エピソードⅣ
エピソードⅣ 地下街での騒動
水曜日の早朝になると、俺はジェイク会長にメールで呼び出される。
その用件は迷宮とは何の関係もなく、単に生徒会室の資料整理を頼みたいとのことだった。
なので、俺は全く生徒のいない早朝の廊下を歩きながら生徒会室に行く。
横手にある窓からは、眩しい輝きを放つ太陽が見えた。
やっぱり、日の光って言うのは良いよな。迷宮に入る時間が長くなるほど、日の光が恋しくなる。
それから、生徒会室に辿り着くと、俺はジェイク会長の指示で資料の入った重たい段ボールを幾つも運ばされた。
これは資料整理じゃないだろと俺も言いたくなる。
そして、段ボール運びが一段落すると、俺は改まったような顔をしたジェイク会長から声をかけられる。
「ご苦労だった、ローグライト君」
そう言って、ジェイク会長は紙パックのオレンジジュースを俺に渡してきた。あれだけの労働の対価がジュース一本とは、さすがに悲しくなる。
「いえ、生徒会にはお世話になりっぱなしですし、たまには生徒会の役に立つようなこともしないと」
差し入れのジュースを受け取ると、俺はハンカチで顔の汗を拭う。
ちなみにこのハンカチは保健室から拝借してきた物だ。でなければ、俺のような男子はハンカチなんて携帯しない。
「そう言ってくれると助かる。まあ、俺も君のような人材は生徒会に欲しいと思っていたところだ。君さえ良ければだが、生徒会に入ってみないか?」
思わぬお誘いに、俺は当惑する。
生徒会に入れるのは優秀な人間だけだと言われている。だとすると、俺もジェイク会長からは優秀な人間だと思われているのだろうか。
「それは遠慮しときます。でも、何か俺に手伝えることがあったら気兼ねなく言ってください。力仕事なら、俺でもできますから」
生徒会には力仕事を任せられるような男手はいないのかな?随分とこき使ってくれたけど。
「ありがとう。にしても、俺は君たちが羨ましいよ」
ジェイク会長は穏やかに笑った。
「えっ」
俺は口の形を丸くした。
「日常と非日常を自由に行き来できるなんて、素晴らしいことじゃないか。事実は小説より奇なりとは良く言ったものだ」
ジェイク会長の思い込みのような言葉に俺は溜息を吐きたくなる。
「そんなに良いもんでもないですよ、ジェイク会長。もっとも、俺以外の奴はどう思っているかは知りませんが」
俺は生き生きとした顔をしているレクスたちを思い出しながら言った。
「そうか。君はこの状況を楽しんでいるわけではいないと言うことなのか?」
ジェイク会長は理解し難いとでも良いたげな顔で尋ねてくる。
俺としても漫画やアニメに出て来るような主人公には憧れていた。が、同じような立場になってみるとこんなに酷いものはないと改めて思い知らされる。
全くもって想像力が欠如していた。
「楽しいと思う時は確かにあります。でも、それ以上にこんな生活をいつまで続けられるのか、という焦燥の方が大きいですね」
迷宮を制覇できなくても必ず何らかの形で終わりは来ると、この時の俺は確信していた。
「確かにな。学園から出られないというのは非常に大きな足枷だ。それを鑑みずに君たちの置かれている状況を羨むのは浅はかということか」
自由に学園から出られるなら、さぞかし楽しい迷宮ライフになったことだろう。
「はい」
俺は強い力を込めて頷いた。
「だからこそ、俺はこの一件の真相を突き止めたいと思っている」
ジェイク会長は聡明そうな瞳を光らせながら言葉を続ける。
「それが分かれば、もう少し違った形で君たちや迷宮に関われるようになるかもしれないからな」
「ジェイク会長もやっぱり迷宮に入りたいんですか?」
その思いはひしひしと伝わってくる。
「当たり前だろう。君たちの話を聞けば聞くほど、迷宮が魅力的な場所に思えてくる。なぜ、自分が選ばれなかったのか嘆かない日はないな」
「そうですか」
俺はなぜ自分が選ばれたのかを嘆いているよ。
「不謹慎だと思うかな?」
「いえ、そんなことはないですけど、やっぱり、俺は安全地帯にいる方が良いです」
俺のようなヘタレ系の男では漫画やアニメのような主人公は務まらない。ま、サブキャラくらいの立ち位置が俺には順当だろう。
「安全地帯か。そこから飛び出す勇気が、…には求められているのかもしれないな」
ジェイク会長の言葉は途中から掠れて聞き取れなくなった。
「どういう意味ですか?」
俺は眉根を寄せながら尋ねる。
「いや、何でもない。とにかく、俺は君たちの力になるのを控えたりはしない。だから、君たちも大船に乗ったつもりで何でも俺に頼ってくれ」
ジェイク会長は生徒会長としての頼もしさを感じさせながら言った。
☆
俺が生徒会室から出ると、すぐに廊下でベティーと顔を合わせる。ベティーは俺を見て拵えたような笑みを浮かべた。
「よっ、ベティー。こんな朝早くから生徒会室に行こうとしているのか?」
俺がそう声をかけると、ベティーは肩に掛かる髪を揺らして照れたような顔をする。
「は、はい。これから文化部に支給される部費のデータをパソコンに打ち込まなければならないんです」
何だか段ボール運びとは別の意味で大変そうだ。ま、女の子ならデスクワークが適任だろう。
「そっか。ベティーは会計をやっていたんだよな。なら、その権限で俺たちの部費を増やすことはできないのか?」
部費が足りないと零しているのはエレインだが。
「それはちょっと無理そうですね。会長はそういう不正を許したりすることはできない人ですから」
ジェイク会長は清廉潔白な人物だし。
「確かに、ジェイク会長ならそうだろうな。とにかく、無神経なことを言って悪かったよ」
ベティーには甘えすぎているし、これ以上の無理は言いたくないな。
「いえいえ。どうしても部費が足りないというのであれば、しっかりと申請書を提出してください。そうすれば、審査が終わり次第、正式に部費を増やすことができますから」
生徒会の連中はとにかく形式に拘るんだよな。しっかりしていると言ってしまえば、それまでだけど。
「分かったよ。なら、レクスたちと相談してから、そうさせて貰う。俺としても部室にオーブントースターは置いておきたいからな」
オーブントースターがあれば焼きたてのサクサクのパンが食べられる。
「はい」
そう言って、小さく笑うとベティーは俺の前から去って行った。それから、再び歩き出して教室に向かうと、今度は教室の扉の前でルークと会う。
「おっ、今日は教室に来るのが随分と早いじゃないか、ロディ。しかも、顔から汗が噴き出してるぞ」
ルークはフットワークの軽そうな声で言った。
「朝早くから生徒会の仕事の手伝いをやらされていたからな。おかげで腕が痛いし、体もクタクタだよ」
筋肉痛になりそうだな。
「そうなのか。でも、生徒会の仕事を手伝う機会なんて滅多にないし、良い経験にはなったんじゃないのか?」
「かもしれないな」
こんなことなら、ルークの奴も協力させれば良かったな。
「でも、お前と生徒会って何か接点があったか?俺は全く心当たりがないんだが」
ルークは不思議がるように尋ねてきた。
「部活の関係だよ。生徒会には色々と良くして貰ったから、ひたすら段ボールを運ぶような手伝いもしなきゃならなかったんだ」
この程度のことで生徒会に借りを返せたのなら安いものだけど。
「そりゃ災難だったな。とにかく、疲れているのは分かるが、授業中に居眠りなんかするなよ。中間テストも近づいてるからな」
なら、ノートを取るのはルークに任せる。
「分かってるよ。ジャネット先生の授業なんかで居眠りをしたら、大目玉を食らうからな。それに赤点は絶対に取るなって、色んな奴からも釘を刺されてるし」
赤点を取れば、一週間の補習授業と、再テストを食らうことになるからな。それだけは避けたい。
「そっか。まあ、色々と苦労はあるみたいだが、今日も一日、元気で行こうぜ」
そう言うと、ルークは一足先に教室へと足を踏み入れた。
☆
その日の夕方になると、装備を調えた俺たちは迷宮に潜る。
それから、相変わらず闇雲に襲いかかってくるだけの雑魚モンスターたちを蹴散らしながら迷宮の六階にまで来た。
もちろん、迷宮探索部の部員は全員、揃っている。
俺たちは冒険者の館で、八階を住処にしているバジリスクという毒をまき散らすモンスターを討伐する仕事を請け負ったのだ。
なので、六階になると途端に手強さを増したモンスターたちを倒しながら歩を進める。
特に色違いのリザードマンや、より攻撃力のある武器を持っているオーガは格段と強くなっていた。
俺たちも武器を新しい物に変えていなければ、対抗しきれなかったかもしれない。
何にせよ、この分だとバジリスクのいるところまで辿り着くには相当、苦労しそうだ。更に進んでいけば、また中ボスのようなモンスターとも戦うことになるだろうし。
やはり迷宮の制覇は一筋縄じゃいかないし、怪我だけはしないように注意しないとな。
そして、俺の苦労しそうだという予測すぐに的中することになる。
なぜなら、俺たちはあのサイクロプスがいた部屋と同じような雰囲気を漂わせる部屋に来たからだ。
しかも、そこには八メートルはあろうかという巨大な石の人形がいた。あれは、冒険者の館で聞いたストーン・ゴーレムに違いない。
山を彷彿とさせるストーン・ゴーレムの巨体には圧倒されるものがある。気を抜くと足が震え出しそうだ。
だが、こいつを倒しておけば、色んな冒険者たちが助かるし、俺たちとしても、こんな浅い階のモンスターで尻込みするわけにはいかない。
俺たちはストーン・ゴーレムを取り囲むと、タイミング合わせて一斉に攻撃に移ろうとする。
すると、ストーン・ゴーレムは大きな腕を振るって俺たちを薙ぎ払おうとした。
だが、俺たちはその攻撃を難なく避ける。その瞬間、俺の横手にあった壁がストーン・ゴーレムの拳で粉砕された。
確かに、あんな大きな腕の一撃を食らったら、肉は押し潰され、体の骨は粉々になるだろう。
だが、ストーン・ゴーレムの攻撃にはスピードに欠けている部分がある。どんな強烈な一撃も当たらなければ意味がないのだ。
俺はストーン・ゴーレムの攻撃をかいくぐりつつ、素早く剣で斬りかかった。だが、硬い石でできた体を切断することはできず、何のダメージも与えられない。
それは小剣や槍で鋭い突きを繰り出しているレクスやイリーナも同じようだった。これ以上、無理に攻撃したら、こっちの武器が壊れてしまうだろう。
エレインも連続して何本もの矢を放ったが、突き刺さることすらできなかったし。
アンジェリカもファイアー・ボールやウインド・カッターの魔法をお見舞いしたが、ストーン・ゴーレムには何の傷も負わせられなかった。
ならば、と思ったのか、アンジェリカはすかさず切り札とも言えるエクスプロードの魔法を使う。
恐るべきエネルギーを内包した炎の球がストーン・ゴーレムに衝突した。
その瞬間、空間が歪曲したように見えるほどの大爆発が起きる。俺も押し寄せてくる爆風に吹き飛ばされないように、身を低くしてしゃがみ込んだ。
だが、爆煙の中からゆっくりと姿を現したストーン・ゴーレムの体に目立った外傷はなく、特に堪えた様子もなかった。
いずれにせよ、あの凄まじい威力を誇るエクスプロードの魔法を食らっても、ビクともしないなんて何というタフネスぶりだ。
ストーン・ゴーレムは魔法に対する抵抗力が並外れて強いと聞いていたが本当だったか。
とにかく、この分だと他の魔法も通用しそうにないし、そうなると、物理攻撃で倒すしかないのだが、それも難しい。
一体、どうする?
俺は頑強な体を誇るストーン・ゴーレムをどうしたら倒せるのか考え込む。その間も、ストーン・ゴーレムの破壊力、抜群の攻撃は続いていた。
いくら、スピードに欠ける攻撃とは言え、もし、まともに食らえば命はない。なので、俺たちは死に物狂いで、ストーン・ゴーレムの攻撃を避け続けた。
そんな中、俺はストーン・ゴーレムの攻撃を避けつつも、頭を必死に巡らせる。そして、閃いたようにストーン・ゴーレムの体の関節に攻撃を加えたらどうかと考えた。
関節の部分は柔らかく伸縮しているし、あそこなら有効なダメージを与えられると思ったのだ。
なので、俺は活路を開くように剣を振るう。が、最初はなかなか狭い隙間になっている関節に攻撃を加えることができなかった。
弱点のようなものを見つけたからと言って、すんなりと勝たせてくれるような甘い相手ではない。
だが、ストーン・ゴーレムが体を動かして攻撃すると、関節のある隙間も大きく広がるのだ。
その点を俺も見逃さなかった。
ストーン・ゴーレムの拳が空振りに終わると、俺はすかさずその関節に力強く剣を振り下ろした。
鈍い手応えと共にストーン・ゴーレムの逞しい腕が関節から切り落とされる。やはり、関節が弱点だったか。
そして、ストーン・ゴーレムが動揺したような動きを見せると俺は今度は足の関節に斬撃をお見舞いした。
すると、ストーン・ゴーレムの足がプラモデルのパーツのように切り離される。これにはストーン・ゴーレムもバランスを失って倒れた。
それから、ストーン・ゴーレムは何度も立ち上がろうとするが、どうしてもそれができない。
大きな体が仇となったな。
俺はストーン・ゴーレムを完全に無力化するべく、もう一つの足の関節も二つに断ち割って見せた。
こうなってしまっては、ストーン・ゴーレムもただの石の塊に過ぎない。
それを見たイリーナはストーン・ゴーレムが動けない隙に、その額へと槍を突き立てる。
その瞬間、額に大きく罅が入り、ストーン・ゴーレムも口からガガガと調律が狂ったような声を漏らした。
ストーン・ゴーレムの頭部は堅いが、それでも確実にダメージは受けている。
更にもう一度、イリーナが額に全てを貫くような槍の一撃を加えると、ストーン・ゴーレムの額に深い亀裂が走る。
それから、槍が引き抜かれると額はパックリと割れてしまった。
そして、ストーン・ゴーレムの窪みのような目から光りが失われると、それっきりストーン・ゴーレムは動かなくなった。
ストーン・ゴーレムが沈黙すると、部屋が水を打ったように静まり返る。何とか倒すことができたけど、かなり危なかったな。
やっぱり、ストーン・ゴーレムは文句なしの強敵だった。
俺たちは勝利の喜びに浸ることなく、気を緩めずに迷宮の通路を進んでいく。その間、俺たちの間に会話はなかった。
それが五階、以降の迷宮の探索の難しさを物語っている。俺もストーン・ゴーレムより強いモンスターが出で来ないようにと祈るばかりだ。
そして、七階にまで下りてくると、またしても中ボスのいる部屋に来た。これには俺も警戒心を漲らせる。
すると、そこには骸骨のような顔をしたモンスターがいたのだ。骸骨は魔導師のようなローブを着ていて、その手には杖も握られていた。
おそらく、あのモンスターはリッチに違いない。
あいにくと、冒険者の館では情報を入手することができなかったが、あのリッチはゲームなんかに出てくる姿と、そっくりだからな。
俺はストーン・ゴーレムの時、以上に嫌なものを感じながら、リッチに剣を突きつけた。すると、リッチはいきなり杖から炎の玉を放ってきた。
この魔法は間違いなくファイアー・ボールだし、俺も咄嗟に身を捻って炎の玉を避けた。
それを見たリッチは今度は風の刃、ウインド・カッターを放ってきたので、俺はそれも危なげに避ける。
どうやら、リッチは魔法が使えるようだな。
とはいえ、俺もその程度のことはちゃんと予想していた。だが、実際にモンスターに魔法を使われると、これほど厄介なものはないと思う。
俺たちは怯むことなく、計算された動きでリッチを取り囲んだ。それから、俺は魔法を使われる前にリッチを倒そうと、打ち下ろすように剣で斬りかかる。
その側面と背後からは、レクスとイリーナがリッチの退路を塞ぐように攻撃を仕掛けようとしていた。
とても避けられるようなタイミングの攻撃ではない。
だが、俺の剣がリッチの体を捉えようとした瞬間、リッチの体がいきなり消えた。これには俺も目を何度も瞬かせる。
そして、リッチが背景から浮かび上がるようにして現れたのは、俺たちからかなり離れた場所だった。
これには俺も、ぎょっとさせられる。
どうやらリッチはテレポートの魔法が使えるようだ。こんなのアリかよと言いたくなる。
俺たちと距離を取ることに成功したリッチは、嫌らしいと思えるくらいファイアー・ボールを幾つも放ってくる。
俺たちは必死に迫り来る炎の球を避けるも、炎は床へと燃え広がり俺たちの動ける範囲を狭めていく。
それを受け、エレインはリッチに向かって三本の矢を同時に放つ。すると、リッチの姿がまたしても掻き消えた。
次に現れたのは、エレインの真上だ。
リッチは宙に浮かぶこともできるらしく、エレインの頭上から隕石のようにファイアー・ボールを幾つもお見舞いしてくる。
エレインはたまらず逃げようとする。すると、今度はアンジェリカがエレインに助け船を出すようにファイアー・ボールを放った。
それはリッチの体に命中する。リッチの体が炎に包まれたが、すぐに炎は綺麗さっぱりと消滅してしまった。
リッチの着ているローブはアンジェリカのローブと同じように魔法に耐性があるようだ。
だとすると、頼りの魔法は通じないと言うことなのか。
そんなことを考えている間もリッチはファイアー・ボールとウインド・カッターの魔法を交互に使用して俺たちを攻め立てる。
これには俺たちも避けるだけで精一杯だ。
一方、俺たちの攻撃は宙に浮いているリッチには届かない。エレインの矢も命中する前に、テレポートで避けられてしまうし、
アンジェリカも必死に魔法を使うが、上手く距離を取られていたため、掠りもしなかった。
それを受け、業を煮やしたアンジェリカはエクスプロードの魔法を放ち、リッチに命中する前に強引に爆発させて見せる。
リッチもテレポートする暇もなく爆発に飲み込まれた。
が、すぐにリッチはスーッと幽霊のように爆煙の中から現れる。ローブの力で守られているその体には焼き傷一つない。
はっきり言って、打つ手がない。リッチは想像以上に手強いモンスターだし、このままでは俺たちの方が追い詰められてしまう。
俺が反撃の手立てを見つけ出せずにいると、イリーナが「シャイン・ブラスターを命中させなさい」とアンジェリカに向かって叫ぶ。
確かに、上位系の攻撃魔法で、尚且つアンデット系のモンスターに効果の高いシャイン・ブラスターならリッチも倒せるかもしれない。
イリーナの声を聞き、弾かれたように顔を上げたアンジェリカはシャイン・ブラスターの魔法を使おうとする。
一方、リッチも巨大な炎の球を、エネルギーを練り上げるようにして作り出す。あれは間違いなくエクスプロードの魔法だ。
リッチも上位系の攻撃魔法を使えるのか。
俺が血の気が引いたような青い顔をしていると、リッチはそれを放とうとする。
が、そうはさせまいと、アンジェリカがすぐさま先んじるようにシャイン・ブラスターを放った。
シャイン・ブラスターはビームのように真っ直ぐに伸びて、俺たちの方に飛来した炎の球を貫く。
そして、炎の球の背後にいたリッチへとぶつかった。すると、リッチは白くて眩い光りに包まれた。
その瞬間、リッチは声にならないような悲鳴を上げて、光りの爆発に飲み込まれて消し飛んでしまう。
貫かれた炎の球も俺たちのところに来る前に霧散したし。
残ったのはカランと音を立てて床に落ちたリッチの杖だけだったが、それも黒い粒子となって消える。
こうして俺たちは苦戦を強いられたものの、リッチを倒すことができた。
だが、かなり体力を消耗してしまったし、こんな調子でバジリスクを無事に倒せるのだろうか。
それから、俺たちはまた息を吐く暇もなく歩き出すと、八階へと向かう。
まあ、リッチもストーン・ゴーレムも中ボスのようなモンスターだったせいか、今のところ一体しか出て来ていないし、その辺には救われている。
いずれにせよ、あの二匹はサイクロプスと同じように、普通のモンスターとは一線を画す存在だったに違いない。
そして、八階になっても普通の通路に現れる主なモンスターは色違いのリザードマンやオーガたちだ。
もっとも、そいつらごときに後れを取る俺たちではなかった。だが、それでも体力は確実に削り取られていく。
俺たちは八階の南側のフロアーを住処にしているというバジリスクを探しながら迷宮を踏破していった。
ここまで来ると、さすがに疲労で体が重くなってくるが、町へと帰るのに必要な時間のことも考えると休んでもいられない。
次の日だって学校はあるし、寝るのが遅くなるのは嫌だからな。
だが、行く手を遮るように現れるリザードマンたちは俺たちの事情など顧みずに剣や槍、斧を手に襲いかかってくる。
なので、俺たちは力を振り絞りながら、リザードマンたちを返り討ちにした。
やっぱり、武器を新しい物に買い替えたのは戦力的に大きかったな。
俺の剣は幾らモンスターを斬り付けても刃こぼれ一つしてないし、普通のモンスターが相手なら弓の援護も馬鹿にできない。
「さすがにしんどくなってきたね。モンスターたちも着実に強くなってきたし、僕たち自身もレベルアップしていかないと」
レクスは額の汗を拭いながら言った。その顔には今までのような余裕はないが、それでも覇気は失われていない。
「そうだな。この辺りの敵をスムーズに倒せないようだと、第一界層のボス、ダークドラゴンを倒すのは難しいかもしれないな」
俺は肩で息をしながら言った。
ダークドラゴンの力をどこまで推し量れるか。それは六階以降のモンスターとの戦いを繰り返すしかないだろう。
中ボスのようなモンスターもリッチとストーン・ゴーレムだけで終わるってことはないだろうし。
「でも、アタシたちだってまだまだやれるわよ。リッチやストーン・ゴーレムに手こずったのは単に一度も戦ったことがなかっただけなんだから」
エレインは援護に徹しているから、そう言えるのだ。前衛で戦っている俺やレクス、イリーナはそうはいかないだろう。
初めてのモンスターとの戦いは常に危険と隣り合わせだ。どんな特殊能力を使われるか分かったもんじゃないし、否応なしに緊張させられる。
「だよね。モンスターの特徴や弱点をちゃんと見極めれば、今のところは負ける要素もないと思うし」
アンジェリカには魔法があるからな。特に上位系の攻撃魔法を使いこなせるのは自信に繋がっているはずだ。
ただ、アンジェリカには魔力が足りないように思える。上位系の攻撃魔法を使えるのは一日に三、四回が限度らしいからな。
「そこら辺はリバイン・テイルを参考にすれば良いのよ。モンスターたちの能力もあのゲームを反映してるんだから」
イリーナの言った通り、それは間違いない。
その点に気付いていなければ、イリーナもリッチにシャイン・ブラスターを放てとアンジェリカに指示することはできなかっただろう。
「そうだな。ゲームのデータは十分に参考にするべきかもしれない。久しぶりにゲームの中で第一界層の敵と戦ってみるか」
俺は得るものはあるはずだと思いながら言った。
「それが良いわね。もっとも、ゲームでは第一界層のボスはダークドラゴンじゃなくて、普通のマッド・ドレイクだったけど」
イリーナはやや不安げに言った。まあ、マッド・ドレイクとダークドラゴン、どちらが手強いかは容易に想像できる。
「そうだね。変更されている部分もたくさんあるし、あまりゲームの内容を鵜呑みにするのは良くないかも」
レクスも吟味するように言った。それを聞き、俺もみんなの意見を纏めるように口を開く。
「ただ、ダークドラゴンも勝てない敵というわけじゃないだろう。大切なのはレクスの言った通り俺たちもレベルアップすることだ。特に知識的な面で」
これからは他の冒険者たちと、もっと積極的なコミュニケーションを図らないとな。彼らから得られる情報は貴重だ。
そして、装備も完全に新しい物に変えないと。俺たちは武器を揃えるのを最優先にしたため、防御面にはまだ不安があるのだ。
それから、俺たちは八階の南側のフロアーに足を踏み入れる。すると、そこは嫌な臭いが漂ってくる場所だった。
何かが腐っているような臭いには俺も鼻を摘みたくなる。この臭いを嗅いでいるだけで肺が壊死しそうだ。
俺たちが臭いに顔をしかめながらが、そのまま通路を進んでいくと、冒険者が倒れているのが見える。
慌てて駆け寄ると、倒れていた冒険者は青い顔をして死んでいた。
良く見ると、冒険者の死体には腕に切り傷のような物が付けられていて、傷口は紫に変色している。
どうやら毒にやられたみたいだな。このやり口はバジリスクに違いない。
こんな掠り傷でも死に至るとしたら、やはりバジリスクは相当、危険な毒を持ったモンスターと言えるだろうし、野放しにするわけにはいかないな。
俺たちは最大限の警戒をしつつ、通路を突き進んだ。
すると、リッチやストーン・ゴーレムがいた部屋と同じような部屋に入ったところで、体長が三メートル近くもあるトカゲのようなモンスターと遭遇する。
そのモンスターは毒々しい紫色の体をしていて、斑点のある皮膚もヌメヌメしている。口から飛び出している長い舌には大量の唾液が付いてるし、何とも気持ち悪い。
冒険者の館で手に入れた情報の特徴とも合致しているし、あれがバジリスクと見て間違いないようだな。
爪や牙だけでなく、血や体液にも猛毒が含まれていると言うのだから、気を付けて戦わなければ。
しかも、バジリスクは部屋の外にも出られる特殊な中ボスみたいだから、逃がさないようにしないと。
俺は慎重に剣を構えながら、バジリスクの出方を見る。
とりあえず、接近戦は避けて方が無難だろうな。そうなると、アンジェリカの魔法や、エレインの弓の出番だ。
俺はそんな意図を伝えるべくエレインに目配せする。エレインもそれを瞬時に察し威嚇するように矢を放った。
すると、バジリスクは蛙のように大きくジャンプして、矢を避けた。
それを受け、エレインは続け様に矢を放つが、すばしこく部屋を走り回るバジリスクには当たらない。
エレインの矢をあそこまで簡単に避ける敵は初めて見たな。
それを目にしていたアンジェリカはバジリスクがジャンプして床に足を付けた瞬間、ファイアー・ボールの魔法をお見舞いする。
さすがのバジリスクも絶妙のタイミングで放たれた炎の球は避けられなかったようだ。
そして、ファイアー・ボールをまともに食らったバジリスクの体は燃え盛る炎に包まれた。
だが、バジリスクはすぐに炎の中から飛び出してきた。
その体には火傷一つ無い。ヌメヌメした皮膚が炎を防いだというわけか。
それならば、と思ったのかアンジェリカはウインド・カッターを放った。全てを切り裂く風の刃を食らえば、バジリスクもただでは済まないだろう。
が、ウインド・カッターはバジリスクに向かって飛来するが掠りもしない。エレインの矢ですら、その動きを捉えきれなかったのだから当然だろう。
それでも、アンジェリカはめげることなく大量のウインド・カッターを目まぐるしく放った。
そして、その内の一つがバジリスクの尻尾を上手い具合に切断する。
ギャッと叫んだバジリスクの尻尾から血が迸る。しかも、その血は床に付着すると、ジューッと音を立てて床を変色させた。
俺はやったと思ったが、驚くべきことに切断されたバジリスクの尻尾はすぐに生え代わってしまった。
かなりの再生力だし、これだと生半可な攻撃では倒せないぞ。
その結果を受け、アンジェリカは今度は手にしたロッドの先端を激しく光らせて、俺も見たことがない上位系の攻撃魔法を使おうとする。
それに対し、バジリスクの方も身の危険を感じたのか、いきなり口から唾液を飛ばしてきた。
バジリスクの直線上にいたイリーナは唾液を何とかかわたしたが、その後ろにいたアンジェリカは咄嗟の動きができずに腕に唾液を浴びてしまう。
すると、アンジェリカの着ていたローブがどんどん溶けていき、その下にあった皮膚も変色してしまった。
それから、バジリスクの毒を受けたアンジェリカはフラッとして倒れてしまう。その顔からは大粒の汗が噴き出していた。
これはまずいと思った俺は、様子見は止めてバジリスクに斬りかかる。
バジリスクもそんな俺に唾液を飛ばしてきたが、それは買ったばかりのミスリルの盾で防いだ。
そして、バジリスクを部屋の隅に追い込むと、俺は電光石火の如き速さで斬りかかる。すると、バジリスクは俺の斬撃を避けて、何と壁に張り付いて走り出した。
更に驚くべきことに体が逆さになっても天井を動き回れたのだ。
これでは剣が届かない。
俺が憎々しそうにバジリスクを見上げていると、いきなり、エレインの放った矢がバジリスクの背中に突き刺さった。
なるほどな、壁に張り付けば、素早い動きも鈍ると言うことだ。
エレインはここぞとばかりに何本も矢を乱れ打ちする。
そして、それを背中に食らったバジリスクは引き剥がされるようにして天井から落ちてきた。
そこへ、銀の軌跡を描くレクスの小剣の切っ先が迫るが、バジリスクはグニャリと泳ぐような動きでレクスの攻撃をかわして見せた。
が、その避けた先にはバジリスクの動きを読んでいたかのように的確に移動していたイリーナがいた。
イリーナは必殺の間合いから神速の槍を突き出す。すると、槍の穂先はバジリスクの腹を串刺しにした。
それでもバジリスクはニュルリと動いて逃げようとしたが、今度は俺が流麗な動きで、空間を断裂するような一撃をバジリスクにお見舞いする。
その結果、バジリスクの頭部は口の辺りから切断され、二つに分かれた。が、その際、バジリスクの返り血が俺の腕に付着する。
すると、着ていた制服の袖が溶け出し、腕に皮膚が焼けるような痛みが走った。そして、たちまちフラフラと足下がおぼつかなくなる。
「くそ、毒を食らっちまった」
俺は視界が明滅するのを感じながら言った。
やっぱり、バジリスクの毒の効果はハンパじゃなかったと言うことだ。ここまで即効性があるなんて。
このままじゃ、あの冒険者みたいに死んでしまう。そんなことを思いながら、俺はガクンと両膝を突いた。
「大丈夫だよ、ロディ。私はリフレッシュの魔法が使えるって言ってあったでしょ。だから、すぐにバジリスクの毒も治してあげるよ」
そう言ったのは、すっかり立ち直っていたアンジェリカだった。と言うと、既に自分の毒は治療してあるということか。
「なら、早く治してくれ。頭はクラクラするし、今にもぶっ倒れそうなんだ」
俺は脂汗を流しながら、肩を抱いて震えた。すると、アンジェリカがふんわりと白い光を放つ手を俺の毒を受けた部分に近づける。
すると腕に走っていた痛みもスーッと消えてなくなる。朦朧としていた意識もはっきりするようになり、体の発熱も引いていった。
さすが魔法使いだな。でも、そのアンジェリカが魔法を使えない状態に陥ってしまいそうになったのだから、何とも危なくはあった。
「これでもう平気だよ。完全には体の調子も良くならないかもしれないけど、町に帰ることくらいはできるはずだから、せいぜい頑張って歩いてよね」
アンジェリカは元の色に戻った俺の肌を見てほっと息を吐くと、俺の顔を覗き込みながらにっこり笑った。
それを受け、俺が笑い返すと、アンジェリカは少し間を開けてから、口を開く。
「でも、もし私がリフレッシュの魔法を使えなかったら、私もロディも死んでいたかもしれないね。危ない、危ない」
アンジェリカは冗談にならないようなことを言った。ただ、それは厳然たる事実なので、しっかりと受け止めなければならないだろう。
「あんまり怖いことを言ってくれるなよ。まあ、その通りではあるし、この次は多少、重たい思いをしても毒消しの薬は持ってくるべきだな」
バジリスクが毒を使うというのに毒消しの薬を持ってこなかったのはいかにもマヌケだ。例え、アンジェリカの魔法を宛てにしていたとしても。
それもそのはず、実のところ俺たちは薬の類いを使ったことが一度もないのだ。ゲームみたいに傷薬を使っても怪我が治るはずがないと馬鹿にしていたからな。
なので、これを期に、薬の効能を見直す必要があるかもしれない。そして、薬の力で、どの程度の症状までなら治せるのか調べておかないと。
「賛成ね。毒消しの薬はそんなに高い物じゃないし、ケチケチせずにたくさん買っておくべきよ」
どうせ、エレインは自分じゃそのお金は出さないんだろうけど。
「そうだね。毒とか麻痺があるから、単独で迷宮に挑むのは危険なんだ。今回の戦いで得た教訓は覚えておくべきだよ」
レクスはバジリスクの死体を一瞥しながら言った。
「私もクレリックに属する魔法は使えるようになりたいわね。町にある魔法の習得場には足を運んでおくべきかもしれない」
回復まで自分でこなせるようになりたいと言うことは、イリーナはあくまで自分一人で迷宮に行くのを止めないわけか。
まあ、俺も何かあった時のために回復魔法は習得しておきたい。
その後、バジリスクの討伐の依頼を達成した俺たちは町に戻ることにした。
☆
無事に冒険者の館に戻って来た俺たちはバジリスクを倒したことを報告した。
これで調査隊の確認が終われば三十万シュケムが報酬として支払われることになる。ま、三十万シュケムもあれば良い防具も買えるだろう。
それから、俺たちが冒険者の館を出ようとすると、フード付きのローブを着た見覚えのある男性が話しかけてくる。
それは冒険者の館の館長をしているウルベリウスだった。これで会うのは二度目だな。
「あのバジリスクを倒したか。たいした活躍ぶりだな、少年少女たちよ」
ウルベリウスは嫌味ではなく、心から感心したように言った。
「は、はい」
俺は照れながら首の後ろを掻く。首にはべっとりと汗が付いていたので、早くシャワーで洗い流したかった。
「お前たちをこの迷宮に導いた、あのお方も喜んでいるだろう。もちろん、私にとってもそれは同じことだが」
ウルベリウスは自分の背後関係を匂わせるように言った。
「あのお方って誰なんですか?」
俺は強い響きを持つ口調で尋ねる。
俺たちを影から良いように操っている奴がいるのは事実だし、そいつが何者なのかは突き止めたい。
そんな俺の気持ちを察したのか、ウルベリウスは急に真顔になる。
「蛇だ。世界の創造にすら関わったとされる翼を持った蛇だ。もっとも、それ以上のことは私にも分からないが」
ウルベリウスは虚空を見詰めるような顔で言った。
「会ったことはないんですか?」
俺はどんな奴だろうかと興味を覗かせながら尋ねる。
「それについての言及は避けさせて貰おう。全てを答えてしまうと、あのお方からお叱りを受けてしまうのでな」
ウルベリウスはやんわりと言うと肩を竦める。どう問い詰めても、口は割りそうにないな。
俺はあのお方というのは魔界のゲートを封印する際には力を貸してくれるという善神サンクナートなんじゃないかと考える。
サンクリウム王国を滅ぼそうとした邪神ゼラムナートを魔界に追い返した立役者、サンクナート。
どんな奴なのかは、俺には想像も付かない。だが、このまま迷宮を制覇して行けば必ず会うことになるだろう。
リバイン・テイルでは最後の方になるとサンクナートがプレイヤー・キャラのステータスを大幅にアップさせてくれると聞いている。
果たして、そんな都合の良いイベントが俺たちに用意されているのかどうかは現時点では分からない。
ただ、ゲームと同じように迷宮の最深部で邪神ゼラムナートと戦うことになるなら、サンクナートの力も宛てにしなければならなくなるだろう。
そう思った瞬間、館の入り口から、血相を変えた男が現れる。
「大変だぞ、お前ら!」
男は息を切らせながら言った。その顔がただ事ではないと言うことを物語っている。
「そんなに慌てて、どうしたというのだ?」
すぐに反応して尋ねたのはウルベリウスだった。
「歓楽街で、斧を持ったミノタウロスが暴れてるんだ。怪我人も出てるし、お前らも助けに来てくれよ」
その言葉を聞き、館の中にいた冒険者たちはどよめいた。だが、勇気がないのか誰も館の外に出ようとはしない。
それを見て、ウルベリウスはどこか失望したような顔をすると、俺たちの方を真っ直ぐな目で見据える。
「少年少女たち、バジリスクを倒してきたばかりで疲れているとは思うが、どうかミノタウロスも退治してきてはくれまいか。報酬は弾むぞ」
ウルベリウスの言葉に疲れ切っていた俺はうんざりしそうになる。が、怪我人も出ていると聞いてしまったので断ることもできなかった。
「分かりました。報酬はともかく、怪我人を放っておくことはできませんし」
俺がそう言うとウルベリウスは薄い笑みを浮かべながら、こなれた身振りで頭を下げた。それから、俺たちは館を出ると急いで歓楽街の方に向かう。
歓楽街に近づくほど、通路にいる人の数も多くなっていく。確かに、何か大きな事件があったみたいだな。
そして、俺たちが歓楽街に駆けつけると、そこにはたくさんの人だかりができている酒場があり、中を覗くと店内は見るも無惨に破壊されていた。
テーブルは一つ残らず薙ぎ倒されていたし、床には深い亀裂が何本も走っていた。コップや瓶なども床のあっちこっちに落ちて割れていたし、酷い状態だ。
ただ、怪我人の姿はなかった。
おそらく、誰かが運んで手当をしてくれているのだろう。
「一体、何があったんだ?」
俺は一人、嵐が過ぎ去ったような状態の店内を掃除していたバーテンに尋ねる。
「酒を飲んで酔っ払っていたミノタウロスをからかった冒険者がいるんです。それで、頭に血が上ったミノタウロスは大きな斧で、気がすむまで店の物を壊していきました」
バーテンは深々と溜息を吐く。ただ、その顔には動揺がないので、前にも似たような荒事はあったのかもしれない。
「そのミノタウロスはどこに行ったんだ?」
ミノタウロスが一方的に悪いわけではないと知り、俺もそんな奴を退治して良いのだろうかと思ってしまう。
「スラム街の方に逃げていきましたよ。たまたまその場に居合わせた王立騎士団の団長さんと副団長さんが追いかけていきましたから、今頃、どうなっているか」
バーテンがまるで人事のように言った。
王立騎士団の団長というと、ディーン・マクドヴェルだろうか。ゲームではメッセンジャーとしてしか登場しない。しかも、かなり嫌味な奴だ。
となると、副団長の方は美しき女性騎士、ソフィア・シュトレーゼだな。二人とも、ゲームの中ではさして重要なキャラではなかったが。
俺は嫌な予感がしたのですぐに酒場を出た。それから、野次馬のような連中をかき分けると、スラム街に向かって走っていく。
そして、怯えたような顔をしているモンスターたちの横を通り過ぎながら、スラム街の奥へと足を踏み入れた。
すると、袋小路になっているところに三メートル近くの背丈を誇る牛の顔をしたミノタウロスと、それを追いかけた二人の騎士がいた。
ミノタウロスと二人の騎士は距離を置きながら対峙している。
俺はミノタウロスが斧の刃を突きつけて人質に取っている少女を見て、血の気が引くのを感じた。
その少女は何とエルシアだったのである。
「エルシア!」
俺は電撃のような声で叫んでいた。
「ロディさんにみなさん!」
エルシアは目に涙を浮かべながら応える。それを見て、俺も息を荒げているミノタウロスをキッと睨む。
「おい、これ以上、近づいたらこいつの首を切り裂くぞ」
ミノタウロスは震える手で、エルシアの首筋に斧の刃を当てる。力の加減を間違えればエルシアの頸動脈はスパッと切れそうだ。
「お前は酒に酔ってるんだ、冷静になれ」
俺は何とか説得を試みようとした。
「うるせぇ!どいつもこいつもモンスターの俺を馬鹿にしやがって。殺すならさっさと殺しやがれ、ただしこいつも道連れだ」
ミノタウロスは完全に自棄になっていた。
こいつを殺すのはさほど難しいことではないが、エルシアが人質に取られていては迂闊に手が出せない。
ゲームとそっくりの顔をしているディーンとソフィアも武器を手にしていたが攻めあぐねているようだったし。
なので、俺はエレインに目配せをする。エレインの弓なら、斧を持っているミノタウロスの腕に矢を命中させられるはずだ。
だが、それは危険な賭でもある。ミノタウロスの手元が狂えば、エルシアの首は切り裂かれかねない。
俺は鞘から剣を引き抜くと、レクスにも目配せをする。
俺たちの中で一番、速い動きができるのはレクスだからな。エレインが作りだした隙を突けるのもレクスしかいない。
俺は弓を引くエレインを後ろに隠すと、ジリジリとミノタウロスと距離を詰める。
「近づくなって言っているだろうが!本当にこいつを殺して良いのか?言っておくが俺は本気だぞ」
そう言って、ミノタウロスは激高する。これには俺も頬から汗を滴らせた。
「お前に人を殺す度胸なんてありはしない。やれるものならやってみるんだな」
俺は敢えてミノタウロスの怒りを煽るように言った。
「て、てめぇ」
怒り心頭に発したミノタウロスの斧の刃がエルシアの首筋から逸れると、エレインの放った矢が狙い通りにミノタウロスの腕に命中した。
ミノタウロスは「グワッ」と声を上げる。その隙に、レクスは残像すら生む動きでミノタウロスに接近していた。
ミノタウロスも斧を振り上げたが、それが振り下ろされる前にレクスの小剣がミノタウロスの腕を貫く。
これには溜まらずミノタウロスも斧を落としてしまった。
さすがレクスだ、その動きはまるで稲妻のようだな。
それを受け、エルシアもミノタウロスの腕の中からするりと抜け出すと、俺たちの傍に駆け寄ってくる。
ミノタウロスも慌ててエルシアの背中を掴もうとしたが、その手は届かなかった。
それから、泣きそうな顔をしているエルシアをアンジェリカが抱きしめる。人質がいなくなったので、俺も余裕を持ってミノタウロスに剣を突きつけた。
「これで少しは頭が冷えたか?」
血が流れ出す傷口を押さえながら、ミノタウロスは悔しそうに呻いた。
「くだらねぇお喋りをするつもりはねぇ。その剣でさっさと俺を殺せよ。そうすれば綺麗さっぱりとするはずだぜ」
戦意を喪失したミノタウロスは酔いが醒めたのか自虐的とも言える声で言った。
「良いだろう」
俺はその挑発に乗るように剣を振り上げる。
もちろん、殺すつもりはないが、それでももう少し痛い目に遭わせてやろうとは思っていた。
「止めてください!」
そう叫びながら俺とミノタウロスの間に割って入ったのはエルシアだった。
「エルシア」
剣を握る俺の手が止まる。それから、エルシアはミノタウロスの前に進み出ると、訴えかけるように口を開く。
「あなたは、ただ静かにお酒が飲みたかっただけなんですよね?なのに、心ないことを言われて、つい暴れてしまっただけなんですよね?」
エルシアの言葉にミノタウロスも痛切な顔をする。
「そうだ。俺だって人間を傷つけるつもりはなかった。でも、あいつらがあまりにも俺を馬鹿にするからついカーッとなって」
ミノタウロスは大きく肩を落とした。
「なら、今度からはウチの宿に来てください。お酒も思う存分、飲ませててあげますし、あなたを馬鹿にする人もいませんから」
エルシアは自分を殺そうとした相手に向かって何の曇りもない笑みを浮かべた。これにはミノタウロスだけでなく、俺たちも感嘆させられる。
「ありがとよ…。なら、そうさせて貰うぜ」
そう言うと、ミノタウロスは煮るなり焼くなり好きにしろと言わんばかりに床にどっしりと座り込んだ。
その後、手を出せずにいたディーンとソフィアによってミノタウロスは捕縛された。二人が言うにはミノタウロスは町の牢屋へと入れられることになるのだそうだ。
幸いにも被害者たちの怪我も軽かったと言うし、酒に酔った上での行動なので、あまり重い罪にはならないらしい。
その上、ミノタウロスの刑を軽くするためにエルシアはもしものために貯めていた五十万シュケムを払うと言った。
なので、三ヶ月ほどで牢屋から出て来れると、牢屋の警備もしている自警団の団長、シェリフ・バグスターは教えてくれた。
シェリフはゲームと同じように、正義感、溢れるおっさんみたいな感じだった。
が、シェリフと王立騎士団・団長のディーンは仲が悪いという設定は再現されていたらしく、二人は牢屋で会ったが目も合わせなかった。
ゲームの中の設定を、探し出すのは少し楽しいな。
そして、俺たちもミノタウロスは退治しなかったが、それでも冒険者の館で報酬を貰うことができたので、全くの骨折り損というわけではなかった。
あと、ディーンは俺たちに騎士団に入らないかと、しつこく誘ってきた。
が、その時の態度がどうにも横柄だったので、俺たちもきっぱりとディーンの誘いを断った。
ただ、ハリウッドの女優のような美しい顔をしたソフィアには、俺もつい見とれてしまったけど。
それから、俺たちはエルシアの宿屋で食事を取ることにする。
「エルシアはどうしてこんなところで宿屋を営んでいるんだ?」
俺はスペアリブを齧りながら、さりげなく尋ねる。それを受け、エルシアは複雑な感情が綯い交ぜになったような顔で口を開く。
「実は私、捨て子だったんです。だから、まだ赤ん坊の時、スラム街の路地裏に捨てられていて。でも、そんな私をゴブリンのお爺さんは拾ってくれました」
エルシアは哀切さを滲ませながら言った。
「そうか」
エルシアのような可愛い女の子を捨てるなんて、酷い親もいたもんだ。
と言いたいところだけど、ゲームでは生まれたばかりのエルシア王女を殺そうとする悪辣な連中がいたという事情は忘れてはならない。
なので、彼女は敢えて、王宮にいる親元から引き離さることになったのだ。
そして、人間からも信頼されていたゴブリンのお爺さんの元に預けられたという事実は彼女も知るまい。
「しかも、ゴブリンのお爺さんはこの宿屋を営んでいて、色々なモンスターたちに食事を提供していたんです。その頃はこの宿屋も大いに繁盛していたんですよ」
その光景は俺には想像しづらかった。
「でも、お爺さんは私が十一歳の時に病気で死んでしまいました」
エルシアは萎れたような顔で言った。
「その後、私がお爺さんの跡を継いだんですが、人間に不信感を抱いているモンスターたちは宿に来なくなってしまったんです」
だから、この宿屋は閑古鳥が鳴いてるわけか。元々、モンスターが営んでいた宿だから、人間の客も来ないし。
「やっぱり、モンスターたちは人間である私のことを信頼し、受け入れてはくれなかったみたいですね。お爺さんの、残してくれた財産がなかったら、今頃この宿は…」
エルシアは悲しげな笑みを浮かべた。
「まあ、そう上手くはいかないよな」
そう言って、俺も相槌を打つ。人間に危害を加えないとはいえ、モンスターたちは薄暗いスラム街に押し込まれている。
きっと俺が思っている以上に人間とモンスターたちの溝は深いに違いない。
「でも、私は諦めません。いつか人間とモンスターたちが共に暮らせる日が来ると信じていますから」
エルシアの目に情熱のようなものが宿る。
「だから、私はこの町に住む人間とモンスターの架け橋になりたいんです」
エルシアの架け橋という言葉に、俺も胸を打たれた。
「エルシアなら、きっとできるさ。モンスターたちも宿にこそこないが、エルシアの炊き出しでは随分と世話になってるからな」
そう言ったのは、豆をムシャムシャと食っているナッツだ。
エルシアは宿の外で、モンスターたちに食事を提供しているわけか。その苦労が実を結べば良いんだけど。
「上手く行くと良いな」
俺はいつかエルシアが王宮に戻らなければならないことを知りつつも、心から願うように言った。
「はい」
エルシアは元気いっぱいの笑みを浮かべながら返事をする。その顔を俺は何だか眩しい気持ちで見詰めた。
☆
金曜日の朝、俺は爽やかな顔で、朝の教室にいた。空はどこまでも青く、日差しは温かくて柔らかい。
でも、春が空けて露の季節になったら、こんな清々しい空を眺めることもできなくなるだろうな。
もし、夏になったら、生徒会は部室にクーラーを設置してくれるだろうか。クーラーがあれば快適なことこの上ないんだけど。
俺はそんな楽天的なことを考えながら、窓の外をひたすら眺める。
ちなみに迷宮の探索は順調に進んでいて、昨日は十階まで踏破することができた。幸いにも九階と十階には中ボスのようなモンスターはいなかったからな。
元々、いなかったのか、他の冒険者が倒してくれたのかは分からないが、戦わずにすんだのは運が良かった。
いずれにせよ、十二階までの道のりは、順調に切り開けつつある。なので、近い内に必ずダークドラゴンとは戦うことになるだろう。
ダークドラゴンの姿を頭の中でイメージすると、否応なしに緊張させられるけど。
そして、俺が物思いに耽っていると、ルークがニヤけた顔で話しかけてくる。その声もいつになく明るいものだった。
「よっ、ロディ」
ルークの第一声はいつもこれだ。少しは台詞のバリエーションを増やせよと言いたくなる。
「ルークか。相も変わらず元気そうだが、お前には悩みってもんがないのか?」
ルークが落ち込んだところなんて、ここ数年、見てないな。
「ない。俺だって自分から、元気を取ったら何も残らないっていう自覚はあるからな。だから、馬鹿な頭で悩むなんてことはしない」
ルークは揚々と言葉を続ける。
「そんなことより、今日の放課後は久しぶりにパスタ屋に行かないか?」
ルークはニカッと笑いながら言った。
「パスタ屋だって?」
ここのところパスタからは遠ざかっていたから、パスタ屋に行くのも悪くないと前だったら思っただろう。
なので、学園の外に出られないという現実が、俺の心に重くのしかかる。
「ああ。駅前にテレビで紹介された旨いパスタ屋があるって言うんだよ。だから、リッジの奴に一緒に行こうって誘われてたんだ」
「へー」
リッジの奴とは、最近、話してないな。
「とにかく、そういうわけだから、お前も一緒に行こうぜ。金がないって言うなら、俺が利子三パーセントで貸してやるからさ」
利子を取るのか。そういうところはちゃっかりしてるんだよな。
「いや、止めとくよ」
俺は苦い思いで首を振った。
「何だよ、せっかく誘ってやったのに付き合い悪いな。もしかして、今日も部活があるって言うのか?」
ルークの声には鬱憤のようなものが混じっていた。
「そんなところだ」
「ふーん。ま、どうしても行けないって言うなら、俺も無理には誘わないが、たまには息抜きも必要だぜ」
この辺の理解の早さがルークの良いところだ。
「それは分かっているし、お前には悪いと思ってるよ。だから、この埋め合わせは必ずさせて貰う」
俺もここだけは力をこめて言った。
「なら良いんだ。でも、俺としてはお前のことが心配なんだよ。部活をやり始めてから、急に変わっちまったからな、お前」
前にも思ったけど、変わったという自覚はない。でも、親友のルークなら俺の変化に気付けてしまう。
だからこそ、これ以上、誤魔化し続けるのは無理かもしれないと思うのだ。
「そうか…」
いつになったらルークと一緒に帰れるようになるのかな。
「ほらほら、またそうやって思い詰めたような顔をする。だから、こっちだって余計に心配になっちまうんだよ」
ルークは何とか明るい空気を作り出そうと捲し立てるように言った。
「そう言われると困るな。でも、誘ってくれたのは本気で嬉しいし、ありがとな」
俺はなるべく自然にはにかんで見せた。
「ああ。とにかく、悩むのもほどほどにしておけよ。俺と同じで、お前も悩んですぐに答えが出せるほど頭は良くないんだからさ」
そうからかうように言って、ルークは自分の席に戻って行く。その後ろ姿を見て、俺も先のことを憂いて、思い悩むのは止めにしようと思った。
そうしないと俺の近くにいる奴らにまで不安を与えてしまうからな。
☆
放課後になると、俺たちは全員、揃って迷宮に潜る。
六階以降のモンスターは確かに強かったが慣れてくると、それほど苦労せずに倒せるようになった。
経験値なんて目に見えるものじゃないけど、俺たちも確実に強くなっている。それは間違いない。
この調子で強くなっていければ、第一界層は何とか制覇できるかもしれない。
だが、迷宮は下手したら第五界層以上、存在するかもしれないのだ。それを考えると、全身に這い上がるような悪寒を感じてしまう。
そして、俺たちは三時間、近く歩いて、十一階にまで辿り着く。
十一階には中ボスのモンスター、キマイラがいて俺たちと睨み合っていた。キマイラは獅子と山羊と蛇の三つの頭を持つ、怪物だった。
何というか、失敗した実験動物のような雰囲気を漂わせている。
俺はどんな能力を持っているか分からないので警戒しながら剣を構えた。それから、しばらく経つと、軽率にも痺れを切らしたように剣で斬りかかってしまう。
すると、キマイラはいきなり獅子の口から炎を吐いた。
炎は俺のところまで押し寄せてきたので、俺も慌てて後退する。ファイアー・ボールなどとは比べものにならない凄まじい熱量だ。
俺は盾を翳していたが、炎の熱に耐えきれなくなりキマイラに背を向けて逃げる。だが、顔だけはキマイラの方を振り向いていた。
すると、今度は山羊の口がぞっとするような寒さを感じさせる冷気を吐き出す。
冷気は床を凍らせながら、背中を向けている俺に迫ってきた。なので、俺はその冷気をミスリルの盾で防ぐ。
だが、ミスリルの盾はすぐに凍り付いてしまった。しかも、服の袖まで凍り始めたので、俺は慌ててミスリルの盾を投げ捨てる。
危うく腕が凍り付いて、凍傷になってしまうところだった。どうやら、炎より冷気の方が人間にとっては脅威みたいだな。
すると、今度は蛇の口が硫黄のような臭いがする紫色のブレスを吐き出す。そのブレスに触れた俺の胸当ての肩の部分はドロドロと溶け始める。
これはアシッドブレスだ。
俺は慌てて、首の辺りまで溶けてしまった胸当てを外した。下に着ていた制服も溶けて虫食いのような穴が空いてしまったし。
どうやら、キマイラは多彩なブレスを吐き出すことができるようだな。もっとも、どのブレスを食らっても俺たちの命はないが。
キマイラは三つの口から大量のブレスを吐いて、俺を近寄らせないようにする。しかも、キマイラの三つの頭はどの方向も向くことができる。
なので、背後から忍び寄っていたレクスには、蛇の顔が向けられ、横から迫ろうとしていたイリーナには山羊の顔が向けられた。
そのせいで、レクスもイリーナもブレスに遮られて接近することができない。それから、俺たちと、キマイラは互いに牽制し合いながら攻撃の機会を窺う。
離れたところから攻撃できるエレインは矢を放ったが、炎で防がれてしまう。木の矢なので炎を食らえばすぐに消し炭になってしまうのだ。
その上、キマイラの体は思っていた以上に強靱だ。矢の一本や二本が刺さっても、まるでダメージは見受けられない。
アンジェリカも今回は最初からエクスプロードを含めた上位系の攻撃魔法を何度も放った。
が、キマイラは炎や冷気などの属性を持つ攻撃に極端に強いのか、ほとんどダメージを与えられなかった。
あのシャイン・ブラスターも寸前のところでかわされてしまったし、そのせいでアンジェリカも魔力を使いすぎてしまう。
なので、結局、俺たちは物理攻撃で何とかするしかないと言う結論に達する。
俺は獅子の顔と向き合いながら、どうやって攻撃を仕掛けるか考え込む。どの方向から攻撃しようと恐ろしいブレスを浴びてしまうし。
すると、アンジェリカが膠着状態を打破するようにロッドを掲げて、俺たちの体の周りに薄い光りの膜を作り出した。
「みんなにフォース・シールドの魔法をかけたよ。これなら、キマイラのブレスを浴びても大丈夫だから…」
アンジェリカは蒼白な顔でそう言うと、フラッと足をよろめかせる。どうやら、アンジェリカの体力も限界みたいだな。
一方、アンジェリカの言葉を聞いた俺は自分の体を包む光りの膜を見て、ゴクリと唾を飲み込む。
それから、俺はこうなったらフォース・シールドの力を信じるしかないと思い、決死の覚悟でキマイラに向かって走り出す。
キマイラも俺を寄せ付けないように猛威を振るうような炎を吐いてきた。が、俺の体が炎で焼かれることはなく。それどころか、熱すら伝わってこなかった。
他にも冷気やアシッドブレスも俺に浴びせられたが、何ら問題はなかったし。
そして、自慢のブレスがことごとく通じなかったのを目の当たりにして、キマイラも狼狽えるような様子を見せる。
フォース・シールドはブレス系の攻撃に対しては、非常に大きな効果があるみたいだな。
俺は炎の壁を突き破ると一気にキマイラとの間合いを詰めて、血が滾るようなものを感じながら強烈な剣の振り下ろしをお見舞いする。
その瞬間、口から炎の息を漏らしていた獅子の顔が真っ二つに割れる。すると、割れた部分から暴発するように炎が吹き上がり獅子の顔を焼き尽くした。
一方、一陣の光りと化した動きを見せるレクスの突きも、蛇の額を貫いていた。レクスが剣を引き抜くと脳漿が飛び散る。
イリーナの三段突きも神がかり的な早さで、山羊の顔を連続して刺し貫いた。
その結果、三つの顔を破壊されたキマイラは膝を突く。もし、顔が三つではなく、四つだったら、もう少し抵抗できたかもしれない。
俺はピクピクと痙攣しているキマイラの体にトドメを刺すように剣を突き立てた。すると、キマイラの体がビクンッと撥ねて、動かなくなる。
そして、キマイラは呆気なく横倒れになった。
キマイラは思ったよりもたいしたモンスターではないという印象を受けたが、これもフォース・シールドの魔法のおかげだろう。
フォース・シールドがなければ、恐ろしいくらいに苦戦させられたはずだ。三つのブレスを組み合わせて使われたら、対抗することはできなかっただろうし。
「これで、残すところはダークドラゴンだけだな」
そう言って、俺はキマイラの体から剣を引き抜く。キマイラの青い血がブシューッと吹き上がった。
これでダークドラゴンのいるところまでの最短の道は全て繋がったというわけだ。
その事実を受け、俺はまだ第一界層は制覇できていないというのに、中途半端な達成感を感じてしまった。
「うん。ま、今の僕たちなら、ダークドラゴンにも勝てると思うけど、厳しい戦いになるのは間違いないだろうね」
レクスはキマイラの血が付いた小剣を布で拭う。それを見て、俺は思わず大息を吐いてしまった。
「そうだな。ったく、迷宮なんてたいしたことないって高を括っていた頃が懐かしいな。こんな調子で迷宮を制覇することなんて、できるのか?」
俺はキマイラの屍をもどかしそうに見た。
この先、敵がどんどん強くなるのは間違いない。そのペースに俺たちが付いていけるのかどうかは、現時点では何とも言えなかった。
「気持ちで負けたら終わりだよ、ロディ。とにかく、今は焦らずに少しずつステップアップしていけば良いんじゃないのかな」
レクスはあくまで前向きな意見を口にする。
「レクスの言う通りよ。それくらいの心の余裕は持つことができるように、この迷宮は作られているみたいだし」
イリーナの言うことは正しい。どんなに困難に思えたとしても、クリア不可能なゲームではないのだ。
なら、あらゆるものをコツコツと積み重ねていくしかない。
「でも、ダークドラゴンを倒したら、町の人たちが表彰してくれるって話を小耳に挟んだのよね。ちょっと楽しみだな」
エレインは俺たちの空気を柔らかくするように言った。
「表彰なんて恥ずかしいだけだろ」
俺はつい捻くれたことを言ってしまった。
「そうでもないわよ。ひょっとしたら目も眩むような大金もくれるかもしれないし。もし、そうなったらアタシも地下街に家でも建てようかしら」
エレインはニタニタと笑った。
「確かに家は良いよね。別荘みたいな感じで、家が持てたら素敵だろうなぁ」
家庭的なアンジェリカはどこかうっとりしたように言った。
でも、俺は家なんか建てたら、学園の外に出たいという気持ちが折れてしまいそうなので、エレインの考えには賛成できなかった。
「軽い気持ちで言ってるようだけど、家なんて建てない方が良いわよ、エレイン。迷宮の下の階には地下街、以外の町もあるかもしれないんだから」
忘れそうな事実を指摘したのはイリーナだ。
「そっか。もしかしたら、その町が地下街よりも良いところだっていう可能性もあるわよね」
もし、ゲームなら、下の階に行くほど魅力的な町があるのがセオリーだ。
「そういうことよ。それに、この町には家の代わりになるエルシアの宿屋だってあるんだし」
イリーナはシレッとした顔で言った。そんなイリーナの双眸は脱力している俺の方にも向けられている。
「なら、安易に家なんて建てたら、馬鹿を見るかもしれないわね。でも、下の階に行くほど、学園に戻るのが大変になるんじゃないの?」
エレインと同じ疑問は俺も前々から持っていた。
「その心配はいらないと思うわよ。迷宮にはワープポイントがあって、それを起動させれば、どれだけ深く潜っても地下街に戻って来れるって私も教えて貰ったから」
イリーナはちゃんと調べあるみたいだな。
でも、その起動させなきゃならないワープポイントは第一界層にはなかったわけだし、利用できるのは第二界層からか。
本当に人間がワープできるのかは疑問の余地があるけど。
「便利なものがあるんだね。でも、ちょっと安心したし、この迷宮を作った人は意外と親切さんかもしれないね」
アンジェリカはブルネットの髪をサラサラと揺らして表情を綻ばせた。
「とにかく、早くダークドラゴンを倒して、第二界層に行くわよ。ダラダラしていると勝てる戦いも勝てなくなるから」
イリーナは槍を振り上げると、みんなを発奮させるように言った。
☆
土曜日の朝になると、俺は教室でいつものようにルークの馬鹿話に付き合う。
そして、こいつとこうやって暢気に話せるのも、もしかしたら、あと僅かかもしれないと思ってしまった。
もし、俺がダークドラゴンに負けて死んだら、どうなるのかな。一応、葬式とか出してくれるんだろうか。
いやいや、そんな弱気なことを考えていては駄目だ。ダークドラゴンは必ず倒せると、自分や仲間たちを信じないと。
でなければ、本当に勝てる戦いも勝てなくなる。
俺が足を引っ張ったせいで仲間が死んだりしたら、目も当てられないからな。だからこそ、ダークドラゴンとは心置きなく全力で戦いたい。
そんなことを悶々と考えていると、ルークは「今度は国道にできたステーキハウスに行くつもりだから、一緒に行こうぜ」と言ってくれた。
それを聞いて、俺は改めて負けられないなという気持ちになる。背負っているのは、自分の命だけではないのだ。
それから、いつものようにメールで連絡を取り合った俺とレクスたちは部室に集まっていた。
ただ、部室に漂う空気はいつもと違う。どこか心が引き締まるような空気を俺は肌で感じ取っていた。
「さてと、アンジェリカも新しいローブを買うことができたって言うし、これで全員の新しい武器と防具は揃えることができた」
レクスはみんなの顔を見回しながら言葉を続ける。
「だから、明日はちょうど日曜日だし、みんなでダークドラゴンを倒しに行かない?」
そう言うと、レクスは同意を求めるような目で俺の顔を見る。それに対し、俺もレクスの問い掛けにどう答えるべきか考え込む。
だが、俺より先に他の奴が口を開いた。
「賛成ね。これ以上、第一界層にいても得るものはなくなっちゃったし、緊張感がなくならない内に挑むべきよ」
エレインはいつにも増して元気な声で言った。
まあ、昨日の内にキマイラも倒して、十一階は踏破してしまったからな。
残すは十二階にいるダークドラゴンだけになったし、そろそろ挑まなければならないかもしれない。
「そうだね。中間テストも近づいてるし、精神的な余裕を持つためにも時間がある内に第一界層は制覇しておくべきだと思う」
アンジェリカも異存はないようだった。
「私はいつでも構わないわよ。あんたたちと違って、戦いと勉強を両立させる自信はあるもの」
イリーナは挑発的に言った。
ま、こいつは学業の方も優秀みたいだからな。心配するだけ損だ。
いずれにせよ、中間テストが始まる前に、第一界層を制覇しておきたいという気持ちは俺も同じだ。
「って、女子たちは言ってるけどけど、ロディはどうなの?」
レクスは俺の表情を窺うように尋ねて来る。なので、みんなの言葉に感化された俺は迷いを断ち切るように声を上げる。
「俺もみんなの意見に賛成だよ。とにかく、そういうことなら日曜日はみんなで朝から迷宮に挑もう。そして、必ずダークドラゴンに勝ってやろうじゃないか」
俺は奮い立つように言った。
その言葉を聞き、みんなの顔もパァーッと明るくなる。それを見て、俺もみんなを引っ張っていくのは自分の役目なんだなと思った。
いつの間にか俺がリーダのような立場になってしまっていたし。でも、悪い気はしなかった。
「やけに気合いが入ってるね、ロディ。まあ、そうでなくちゃ僕たちも困るんだけど」
レクスは顔の表情を小さく綻ばせる。
「でも、あんまり力みすぎると、思わぬ失敗をするわよ。戦いに求められるのは常に平常心なんだから」
イリーナは窘めるように言った。
「分かってるよ。だけど、ダークドラゴンは恐ろしいモンスターらしいって他の冒険者たちも言ってたし、気持ちで負けたくはないんだ」
俺は自分でも闘志が沸き上がるのを感じながら言った。ただ、浮き足立つのは良くないので、そこら辺は自重する。
「正論ね。ま、今までの相手と同じだと思うのは浅はかってもんだし、勇気の出しどころっていうのは間違いないわね」
エレインは砕けたように肩を竦める。
「うん。何にせよ、みんなで力を合わせればきっと勝てるよ。少なくとも、私はそう信じてるから」
アンジェリカは胸の辺りで手を合わせて言った。それから、俺たちは互いの顔を見合わせて、不敵な笑みを浮かべる。
あのイリーナでさえ笑っているのだから、俺も心強くなる。
が、そんな俺たちの空気に水を差すように部室の扉が何の前触れもなく開かれる。現れたのは白いビニール袋を手にしたベティーだった。
「みなさん、ケーキを持ってきたんですけど、もしかしてお邪魔でした?」
ベティーは気まずそうに言った。
確かに俺たちの間に漂っていた空気は部外者、お断りだったからな。もっとも、ベティーは部外者じゃないけど。
「そんなことはないよ」
俺はすぐに首を振る。アンジェリカやエレインも取り繕うように笑った。
「そうですか。なら、みなさんでケーキを食べてください。オープンしたばかりのケーキ屋さんのケーキを買ってきましたから」
ベティーはビニールに入ったケーキの箱を長テーブルの上に置いた。途端に甘い香りが漂ってくる。
ちなみに俺はケーキではモンブランが好きだ。
「そのケーキ屋さんなら、アタシも知ってる。友達が凄く美味しいって言ってた。特にチーズケーキが良いんだって」
エレインは喜々とした声で言った。
「ケーキを食べるなら、すぐに紅茶を入れるね。友達から貰ったばかりのダージリンのティーパックはとっても美味しいし」
アンジェリカも電動ポットがある方に歩み寄る。
「そのケーキだけど、僕たちも食べて良いかな、ベティー?」
レクスは苦笑しながら問い掛けた。
「もちろんです。たくさん買ってきましたから、どうぞ食べてください。私はすぐに失礼させて貰いますから」
ベティーは小さく頭を下げて部室から出て行こうとする。
「あれ、ベティーは食べていかないの?」
エレインは不思議そうな目で言った。
「私はこれから会長と生徒会の仕事をしなければならないんです。ですから、私のことは気にしないでください」
そう言うと、ベティーは残念そうな顔をする。
自分は食べられないというのに、ベティーはケーキを差し入れしてくれた。この心遣いには感謝するしかないな。
「ありがとう、ベティー」
俺はベティーとエルシアって性格的に似ているなと思いながらお礼を言った。
「はい。みなさんも、なるべく無理をせずに迷宮の探索を頑張ってください」
そう言うと、今度こそ、ベティーは部室から出て行った。
それから、紅茶を入れようとしているアンジェリカを除いた俺たちはパイプ椅子に腰を下ろす。
ビニールの箱の中には色取り取りのケーキが入っていた。実に美味しそうだ。
「ハア、新しいケーキ屋さんか。アタシも友達とファミレスとか行きたいよ。最近、付き合いが悪いねって、友達からは言われてるし」
エレインが珍しく元気のない顔をして溜息を吐いた。だが、その気持ちは俺としても大いに分かる。
俺だってルークの誘いを断ってしまったからな。
あれには何とも苦い思いにさせられたし、こんな状況は続けたくない。
「私もグローリーさんの言ってたケーキ屋さんには自分の足で行きたかったな。やっぱり自分の目でケーキは選びたいし、それがケーキ屋さんを楽しむコツだよ」
そう言いながら、アンジェリカはみんなのティーカップに良い香りの漂う紅茶を注ぐ。
「僕はケーキ屋さんには興味ないけど、たまにはレンタルビデオ屋とかに行って、映画のDVDを借りたいね」
レクスは窓の外に視線をやりながら言った。
「俺はやっぱり本屋だよ。新刊の文庫本とかチェックしたいし」
図書室の新刊コーナーにも文庫本は置かれているけど、俺が満足できるほどの充実度じゃない。
「弟たち、元気にしてるかな」
イリーナはどこか遠くを見るような目で呟いた。
こうして、俺たちは微妙な空気が漂う中で、ベティーの買ってきてくれたケーキを食べることになった。
エピソードⅤに続く。