エピソードⅤ
エピソードⅤ 明かされた真相
正念場になると思われる日曜日がやって来る。
俺は目を覚ますと、寝袋から這い出て、カーテンで閉め切られた部室の窓を開ける。すると、抜けるような青い空の下にある学園の敷地の外が見えた。
敷地の隣にある大通りには車がまばらな感じで走っている。通りの一角にある二十四時間営業のファミレスには客が誰もいない。
学園から出られればファミレスなんて軽く行って、ドリンクバーを飲みたい方題してやれるのに。
とにかく、俺は部室から見える景色を目にして胸が透くような気持ちになった。不思議なくらい心が落ち着いている。
俺は大空を漂う雲のような気持ちで、大通りを走る車の流れを見た。一方、レクスたちはまだ朝の六時半なので寝ている。
俺は徐にスマフォをポケットから取り出す。すると、ジェイク会長やベティーからのメールが届いていた。
二人のメールは昨日の夜、遅くに送られてきたものだった。たぶん、他の奴らにも、二人からのメールは届いているだろう。
ちなみに二人とも、俺たちが今日、ダークドラゴンと戦うことは知らせてある。なので、ジェイク会長のメールには『君たちの健闘を祈る』と短く書かれていた。
対するベティーのメールには『ローグライト君が買ってきてくれた本はとても面白かったです。無事に戻って来れたら、今度は恋愛ものの本を買ってきてください』とベティーにしては、やや積極的に思えるメッセージが書かれている。
二人のメールを見て、俺も何だか勇気が沸いてきた。みんなが協力してくれたからこそ、こうして問題なく生活してこれたのだ。
みんなの親切心を無駄にしないためにも絶対に迷宮は制覇しないと。
俺は並々なら意気込みで、迷宮に挑もうとしていた。が、すぐに何か頭に引っかかるようなものを感じる。
何か重要なことを見落としている気がする。だが、それがなんなのか分からない。だけど、何かおかしい。
それはミステリー小説などに使われる難解なトリックではない。もっと単純な違和感だった。
しかも、この違和感は前にも感じたことがある。
俺がいつも使っていない頭をフル回転させていると、レクスが目を擦りながら起きた。
「あれ、ロディ。今日は早起きなんだね」
レクスは宝石のような青い目を瞬かせながら言った。
「今日はダークドラゴンに挑む日だし、早く起きる気にもなるさ。お前こそ、寝癖が酷いし櫛でとかした方が良いぞ」
俺はレクスの頭を指さしてやった。
「そっか。僕の髪ってよく手入れしないと、すぐに酷くなるんだよね。女子たちも髪は長いし、手入れは大変だろうに」
レクスや女子たちと違って、普通の男子である俺は髪の毛を気にしたことなんてない。もしかしたら、そのせいで将来、剥げるかもしれないな。
「そんなことはどうでも良いんだ」
俺は少し苛ついたように言った。レクスに当て擦っても意味はないというのに。
「そうだね。にしても、随分と怖い顔をしているけど何かあったの?まさか、今になってダークドラゴンに恐れを成したわけじゃないよね?」
レクスはからかうような口調で聞いてくる。
「違う。確かに、ダークドラゴンと戦うことが怖くないと言ったら嘘になるが。それよりも、俺たちって何か見落としてないか?」
俺は頭の中が渦を巻いているような錯覚に捕らわれながら尋ねた。
「何、そのミステリー小説みたいな質問は?」
レクスはあからさまに不審がる顔をした。
「俺は真剣に尋ねているんだよ。だからお前もちゃんと考えてくれ」
俺は語気を荒くする。こういのを隔靴掻痒という言葉で言い表すのかもしれない。
「見落としているって言われても困るよ。もしかして、それが今の僕たちの状況を打開する鍵なの?」
それはジェイク会長ですら見つけられなかった鍵だ。
俺のような馬鹿が幾ら考えても見つけられるはずがない。だが、馬鹿だからこそ気付ける部分もあると思うのだ。
「かもしれない」
俺は力なく言った。
「ふーん。ま、今回の一件は神か悪魔の仕業としか思えないようなことだから、深く考えたって答えは出ないよ」
俺としても人間の力では不可能だという意見に異論があるわけではないのだ。
「だろうな。でも、そこで思考を停止させてはいけないと思うんだよ。頭の悪い俺が言っても説得力はないけど」
馬鹿は馬鹿なりに考えろと親父にはよく言われた。
「いや、そんなことはないよ。僕たちも誰が何の目的で、こんな状況を作り出したのか、もっと考えるべきだったのかもしれない。例えそれが、神や悪魔の仕業だったとしても」
レクスは首の辺りに被さる金髪を撫でつけた。
「ああ」
俺も神妙な顔で頷く。
「面白い話をしているわね、二人とも」
ベッドから立ち上がったのはイリーナだった。その顔は怜悧に眇められている。
「イリーナか。お前、起きてたのか?」
俺は寝ていたふりをして聞いていたのかと、怒りをぶつけたくなる。が、すぐに八つ当たりしてもしょうがないと自分を諫めた。
「あんたたちの声がうるさいから目が覚めちゃったのよ。でも、誰が何の目的で、っていうところには考えさせられるものがあったわ」
イリーナは枝毛を弄りながら言った。
「うん。自分たちが選ばれたのには理由がある、なんてことはアタシだって考えてるわよ。もっとも、それが悪意から出たものなのかどうかは分からないけど」
エレインはベッドから顔を出すと猫のように笑った。
「そうだね。こんな状況を作り出したのが誰かは分からないけど、その誰かは絶対に私たちのことを見てると思う。だから、その誰かを見つけようとするのは悪い考えじゃないよ」
アンジェリカも起きていたようで、ベッドから立ち上がると軽く屈伸する。
「実のところ、私は最初から今回の状況を作り出した奴が気に食わなかったのよ。まるで、そいつの掌の上で踊らされているように感じてたし」
イリーナは釈迦の掌とでも言いたいげに言葉を続ける。
「もし、そいつが私たちの身近にいる奴だったとしたら、その顔面を殴りつけてやりたいわね」
俺も、イリーナの身近にいたらという言葉には薄ら寒さを感じた。
「アタシも。たぶん、そいつはアタシたちのことを見て、せせら笑ってるのよ。差出人がデモットのメールにも(笑)なんていうものが、いつも入ってたじゃない。あれが良い証拠よ」
エレインの言う通り、この状況を作り出した誰か…、おそらくデモットだと思うけど、奴には愉快犯的なところがある。
それはメールの内容からも明らかだ。
しかも、奴の正体が全く分からないことにも不気味さを感じるし。もし、奴が神だったりしたら、不信心な心に拍車が掛かりそうだ。
「ま、とりあえず憶測で物を語るのは止めて、ダークドラゴンを倒そうよ。第一界層を制覇すれば見えてくるものもあるかもしれないし」
レクスはそう建設的な意見を言って、話を締め括った。
☆
俺たちは地下街に行くと、赤貝亭で朝食を取ろうとする。学食や購買は日曜日はやってないからな。
こういう時にエルシアの宿屋が便利に思える。
俺たちが赤貝亭の食堂で、パンやベーコンを食べているとナッツがやって来た。
「ついに、ダークドラゴンを倒しに行く気になったか。揃いも揃って、良い面構えをしているな」
ナッツは俺たちを前にすると顎をしゃくりながら言った。
「ああ」
俺は絶妙な塩加減のベーコンを頬張りながら頷く。エルシアの朝食を食べれば元気も沸いてくるし、負ける気はしなかった。
「言っておくが、ダークドラゴンは第一界層で出て来るモンスターなどとは比べものにならないほど強いぞ」
まるで、見て来たようなことを言うんだな。だが、今更、そんな脅し文句に屈するわけにはいかない。
「分かってる。でも、俺たちはここで逃げるわけにはいかないんだ」
俺は目力を強くして言った。
「そうか。正直、おいらとしてはお前たちには死んで貰いたくない。だから、できることならずっと第一界層に留まって欲しいとも思っている。エルシアのためにも…」
それはいつものナッツらしくない言葉だった。
以前は、俺たちが第一界層を制覇するのを楽しみにしているようなことを言ってたのに、今日になってそんなことを言い出すなんて。
俺は前に見たナッツの影のある目を思い出していた。
もしかしたら、ナッツもこの迷宮では、何か大事なものを背負っているのかもしれない。
「私は平気ですよ、ナッツ」
サラダを運んできたエルシアが、どこか寂しそうな声で言った。
「エルシア…」
ナッツも萎んだような顔をする。
「私だって、何人もの冒険者をこの宿から送り出してきたんですから。その中には死んでしまった人もいますし、みなさんに何かあっても耐える覚悟はできています」
エルシアの声には芯が通っていた。
「そう言ってくれると、負けられないな、って気持ちになるよ。だからこそ、約束する。必ずダークドラゴンを倒して、この宿に戻って来ると」
俺はギュッと握り拳を作った。
「はい。もし、ダークドラゴンが倒せたら、みなさんのためにちょっとしたパーティーを開かせてください。私も普段なら絶対に出せないような豪華な料理を振る舞わせて貰いますから」
エルシアは弾んだような声で言った。普通の時でも美味しいエルシアの料理が、更に美味しくなるというわけか。何とも贅沢な話だな。
「それは楽しみだ。ま、そんな料理が待ってるんじゃ、俺たちもおちおち死んではいられないな」
俺はエルシアの視線を受け止めながら笑った。
「その通りだぞ。とにかく、ダークドラゴンなんかに負けないためにも、朝食はいっぱい食っていけ」
ナッツはテーブルを叩いて、俺たちの心を鼓舞するように言った。
☆
朝食を食べ終えた俺たちは迷宮の入り口へと向かう。
地図に記されている道のりと、今まで迷宮を歩いてきた感覚で計算すると、四時間くらいで第一界層の十二階には辿り着けそうだった。
その上、十一階までは一通り踏破してあるし、そこまでに出て来た中ボスのモンスターはちゃんと倒してあるから、通路のショートカットもできる。
だから、ダークドラゴンと戦うまでに怪我をしたり、必要以上に体力を消耗させられることもないはずだ。
とにかく、エルシアには水や食料も用意して貰ったし、準備は万端だった。
俺は迷宮の入り口にいる兵士に許可証を見せる。すると、兵士は気を付けて言ってきてくださいと言葉を添えた。
その声の響きには尊敬の念すら混じっていたように思われる。
俺は色々な人たちが期待しているのを実感しつつ、迷宮に足を踏み入れた。そして、迷宮の通路を歩いていると、他の冒険者とも顔を合わせた。
迷宮で冒険者と会うのは初めてではないが「頑張れよ」とか「期待してるぜ」などという励ましの言葉を投げかけられたのは初めてだ。
俺はますます負けられなくなったと思いつつ、現れたモンスターたちを倒していく。
勇気という名の力が漲っている俺たちにとって、現れるモンスターたちはもはや敵ではなかった。
なので、何の問題もなくモンスターたちを撃退していく。中には俺たちの姿を見ただけで逃げ出すモンスターもいたほどだ。
俺たちがまるで歯が立たないくらい強い冒険者だという認識は、モンスターたちの間でも広まっているのかもしれない。
こうして、俺たちはダークドラゴンがいる場所を目指しながら、迷宮の通路を突き進んでいく。
ただ、その途中で、ちゃんと休憩も取った。
俺は前に中ボスのモンスター、キマイラがいた部屋で腰を下ろすと、エルシアが作ってくれサンドウィッチを食べる。
エルシアの心がこもっていた、そのサンドウィッチは殊の外、美味しく感じられた。それから、二十分くらい、休憩を取ると、俺たちは再び歩き出す。
モンスターたちは次から次へと現れるが、俺たちは沸き上がるエネルギーを叩きつけるようにそいつらを倒していった。
そして、とうとう第一界層の十二階までやって来る。十二階に来た瞬間、漂う空気が明らかに変質する。
と、同時に押し寄せてくるのはうねりを上げるような強烈なプレッシャーだ。特にアンジェリカは魔法使いなので不可視の力を敏感に感じ取っていたようだった。
間違いなく、この真っ直ぐ続いている通路の奥に何かがいる。
俺は頬から汗を流しながら、震えそうな足を叱咤して歩を進める。すると、今までで一番、広い部屋へと辿り着く。
部屋の奥には大きな門の扉があった。扉は見るからに頑丈そうで、第一界層のゲートとして相応しい雰囲気を兼ね備えている。
だが、門の扉を守っているはずのダークドラゴンがいない。
俺がどういうことだと訝っていると、頭上から小さなドラゴンが現れた。そのドラゴンは門の扉の前にふわりと降り立つ。
俺の目が確かなら、そのドラゴンはナッツだった。
「よく、ここまで辿り着いた、才気、溢れる冒険者たちよ」
ナッツは高らかに言った。宿にいた時とはまるで声質が違う。
「どういうことだ、ナッツ?」
そう問い質す俺の手は小刻みに震えていた。
「まだ分からないのか。この私こそ第一界層のボス、ダークドラゴン・ジャハナッグだ。今から、私の真の姿を見せてやろう」
そう言うと、ナッツの体が見る見る内に巨大化していく。
その顔は見るからに凶暴そうになり、口は牛すら丸呑みにできるような大きさになった。腕や足は隆々とした筋肉に覆われ、爪もサバイバルナイフのように鋭くなる。
最後に背中の羽も力強さを感じさせるようにバサッと広げられた。
俺は威風堂々とした八メートル近くの体長を誇るナッツを見詰める。今のナッツの姿は圧巻と言って良かった。
「お前が、ダークドラゴンだなんて本当なのか?悪い冗談なら止めてくれよ」
桁違いの迫力を有する漆黒のドラゴンを前にしながらも、俺は何かの間違いであって欲しいと一縷の望みをかけるように言った。
「この期に及んで嘘を吐いても仕方があるまい。私は迷宮にある全ての界層を支配するお方、邪神ゼラムナート様から、このゲートの守護を命じられている」
ナッツは空気を震わせるような声で言葉を続ける。
「故にこの先に進みたければ私を倒すしかないということだ」
ナッツは剛毅に笑った。
「つまり、ずっと何食わぬ顔をして俺たちを騙していたってことか。エルシアはこのことを知っているのか?」
俺は笑顔で送り出してくれたエルシアの顔を思い出す。
「知らない。が、もしかしたら知っていても、何も言わないだけかもしれない。いずれにせよ、私がここにいることと、エルシアは無関係だ」
ナッツはどこか懐かしさすら感じさせる声で言った。
「そうか」
なら、遠慮なく戦えるな。
「お前たちとて、何か大きなものを背負っているのであろう。ならば、この戦いから逃げるわけにはいかないのではないか?」
ナッツは武人を思わせる声で問い掛けた。
「その通りだし、お前の言いたいことは分かっているつもりだ」
俺とて逃げるつもりは毛頭ない。これは逃げてはならない戦いなのだ。例え、その結果、ナッツを殺すことになっても。
「では、お前たちの力を見せて貰おうか。一応、言っておくが、手加減は無用だぞ。私もお前たちを本気で殺すつもりで戦うのだからな」
そう口にすると、ナッツ、いや、ダークドラゴン・ジャハナッグは天井に向かって耳を劈くような咆哮を上げる。
これには俺も戦慄した。
こうして戦いの火蓋は切って落とされる。
俺は剣を構えると、冷静にジャハナッグの出方を窺う。隣にいるレクスとイリーナは足が床に縫い付けられたかのように動けないでいた。
今までのモンスターとは格が違いすぎることを二人とも感じ取っていたのだろう。
俺たちが動けずにいると、その後方から、エレインがジャハナッグの動きを牽制するように連続して矢を放った。
その矢はジャハナッグの黒光りする皮膚に当たったが、すぐに弾かれてしまう。矢の攻撃力ではジャハナッグには傷一つ付けられないらしい。
それならと思ったのか、エレインはジャハナッグの獰猛さを感じさせる瞳に矢を命中させようとする。
だが、ジャハナッグはその矢を巨体に似合わぬ俊敏な動きで避けた。
それから、ジャハナッグは人間の体などいとも簡単にバラバラにできそうな鋭い爪を振り翳す。
すると、一気に前へとジャンプして襲いかかってきた。十メートルはあった間合いが一瞬にしてゼロになったのだ。
俺もその唐突な動きに反応できず、体が硬直してしまった。
そして、俺の頭上から空間ごと切り裂かれそうな爪が振り下ろされる。俺はその一撃をギリギリのところでかわす。
が、バックステップをした俺の鼻先を、鋭利な爪が通り過ぎたのだ。これには俺も心胆が寒からしめられたし、本当に危なかった。
だが、ジャハナッグは息を吐く暇もなく連続して爪を振り下ろしてくる。様々な角度から爪が迫り来るので、俺はその爪を必死に避け続けた。
それから、避けきれないタイミングで迫った爪は俺が持っているミスリルの盾で防ぐ。
その瞬間、盾は三つに断ち割られて、地面に落ちた。ミスリルでできた盾がまるで木の板のように破壊されるなんて。
こんな攻撃を食らったら一巻の終わりだぞ。
俺は冷や汗を掻きながらも反撃とばかりに大きく剣を一閃させた。それはジャハナッグの腕に血が吹くような切り傷を付ける。
だが、たいした傷ではないのかジャハナッグは頓着せずに、今度は鋭い牙を剥き出しにして俺にかぶり付こうとした。
俺は反射的に横に飛んでそれを避ける。もし、避けるタイミングが遅かったら、俺の上半身はジャハナッグの胃袋に収まっていただろう。
すると、それと入れ替わるように瞬足を誇るレクスが小剣で、ジャハナッグの額を貫こうとしたが、それは寸前のところでかわされる。
ジャハナッグはまるで猫のようにしなやかで、柔軟性のある動きができるみたいだ。
それを受け、今度はジャハナッグの死角に回り込んだイリーナが、ジャハナッグの側面から空に穴を穿つように槍を突き出した。
その一撃はジャハナッグの足の皮膚を貫き、刺し傷を負わせた。だが、槍の穂先は半分ほどしか刺さらなかった。
なので、深い傷とは言えない。ジャハナッグの分厚い足の筋肉はそう簡単には貫けないな。
それから、イリーナが槍を引き抜こうとすると、ジャハナッグはいきなり竜巻のように体を旋回させた。
その勢いに持って行かれるようにイリーナの体は木の葉のように宙を舞い、太くて長いジャハナッグの尻尾は真横から大木すらなぎ倒せそうな勢いで俺とレクスに迫る。
ブォーンと風を切る音が鳴ったが、身軽なレクスはしゃがみ込むことで、その一撃をやり過ごす。
だが、俺は避けきれずに、その尻尾の一撃を食らってしまった。
咄嗟に身を捻って、衝撃を和らげたが、それでも大きく吹き飛ばされて、ろくに受け身も取れずに俺はゴロゴロと床を転がる。
その際、イリーナの姿が視界に映ったが、あいつも背中から床に叩きつけられたのか苦悶の表情を浮かべて倒れていた。
俺は全身を駆け巡るような痛みに耐えながら、すぐに上半身を起こす。
それから、ジャハナッグは倒れて動けない俺とイリーナを無視してレクスに襲いかかる。レクスは繰り出される爪の一撃を、舞い踊るようにかわす。
だが、ジャハナッグのあまりにも苛烈な攻撃に、レクスも反撃の糸口が見つけられないようだった。
このままではレクスが殺される。
そして、そんなレクスに助け船を出すように、アンジェリカがロッドを掲げて魔法を使うとジャハナッグの体に目も眩むような光りが落ちた。
まるで落雷のようだったし、あれはサンダーボルトの魔法だ。
一方、ゾウすらショック死しかねない雷の直撃を受けたジャハナッグは体からプスプスと白煙を立ち上らせていた。
が、その顔に苦痛の色はなく、レクスに迫ろうとする動きにも綻びはない。
それを見たレクスもアンジェリカの魔法に攻撃を任せるため、ジャハナッグからバッと離れる。
アンジェリカもレクスの動きに呼応するように、今度はロッドの先に巨大な炎の球を作り、それを放つ。
炎の球はそのままジャハナッグの体に命中し、空間が爆ぜ割れたかのような大爆発を引き起こした。
その衝撃は凄まじく、部屋全体がまるで地震にでも見舞われたかのように激しく揺り動かされる。
立ち上がった俺はアンジェリカの使ったエクスプロードの魔法を見て、少しは効いたか思った。
だが、轟々と燃え盛る炎の中から、ジャハナッグがしっかりとした足取りで現れる。
その皮膚はマグマを彷彿させる猛火の中にいたとは思えないほど綺麗なものだったし、これには俺も舌を巻いた。
一方、アンジェリカは挫けることなく、次の魔法を使う。すると、見る見る内にジャハナッグの体が凍り付いていく。
それから、三十秒も経たない内に氷の彫像ができ上がった。
極寒の中にいるような冷気も部屋全体に広がっている。が、すぐに内側からの力に耐えきれなくなったように氷の彫像に罅が入る。
ジャハナッグが大きく身を震わせるのと同時に、その体を覆っていた氷はガラスのように粉々に砕け散った。
しかも、氷の中から出て来たジャハナッグは別段、堪えた様子もなく、精気の漲る瞳をギラギラと輝かせている。
絶対零度の魔法、アブソリュート・ゼロも効果なしか。
その結果を突きつけられたアンジェリカはグッと顎を引くと、最後にあのリッチを一撃で倒したシャイン・ブラスターの魔法を放った。
真っ直ぐに伸びる光線は視認することすら許されないようなスピードでジャハナッグにぶつかり、激しい光りを乱舞させる。
俺の目もチカチカした。
だが、光りの中から現れたジャハナッグは、こっちが悪い冗談だろと思ってしまうくらいダメージを受けていない体を悠然と見せつける。
どうやら、ジャハナッグは今までに戦ってきたモンスター以上に魔法に対する抵抗力が強いらしい。
やっぱり、ダークドラゴン・ジャハナッグは俺たちの予想を大きく上回る、途轍もない力を持ったモンスターだ。
とにかく、上位系の攻撃魔法を三度も食らい、その上、一番、攻撃力のあるシャイン・ブラスターを真っ向から受けてもダメージがないとなると、魔法ではジャハナッグは倒せそうにないな。
となると、結局、物理攻撃で攻めるしかないということだ。
レクスもそう思ったのか、不屈の精神を感じさせるように再びジャハナッグに攻撃を仕掛けようとする。
が、反撃とばかりに今度はジャハナッグが灼熱の炎を吐いた。炎は津波のように押し寄せて来る。
それはキマイラの炎を遥に凌ぐ勢いだった。
ジャハナッグの近くにいたレクスもクルリと身を翻して迫り来る炎から逃げようとする。
だが、間に合わずにレクスは大波にさらわれるように炎に飲み込まれた。あの炎を食らって、普通の人間が生きていられるはずがない。
俺は自分の肌が炎の熱でチリチリしているというのに、まるで凍えるように歯をガチガチと震わせる。
だが、俺の絶望的な心中を余所にレクスは生きていた。その体にはどういうわけか焦げ跡一つ付いていない。
そう、レクスの体は薄い光りの膜に包まれていたのだ。
炎を全て遮断してのけた光りの膜はキマイラとの戦いでも使われたフォース・シールドの魔法だろう。
ブレス系の攻撃を防ぐ上位系の付与魔法、フォース・シールドに守られていればドラゴンの炎といえども怖くはない。
その効果はキマイラの時に実証済みだし。
とにかく、危ういタイミングではあったが、フォース・シールドを張るのが間に合って良かった。
一方、レクスももう炎を食らっても大丈夫だと判断したのか、一陣の風となってジャハナッグの懐に入り込むと、連続した突きを浴びせる。
その流星のような突きを浴びたジャハナッグの胸には刺し傷が幾つもできた。だが、まだまだ致命的なダメージとは言えない。
なので、レクスも今度は目にも映らないような早さの突きを放ち、ジャハナッグの心臓を確実に貫こうとした。
が、ジャハナッグの方も自らの反射神経に突き動かされるように後ろへと大きく跳躍し、レクスの突きをかわして見せる。
そして、レクスとジャハナッグは睨み合いながら対峙した。
その隙に、俺と同じく立ち上がっていたイリーナは勇ましい顔でレクスの隣に並ぶ。すかさず、アンジェリカが俺とイリーナにフォース・シールドの魔法をかけた。
これで俺たちも安心だな。
とはいえ、魔力を消費しすぎて息を荒げているアンジェリカにもう上位系の魔法は使えないだろうし、後は俺たちが何とかするしかない。
そして、炎を恐れる必要がなくなった俺たちは一斉にジャハナッグへと肉薄する。
すると、ジャハナッグは俺たちを寄せ付けないように地獄の業火を思い起こさせる炎を吐いた。
だが、俺たちの体はフォース・シールドで守られているので、炎もその熱も体に届くことはなかった。
もっとも、もしフォース・シールドを破られたら、俺たちは一瞬で消し炭になるだろう。
俺は冷や冷やしながらもすかさず間合いを詰めると、裂帛の気合いでジャハナッグに斬りかかる。
ジャハナッグの方もカウンターとばかりに必殺の力を込めた爪を振り下ろしてきた。際どいタイミングで、俺とジャハナッグの体が交錯する。
その瞬間、ジャハナッグの腕は俺が繰り出した迅雷の如き斬撃によって、血飛沫を上げながら切断されていた。
俺の動きが、ジャハナッグの動きを完全に凌駕したのだ。
これには腕を失ったジャハナッグも痛みに耐えかねたのか、ガアッーと叫び声を上げる。と、同時に頭にも血が上ったのか、もう片方の手で俺の体を無理やり引き裂こうとした。
が、その掌をレクスの銀の流線を見せる小剣が貫く。イリーナも渾身の力を込めて、ジャハナッグの足を槍で突き刺した。
今度は槍の穂先も深々と突き刺さる。
俺はジャハナッグの動きが鈍ったのを見逃さずに、ジャハナッグを疾風のように斬り付けようとする。
すると、ジャハナッグはいきなりガバッと口を大きく開けて、空間ごとと飲み込むように俺にかぶり付こうとする。
その悪夢のような動きには俺も対応できない。
が、ジャハナッグの眼球にエレインの矢が良い音を立てて突き刺さった。目から血が吹き上がり、ジャハナッグの口から見える牙は俺の体を逸れる。
俺は訪れた勝機を見逃さずにジャハナッグの懐に飛び込むと熾烈、極まりない無数の斬撃を浴びせた。
ジャハナッグの逞しい胸が何度も切り裂かれる。大量の血が、ジャハナッグの胸から流れ出した。
そして、俺の攻撃に合わせるようにレクスも小剣から繰り出した一閃突きで、ジャハナッグの喉の辺りを貫く。
その拍子にレクスの小剣は根元からポッキリと折れてしまった。
これでレクスはもう戦えなくなった。
一方、イリーナはジャハナッグの動きを完全に封じるため、力強い踏み込みと共にジャハナッグの足首を槍で串刺しにする。
これにはたまらずジャハナッグも膝を突いた。
俺たちの息の合った連携攻撃を受けたジャハナッグは満身創痍といった状態になっていた。
だが、ジャハナッグは衰えぬ闘気を発散し、必死に爪を振り下ろしてくる。俺もその攻撃を研ぎ澄まされた動きで避け続けた。
そして、俺はジャハナッグに止めを刺そうと、レクスの代わりに剣で心臓を貫こうとする。
が、ジャハナッグは足掻くような動きで、体を旋回させると俺とレクスとイリーナを尻尾から繰り出される横なぎの一撃で吹き飛ばそうとした。
とはいえ、その一撃には、先ほどのような暴風を思わせる勢いはない。なので、レクスとイリーナは余裕を持ってかわすことができた。
ただ、俺だけはその一撃を敢えて紙一重のところでかわす。それから、軽業師のようにジャハナッグの尻尾に飛び乗って見せた。
そして、迅速な動きで、ジャハナッグの背中を駆け上る。ジャハナッグも暴力的な勢いで俺を振り落とそうとする。
が、俺はその動き抗いながら、ジャハナッグの頭部にスタッと降り立った。
そして、剣を振り上げると全ての力を振り絞るように、ジャハナッグの頭を剣で刺し貫く。
その瞬間、グサッと肉と骨を貫通する嫌な感触が腕に伝わって来た。
それを受け、ジャハナッグは声にならないような声を上げると、糸が切れた凧のようにドスンと横倒れになった。
脳を貫かれたのだ。普通のモンスターだったら生きてはいられないだろう。
床に下りた俺は倒れて動かなくなったジャハナッグを見て終わったと思った。
「俺たちの勝ちだな、ジャハナッグ」
そう言って、俺が悲しさを滲ませるような顔をしていると、ジャハナッグの体が黒い粒子となって消え始める。
すると、黒い粒子の中から、声が聞こえてきた。
「この私を打ち倒すとは見事だ。お前たちの強さなら、迷宮にある全ての界層を制覇できるかもしれんな」
ジャハナッグ、いや、ナッツは心から称賛するように言った。
「俺は…」
俺はやるせない顔をして俯いてしまう。
「そんな顔するな。時間が経てば私はまた復活して、このゲートの守護をすることになる。だから、これが今生の別れというわけではない」
ナッツは笑いを含んだ声で言った。
「そうなのか?」
だとしたら、拍子抜けも良いところだ。
「ああ。だから、エルシアにはしばらくの間、宿には戻れないと伝えておいてくれ。でないと、要らぬ心配をかけることになるからな」
それを聞き、俺はナッツのエルシアに対する気遣いをひしひしと感じた。
「では、さらばだ」
その言葉を最後に黒い粒子は背景に溶け込むようにして消えた。と、同時に奥にあった門の扉がガラガラと開かれる。
この先に第二界層があるってわけか。
俺たちが開かれた扉の前で突っ立っていると、スマフォが振動する。
『よく第一階層を制覇したな、冒険者の諸君。だが、まだまだ先は長いし、気を引き締めて全ての界層を制覇できるように頑張ってくれ(笑)』
このメールのメッセージを見た俺は、差出人のデモットを殴りたくなった。他の奴らもスマフォを手にしながら、あからさまに顔をしかめてるし。
その後、俺たちは何が待ち受けているのか分からない第二界層には行かずに一端、町に戻ることにする。
体力の消耗も激しいし、ゆっくりと休まないとな。
☆
「おめでとうございます、みなさん。私もみなさんなら、きっとダークドラゴンを倒して戻って来てくれると信じていました」
赤貝亭に戻ると、エルシアが感激したような顔をしながら言った。
「ありがとう」
俺は頭の後ろをボリボリと掻く。
今でもジャハナッグを倒せたことには実感が持てないのだ。なので、こうやって安心できる場所に戻ってくると、膝が笑い出しそうになる。
「これで、みなさんの名前も町中に知れ渡ることでしょう。私も、みなさんのような人たちを持て成すことができて光栄です」
エルシアの声は本当に嬉しさが滲み出ていた。
「そんなに持ち上げないでくれよ。ダークドラゴンを倒せたのは、俺たちに色々と良くしてくれたエルシアや町の人のおかげなんだから」
親切にしてくれたのはエルシアだけではないのだ。
右も左も分からなかった新米の冒険者の俺たちに、色々と教えてくれた町の人たちのことも忘れてはならない。
「そうですね。では、さっそく、お料理の支度をします。何せ、パーティーなんですから、思う存分、食べてください」
そう口にするエルシアの顔を見て、俺は胸が痛んだ。
「分かったよ。でも、ナッツのことだけど」
俺がそう言いかけると、エルシアは目に涙を浮かべながら口を開く。
「それは言わないでください。言わなくても、私には分かりますから…」
やっばり、エルシアもナッツの正体には気付いていたか。
ま、エルシアとナッツは長い付き合いみたいだからな。もしかしたら、こういう別れ方も初めてではないのかもしれない。
「そっか。なら、美味しい料理をいっぱい作ってくれよな。ナッツの分までたくさん食べるからさ」
俺は空元気を装うように言った。
「はい」
少し切なそうに返事をするとエルシアは料理を作るためにカウンターの奥に行ってしまった。
俺たちは心身ともに疲れ切っていたので、食堂のテーブルに腰を下ろす。すると、みんなほっと胸を撫で下ろしたような顔をした。
「でも、何とかダークドラゴンを倒せて良かったよ。はっきり言って、ダークドラゴンはとんでもない強さだったし、運が悪ければ負けていたのは僕らの方だった」
レクスは折れた小剣の鞘に手を伸ばしながら言った。
「そうよね。アタシの弓なんて、ほとんど活躍できなかったし。あれには悔しい思いをさせられたわ」
でも、エレインの弓のフォローがなければ俺は死んでいたかもしれない。
「それは私だって同じだよ。攻撃魔法は全く通じなかったし、付与魔法でしかみんなの役に立てなかったから」
そうは言っても、アンジェリカの果たした役割は大きいと思うぞ。
「私も満足できるような戦いができたとは言えないわね。もっとも、一人で無茶をしてたら、殺されていたかもしれないけど」
イリーナも、今まで以上に俺たちとの連携を意識した戦い方をしてくれたからな。みんなが、バラバラに戦っていたら各個撃破されていたかもしれない。
「俺としても今回の戦いは苦しいものだったよ。何せ相手はナッツだったからな。あいつとは良い友達になれたと思ってたのに」
俺も剣に迷いがなかったと言ったら嘘になるな。
「でも、ナッツは自分は復活するって言ってたし、ひょっこり、またこの宿屋に戻ってくるよ。そしたら、もっと仲良くなれるかもしれない」
レクスはそれを心から望むように言った。
「そうだな」
俺も目を伏せて笑う。
「まっ、何にしても、まだ第一界層なのよ。第二界層になったら、どんな強敵が現れるか分かったもんじゃないわ」
そう言って、エレインは頭の後ろで手を組む。果たして、第二界層には休んだり装備を調えたりできるような町はあるのだろうか。
「第二界層の情報が全くないって言うのは困るよね。もっとも、その方が迷宮を攻略する面白みはあるのかもしれないけど」
アンジェリカはその事実を指摘する。
「そうだね。いずれにせよ、この町で出回っている地図は第一界層までしか載ってないんだよね。もし、第二界層の地図が手に入らないようだと苦しい探索を強いられるかもしれない」
レクスは危惧を感じさせる声で言った。
「私も安全を第一に考えるなら、第二界層がどんなところかは予め知っておくべきだと思う。迷宮の探索じゃ、情報は命にもなるし」
イリーナは探偵のような顔で唇に指を添えた。
「本屋とかに第二界層のことを書いてある本はないかな。ちゃんと探せばありそうなもんだけど」
レクスは伸びをしながら、そうぼやいた。
その瞬間、俺の脳に電流のような刺激が走る。何が頭に引っかかっていたのかようやく分かったのだ。
もっとも、この程度のことに気付いたからと言って、何かが変わるとは思えない。とはいえ、無視できることでもない。
俺はもやもやしたものを感じながら、黙り込む。が、レクスたちは俺の心中など知らずにお喋りに花を咲かせていた。
その後、俺たちはエルシアが振る舞ってくれた料理を食べる。エルシアがパーティーだと言って作ってくれた料理だけあって何とも豪華だった。
なので、俺たちは戦いの疲れを吹き飛ばすように料理をたくさん食べた。ただ、この場にナッツがいないことには俺も寂しさを感じてしまったけど。
とはいえ、そのことをいつまでも引きずっているのは俺だけのようで、他の奴らは全く遠慮をせずに出された料理を食べ尽くしてしまった。
この図太さは俺も見習いたいところだな。
とにかく、こうして、俺たちは無事、第一界層の制覇を成し遂げたのだった。
ちなみに、ダークドラゴンを倒せば町の人たちから表彰されるという話はガセネタだったようで、エレインも家を建てられるようなお金は貰えなかった。
☆
次の日の朝、俺たちは生徒会室にいた。
第一界層を制覇したことは昨日の内にメールでジェイク会長とベティーには伝えてある。
だが、昨日は日曜日だったので、ジェイク会長もベティーも学園にはいなかったのだ。なので、今日の朝になってジェイク会長からの呼び出しを食らったというわけだ。
「ついに第一界層を制覇したようだな。よく頑張ったと言っておこう」
ジェイク会長は鷹揚に言った。その横にはいつものようにベティーがいて、微苦笑していた。
「はい」
俺は覇気の籠もった声で返事をする。
「初めはどうなるかと思ったが、君たちも冒険者としての貫禄が板に付いてきたのではないか?」
ジェイク会長はからかい混じりに笑った。
「そんなことはありませんよ。ただ、早く家に帰りたいから、必死になっているだけです」
それは俺だけではなく、みんなも同じだろう。
「そうか。俺も迷宮に入れれば、君たちの力になれるのだが。今までの人生の中で、ここまで歯痒い思いをしたのは初めてだぞ」
ジェイク会長はそのことを心底、悔しく思っているようだった。
「そうですね。会長ならきっと即戦力になりますよ。元々、何の力もなかった俺たちでさえ、ここまでやれたんですから」
この人が一緒なら、迷宮の探索もきっと捗るはずだ。
「だと良いが」
ジェイク会長は含み笑いをすると、言葉を続ける。
「とにかく、この調子で迷宮の探索に励んでくれ。ただし、中間テストの勉強も忘れずにな」
ジェイク会長は話を締め括るように言うと、俺に目配せをしてきた。
「ええ」
俺は頬の筋肉が引き攣るのを感じながら頷いた。それから、何食わぬ顔でみんなと一緒に生徒会室を出ると、その足で屋上へと向かう。
もちろん付いてくる者は誰もいない。
そして、屋上に辿り着くと、俺はフェンス越しに景色を眺める。屋上には気持ちの良い風が吹き付けていた。
もうすぐ春も終わる。そう思わずにはいられない光りを太陽も放っている。
とにかく、早く学園の外に出たい。そして、ルークと学校の帰りにゲームセンターに行けるような日常を取り戻したい。
そんな焦燥にも似た気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。
それから、待つこと五分。一人の男子生徒が俺の近くにまで歩み寄ってくる。それはあのジェイク会長だった。
「内密な話があるそうだな」
ジェイク会長は眼鏡のフレームを指で押し上げる。
俺は昨日の内にメールで、ジェイク会長と二人だけで話をしたいというメッセージを送っていたのだ。
だから、会長もここに来た。
「はい」
俺は屋上に他に誰もいないか確認する。
だが、殺風景な屋上には青い空があるだけだった。まあ、だからと言って、見られていないと安心できるものではないが。
「では聞かせて貰おうか。その内容によっては、俺も打ち明けなければならないことがあるからな」
ジェイク会長は鋭い眼光を向けてきた。
「やはり、会長も何かを掴んでいたんですね」
俺が気付いたことと、関連があると良いんだけど。
「ああ。俺とて、ただ遊んでいたわけではないからな。今回の一件については様々な思索を巡らせていたのだ」
ジェイク会長の顔には「侮るな」と書いてあった。
「そうですか。実は…」
俺は自分の中で蟠る疑問をジェイク会長に吐露した。
☆
それから、三日が経った。
俺たちはまだ第二界層には足を踏み入れていなかった。なぜかというと、俺がみんなを無理に留めていたからだ。
俺とジェイク会長の考えが確かならこれ以上、危険を冒してまで迷宮に潜る必要はなくなる。
なので、ジェイク会長からの報告があるまで、俺はみんなが第二界層に行こうとするのを止める必要があったのだ。
そして、今日の朝、ジェイク会長からの報告があった。これで事態は大きく動くことは間違いなくなった。
あとはどのように立ち回るかだと思う。
俺が朝の教室で浮かない顔をしていると、ルークから話しかけられる。
「今日はやけに暗い雰囲気を漂わせてるな。何かあったって顔に書いてあるぞ」
ルークの言葉に俺は目線を下に向ける。
「そうか?俺は至って普通だぞ」
そう言いつつも、言葉に力が入らない。
「強がるなって。まあ、中間テストも近づいてきたから、ブルーな気分になっちまうのも分かる気がするが」
張り合うつもりなんてさらさらないテストで、ここまで落ち込んだりはしない。
とにかく、脳天気なルークには思春期の少年の心は複雑なものなんだ、と言ってやりたくなる。
「中間テストは関係ないだろ。俺は馬鹿だけど、赤点を取るなんてことはしないし」
補習を受けるようなヘマはしない。
ちなみにルークもテストの成績は俺と似たり寄ったりだ。なので、良く学食のハンバーグを賭けた勝負をする。
「そうだな。何なら、今度の中間テストは一緒に勉強するか?そうすれば、平均点は確保できるかもしれないぞ」
ルークは悦を感じさせる笑みを浮かべた。
「遠慮しとく。お前と勉強しても、良い結果にならないことは中等部の時に既に思い知ってるからな」
すぐにゲームの話で盛り上がってしまうのだ。だから、勉強になんてならない。
「そうだったな。でも、アンジェリカと一緒の部活をやってるなら、彼女に教えて貰うのも良いんじゃないか?アンジェリカはテストの順位じゃ、常に十位以内に入ってるし」
アンジェリカは可愛いだけでなく、オールラウンドに何でもこなしてみせるのだ。もっとも、それはイリーナも同じみたいだけど。
「そんなことができるか。俺は女子とテスト勉強ができるほど大胆な奴じゃない」
もし、俺が女子と一つ屋根の下で暮らしていることをルークが知ったら、どんな反応をするだろうか。
「ハア、相変わらず変なところに拘る奴だな。ま、女子と仲良くなりたくないって言うなら、当分は男の友情を大切にしてくれるってことか?」
ルークはしみじみとした顔で俺の肩を叩いた。
「そんなところだ」
俺だってルークと接する時間が少なくならないように、気を遣っているのだ。
「その割りには付き合いが悪いじゃないか。お前が行かなかったパスタ屋だけど、凄く旨かったんだぜ」
ルークはわざと舌なめずりをして見せた。
「そっか」
俺だってパスタくらい自由に食いたいよ。
「とにかく、男の友情を大切にするなら、レオンハルトの奴と勉強すれば良いじゃないか。あいつもテストの順位はかなり良いぞ」
レクスが優秀な生徒だということは聞かなくても分かる。
「止めとくよ。何となくあいつの力は借りたくないんだ」
レクスは同性として見ることができないところがある。
その証拠に、一度もあいつの裸を見ていないからな。シャワーを浴びる時は俺を避けているような節もあるし。
「そうか。ま、何か協力して欲しいことがあるなら、気兼ねなく言ってくれよ。学食のハンバーグ一つで手を打ってやるぜ」
ルークはグッと親指を突き立てて笑った。
「ありがとよ」
俺はルークのどこまでも突き抜けた明るさに救われた気がした。
☆
昼休みになると俺は部室に行った。そこにはアンジェリカとエレインとイリーナが、ベティーと一緒にお茶を飲んでいた。
四人の中心にはケーキが置かれている。またベティーが買ってきてくれたらしいな。しかも、今日はイリーナもいるし。
イリーナも俺たちとはだいぶ打ち解けてきたみたいだ。やっぱり、迷宮で苦楽を共にしたからだろうか。
俺としてはイリーナが良い方向に変わってくれるのを信じたいけど。
「よっ、ベティー」
俺は軽く手を上げてベティーに話しかけた。
「こんにちは、ローグライト君」
ベティーは慌てて口を付けていたティーカップを置いて、言葉を返して来る。俺もベティーのこういう仕草は微笑ましく思える。
「また美味しそうなケーキを持ってきてくれたみたいだし、俺も一つ貰って良いかな?」
学食ではルークと大盛りのカレーライスを食べたが、腹が一杯になったわけではない。
「は、はい。ローグライト君とレオンハルト君の分は取って置いてあるので、遠慮なく食べてください」
ベティーの言葉に俺は仄かな嬉しさを感じる。
やっぱり、ベティーは良い心を持った女の子だ。だからこそ、俺も理解に苦しむところがあるんだけど。
「サンキュー。それと、恋愛物の本のことだが、もう少し時間をくれないか。なかなか、面白いやつが見つからないんだ」
俺は何げない感じで言った。
「そうですか。私もローグライト君の本を見る目は確かだと思っていますし、ゆっくり選んでくれて構いません」
魔術書の方も楽しんで読んでくれたらしいな。
「分かったよ」
俺はなるべく柔らかに笑って見せると、ケーキを食べる。それから、女子たちの話の邪魔をしないようにテレビを付けた。
「そんなことより、来月にある中間テストはどうするつもりなの?アタシ、全然、勉強してないんだけどー」
エレインの愚痴みたいな声が聞こえてくる。
「私は勉強しなくても授業さえちゃんと聞いていれば良い点が取れるから心配はしてないかな」
アンジェリカはやっぱり優等生だ。
「私も同じよ。この学園のテストって簡単すぎると思ってるくらいだし」
イリーナは優雅にティーカップを持ち上げると、淡々と言った。
「二人とも、その余裕は嫌味にしかならないわよ。アタシだって、学園の外に出られればファミレスで友達と一緒に勉強できるのに」
エレインは部室の天井を仰いだ。
ファミレスで勉強したって、エレインじゃどうせくだらないお喋りをするだけで終わってしまうと思う。
「良かったら、私が勉強を教えてあげましょうか?フローリアさん」
そう言い出したのは意外にもベティーだった。
「ホント?」
エレインはすぐに飛びつくような反応を見せる。単純な奴だ。
「ええ。私はいつも勉強してますし、テストの成績も悪くないですから」
ベティーの言葉は嫌味にはならなかった。
「なら、教えてよ。アタシって、テストじゃ平均点を確保するのがやっとなんだよね。だから、親からは平均点を下回ったらお小遣いを減らすって脅されてて」
エレインと俺、果たして、どっちが頭が良いんだろうな。
「そうですか」
ベティーは頬を触りながら苦笑した。
「そういうことなら、私もテスト勉強には付き合ってあげるわよ、エレイン。あんたが赤点でも取って補習を食らったら迷宮の探索の時に困るし」
人とは距離を置きたがるイリーナにしては、やけに積極的だった。やっぱり、こいつは良い意味で変わったな。
「エレインさえ良ければ私も勉強を教えてあげるよ。こう見えても、勉強を教えるのには自信があるんだよね。従兄弟、相手に家庭教師みたいなことをしてた時もあるし」
アンジェリカは別に得意げになる風でもなく言った。
「それなら、みんなでテスト勉強をしませんか?そうすれば、必ず良い結果に繋がると思いますし」
ベティーの提案にみんなも揃って頷く。女子力全快の女子陣を見て、俺はこんな日常がいつまでも続いて欲しいなと思った。
「賛成ー」
最後に一際、甲高い声を上げたのはみんなから世話を焼かれるお調子者のエレインだった。
☆
放課後になると、俺たちは校舎の地下室に来ていた。
そこには迷宮探索部の部員だけでなく、ジェイク会長やベティー、マクミラン先生までいる。
つまり、俺たちが陥っている状況を知っている奴が勢揃いしているわけだ。
もちろん、全員、揃っているのはジェイク会長がメールでこの場所に集まるように指示したからだ。
その理由については俺以外、誰も知らないことだろう。
「みんな、良く集まってくれた。これから大事な話がある」
ジェイク会長は講堂の壇上に立っている時のような威厳のある声で言った。
「大事な話?」
レクスが眉を持ち上げる。
「そうだ。この状況を作り出した人物を特定することができたのだ。だから、その人物の名前を今から明かそうと思う」
ジェイク会長の言葉を聞き、集まった一同の顔に緊張が走った。だが、ジェイク会長は能面のような顔で言葉を続ける。
「この状況を作りだした人物、それはベティー君だよ」
ジェイク会長は無念そうな目で、そう言った。
「えっ?」
ベティーはぎょっとしたような顔で身を震わせる。アンジェリカやエレインも戸惑うような顔で、ベティーの方を見た。
それを受け、俺は歯を食いしばりながら口を開く。
「もう止めにしないか、ベティー」
俺は心に激しい痛みが走りながらもベティーに話しかける。
「ど、どういう意味ですか?」
ベティーはブルブルと震えている。みんなの視線がベティーの顔に集中しているのだ。気の小さい彼女が動揺しない方がおかしい。
「今回の一件は全部、君が仕組んだことなんだろ?」
俺はあくまで慎重に問い詰める。ベティーの背後に奴がいるとすれば、慎重にならざるを得ないからだ。
「な、何のことですか?」
ベティーはまだ白を切ろうとしていた。そして、それを見た会長は何とも苦々しい顔で口を開く。
「ベティー君、悪いが君のスマートフォンを盗聴させて貰った。君とデモットが交わしていた会話もちゃんと聞かせて貰ったよ」
ジェイク会長はずば抜けて頭が良く、機械関係にも強い。なので、ベティーのスマフォに小さな盗聴器を仕込んでいたのだ。
それも本人に気付かれないようにこっそりと。
もちろん、こんなやり方をせざるを得なかったジェイク会長の苦しさは筆舌に尽くしがたいものがあるが。
「か、会長」
ベティーの顔面は蒼白だった。一番、信頼していた人間に謀れたのだ。ショックも一入に違いない。
「俺はなぜ、ローグライト君たちが選ばれたのか、その理由をずっと探っていた。だが、まるで分からなかった」
ジェイク会長は整然と言葉を続ける。
「ただ、この一件を仕組んだ人物は、必ず我々の近くにいるとは確信していた。だから、その理由は俺やベティー君、マクミラン先生にもあるかもしれないと考えたのだよ」
もし、この状況を仕組んだ人物がいるなら、俺たちをなるべく近くで観察したいと思うはずだからな。
ならば自然な形で、俺たちと接触を図るはずだ。
ミステリー小説ではないが、何か事件が起きれば犯人が身近にいると言うのはセオリーだろう。
そして、そのセオリーは最も嫌な形で、現実のものになった。
「ただ、マクミラン先生に協力を仰いだのは俺だし、俺も自身が黒幕でないことは知っている」
ジェイク会長も自分とマクミラン先生は最初から除外していたらしい。
「だからこそ、ベティー君も怪しいと思ったのだ。今回の一件に関わる必然性がないのも、ベティー君だけだしな」
ベティーは俺たちに色々なことをしてくれた。なので、俺もこの一件に関わる必然性がないとは思わなかった。
ただ、離れた視点で俺たちを見ていたジェイク会長は、そのことが、ずっと引っかかっていたのだろう。
だから、ベティーのことを信じたいと思いながらも、真実を突き止めようとするのを止めなかった。
「そして、調べてみると、ベティー君が中等部から高等部の二年生になるまで、必ず一度はローグライト君たちと同じクラスになったことがあることが分かった」
ジェイク会長は選ばれし生徒ではなく、部外者でも良かったはずのベティーに共通点を見出したと言うことだ。
「これはかなり低い確率だし、選ばれし生徒であるローグライト君たちには、その共通点は当て嵌まらない」
会長が口にしたのは、俺たちとベティーの間にある唯一の共通点だったのだ。当の俺もレクスやエレインとは一緒のクラスになったことはなかったからな。
「だから、ローグライト君からもベティー君が怪しいと聞かされた俺は証拠を掴むために少々、強引な手段を取ることにした」
俺の話を聞いてジェイク会長も確信を持ったのだろう。その時、ジェイク会長がどれだけ、苦しい胸中に陥ったかは想像も付かないが。
「俺もベティーのことは怪しいと思っていた。なぜなら、地下街で買った本を読むことができたんだからな」
そう口を出したのは俺だ。
「地下街で使われている言葉を理解できるのは、俺たち選ばれし生徒だけだし」
もっとも、俺たちでさえ、町で使われている言葉を自然に理解できていることのおかしさを忘れそうになるのだ。
なので、その点に気付くのに時間が掛かった。
「だから、会長の話を聞くまでは、俺もベティーは選ばれし生徒の一人で、それを隠していたんじゃないかと思っていたんだ」
全てを仕組んだ人物だとは、さすがに思っていなかった。
「もっとも、君が今回の一件の黒幕だということは、会長の話を聞いた後でも信じることはできなかったけど」
その事実は俺としても否定したかったのだ。
「わ、私は」
ベティーは制服の布地をギュッと握りしめながら下を向いた。
「俺たちは君を断罪したいわけじゃない。ただ、どうしてこんなことを仕組んだのかその訳を聞かせて貰いたいんだ」
俺はベティーを追い詰めないように問い掛けた。
そして、それを聞いたベティーは観念したように目から涙さえ零れている顔を上げた。それから、必死に涙を拭いながら口を開く。
それはベティーの長い独白の始まりだった。
「私、この学園に入学してからずっと友達ができなかったんです。いつも人と接することに怯えてばかりいて」
ベティーに友達がいないのは俺も知っていた。ただ、その辛さは鈍感な俺には分からなかった。
「だから、誰かと友達になれるようなきっかけが、どうしても欲しかったんです。でも、なかなかそのきっかけに恵まれなくて、とうとう高等部の二年生になってしまいました」
ベティーは暗い影のある顔で笑った。
「なので、このままずっと友達ができないと思ったら、怖くてたまらなくなりましたし、学校でもずっと孤独に震えていました」
ベティーが人付き合いを苦手としていることは誰の目から見ても明らかだ。だから、ずっと苦悩していたに違いない。それも四年以上も。
「そんな時、どんな願いでも叶えてくれる悪魔の存在をネットで知ったんです。それで、軽い気持ちで、その悪魔を召喚する儀式をやってみました」
ベティーはオカルトが好きだって言ってたから、悪魔を召喚する儀式も、やってみようと思えたのだろう。
「そしたら、本当に悪魔を召喚することができたんです」
ベティーの言葉に、俺はその悪魔こそが真の黒幕だと悟った。
「その悪魔は自分に全てを任せてくれれば、私の友達が欲しいという願いを叶えてくれると言ったんです」
全てを任せてくれれば、という言葉がいかにも悪魔らしく思える。
「そして、その悪魔、デモットは友達が作りたければゲームが一番だと言いました。しかも、ゲームのようなシチュエーションを現実の世界で再現してやると言い出したんです」
そんなことを可能にできるデモットの力は想像を絶するものがあるな。
「その後、デモットはリバイン・テイルというゲームを製作し、それを学園で流行らせました」
やはり、リバイン・テイルの制作者は正真正銘の悪魔であるデモットだったわけか。なら、サンクフォード学園の中でしか流行らなかったのも頷ける。
「予めゲームをやらせておくことで、ゲームのようなシチュエーションを再現しても順応し易いようにしたかったそうです」
確かに、リバイン・テイルをやっていなければ地下街の勝手も分からなかっただろうし、自分に備わっていた力も把握できなかった。
いずれにせよ、そこまで計算していたなんて手が込んでいるな。
「それから、リバイン・テイルのプレイヤーで、私が仲良くしたいと思っていた生徒を選びました」
つまり、俺たちはちゃんとベティーに選ばれた人間だったというわけか。
「そして、みんなを学園に閉じ込めて共同生活をさせたり、迷宮を制覇するという目標を与えて、互いに絆を深められるようにしたんです」
確かに迷宮の探索を通して、俺たちの絆は深まった。学園から出られないという状況も、その後押しをしてくれたし。
「後は、私がみんなと少しずつ関わっていけば、自然と仲良くなれるとデモットは言いました」
そう言うと、ベティーは悄然と下を向き、黙り込む。みんな、ベティーから聞かされた真実に愕然とした顔をしている。
「ベティーは俺と仲良くしたかったのか?」
俺は声を絞り出すようにして尋ねた。
「はい、ローグライト君は以前、私がクラスの嫌な仕事を押しつけられた時、進んで手伝ってくれました。それが本当に嬉しかったんです」
全く覚えがない。ただ、その俺がした何げない親切はベティーにとってはよほど嬉しいことだったのだろう。
「レオンハルト君も一緒の班になった時は私に優しくしてくれましたし」
これにはレクスもこめかみに皺を寄せて、複雑そうな顔をする。
「コストナーさんは私とは違って、可愛い女の子だったから憧れてましたし、フローリアさんの明るさも羨ましかったんです」
それを聞いた、アンジェリカとエレインはやりきれないような顔をした。
「クロスフォードさんは私と同じように友達がいなくてクラスで孤立してるのに、いつも平気な顔をしていて、その強さみたいなものは私の目には眩しく映りました」
イリーナは薄く目を伏せていた。
「そうか」
俺は悪意から出た動機じゃないことを知りほっとしていた。それから、意を決したように言葉を紡ぐ。
「俺も君の気持ちが分からないわけじゃない」
俺は穏やかに話し始める。
「いきなり学園に閉じ込められたり、迷宮で戦わなきゃならなくなったりしたのは大変だったけど、それでも楽しかったし」
それは本当のことだ。ただ、楽しさと同時に苦しさも味わったのだ。もちろん、背筋が寒くなるような恐怖も。
「その上、君の与えてくれたきっかけのおかげで、みんなとも仲良くなれた。そこら辺は感謝してるよ」
ベティーを恨む気には到底なれない。だが、それでも俺の中には、どうしても許せないという思いがあった。
なので、その思いを真っ直ぐにベティーにぶつける。
「だけど、君のやり方はやっぱり卑怯だ」
俺もここだけは鋭い剣の切っ先を突きつけるように言った。
「自分だけ安全地帯にいて、高みの見物をしていながら、命がけの冒険をしてる俺たちと仲良くなろう、だなんて」
要するに、虫が良すぎると言うことだ。
「もし、本当に俺たちと友達になりたければ、君も選ばれし生徒の中に入って、俺たちと一緒に冒険をするべきだったんじゃないのか?」
俺の畳みかけるような言葉にはみんなも頷いてくれる。
「そうすれば、もっと強い絆で結ばれた友達になれたかもしれない」
もしも、の話ではない。間違いなく、ベティーとは良い友達になれたという確信が俺にはあったのだ。
それだけに、こんな手段を取ることしかできなかったベティーに残念さを感じる。
「それは…」
ベティーは打ち拉がれたような顔をする。何とも重苦しい沈黙が、地下室に垂れ込めた。
「ロディの言う通りだよ」
沈黙を破るように言葉を発したのはレクスだった。
「誰かと接するのが怖いのはみんな同じさ。でも、友達になりたければ、その怖さは乗り越えて見せなきゃ」
そう言うと、レクスは恥じ入るように言葉を続ける。
「今だから言えるけど、実は僕、本当は女なんだ。でも、家の事情で無理に男としての人生を歩まされている」
やっぱりレクスは女だったか。あの噂は本当だったらしいな。家の事情というのもレオンハルト家の家督相続に関係したものかもしれない。
「だから、いつ、自分が女だということがバレやしないか、不安でたまらなかったんだ。もちろん、そんな中で友達を作るのは怖いなんてもんじゃなかった」
でも、レクスはそんな心の内を見せることは決してなかった。たいした演技力と言えるだろう。
それから、今度はアンジェリカがゆっくりと口を開く。
「私もみんなからは美少女だとか言われて、ちやほやされてるけど、それって凄く怖いことなんだよ」
アンジェリカは自嘲するような笑みを浮かべて言葉を続ける。
「もし、私が美少女じゃなかったら、みんな相手にしてくれないのかなって考えちゃう時はたくさんあるし、好かれれば好かれるほど、それが重荷になるの」
アンジェリカの重荷という言葉には俺も考えさせられた。
「だから、私も自分の内面を全く見てくれない人たちを落胆させないように、いつも無理してた」
アンジェリカは外見だけで好かれるのは良いことばかりじゃないと言いたいのだろう。
「アタシだって、いつも明るいわけじゃないわよ。苦しかったり、落ち込んだりする時だってあるもの。でも、そういう辛さを吹き飛ばすために、いつも明るく、元気でいようって決めてるのっ」
エレインは自らの言葉を実践するように明るく笑いながら言った。まあ、エレインなら、こういう時こそ、明るく振る舞うよな。
それがエレインの強さだ。
「私も別に好きで一人でいるわけじゃないわ。でも、上辺だけの付き合いをするのが嫌いなだけ。友達がいたら良いな、って思う時はちゃんとあるし」
イリーナはドライな感じで肩を竦めた。でも、その声に刺々しさはない。
「だそうだ、ベティー君。俺も君を生徒会に引き込んでおきながら、君の悩みに気付いてやれなかったことには悔しさを感じている」
ジェイク会長は実直な声で言うと、更に口を開く。
「だが、今からでも遅くない。悪魔とは手を切って、もっと真っ正面から人間という生き物と向き合ってみないか?そうすれば、切り開ける道もある」
ジェイク会長の顔には厳さと同時に優しさも垣間見えた。
「私も一応、生活担任をしているし、何かあったら気軽に相談してくれてかまわない。だから、これ以上、みんなの命を危険に晒すようなことは止めて貰えないかな」
そう言って、マクミラン先生は温和に笑った。そして、みんなの視線が再びベティーに集中する。
「はい…」
ベティーは泣きながら、消え入りそうな声で返事をした。
すると、地下室の空気がいきなり変質する。あのダークドラゴン・ジャハナッグを超えるプレッシャーを唐突に感じたのだ。
尋常ではない何者かの出現を俺も察知する。
「やれやれ、こんなに早く詳らかにされるとは思わなかったな。俺もお前たちを見くびりすぎていたようだ」
そんな声がどこからともなく聞こえてきたと思ったら、ベティーの背後に体長が十メートルを超える巨大な蛇が現れる。
まるで背景から浮かび上がるようにして現れたのだ。しかも、蛇にはコウモリのような翼が生えていて、何とも禍々しい雰囲気を醸し出していた。
「お前が、黒幕か」
俺は大きく翼を広げた蛇の顔を睨みつける。
こいつが、ベティーを唆した悪魔とみて間違いないだろう。どこかひょうきんな顔をしているが、見かけで判断するのは危険だ。
「そんなところだ。全てを仕組んだのはこの俺だし、責めるのはベティーではなく俺にしてくれないか、諸君」
蛇、いや、デモットはにんまりと愛嬌たっぷりに笑う。それも諸君、という言葉を強調して。
やっぱり、こいつが事あるごとに俺たちにメールを送り付けてきたデモットで間違いないみたいだな。
ウルベリウスが言っていた、翼の生えた蛇もこいつのことだろう。
世界の創造にすら関われた悪魔なら、学園の地下に迷宮を出現させることができても不思議ではない。
「そう言われても」
今更、こいつを責めてどうなるというのだ。
「まあ、ベティーの友達が欲しいという願いは一時とは言え、叶えてやったし、お前たちが望むなら全てを元に戻してやっても良い」
デモットはクイッと口の端を吊り上げる。あのナッツと同じように、まるで人間のような豊かな表情を浮かべたのだ。
「迷宮がなくなるってことか?」
俺は心臓の鼓動が早くなるのを感じながら尋ねる。
「ああ、お前たちも普通に学園から出られるようになるし、問題は残らない。もちろん、このままの状態が良ければ、俺は何もしないが」
デモットは持ちかけるような口調で問い掛ける。それを聞き、俺はすぐに反応した。
「なら、全てを元に戻してくれ。迷宮で冒険なんてしなくても、俺たちとベティーはもう友達だ」
俺はここぞとばかりに力強く言った。これにはベティーも口に手を当てて大粒の涙を零した。
「良いだろう、俺としてもその言葉が聞きたかった」
デモットはフッと穏やかな笑みを浮かべる。こいつも、根っからの悪い奴というわけではなさそうだ。
すると、地下室にあった迷宮へと続く扉が金色の粒子となって消えていく。それは何とも幻想的な光景だった。
そして、しばらくすると、扉はまるで幻だったかのように何の痕跡も残さず消え去ってしまった。
金色の粒子もスーッと薄れていき、最後には見えなくなる。
「扉が消えた」
俺はポカンとした顔で口を開けた。
「これで迷宮は消えてなくなったし、お前たちも学園の外に出られるようになった。あとは自分の体で確かめるんだな」
そう言うと、デモットは首を竦める。入り口の扉だけでなく、迷宮そのものがなくなってしまったわけか。
まさに神にしかできないような芸当だ。とはいえ、デモットは歴とした悪魔みたいだけど。
「分かったよ」
この時の俺は学園の外に出られるようになったという実感が沸かずに夢でも見ているのかと思っていた。
もっとも、今までのことが全て夢だったとしたら、笑うしかないが。
「とにかく、俺はネット上でホームページも開いてるから、何か叶えて欲しいことがあったら言ってくれ。悪魔である俺のやり方でよければ願いを叶えてやるぞ」
デモットもここだけは悪魔らしく、邪に見えるように嗤った。
それから、「では、これでさよならだ」と言って、デモットの姿は背景に溶け込むようにして消えてしまう。
残された俺たちは呆然とその場に立ち尽くした。誰も言葉を発することができずに地下室は静寂に包まれる。
「さてと、全て片付いたことだしローグライト君たちは家に帰りたまえ。きっと親御さんも嬉しがるぞ」
誰よりも早く我に返ったジェイク会長はそう言った。
「そうですね」
本当に学園から出られるようになったのか確かめないと。そして、もし家に帰ったら、飼っている猫の頭を撫でてやりたい。
もちろん、親にだって元気な姿を見せてあげなきゃならないし。
「だが、迷宮が消えてしまったのは何とも残念なことだな。俺も迷宮に入って、冒険をしてみたかったのに…」
と、ジェイク会長は惜しむような声で言った。
それについては俺も同感だ。学園から出られないという制約がなければ、たっぷりと時間をかけて迷宮を制覇してやりたいと思っていたし。
たぶん、それは他のみんなも同じに違いない。
とにかく、みんな何かを吹っ切ったような晴れ晴れとした顔をしていたし、これで一件落着だな。
エピソードFINALに続く。