサン達とは私はレベルが違う。


ドライヤーをガチャガチャとたたみ、洗面所に戻すと、私は化粧水を顔にペタペタとはたき出した。


鏡に写る顔。

やや茶色いロングヘアーが似合う、割と可愛い顔をしている。

実際、高校から大学までの間、3人と付き合ったし、告白は10人くらいからされた。


まだ狙える。


私はそう考えている。


今の彼氏自体に不満はない。

優しいし、イケメンの彼氏。

でも、給料は普通。


結婚したとしても贅沢な暮らしは出来ないだろうな。


だから、私はまだ上を狙う。


合コンもよく出るし、でも、相手が一流企業の男でもなかったら、すぐに帰宅する。

そんなのを彼氏にバレないようにしている。


でも、仕方ないんだよね。

この世はなんだかんだ言ってもお金がなきゃダメ。


思いつつ、私は洗面所を出ると、玄関に置いてあったバッグを掴んだ。

帰宅して放り投げたままにしてたんだ、こういうのも女子力としてダメなんだよね。


ふふっ、と鼻で笑いながら、私は寝室の扉をガチャリと開けた。


広がった明るい世界。


パジャマ姿でバッグを持った自分が、何故だか昼間の中に居る。


「…何コレ、夢?」


振り替えるがそこにはドアなど無かった。


「……は?」


私はアホみたいな声を出していた。


周りは私の家なんかじゃあなかった。


街だ。


いや、違う。


市場か。


そっちの方が当たってる気がする。


テレビであるイタリアとかの、ああいう感じの市場だ。


石の床、なんか言い方があった気がするけど、とにかく、私が踏んでいるのはコンクリートじゃあなかった。


石が敷き詰められたそこに、パジャマのまま私は立ち尽くしていた。


人は沢山居る。


私が居るのは、広場から市場へ続く道、そこだ。


人は。


「……」


外人だらけ。


そう思った。

白人、黒人、アジア人。

私がざっくりと見分けられる範囲だけでそれだけ居る。


どこの国かまるで。


そうだよ。


ここはどこなの?

どこの国なんだよ。


私はさっきまで家に居た。


のにも関わらずこんな昼間の市場に居る。


コレ、なんなの?


誰かに話しかけようとも思ったけど、頭がパニックで出来ない。


意味が解らない。

私はなんなの?

何でこんなとこにいんの?


通りすぎる人々をぼんやりと眺めながら、私はただ何も出来ずに、何も動けずにいた。


「ねえ、お姉さん」

「ひぁいっ!?」


急に掛けられた声に私は変な声を出してしまった。


変な汗をかきながらも、振り向いて確認する。


声を掛けてきたのは若い男だった。

ハタチ…よりは上かな、私と同じくらいかもしれない。

黒髪をツンツンに立たせた彼は日本人に見える。

身長はそんなに高くはない。

170くらいかな、やせても太ってもいない。

イケメンでもブサメンでもない。

彼は学生服のようなものを着ていたが、その色は学生服とは全く違ったライトイエローだった。

シャツは黒く、カーゴパンツだろうか、下は黒く、履いているスニーカーはまた黄色い。


「びっくりさせて申し訳ないんっすけど、お姉さんアレっすよね、今、ワケ解らない感じの」


彼は私の言葉を待たず、表情から察したみたいに続ける。


「自分は唯風人、ユイ・カザト、です。よろしく」

「は…はぁ」


彼の、カザトに軽く会釈をしながらも、私は警戒していた。


ナンパでは無さそうだが、この男はなんなのだろう。


私がおかしいのを、私がおかれた状況がおかしいのを知ってる感じはする。

でも、見た目は変なセンスをしたただの兄ちゃんだ。


「お名前は?」

「あ、えっと……ナナコ、です」


答えて良いものか迷ったが、私はカザトに名前を伝えた。


「ナナコさん、ですか。じゃあ、ナナコさん、ついてきて貰えますか、僕に」

「え、ちょっ…」


いきなりの提案に私はしどろもどろになる。


「ワケ解らないとは思うんっすけどね、解るでしょ?ここがおかしい…っていうのくらいは」


カザトの言葉に私は反論と異論を飲み込んだ。


彼はこの『世界』がおかしいと知っている。

彼はこの『世界』を知っている。


「怪しい…って、思うかもしれないんっすけどね、まあ、俺も自分で思いますもん」


軽く笑いながらカザトは続ける。


「別にナンパとか犯罪に巻き込むとか、そういう目的じゃないんすよ。いや、ナナコさんが可愛くない、なんては思わないっすよ、自分は」

「はあ…」


私は生返事をしながら考えた。


彼、カザトが妙なのは間違いない。


でも、日本語が普通に通じてるし、彼も日本人なのかもしれない。

名前だって日本人のそれっぽいし。


「一応ね、自分の仕事なんっすよ、それは歩きながら説明したいんすけどね」


カザトの言葉を聞きつつも、私は周りを確認する。


市場周辺に、日本人に見えなくもない人が何人か居るのは解った。

でも、それが彼のように日本語を喋れるのか、そもそも友好的な人間なのかが解らない。

カザトも友好的を装った人間かもしれないが、それでも、この異常な状況でなら、彼に取りあえず付いていくべきなのかな。


「取りあえず、言いますよ、隠してもしょうがないんで」


私はカザトに向き合った。


「ここは異世界っす。日本じゃあないんですよ」

「!?」

「解りますよね、なんかが変だっていうのは。あなたは多分っすけど、いきなりここに放り出された…そうじゃないんすか?」

「異世界…って、それどういう…何?なんなのそれって」


混乱しながら説明を求める私に、カザトは黄色い制服の位置を直しながら続ける。


「理由は自分にも解んないんっすよね。でも、それが毎日のようにあるんすよ。自分が居た『世界』そこからこの『世界』にいきなり来てしまう…っていうのがね」

「コレは……何?ドッキリだとかそういう」


私の言葉に真顔で首を振り、カザトは続ける。


「ここは、この『世界』の国のひとつ、フィリオウルです。あなたはもう多分自分の『世界』の国、日本には帰れない」

「帰れない…って、あなたそれどういう」

「自分もなんっすよ。数年前にこの『世界』に飛ばされてね。帰る方法だけじゃない、他の『世界』から呼び出す方法だって解らないんすよ」


「何…言ってるんですか?」


私は至極当然な事を、ただ感じたままに吐き出した。

彼の、カザトの言っている意味がよく解らない。

いや、解りはする、だが、解らないのだ。

そんなおとぎ話を信じろ、そう彼は言うのだろうか。


「とにかく」


カザトがまた歩き出した。

ふわりと風がそよぎ、柑橘系の香りが流れる。

彼の付けている香水かなにかだろう。

私は彼の後に続いた。


「あなた、多分平成産まれかそこら、ですよね」


と、カザトは首でこちらを指した。


「あ、ハイ…」


平成という元号を知っている。

それならば、彼はやはり日本人というのだろうか。


裸足でペタペタと石畳を着いていきながら、私は彼の言葉を聞く。


「スマホとか、そういうんっすか、そういうのはありますか?」

「スマホ……ああ、そっか」


私は唯一の持ち物であるバッグの中を漁る。

充電はまだ70%以上ある。

しかし、アンテナは圏外だった。


「あなたはいつから……えっと、何年に居ました?ここに来る前の話なんっすけど」

「私は…2017年の5月、5月の日本に」

「…そう」


こちらの言葉を途中で遮ると、カザトは無言のまま道を進んでいく。

数十秒経った頃か、彼は再び思い出したように繋げた。


「じゃあ、アレっすね、結構新しいパターンのヤツ、っすね」

「…新しいパターン?」


カザトに尋ねる。

彼はこちらを見向きもせず、背中を向けたままだ。


「大体、この世界に『飛ばされて』くる人間は、1980~2030年くらいの人なんっすよ。ああ、理由は自分にも解らないっすけどね」


意味が解らない。

それはやはり変わらなかった。


「そのスマホなんすけど、使えないっすよ」


言いながら、カザトはやはりこちらを見ず、歩いたままポケットから何かを取り出した。

パッと見はスマホに見える。


「…それ、スマホじゃないんですか?」

「スマホっちゃスマホっすね」


カザトはポケットにそれをしまいながら。


「でも、規格から何から違うんすよ。「世界」…ああ、向こうの、僕らが居た「世界」の話っすけど、それと違うって事です」


話を聞き、私はスマホをバッグにしまった。


「詳しい説明は」


カザトは立ち止まった。

目の前、私達の目の前には大きな建物がある。

病院と市役所の特徴を合わせたようなコンクリート製に見える建物。


「まあ、後々ね」


カザトは首でそちらを示し、進む。

私もその後に着いていった。


カザトが建物に入る。

建物の表には何か書いてあったが、見た事の無い文字だったので、それが何かは私には理解出来なかった。


ブゥン。


自動ドアが開いた時の香り、その建物内の香りは、やはり病院と市役所の入り交じったような特殊なものだった。


「ちょっと待ってて貰えますか?」

「あ、ハイ」


カザトはそういうと、受付の方に向かった。

私は近くに並んだイスに腰掛ける。

木製のベンチ。

テカテカとしているそれは、手間がかかっているように思えた。

普通の待合ならば、金属とプラスチックで出来たものが当たり前だというのに何故だろう。

やはり、自分の『世界』と同じで裏金かなんかを回して業者が高値でこしらえたのだろうか。


「……」


私は自身に当惑した。

思考の中でそれが認められつつある。

あり得ないの。

私の暮らしていた『世界』がこの『世界』と違うというなんて。

カザトの言葉に洗脳されつつあるのか、私は片手で軽く髪をかき、平静を保とうとする。

だが、やはりダメ。

心臓はバクバクするし、今の状況がなんなのかよく解らない。

夢に違いない。

そう思いたくもあるが、明らかに違う。

現実感がありすぎる。

夢独特のフワフワした頭のモヤモヤ、それが全くない。

クリアな『世界』が見えるし、五体の感覚もいつもと変わらない。

さっき、風呂上がりだった。

その感覚も鮮明すぎるほどある。


やがて、10分くらいは経っただろうか。


「ナナコさん」

「ハイ」


カザトに呼ばれ、私は歩み寄る彼に近づいた。


「今から、検査があるんすけど、それやってもらえますか?」

「検査?なんの検査です?」

「まあ、色々とっす。やってもらわないと、僕も立場上困るんで」

「…はぁ」


生返事をしながら、私はカザトの後に着いていく。

彼の向かったフロアは2階だ。

一階に比べて天井が明らかに高い。

パッと見、四階以上はある建物だったハズだが、妙な構造をしているな、そう思った。


「…………」

「…………」


カザトは時折、通りすがる人間と会話をかわしていたが、内容は解らない。

日本語ではないからだ。

英語やドイツ語、フランス語とも違う。

語学が堪能では無い私にさえ解る。

それは、聞いた事の無い言語だった。


「…………」

「アウター……」


その単語だけが聞き取れた。

そして、私は部屋に案内される。

妙なカプセル、全身検査の時に使われるあの機械を透明にしたようなそれが部屋の真ん中に陣取っていた。


それからは、それからの1日はあっという間だった。


変なカプセルに入れられたのは当然、普段やらない、普段の『世界』では体験した事のないものをいくらかされた。

妙な注射をされたり、薬を嗅がされたりも。


体の検査だけではない。

筆記試験のようなものやら、タイピングテストのようなものまでも、だ。


「ふぅぅ……」


私は疲労に息を吐きながら、通路に置いてあるソファベンチに腰を掛けた。

(今日は疲れたわぁ……)


「どうぞ」

「あ、ありがと」


ツンツンヘアの男、この世界で唯一の馴染みとも言える彼からオレンジジュースを受けとると、半分以上を一息に飲んだ。


「んな急がなくてもさ」


ハハッ、と笑いながらカザトは隣に座り、タバコに火を着けた。

フシュー、と、煙が通路に舞い上がる。


「タバコ」

「ん?ああ、禁止じゃないんすよ」


携帯灰皿を取り出しながら、風人はギイッとソファベンチに背を預けた。


「えっと…」

「ああ、今日は終わりっすよ、もう」


こちらの言いたい事を先読みし、カザトは続ける。


「とりあえず、宿舎とご飯は用意してありますから、心配はしなくって大丈夫っす」

「…………」


しばらく考えた後、私はオレンジジュースの缶をギュッと握りしめる。


「この『世界』って…この『世界』って」


またもや、カザトが先読みして答える。


「多分、現実感ないんっすよね?でも、それは本当なんですよね」


煙をプワーと吐き出し、彼はこちらを向いた。

携帯灰皿に灰をポンポンと落としながら。


「現実感が無いのは当たり前なんすよ、自分も最初はそうだったしね。でも、しばらくしたら慣れるっすよ。というか、そうなるしかないんすよ」

「…………」


しばらく黙り、カザトの吐く煙が漂う。


「……が解らない……意味が解らないし!」

「……まあ、そりゃそうでしょうね。僕と変わらない、っていうか、異世界人はみんな最初はそうなんっすよ。んで、いずれかは慣れる。帰れないんだから、慣れるしかない……そういう事っすね」

「どういう……どういう事!」


感情の高ぶりが収まらない。

怒りがある。

とても強い怒りが。

でも、それをぶつける目標がない。

こんな、夢みたいな『世界』を信じろと。

こんな、ウソみたいな『世界』を信じろと。


「こんな事、こんなワケ解らない状況、信じられるワケない!」


私はただ叫んだ。


「でも」


と、カザトはタバコを携帯灰皿に入れながら。


「変わらないのが現実なんっすよ」


ぐしゃり。

と、カザトは灰皿に入れたタバコを握りつぶす。


「だから、静かにしてくださいよ」


次のタバコに手を伸ばした彼に、私はイラついた。


「アンタねえっ!」


その腕を掴む。

掴んだ瞬間だった。


「!?」


彼の顔が目の前にある。

どこにでもあるような普通の顔。

少し軽い口調。

どこにでもあるような表情。


何が起きたか解った。

私が掴んだ腕、それを彼が力ずくで引いたのだ。

バランスを崩し、私は座った彼にもたれかかるようになっていた。


「怒られますよ、あんまうるさいと」


と、私の体を離しながら、カザトは廊下の左右に目を配った。

幸い、なのかは解らないが、誰も居ない。


「あ、ごめんなさい…」

「とりあえず」


カザトは立ち上がり、首で合図する。

私はそれに応じて立ち上がり、歩き出した彼に着いていく。

柑橘系の香水の香り、それを追うように。


しばらく歩いた。

お互いが無言のまま。


施設の上層にある部屋。

そこに私は連れてかれていた。

部屋は、ビジネスホテルとほぼ同じだった。

特筆すべき事は特に無いように思えるくらいに。


「じゃあ、僕はコレで」

「えっ、って、私は?」


アゴで彼は冷蔵庫を指した。


「食べ物はそこにあるので我慢してください。とりあえず、検査の結果は明日までには出るんで、僕が迎えに来るそん時までは部屋でダラダラしててください」

「…部屋から出るな、って事?」

「アウターは、いえ、ナナコさんはこの『世界』に慣れてないっすよね?なんかあってもアレですから」


そうだ。

私はこの『世界』の言葉を知らない。

私はこの『世界』のルールを知らない。

私はこの『世界』の全てを知らないのだ。


カザトが去って数時間が経ち、冷蔵庫にあったサンドイッチでお腹が満たされた頃。

私は自然と眠りに着いていた。


その時の私はそれを知らない。

この時の眠りが最後だった。

この後の世界の中。

疲労に任せて眠りにつけたのは、コレが最初で最後になるのを。


翌日。


私は目を覚ました。

広がる『世界』はやはり、そのままだ。

私が知らないハズの、昨日知ったばかりの『世界』。


私が適当に食事を済ませた頃、カザトが迎えに来た。

私はバッグを部屋に置いたまま、それに着いていく。


階下の、昨日色々と検査されたそこの通り道。


「あ、ここで」

「はい」


と、カザトが近くの部屋の扉を開けた。

ここは検査で入っていない部屋だ。


中を見回す。

相変わらず病院や市役所のような匂いがするが、この部屋はそれに混じったものがある。

壁全てを覆う木製の本棚と、その本やファイル達の匂い。

図書室にも見えるが、資料庫と言った方が多分合ってる。

なんたって、本棚は壁づたいにしかなく、あとは部屋にひとつ大きな木製テーブルとイスがいくつかあるだけ。


「…えっと…」

「ああ、座っちゃって下さい」


カザトの横を抜け、部屋に入る。

通り過ぎさま、彼のつけている柑橘系の香水の香りが混じった。


「……で、ですね」


扉を閉め、カザトは歩きながら手持ちのファイルをペラペラとし、手探りでイスを引いてそこに座る。

ガラス?製の灰皿を引き寄せながら。


「吸いますよ」

「あ、ええ、どうぞ」


断ったとしてもタバコを吸っただろうな、と私は思った。

香水をつけては居るが、彼からはタバコの香りもするし、何より、どうやらヘビースモーカーのようだ。


バシュッ。


マッチを擦る音が小さく響く。

美味そうな顔でタバコを一息吸うと、彼は右眉を上げ、左眉を下げた。

どうするかな、そういった表現である。

何回か、風人が煙を吐き出すが、言葉は吐き出されない。

仕方なく、と思いながら、私は彼に促す。


「あの、検査ってなんの検査だったんです?多分、健康には問題ありませんけど」

「え?……はい」

「?」


健康には自信がある、とまでは言わないが、私はヒドい持病もなく、あるとしたら花粉症くらいだ。

最近やった、会社の健康診断も問題なかったんだし、この『世界』での健康診断も問題あるとは思えない。


昨日、今日。


彼の言い付け通りに部屋からは全く出なかった。

ただ、窓から外を覗く事、部屋を色々調べる事は出来た。

この『世界』がどういう状態なのか、どういうものなのか、なんとなくだけど推理してみたし。


文化レベルは多分私の居た年代よりも古い。

ラジオはあっても、テレビは無かったし、シャワーやお風呂はひと昔前のものに近かった。

まあ、ラジオは何言ってるか解らないんだから、そこで文化的な何かがあったかもしれないけど。

それでも、この世界は古い、私はそう感じた。


私が色々考えていると、カザトが煙を大きく吐いた。

タバコを消しながら。


「適性検査、っなんっすよね、アレって」

「適性…?」


適性検査。

なんのだろう。

私が眉間にシワを寄せるのも構わず、彼はゆっくり繋げる。


「なん……っつうんすかね。あの……生きるため、っていうか」

「…生きる?」


自分の心臓が跳ねるのを感じた。

イヤな予感がする。

生きるため。

もしかしたら。

もしかしたら、それは。


「ウィルス…か何か、っていうの…?」


思いが口から勝手に出た。

この『世界』が私の『世界』と本当に違うのなら。

そう。

「そういう」可能性もある。


たとえば、日本人がアフリカに渡航するのなら、予防注射をしなければならないように。

それをしなければ、かなりの確率で。


「……」


死ぬ事になる。

そういう場合がある。

同じ『世界』でもそうなのだから、その可能性があってもおかしくない。


映画の宇宙戦争ではそういうオチだった。

地球を侵略しに来た、圧倒的に科学力に長けた宇宙人が、地球人ならなんの問題もない空気、それに対応出来ずに死んでいく、という。


その可能性が、今、私に降りかかっているのだ!


心臓のバクバクが止まらない。


目が泳ぐ。


やがて。


どれだけ時間が経ったかは解らない。

むしろ、ほとんど時間は経っていなかったかも解らない。

カザトがまたタバコに火を着ける。


「…いや、そういうんじゃあないんっすよね。別に」

「は?」


私からマヌケな声が飛び出した。


「多分、ナナコさんが心配してる…っていうのは、アフリカとかそういう感じの事っすよね?」


脂汗をかき、マヌケな顔をしているだろう私の返答を待たず、彼は続ける。


「そういうんじゃあないんですよ、ね。生きるための、っていうのは、そのまんまの意味です」

「そのまんま?」

「言ったでしょう?最初に」

「最初に?」


考えが違っていたせいで、私は頭がパンクしてオウム返ししか出来ない。


「適性検査だ、って。つまり、生きるための適性ですよ、この『世界』での」


彼の言っている意味がよく解らない。

彼の言っている違いがよく解らない。


「この『世界』、この国は今、戦時中なんですよね。もしかしたら、言い忘れてたかもですけど」

「……」

「だから、生きるため」

「……戦争!?」


気付いたら叫んでいた。

そんな非日常的な単語をただ。


「そう、戦争っすね」


タバコをクルクルと回し、また吸う。


「それ、どういう」

「まんま、ですよ。戦争してるんだから、それに対する検査…ってのです、適性検査、そう言ったっすよね?」


意味が解らない。


戦争してるからといってなんだっていうの?

それが私にどう関係するの?

私はそもそも、この『世界』とかにだって関係ないっていうのに。

その私に検査?

適性検査?


「で、ですね、適性検査の結果なんっすけど」


くわえタバコで目を細めるカザトに、私は食いぎみに割り込む。


「戦争?そんなの関係ないでしょ!」


口調は自然と荒くなり、声も大きくなる。

体温が怒りで、特に頭が熱くなっていく。


「なんだって関係ない!私を『帰して』よ!意味わかんない!」

「あのっすね」


カザトの変わらない感情、口調に私のイライラは更にヒートアップさせられた。


「『帰れる』って思うんですか?」


私は思わず彼のほほに手のひらを。


「!?」


風人は私のビンタを、まるで予測していたかのようにかわした。

私のてのひらは、彼の吐いた煙を空しくはたく。


「暴力はやめましょうよ。『帰る』なんて出来ない…なんとなく解ってるんじゃないっすか?」


確かに。

と、私は心で認めてしまう。


ベッドから起き、現状が夢ではないと把握してしまった時、この『世界』が現実であると確信した。

同時、もし異世界に私が何故か来てしまったというのが本当だというのなら、どう『帰れ』ばいいのか解らない。

何より、『帰る』方法があるのなら。


「僕だって、ナナコさんと同じなんですよ?こちらへ『飛ばされて』から、そのまま『帰れ』てないんです。解るでしょ?」


確かに。

誰だって。


「誰だって、戦争なんかに巻き込まれたりなんかしたくないんっすよ」


カザトが私の思った言葉を繋げた。


「でも、『帰れ』ない。だから、仕方なく自分もここに順応してきてるだけっす。俺、何歳に見えますか?」


急に合コンのような質問が来たが、バカにしてるワケでは無さそうだ。

真面目な彼の表情に、私は素直に答えた。


「二十二……くらい?」

「いや、自分は40超えっす」

「みそじぃ!?」

「はい、こちらに来たら年齢がどうやら変わらないらしいんっすよ、僕ら『アウター』は」

「『アウター』?」

「僕ら、異世界人の事っすね、いわゆる外人的な意味合いの」


言いながら、カザトはまたタバコを消した。

煙を払う事もせず、彼は真顔でこちらを見やる。


「何故か老けないんっすよね、俺らは。ここへ来てから大体20年かな、22の時に自分はこちらに『飛ばされ』ました。慣れてるように見えるでしょ?」


確かに。

彼の落ち着きっぷりは見て解る。

何の違和感も無く、この『世界』に馴染んでいるようにしか見えなかった。


そして、何かを悲観しているようにも決して。


「でも、俺だって『帰り』たかったりするんっすよ、こんな感じでもね」


話が逸れましたね、と続けながら、カザトは開いたファイルをこちら側に置いて見せた。


「解りますか、いや、解りませんよね」

「はあ」

「アルファベットは解りますよね?」

「…あ」


と、私はそれに気付いた。


色々書かれている文字は一切読めないが、数字やアルファベットが書かれている項目がある。

欄を見る限り、その検査結果の位置だと思う。

でも、アルファベットは単語さえも示さず、ただひとつの記号として使われているようだった。


つまりは、検査結果の区分だろう。


私がそれを見る中、カザトは続ける。


「ホントは、この『世界』にはアルファベットは無かったんすけど、自分が採用しました。アルファベットに限っては、日本人じゃなくてもある程度伝わるでしょうからね。あと、そこにある数字は当然だけど点数です。アルファベットは、まあなんつーんすか……ランク分け?に使うみたいな感じっすね」


と、私の視線を移動させるように、アルファベットを指差してみせる。

私がそちらを再び見たのを確認したのか、上から説明が始まった。


C-。

C-。

D。

C+。

E。


そう言われた。

それが何を示すか、私が聞こうとするのを手で遮り、彼は続ける。


「適性検査、っていうのはっすね、戦争に対してあなたがどれだけ役に立てるのか、っていう事ですね。この一番高いC+のとこが、プログラマーとして、っていう感じで」

「プログラマー?……パソコンを戦争に使うの?」

「はい、当然……っていうんでもないですけど」

「なら、私にプログラマーをやれって?それで戦争の役に立ちなさいって!?」


またイライラした私を気にせず、彼が発したのは思っていたものとは違っていた。


「勘違いされるとアレなんで言うんすけど、俺らは引く手あまた、って事じゃあないんですよ。だから、あなたに無理にプログラマーをやれとも言いません」

「なら」


何故それを説明したのか、という答えをカザトが続ける。


「なんで自分がそれを説明したのか、というとっすね、コレじゃあダメなんですよ。使えないんです。C+程度ではね」

「……ダメ?」

「そう、ダメ。プログラミングの能力が少しはあるのが解りましたが、あなたでは無理です」

「どういう事?」

「パニックで違和感も覚えなかったかもしれませんが、あなたが検査したのって、アレ、僕らの『世界』のパソコンだったでしょ?」

「?……それがなに?」

「さっき言ったでしょ?僕がアルファベットを採用させた、って」


何を言いたいのか解らないが、なんとなくイヤな予感がする。


そして、数秒後には非情にそれを肯定された。


「この『世界』では違う言語を使っています。言いたい意味、解りますよね?」

「…なら、私がこの『世界』の言葉を勉強しなきゃあならないって言いたい?」

「そう、あなたがプログラマーとして役立つには、この『世界』の言語を理解した上で、この『世界』のプログラミング技術を学ばなければならないんっすよ。でも、それには時間が掛かりすぎますし、戦争の邪魔にしかならないです。この『世界』にはその余裕が無いです」

「なら……他の」


そう、と呟きながら、カザトは首を左右に鳴らした。

もう一度アルファベットの並んだ列を上から下になぞる。


「戦争でね、実際に戦場に立つ適性検査もしてたりするんですよ。僕らアウターは、この『世界』と違う『世界』から来たお陰で適正が高い場合もあります。でも、あなたにはそれが無い」

「……」


『ピリリリッ』


「あ、失礼しますよ」


カザトは携帯を取り出した。

見た事のない形をした、筒のような形の携帯電話を。


しばらく彼が話したが、やはり言葉の意味は解らない。


『アウター』。


その言葉が出はしたが、それが私を指すのか、カザトが昨日言っていたように、頻繁に現れるらしい別の『アウター』を指すのか。


しばらく。


しばらく待つと、彼は電話を切り。


「ごめんなさい、ちょっと急ぎめにしますね」

「……はあ?」


イラつく私を気にせず、彼はまたタバコに火を着け…ようとしてやめる。

手早く済ませたい、そういう事だと思う。


「結論から言いますと、申し訳ないんですけど、あなたは適正が全く無いです。ですから」


と、ファイルを閉じて立ち上がる。


「着いてきてください」


彼は歩きしな、説明をする。

部屋を出た、その進路には覚えがあった。


「つまり、あなたに与える仕事はないんですよね。というか、出来る仕事がまずは無いです」


カザトが止まり、扉を開けて中に入るよう促す。

私の違和感は昨日よりも薄い。

私の疑惑は昨日よりもハッキリと濃い。


そこは、今朝出て昨日泊まったあの部屋だった。


「どういう事ですか?」


部屋に入り、私は彼に訪ねる。


「この部屋は一ヶ月あなたに貸します。『アウター』としてのあなたに対する、無料での保証ですね。食事は食堂で出来るようになってます」


と、カザトが黄色い制服の内側から紙を取り出す。

よくあるような、アレ。

まあ、間違いなくそうだと思う。


「コレが一ヶ月分の食券です」

「え…でもコレ」

「あとは、この一ヶ月はあなたの自由なので、あなたに任せます。でも、一ヶ月経ったらここから出ていってもらう事になるので、それはよろしくお願いします」

「ちょっと…何?……なんなの!いきなりそんな事言われてどうしろって!?かよわい女の子になんも大した説明もしないでどうしろって!?」


やれやれ、と、面倒くさそうな態度をしながら、彼は右手首をプラッと振った。

何回か見ている。

彼の癖なのだろう。


「あなたは使い物にならない、要らないんっすよ。だから、働いて金も稼げないと思います。言葉も解らないですしね」

「でも、単語帳とか」

「は、ありますよ。でも、働き口がほとんど無いと思います。言葉が通じない時点で『アウター』として見られますし、差別されます。その差別っていうのも、僕ら日本人が考えるレベルじゃないです。メリケンとかのヤツらが大々的にやるような、暴力的なものだったりね。女性なら、別の危険性もあるでしょう」


カザトは肩をすくめた。

ビンタしてやろう、そう思ったのはその後の言葉だ。


「提案なんですけど、よろしければあなた、僕に飼われますか?」

「このっ!」


こちらのビンタをよけ、彼はそのまま裏手でこちらのほほをぶった。


私は小さい悲鳴を上げ、ベッドに倒れこむ。

痛むほほを抑え、星が散る視界で睨む中、彼はそこに立ったまま、また右手をプラプラと振った。


「勘違いすんなよ?選ぶかどうかは俺の話だ。あなたにも選択肢はある。ありますけどね」


と、こちらへ近づく。

恐怖ですくむ私はベッドの枕側へ後ずさった。


「一ヶ月で言葉を覚えるのはまず不可能。ここ、フィリオウルは都会、フィリオウル国の首都です。だから、夜になれば路地やなんかは当然治安が悪くなる。もちろん、夜警の連中も居るんすけど、漏れは起きる。宿付きであなたを雇ってくれて、稼がせてくれる。それでいて、あなたの身体には手を出さない……そんな都合のいい事はないんっすよ」


カザトの口調、語尾の端々からとがったものを感じる。


「だから、俺のは取引っすよ。俺は『アウター』として異例なんです、自分で言うのもアレですけどね。俺の財力なら、あなたを、ナナコさんを自宅に囲えるし、お小遣いも払えます。まあ、たまには勿論、僕の相手もして貰いますけどね。でも、外で誰とも知らない人間に、殺されたり、犯されたりするよりはよっぽど安心した暮らしが出来ると思います」


誰か。

ウソだと言って。


誰か。

夢だと言って。


「まあ、期間は一ヶ月ありますし、その時にまた聞きますよ。日本語の辞典と教科書もあとで届けさせます。まああとは」


誰か。

誰か。


「ま、いいです。じゃあ、また」


誰か。

助けて。


バタン、と扉が閉じた。

彼のつけた香水とタバコの臭いがふわりと舞う。

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