エピソードⅢ
エピソードⅢ 新しい日常
リザードマン・ロードを倒した次の日、俺は朝の部室で目を覚ます。既にカーテンは開け放たれていて、眩しい光りが目に飛び込んできた。
そして、俺が気怠そうに上半身を起こすと、俺、以外の奴は全員、起きていた。
レクスはテレビに視線を向けて朝のニュースを見ていたし、アンジェリカはティーカップで上品に紅茶を飲んでいる。
エレインはスプーンでシリアルを食べていたし、イリーナはパイプ椅子に座ってスマフォの画面をタッチしていた。
みんな、ちゃんと制服に着替えていたし、これには一人、ラフなジャージ姿だった俺も恥ずかしくなってしまう。
「おはよう、ロディ。随分とぐっすり寝ていたようだけど、やっぱり、昨日の戦いで疲れちゃったの?」
そう言うと、レクスは陽光を浴びてキラキラと輝く髪を掻き上げる。その仕草は男のくせに色っぽかった。
「かもしれないな。でも、俺が起きるのはいつもこのくらいの時間だし、お前らの方こそ、今日は早く起きすぎなんじゃないのか?」
昨日までは、俺もレクスと同じくらいの時間に起きていた。エレインが起きたのは俺よりも遅いくらいだったし。
「そうだね。僕も昨日はかなり疲れていたから時間通りに起きられるか、ちょっと自信がなかったんだ」
レクスはポケットからスマフォを取り出すと、言葉を続ける。
「だから、ちゃんと起きられるようにスマフォのアラームの時間は早めにセットしておいたんだよ」
レクスもリザードマン・ロードとの戦いは心身ともに疲れるものがあったということか。まあ、生死を賭けたような戦いだったし、無理もない。
「アタシは何だか理由もなく、早く目が覚めちゃったのよね。やっぱり、昨日の戦いは精神的に堪えたみたい」
エレインは肩をぐるりと回しながら言った。
「ふーん」
俺は欠伸を噛み殺しつつ、エレインの顔を見た。
「それにアタシって学校じゃ不真面目な生徒として見られてる分、遅刻だけは絶対にしないようにしているのよね。学校を休んだこともほとんどないし」
元気だけが取り柄のエレインは、ささやかなポリシーを口にする。すると、アンジェリカが綻んだ顔で、口を開いた。
「私はどちらかというと朝には弱いんだけど、こんな状況じゃ暢気に寝てることはできそうにないかな」
アンジェリカは真面目な生徒として知られているし、どんな体質であれ遅刻はしないように心懸けているはずだ。
とはいえ、もし、これが家だったら、アンジェリカも起きたばかりの時はもっと無防備な顔を見せていたかもしれないな。
「私は家が学園から遠いから、いつも七時前には起きていたわよ。電車に乗り遅れたりしたら即、遅刻確定だし」
最後にイリーナがサラリと言った。
「みんな、けっこうしっかりしてるんだな。なら、俺も疲れに負けて、一人、グースカ寝ているわけにはいかないか」
まあ、学校の中で暮らしているのに遅刻したらマヌケも良いところだからな。とにかく、迷宮での疲れは遅刻をして良い理由にはならない。
「別に気にする必要はないんじゃないの。そんなことで、いちいち神経をすり減らしていたらキリがないし。でも、ロディの寝顔ってちょっと可愛かったかも」
そう言うと、エレインはまるでタヌキのように笑った。
これには俺も喉の奥が引き攣るのを感じる。女子に可愛いなんて言われると、それこそ男として羞恥心を感じてしまう、
「人の寝顔を見るのは失礼だぞ、エレイン」
俺は口を尖らせた。
「そんなこと言うと、あんたが寝ている間に顔に悪戯書きをしちゃうわよ。それに気付かずに教室に行ったりしたら、良い笑いものね」
エレインなら本当にやりかねないな。
「それはやめてくれ。誰が書いたか聞かれたら、白を切り通せる自信がないし」
俺はげんなりしたように肩を落とす。エレインの軽口のせいで起きたばかりだというのに疲れが、どっと押し寄せてきた。
すると、今度はイリーナが目を吊り上げて口を開く。
「だったら、ロディも、もっと早く起きるようにしなさいよ。その気になれば朝の時間を使って迷宮に潜ることもできるんだから」
イリーナなら、どんな環境に放り込まれても適応できるだろうし、生活のリズムを崩すこともなさそうだな。
その辺は俺も見習わないと。
俺はみんなのバイタリティーに脱帽しつつ、恥をかかないように自分の意識を変えようと心に決める。
それから、おもむろに朝食のパンを食べると、俺は制服に着替えて教室に行った。
☆
俺は心が浮ついたまま放課後になるのを待つ。授業を受けている間も、迷宮のことばかり考えていた。
特に首を切り落とされて絶命したリザードマン・ロードの姿は頭に焼き付いて離れなかった。
おかげで、休み時間に声をかけてきたルークの話も上の空で聞いてしまったし。
ま、ルークの話なんて、大抵はたいした内容ではないから、真剣に耳を傾ける必要もないけど。
とにかく、俺たちに与えられた強さは相当なものだし、迷宮の探索も順調に進めていけると信じたかった。
そして、放課後になると俺たちは、全員、揃って地下街に行った。それから、その足で冒険者の館に行くと、リザードマン・ロードを倒した報酬を貰う。
すると、エレインが弓を買いたいと言い出したので、再び町を歩くと、イリーナの勧める武器屋で弓を買った。
その後、再び冒険者の館に戻った俺たちはサイクロプスという巨人のようなモンスターを退治する仕事を引き受けて迷宮に潜る。
迷宮に潜るのはこれで三度目だが、くれぐれも気を緩めないようにしないと。
俺は迷宮から漂ってくる死の気配を肌で感じながら、何が現れても良いように剣を抜いて歩いて行く。
ちなみに、サイクロプスは迷宮の五階にある特別さを感じさせる部屋にいると言う。
短い距離で六階に行くにはその部屋を通り抜けなければならないので、サイクロプスはかなり邪魔な存在と言えるらしい。
俺たちは相変わらず、どこから沸いてきたのか分からないようなリザードマンたちを打ち倒しながら、通路を突き進む。
俺も昨日より、リザードマンたちとは冷静に戦えた。やっぱり、何事も慣れが肝心なようだな。
ただ、それによって緊張感を失ってしまうのは良くない。戦いなんてものは一瞬の判断ミスが死に繋がるからな。
「冒険者の館で聞いた話だと、サイクロプスは中ボスのようなモンスターだって言うし、僕たちに倒せるかな」
レクスは恐れを感じさせる風でもなく、俺に尋ねてきた。
「分からない。ただ、サイクロプスのせいで、六階より下の階の探索が難しくなっているのは事実だし、だとしたら戦いを避けられるような相手でもないだろ」
五階から下には中ボスのようなモンスターが何匹もいて、そいつらを倒さないと先に進めないような通路があると言う。
なので、中ボスのモンスターを避けて下の階に行こうとすると、必然的に大回りを余儀なくされる。
逆を返せば、中ボスのモンスターさえ倒してあれば、ショートカットができると言うことだ。
だが、どういうわけか中ボスのモンスターは、倒しても時間が経つと復活してしまうらしい。
「そっか。まあ、僕もボスのようなモンスターと戦って勝つことができれば、もっと自信が付きそうだし、頑張らないと」
レクスは闘志を沸き立たせるように言った。
「そうよ。アタシも高いお金を出して新しい弓を買ったし、その力を存分に試せるような敵と戦いたいわね」
エレインの弓は、リザードマン・ロードを倒した報酬で買ったのだ。
「確かに、エレインには活躍して貰わなければ困るよな。せっかく、七万八千シュケムもする弓を買ったんだから」
そう言って、俺は美しい曲線を見せるエレインの弓に視線を向ける。
当初、弓は四万シュケムくらいのものを買おうとしたのだが、エレインはどうしても今、持っている弓でなければ嫌だと駄々をこねたのだ。
だから、仕方なく買ってやった。
「任せておいて」
エレインは握り拳で胸を叩いた。
「私は上位系の攻撃魔法を使ってみたいな。今までは、上位系の攻撃魔法を使わなきゃならないようなモンスターも出て来なかったし」
アンジェリカの力はまだ完全には把握しきれていない。サイクロプスとの戦いで上位系の攻撃魔法の威力を計れれば良いのだが。
「私はいつも通りに戦うだけよ。はっきり言って、今までのモンスターの強さは肩透かしも良いところだったから、サイクロプスが私を楽しませてくれることを期待するわ」
イリーナは自信に溢れているような声で言った。
「とにかく、サイクロプスは何匹もいるような普通のモンスターとは違うって言うし、それなりに強いのは確かみたいだから、油断しないようにしないと」
そう言うと、俺は緊張感を漂わせながら、通路を歩いて行く。未知の階だった四階に下りても特に苦戦するようなモンスターは出てこなかった。
この分だと、サイクロプスもたいしたことなさそうだな。
いや、そんな楽観は持つべきじゃない。とにかく、サイクロプスがどんなモンスターであれ、全力で戦わないと。
それから、俺たちは五階にある広い部屋へと辿り着く。その部屋は今までに足を踏み入れた部屋とはどこか雰囲気が違った。
そして、部屋の奥には体長が四メートルはありそうな一つ目の巨人がいた。その手にはハンマーのような物が握られている。
その特徴は、冒険者の館で手に入れたサイクロプスの情報と一致していた。
「あれがサイクロプスか。確かにそこらにいるモンスターとは迫力が違うな。これは、気を引き締めて戦わないと痛い目に遭うぞ」
俺がそう言うと、みんなは揃って一分の隙もなく武器を構えた。
すると、サイクロプスは重量感たっぷりのハンマーを振り翳しながら猛然と走り寄ってくる。
そんなサイクロプスにエレインも一度に三本の矢を放った。
が、矢が突き刺さったというのにサイクロプスはまるで堪えた様子がなく、俺に全てを叩き潰すようなハンマーを振り下ろしてきた。
俺はハンマーの一撃は受け止められないと判断し、機敏な動きで横に飛んで避ける。その瞬間、ハンマーは石の床を大きく砕いた。
もし、剣で受け止めたら腕の骨が折れていただろうな。
それを受け、レクスも目にも留まらない突きを放とうとしたが、サイクロプスはハンマーを激しく振り回して近づけさせない。
ハンマーから生み出される風がレクスの髪を舞い上がらせる。
一方、リーチのあるイリーナは石の床を砕くほどの威力があるハンマーの一撃を食らわないように槍を突き出した。
が、サイクロプスはハンマーで槍の一撃を力強く弾く。すると、イリーナの手から槍がもぎ取られてしまった。
これにはイリーナも焦った顔をした。
そんなイリーナにサイクロプスは容赦のない一撃を加えようとする。が、ハンマーの握った腕にエレインの矢が絶妙のタイミングで突き刺さった。
それから、サイクロプスの動きが止まった隙に、イリーナもすかさず五メートル先の床に落ちた槍を飛びつくように拾い上げようとする。
アンジェリカも援護するようにサイクロプスにファイアー・ボールの魔法を放った。それを食らったサイクロプスの体が一瞬にして炎に包まれる。
だが、サイクロプスは勢い良く炎を振り払うと、腕の筋肉を隆起させながら今度は一番、近くにいた俺にハンマーで荒々しい攻撃を掛けてくる。
その体は至るところが焦げ付いていたがダメージは特にないようだった。
ならば、と思ったのか、アンジェリカは全てを切り裂くウインド・カッターの魔法を放つ。三日月のような弧を描いた風の刃はサイクロプスの胴を捉えた。
これがリザードマンだったら、真っ二つになって内臓を飛び散らせていただろう。だが、サイクロプスの強靱な皮膚を切り裂くことはできなかった。
それを見て、俺は狙い澄ましたようにサイクロプスに斬りかかる。だが、サイクロプスはハンマーで剣風を纏った俺の斬撃をいとも容易く弾き返した。
俺も武器こそ落とさなかったが、腕の筋肉が悲鳴を上げ、剣を握る手がジーンと痺れる。サイクロプスと力勝負をするのは馬鹿げているな。
レクスも小剣で、無数の残映を生み出す突きを放ったが、サイクロプスにはたいした傷は負わせられなかった。
しかも、槍を拾い上げたイリーナが再び攻撃を仕掛けると、サイクロプスの豪腕から繰り出された一撃が槍をへし折ってしまった。
これにはイリーナも、血相を変えたようにサイクロプスと距離を取る。
「みんな、私がエクスプロードの魔法を使うから、サイクロプスから離れて!」
サイクロプスの猛攻に押されていた俺たちに、そう鮮烈な声を上げたのはアンジェリカだった。
それを受け、俺たちはすぐさま弾かれたような動きでサイクロプスから離れる。
すると、アンジェリカが内側からエネルギーが膨れ上がっているような巨大な炎の球を放った。
それは一直線に飛来し、サイクロプスの体にぶつかると大爆発する。耳の鼓膜が破れそうなほどの爆音と共に凄まじい衝撃波が俺の体を襲った。
俺も危うく、尻餅をついてしまいそうになったし。
そして、エクスプロードの魔法が炸裂した場所は近づくだけで火傷しそうな灼熱の炎が燃え盛っている。
その炎を見た俺はやったかと思った。
だが、炎の中から、確かな足取りでサイクロプスがゆっくりと現れる。その皮膚は焼け爛れていて、ハンマーを手にしていない左腕は消失していた。
さすがに必殺の威力が込められたエクスプロードの魔法を食らってはただでは済まなかったか。
それから、サイクロプスは激高したようにハンマーで俺に殴りかかってくる。
俺はその冷静さを欠いた攻撃をするりと避ける。そして、空を断つような斬撃で、サイクロプスの太い足を切り裂いた。
これにはサイクロプスもたまらず膝を突く。
それをチャンスと見た俺は畳みかけるように斬撃を浴びせる。サイクロプスの体が様々な角度から切り刻まれた。
それでもサイクロプスは一つ目の顔に覇気を漲らせながら、強烈なハンマーの一撃を俺の横腹にお見舞いしようとする。
俺がその脇腹の骨が砕けてもおかしくない一撃を寸前のところで避けると、がら空きになったサイクロプスの胸をレクスの小剣が貫いた。
その際、レクスの小剣はポッキリと折れてしまう。
そして、心臓かまたはその近くを貫かれたであろうサイクロプスは口から大量の血を吐き出す。
間違いなく致命傷と言える傷だ。
それを見た俺はトドメとばかりに剣を一閃させると、不安定な体勢で膝を突いているサイクロプスの首を硬い手応えと共に切断した。
その首は放物線を描くようにしてボトッと床に落ちる。それから、首がなくなったサイクロプスの体はドサッと前のめりに倒れた。
ようやく屈強なサイクロプスを倒すことができた。
「何とか勝つことができたな。中ボスと言われるだけあって、なかなか手強いモンスターだったけど」
俺は額の汗を拭いながら言った。
「そうだね。でも、サイクロプスに勝てたおかげで、また一つ自信が付いたよ。もっとも、今回の戦いで、僕の小剣は折れちゃったけどね」
そう言って、レクスは折れている剣を複雑そうに見る。
「私の槍ももう使い物にならないわね。サイクロプスを倒した報酬は二十万シュケムだし、エレインと同じように良い物を買わせて貰うわよ」
イリーナは強い口調で言った。
「そうだな。戦っている最中に武器が壊れるようなことはないようにしないと。とにかく、俺の剣も刃こぼれとか酷いし、報酬を貰ったら買わないとな」
俺は新しい武器を買い揃えることができるか、所持金を計算しながら、みんなと共に地下街に戻った。
☆
学園に閉じ込められてから、ちょうど一週間が過ぎた。
木曜日にサイクロプスを倒してから、月曜日の今日になるまで、俺たちは普通に学園生活を送りつつ、空いた時間を見つけては迷宮へと足を運んだ。
そこで、あまり下の階に行かなくてすむような仕事をこなして、手持ちのお金を確実に増やした。
冒険者の館でも、六階を超えると出現するモンスターも急に手強くなると聞いていたからな。
だから、用心のために五階より下には行かないように努めたのだ。
とにかく、ある程度のお金を手に入れたことにより、折れてしまったレクスの小剣やイリーナの槍なども買うことができた。
イリーナはともかく、レクスは美しい装飾が施された小剣を手にして嬉しそうな顔をしてたし。
俺も厚みを増した新しい剣を手にして心が高揚していた。新しい剣の切れ味は爽快なものがあったからな。
ちなみに新しい武器を買い揃えた後、五人でこなした仕事の報酬は揉めることがないように均等に分配することに決めた。
そうすれば町で自由にお金を使える。欲しいのは武器や防具だけではないからな。
現にアンジェリカやエレインは町で売られている服やアクセサリーも買いたいと言ってたし、イリーナもやっぱり女の子なのか、アンティークな品には興味を示していた。
レクスも美術品を見ては欲しいなと零していたし。
まあ、そういうわけなので、自分の欲しいものは自分のお金で買うというルールもできた。
そして、そんな金銭的な事情に促されるように、俺たちは日曜日の朝になると迷宮に一人で潜っても良いことにした。
モンスターとの戦いにも慣れてきたし、五階くらいまでの深さなら一人でも危険はないと判断できたからだ。
ただ、一瞬の油断が窮地を招きかねないのは確かなので、一人で迷宮に潜る際には十分、気を付けるようにと、俺もみんなには言い聞かせてある。
なので、個々としての力には不安があるアンジェリカとエレインは必ず二人で、迷宮に潜ることにすると言った。
一方、俺とレクスとイリーナは一人でもモンスターを打ち負かせる力があるので単独で迷宮に潜っても特に問題はない。
それを証明するようにイリーナも日曜日のお昼頃になると、さっそく一人で迷宮に潜り、冒険者の館の仕事をこなして見せた。
イリーナに触発された俺もその日の夜に一人で迷宮に潜り、迷宮で怪我をした冒険者の救助をしたりしたからな。
一人で仕事をやり遂げた時の達成感は、かなり心に来るものがあったし。
いずれにせよ、全員が新しい装備を揃えることができた暁には第一界層のボスであるダークドラゴンを倒しに行こうという話しになっていた。
「何か、急に顔つきが変わったな、お前」
俺が新鮮な空気が漂う月曜日の教室でホームルームが始まるのを待っていると、妙に真面目な顔をしたルークが話しかけてきた。
その表情にはいつものようなふざけた感じはない。
「いきなり何を言い出すんだよ」
俺はギクッとする。
さすがに一週間も経つと、学園の外に一歩も出ていないことがバレたかと思ってしまったのだ。
「なんて言うか、顔つきが明らかに逞しくなった。放っているオーラも前みたいになよなよしたものじゃないし」
ルークはまじまじと俺の顔を見た。これには俺もルークと目を合わせることができない。
「気のせいじゃないのか」
俺はとりあえず白々しい顔をしてみた。
自分でも変わったという自覚がないだけに、どう反応すれば、この追求をかわしきれるか分からないのだ。
「おいおい、俺とお前は何年、付き合ってきたと思ってるんだよ。些細な変化だって、見逃すような俺じゃないぜ」
確かに親友のルークの目を誤魔化すことはできないのかもしれない。
それに、もし逞しくなったという言葉が本当なら、俺も迷宮に潜ることで心身ともに鍛えられたと言うことだ。
なら、それは悪いことではないはずだ。
「そうか」
俺はふっと息を吐いた。
もし、ルークに真実を語るなら、いつになく真剣になっている今がチャンスかもしれない。
ただ、俺一人の判断で、それをやって良いかは分からないけど。
下手したら、みんなの信頼を裏切ることにもなるかもしれないし。とはいえ、このままの状態を維持し続けるのは限界があるというのは事実だ。
「ひょっとして、俺の知らないところで何かあったか?」
ルークは鋭さを持つ口調で尋ねてきた。
「何もない」
俺ははっきりと言ってやった。でも、その目は泳いでしまっている。俺は嘘を吐くのが得意ではないと再認識させられた。
「隠すなよ。でも、お前が変わるきっかけって言ったら、部活しかないわけだから、もしかしてアンジェリカとなんか良いことでもあったか?」
そう言うと、ルークは一転してニヤニヤした。ようやくいつものルークに戻ってくれたか。
「勘ぐりすぎだ。確かに部活のおかげで、アンジェリカとは普通に話せるようになったけど、お前の想像しているような関係にはなっていない」
それは誓って本当のことだ。
とはいえ、アンジェリカとあんなに親しく接することができた男子は俺が初めてじゃないのか。
アンジェリカも男子とは付き合ったことがないと言ってたし、例え告白されても断るようにしているみたいだから。
「そうか。でも、お前だってアンジェリカには特別な感情を抱いてるんだろ?きっかけさえあれば、恋人にでもしたいとか思ってるんじゃないのか?」
ルークはそう尋ねると、鳩が鳴くように「ククク」と笑った。
「そんなわけないだろ」
俺はムキになったような顔した。
「ふーん。でも、もし特別な感情がないんなら、そんなに親しみを込めたような声でアンジェリカ、なんて言わないと思うんだけどな」
ルークの言葉に俺もしまったと思った。ついアンジェリカの名前を口にする時に、必要以上の感情を込めてしまった。
何も知らない奴ならともかく、親友の伸吾はそこに馴れ馴れしさのようなものを感じ取ってしまったに違いない。
俺としたことが抜けてたな。
「そう言われると困るけど」
俺はどう白を切ろうか考える。言葉を口にすればするほど墓穴を掘ってしまいそうだったし、本当に気を付けないと。
「正直に打ち明けたまえ、少年。お兄さんがちゃんと的確な恋のアドバイスをしてやるからさ」
ルークは俺の肩をポンポンと気安く叩いた。
そう言うルークだって女の子と付き合ったことがあるわけじゃないんだから、的確なアドバイスなんてできるとは思えない。
「誤解するなよ。アンジェリカとは本当にそういう関係じゃないんだ。その証拠にエレインやイリーナとだって、アンジェリカと同じくらい仲良くなれたぞ」
これにはルークも目をまん丸にした。
「そうなの?じゃあ、あのイリーナとも仲良くしてるわけ?」
あのイリーナと仲良くできるというところには、さすがのルークも意外性を感じているようだった。
そもそも、フレンドリーにファースト・ネームで呼び合おうと言ったのはイリーナだったんだよな。
あいつも、他人と少しでも距離を縮めたいと思ったのだろうか。
「ああ。とにかく、迷宮探索部の部員とは、仲良くやれているんだ。もちろん、そこに特別な意味があるわけじゃない」
「ふーん」
ルークは俺の心を透かし見るような目をする。これには俺も心がジリジリとした。
「分かってくれたか?」
頼むからこれ以上は追求しないで貰いたい。俺も苦しい嘘を吐かなきゃならなくなるからな。
「まあな。でも、そういうことならアンジェリカを恋人にできるようなチャンスはグッと増えたってわけだ。この期を逃す手はないんじゃないのか?」
ルークは俺の肩を掴む。
確かに、この状況でアンジェリカとの距離を詰めようとしなかったら、もうチャンスは巡ってこないな。
「かもな。だけど、今のところ、俺はアンジェリカに対して恋心なんて抱いてない。それは事実だから誤解してくれるなよ」
俺は言葉を重ねるように言った。
「分かったよ。今はその説明で納得しておいてやる。ただし、もしアンジェリカと恋仲になったら、俺にはちゃんと報告してくれよな。しっかりと応援してやるから」
ルークはどこか空元気を感じさせる声で言った。
こいつも俺のことは色々と考えくれているのかもしれないな。
なのに、俺はルークに大事なことを秘密にしている。これには少し後ろめたい気持ちになった。
「ああ」
俺は強張った笑みを浮かべた。
☆
昼休みになると、俺はいつもより空いている学食でルークと一緒にハンバーグを食べた。それから、俺は時間を潰すために部室へとやって来る。
すると、そこにはベティーがいた。
ベティーはアンジェリカとエレインと一緒にお茶を飲みながら話している。何ともほのぼのとした光景だ。
それにベティーも最初の頃に比べれば随分と固さが抜けたように思える。どうやら、アンジェリカやエレインとは順調に良い関係を築きつつあるようだな。
「よっ、ベティー。また来てたのか」
俺はベティーを萎縮させないよう、自然に声をかけた。
まだ長いとは言えない付き合いだが、ベティーがどんな性格の女の子かはちゃんと分かっているつもりだ。
だからこそ、言葉は慎重に選ぶ必要がある。
「は、はい」
ベティーは椅子から立ち上がるとペコッと頭を下げた。
それを見て、俺も微笑ましくなった。
いつも癖の強い奴らと部室にいるので、ベティーのような普通の部類に入る女の子に対しては俺も優しくなってしまうのだ。
「ベティーにはお世話になってるし、何か俺にできることがあったら言ってくれよ。今までの恩返しがしたいからさ」
ベティーは本当に俺たちのために色々なことをしてくれる。頼めばどんなことでも引き受けてくれるし、お菓子も頻繁に差し入れしてくれるのだ。
他にも学園で生活していくのに困った点はしっかりと改善してくれるし、ベティーは痒いところにも手の届く女の子みたいだな。
「恩返しだなんて。ただ、私は会長の下で生徒会の仕事をしているに過ぎませんから」
ベティーは謙遜するように言った。
「こうしてお茶を飲みに来るのも仕事だって言うのか?だとしたら、俺たちも悲しくなっちまうぜ」
俺は少し意地悪な言葉を返していた。
「そ、そんなことはありません。コストナーさんやフローリアさんは私の大切な友達ですから」
ベティーは恥じ入るように下を向いてしまう。では、ベティーにとって俺はどういう存在なのか、とはさすがに訊けなかった。
いずれにせよ、アンジェリカやエレインのことをファースト・ネームで呼べないと言うことは、本当の友達になるにはもう少し時間が掛かりそうだな。
「なら、良いんだ。とにかく、今日の放課後は俺も地下街をブラブラするつもりなんだ。お金も余ってるし、何か欲しいものがあったら言ってくれよ、ベティー」
俺は気前の良さを見せつけるように言った。
「そう言われても」
ベティーは口をもごもごとさせた。
「そんなに悩まなくても良いって。俺だって別に見返りを求めているわけじゃないんだからさ」
俺も思いつきで言ったに過ぎないし、他意があるわけではないのだ。
ただ、恩返しをしたいという気持ちは嘘ではない。そして、ベティーもそんな俺の心を汲み取るように口を開く。
「それなら、地下街で読まれている本があったら、買ってきてください。ちゃんと、お金は払いますから」
ベティーはおずおずと言った。
「町で使うお金はベティーには払えないだろ。アメリカのお金じゃないんだから」
アメリカのお金と、迷宮のお金を交換できたら良いのに。
「そうでしたね」
「とにかく、お金のことは気にしなくても良いって。俺の一方的な感謝の気持ちだし、変に気を遣われると返って心苦しくなる」
素直に俺の気持ちを受け取って欲しい。
「わ、分かりました。では、お願いします」
ベティーも折れてくれたようだった。
「ありがとう。でも、どんな感じの本が良いんだ?まったく興味のない本を買ってきて貰っても困るだろ?」
俺も良く図書室で本を読むので、本を見る目はあると思っている。でも、女の子が読むような本を選ぶとなると勝手が違ってくるかもしれない。
「私、実はオカルトが好きなんです。先輩たちが卒業して廃部になるまでは、オカルト研究会に所属してましたし」
オカルトか。何というか、暗い性格をしているベティーには合っていそうだな。って、言ったら失礼か。
「そっか。オカルト染みた本が良いわけだな。その手の本なら、あの町にはたくさん売ってそうだし、大丈夫だと思う」
せいぜい期待に添えるような本を選ばないとな。
そう思った瞬間、俺は奥歯に物が挟まるような違和感を感じた。だが、その違和感は、すぐに霧散する。
一体、何だったんだ?
「は、はい」
ベティーがそう返事をすると、俺は彼女を安心させるように笑って見せた。
☆
放課後になり、地下街に行こうとすると、突然、ジェイク会長からのメールが送られてくる。
そこには生徒会室に集まって欲しいと書かれていた。
仕方なく俺は生徒会室へと足を向ける。すると、生徒会室には既に迷宮探索部の部員が全員、集まっていた。
これには俺も身が引き締まるようなものを感じた。
「迷宮の探索についてはどれくらい進んでいる?」
ジェイク会長は眼鏡のフレームをクイッと持ち上げながら、単刀直入に言った。
「第一界層の三分の一くらいは踏破しました。今の俺たちならもう少し下の階に行っても大丈夫だと思います」
俺はジェイク会長の眼光に射抜かれながら答えた。
地図を見るに第一界層は十二階まであるようなのだ。
なので、本当に苦労するのはこれからだろう。いずれにせよ、五階までのモンスターなら敵じゃないな。
「そうか。とにかく、迷宮の探索は順調に進んでいるというわけだな?」
ジェイク会長は机の上で腕を組みながら尋ねてくる。
「はい」
「とはいえ、まだ第一界層だ。リバイン・テイルの内容が反映されているなら、迷宮は第五界層、またはそれ以上あると考えて良い」
ジェイク会長は真剣味を帯びたような声で言葉を続ける。
「だとしたら、安易な楽観はできないし、先はまだまだ長そうだな」
「ええ」
このまま、すんなりと迷宮の制覇できるわけがない。第一界層は俺たちが小手調べをする場所に過ぎないのかもしれないし。
「とにかく、俺も君たちが選ばれた理由について徹底的に探っている。それが分かれば、この状況を打開する術も見つかるかもしれないからな」
ジェイク会長はちらっとベティーの方を見た。
「何か分かったことはありますか?」
あるならどんな些細なことでも聞いておきたい。真実を突き止めなければならないのは、あくまで当事者である俺たちだと思うから。
「今のところはない」
ジェイク会長は感情を掴ませないような声で言った。
ただ、この時の俺は会長の顔を見て、何かを知っているなと思ってしまった。何の根拠もないと言うのに。
「そうですか」
これには俺も肩を落とす。やっぱり、俺たちはジェイク会長の力に寄りかかりすぎている気がするな。
つい会長なら何とかしてくれると思ってしまうのだ。それでは駄目だと分かってはいるんだけど。
「だが、俺も生徒会長としてのプライドにかけて、必ず突きとめるつもりだ。だから、期待しててくれ」
ジェイク会長の頼もしい言葉を聞き、俺もこの人がいてくれて良かったと思った。
「分かりました。なら、引き続き俺たちのバックアップは生徒会にお任せします」
生徒会の助けがなかったら、俺たちは暮らしていけない。だからこそ、感謝はしているのだ。
「ああ。とにかく、迷宮の探索も良いが学業の方も疎かにしないで貰いたい。中間テストも近づいて来ているからな」
中間テストは嫌だよな。俺は勉強は得意じゃないし、こんな状況下に置かれていては尚更、勉強する気にはなれない。
「はい」
俺は暗澹たる気持ちで返事をした。
☆
生徒会室を出ると、俺は校舎の地下室から地下街へと向かった。
レクスたちはジェイク会長に釘も刺されたし、今の内からテスト勉強を始めておくという。
やっぱり、迷宮の探索は負担になるし、いつも通りのモチベーションで勉強することはできないか。
とはいえ、勉強ができないことを迷宮のせいにするのは良くないな。
それは都合の良い逃げだ。
俺は長机の上で教科書を広げ、勉強をしていたレクスたちの姿を思い出し、真面目な奴らだなと思った。
ただ、その中にエレインの姿はないが。
ま、俺もこんな早い時期からテスト勉強などやりたくないので、地下街のカジノで遊ぶことにした。
年齢制限なしにカジノで遊べるっていうのは良いもんだし。
俺は地下街に行くと、まずはベティーのために本屋を探す。案内図によると、本屋は町に三件しかない。
なので、今いるところから一番、近い本屋へと足を運んだ。
すると、小さい店内に本が山のように積まれた古本屋を見つける。そこには怪しげな本がたくさんあった。
こういう空気は俺も嫌いじゃないし、久しぶりに本の虫が騒ぎそうだ。
そして、俺は一冊の魔術書を買う。何というか、表紙のデザインに惹かれるものがあったのだ。
だから、大量の本の中から手に取ることができた。中身もイラストなんかがけっこう載せられているので面白そうだったし。
その後、俺はそのままカジノに行った。カジノの店内は冒険者の館と同じくらいの広さがあった。
そこでは色々な人間がポーカーやブラックジャック、バカラやルーレットの台に着いている。
ラスベガスとかのカジノと違って、紳士淑女の場と言ったような気取った雰囲気はまるで感じられないし。
なので、俺も気を楽にして一番、簡単なブラックジャックを楽しむ。儲けることはできなかったが、それでも楽しい時間が過ぎていった。
とはいえ、あまりにもカジノにのめり込みすぎると身持ちを崩すので、遊ぶのはほどほどにしておく。
レクスたちに借金をするようになったらお終いだからな。
そして、時刻は夜の六時になった。
俺は小腹が空いたのでエルシアの宿屋で何か食べようとする。
エルシアの宿屋は他の店に比べると格安で料理を提供してくれるし味も良いので、俺も積極的に利用することにしているのだ。
「いらっしゃませ」
宿屋の中に入ると、エルシアが俺を出迎えてくれた。相変わらずこの宿には客がいないな。ちゃんと経営できているのか心配だ。
「何か食べさせてくれないかな、エルシア。お腹がペコペコなんだ」
俺がそう言うと、エルシアは太陽のような眩しい笑みを浮かべる。この笑みを見たくて、この宿に来ると行っても過言ではない。
「分かりました。では、すぐにグラタンを作りますね。今日は良いミルクを仕入れることができたので、グラタンのホワイトソースはとっても美味しいと思いますよ」
エルシアはグラタンに限らず、どんな料理でも作れる。食堂で提供されるメニューの豊富さには俺も驚かされたし。
そして、味の方も学食で出されている料理なんて目じゃないくらいなのだ。こんな場所になければ、たくさんの客が押し寄せても不思議ではない。
それから、数分後、エルシアが熱々のグラタンを持ってやって来た。腹ペコだったので俺の食欲も刺激される。
「よっ、ロディ。最近、活躍しているみたいじゃないか。おいらの耳にも、お前たちパーティーの話はちゃんと届いているぞ」
グラタンを食べているとナッツが羽をはばたかせながら現れる。こいつはタダ飯くらいだし、良い気なもんだ。
「そうなの?」
俺はグラタンを口に運びながらテーブルの上に降りたナッツを横目にする。すると、エルシアはすぐに豆の入った皿をナッツの前に置いた。
「ああ。お前たちなら、第一界層の制覇もできるかもしれないって、他の冒険者たちも噂してるぜ」
ナッツは少し大袈裟な口振りで言った。確かに俺たちに対する町の人たちの態度もかなり変わったと思う。
特に呼び込みをしている女性たちも俺がそれなりに金を持っていると知ったのか、明らかに冷たくなくなったからな。
なので、気を抜くといかがわしい店に足を踏み入れてしまいそうになる。
一方、冒険者の館では、他の冒険者たちからも声をかけられるようになった。俺としても冒険者たちとの交流は楽しいものがあったし。
「そっか。まあ、できるだけ早い内にダークドラゴンとは戦うつもりさ。あんまり、ダラダラしていると気力に穴が空いちまうからな」
悪戯に日を延ばすつもりはない。もっとも、優先すべきはあくまで学園での普通の生活だけど。
「それが良い。第二界層まで行けたら、どんなところか教えてくれよな。おいらも、第二界層には一度も行ったことがないんだ」
ナッツは意気揚々と言いつつも、どこか影のある目をした。俺もその深淵を見詰めているような眼差しは気になる。
「そういうことね」
ダークドラゴンを倒せたら町のみんなも第二界層に行けるようになるってことなのか?だとしたら、余計に負けられなくなるけど。
「ああ。何にせよ、お前たちがおいらの見込んだ通りの冒険者で良かった。久しぶりにワクワクするな」
ナッツが口の端を吊り上げていると、エルシアが控え目な声で話しかけて来た。
「あのー、ロディさん」
エルシアはモジモジしている。
「どうかしたか、エルシア?」
俺は怪訝そうに尋ねる。それを受け、エルシアは畏まるような顔をした。
「こんなことを頼むのは申しわけないんですけど、迷宮に潜るなら一角獣の角を取ってきて貰えませんか?ちゃんとお代は払いますから」
そう言って、エルシアは大きく頭を下げた。
「別に構わないけど」
エルシアにものを頼まれたのは、これが初めてだ。
まあ、格安で料理を食べさて貰ってるわけだし、俺もエルシアに対して何かしてあげたいとは思っていた。
町の露店で売られているアクセサリーなんかは、エルシアにもプレゼントできそうだし。
「ありがとうございます。一角獣の角は精力剤になるんです。ですから、料理にも使いたくて」
精力剤ね。誰がそれを必要としているかは敢えて聞かないが。
「分かったよ。そういうことなら、すぐにでも取りに行ってあげるよ。獣の系のモンスターなら俺一人でも十分、倒せるし」
一角獣は四階の西側のフロアーに住み着いていると、冒険者の館の仕事を紹介する貼り紙に書いてあった。
そっちの方には行ってないから、俺も一角獣とはまだ出会ったことがない。ただ、一角獣は臆病なモンスターだとは聞いている。
なので、強さとは別の面で倒すには苦労するかもしれない。
「助かります。もし、一角獣の角を持って来てくれたら、ロディさんにもスタミナの付く料理をたくさん食べさせてあげますね」
エルシアははにかむような顔で言った。
「楽しみにさせて貰うよ」
エルシアの頼みなら無碍にはできないし、一角獣は必ず見つけ出さないと。
「よし、そういうことなら、おいらも連れてってくれよ。ロディの戦いぶりはこの目で見たいからさ」
ナッツは思いがけないことを口にする。これには俺も目尻に皺を寄せた。
「別に構わないが、足は引っ張ってくれるなよ。モンスターに食われそうになっても、俺は助けないからな」
俺は念を押すように言った。
「分かってるって。おいらは誇り高きドラゴンだぞ。そこらのモンスターに食われるようなマヌケじゃない」
ナッツはおどけたように首を竦めた。
その後、俺はグラタンを食べ終えると、ナッツと一緒に迷宮に潜る。どうもナッツは鼻が効くらしく、モンスターの存在を敏感に察知することができた。
なので、俺はモンスターと戦うことなく、スムーズに四階にまで辿り着く。それから、地図を確認しながら、西側のフロアーへと歩を進めた。
ちなみに、ダークドラゴンは十二階にある第二界層へと続く門を守護していると聞いている。
まあ、五階より下はみんながいないと行けないな。
俺は緑のコケがびっしりと生えている通路を歩く。この通路はどこか密林を思わせるな。植物特有の匂いと、湿った空気も感じ取れるし。
そして、そんな通路の奥には獣系のモンスターがたくさん屯していた。連中は俺を見ると、涎を垂らしながら凶暴そうな牙を剥き出しにする。
その上、俺が剣を構えて戦う態度を見せると、次々に襲いかかって来た。
だが、俺は冷静に剣を振るって、そんなモンスターたちを全く寄せ付けない。所詮はただの雑魚だし、何匹いようと負ける相手ではないな。
なので、俺は泰然としながらモンスターたちを斬り伏せていく。俺の肩にいたナッツも、俺の無双とも言える戦いぶりには圧倒されたようだった。
それから、俺はウルフやパンサーの群れを退けながら、一角獣を探す。一角獣の角は一メートルを超える長さだと言うし、見間違えることはないと思うが。
「それにしても、お前は強いな。何とも見事な太刀筋をしているし、こんなに腕の立つ冒険者は初めて見るぞ」
ナッツは目を大きく見開きながら言った。
「そうなのか?」
俺も自分の強さがどこまでのものなのかは完全には推し量れていない。要するに敵が弱すぎるのだ。
「ああ。やっぱり冒険者の実力は見た目じゃ計れないよな。しかも、お前はまだ子供だし、将来が楽しみだ」
ナッツは楽しげな顔をしたが、俺は少し曇った顔をする。
「そう言ってくれるのは嬉しいが、俺は大人になるまで、この迷宮にいるつもりはないぞ」
俺は無表情で言った。
「どうして?」
ナッツは不可解そうな顔で尋ねてきた。
「それは言えない。とにかく、俺は複雑な事情を抱えているんだよ。お前もあまり詮索しないでくれ」
言ったとしても、たぶん信じてはもらえないだろう。
ナッツを学園に連れて行けたら話も違ってくるんだろうけど、それは無理な話だ。
俺も試しに迷宮で捕まえたネズミを、学園に持ち込もうとしたが目に見えない障壁に阻まれて駄目だったし。
「分かってる。おいらも立ち入ったことを無理に聞き出すつもりはない。ただ、お前の背負っているものは、かなり大きそうだと感じているだけさ」
ナッツは半眼で言った。
そんな話をしていると、不意に長い角を生やしたモンスターが現れる。それは紛れもなく一角獣だった。
一角獣は俺の姿を確認すると、いきなりクルリと回転して逃げ出した。すかさず俺も一角獣を追いかける。
一角獣が臆病なモンスターだというのは本当だったみたいだな。それから、俺は計算された動きで、一角獣を袋小路に追い詰めた。
すると、一角獣は逃げられないと悟ったのか槍のような角を突き出して襲いかかって来る。
だが、他のモンスターと比べたらたいした動きではない。
もっとも、窮鼠猫を噛むという言葉もあるし、完全に息の根を止めるまでは油断できないけど。
俺はそんな一角獣を雷光のような剣の一撃で斬り倒して見せた。一角獣は体を大きく切り裂かれてゴロゴロと床を転げ回る。
それから、一角獣はピクピクと痙攣したが、すぐに息絶えた。
俺は一角獣の角を根元から切断する。気持ちの良い仕事ではないが、これもエルシアのためだからしょうがない。
俺は一角獣の角を手にすると、エルシアの待っている宿に戻ろうとする。
が、俺が踵を返すと、スマフォが振動する。送られてきたのはやはりデモットからのメールだった。
『ロディ君。幾ら自分の強さに自信があるとは言え、一人で迷宮に挑むのはほどほどにした方が良いぞ。ネットゲーのようにソロプレイを褒めてくれる奴はいないんだから(笑)』
デモットのメールを見て、俺は余計なお世話だと言いたくなる。
ったく、どこにいるのかは知らないが高みの見物を決め込みやがって。ちなみにデモットのメールは今日までの間に、何回か送られてきた。
そのどれもが、迷宮を探索する俺や他の奴らを、嘲笑っているかのような内容なのだ。だからこそ、腹も立つ。
俺は心の中で悪態を吐きながら舌打ちすると、今度こそエルシアの宿に戻った。
「本当にありがとうございます、ロディさん」
エルシアは一角獣の角を受け取ると、嬉しそうな顔をした。
それを見て、俺も心が癒やされていくのを感じる。やっぱり、エルシアの笑顔には人を元気にする力があるな。
「礼ならいらないって。その代わり、すぐにでもその角を使った料理を食べさせてくれないかな。それでお代はチャラにしておくから」
俺は男を見せるように言った。それを見て、エルシアもクスリと笑う。
「分かりました。では、すぐにできあがるスープを作りますね。一角獣の角のスープは疲れた体に良く効きますから」
確かに今の俺はかなり疲れている。体力に自信があるわけではないし、次の日のためにも、ここはありがたく頂いておこう。
「頼むよ」
そう言うと、エルシアはカウンターの奥へと消えた。そして、五分くらい経つと、独特の匂いが漂ってくるスープを運んでくる。
なので、俺はさっそく角のエキスがたっぷりと溶け込んだスープを飲んだ。すると、たちまち体から疲れが抜けていくのが分かる。
しかも、驚くほど美味しかったので、やっぱりエルシアの頼みを引き受けたのは正解だったと思った。
☆
その日の深夜、俺は机の中に置き忘れていた教科書を取りに夜の校舎を歩いていた。
数学の宿題が出されていたのを忘れたのは迂闊だったな。担任のジャネット先生の授業でもあるので忘れたりしたら確実に怒られる。
今日は徹夜で宿題を片付けないと。
俺がコツコツと足音を響かせながら歩いていると、奇遇にも廊下の曲がり角でバッタリとマクミラン先生と会った。
マクミラン先生は俺を見ると、きっちりと着こなしているスーツの襟を正す。
マクミラン先生は教師と言うよりはビジネスマンだな。教師が嫌になったら、証券会社にでも入れば良い。
「やあ、ローグライト君」
マクミラン先生は温厚さを絵に描いたような笑みを浮かべる。この柔らかな物腰は他の教師には真似できないし、さすが生活担任か。
「こんばんは、マクミラン先生」
俺は挨拶をしながら頭を下げる。今は夜の一時半時だし、誰かと会うなんて、予想していなかった。
「こうして顔を合わせるのは久しぶりだね、ローグライト君。元気そうで何よりだ。でも、こんな夜、遅くに校舎の中を歩いていたら駄目じゃないか」
マクミラン先生とは学園から出られなくなった日に顔を合わせてから一度も会っていなかった。
ただ、レクスが言うには、俺がいない時に二回ほど部室に顔を見せに来たことがあるらしい。
俺が会えなかったのは単に間が悪かっただけか。
「そうですね。マクミラン先生じゃなかったら、こっぴどく怒られていたところです」
俺は少しだけ緊張しながら受け答える。
マクミラン先生が俺たちの状況に理解を示してくれているのは確かだが、だからと言って変に甘えることはできない。
「その通りだよ。ところで、学園での生活はどうだい?あれだけ物が揃っていれば、なかなか快適に暮らせるだろう?」
マクミラン先生も部室に置いてある物にはお金を出してくれたらしいし、お礼くらいは言った方が良いかもしれないな。
「はい、全てはジェイク会長とマクミラン先生のおかげです」
ま、快適に暮らしているのは女子だけだろうな。何せベッドがあるし。
「そうか。私も今回の一件では色々と考えさせられたし、やっぱり、この学園には寮が必要なのかもしれないな」
マクミラン先生は視線を横に移動させる。廊下の窓から向こうは暗闇に包まれている。ちらほらと見える明かりはコンビニだろうか。
「寮ですか?」
確かに学生寮があったら、ありがたがる生徒もいるだろう。一時間かけて電車で通学している生徒もいるみたいだからな。
ちなみに俺の家は学園から徒歩十五分ほどの距離にあるので、自転車を使えば通学には困らない。
「ああ。もっとも、この学園に相応しい寮を本気で建てようとしたら、莫大なお金が掛かるし、寮ができた頃には君たちも卒業しているかもしれないが」
卒業した後に、校舎が新しく建て替えられたりすると悔しくなる。俺の通っていた小学校がそうだったし。
「卒業するまでに学園から出られるようになると、良いんですけどね」
俺はつい弱気なことを言っていた。
「まあ、そこは頑張って貰わなければ困るよ。君たちは留学をしてるわけじゃないんだし、全く家に帰らないわけにはいかないだろ?」
やはり、そこが一番の問題だよな。こんな生活が長引けば、親からは確実におかしいと思われるし。
そうなったら、マクミラン先生の力でも、どうにもならなくなるだろう。
「ええ」
親も暇があるなら帰ってこいと電話をかけてくるからな。やっぱり、親には元気な顔を見せておきたいという思いはある。
「とにかく、何か問題があるようなら、遠慮せずに私やジェイク君に相談して欲しい。学園での生活のことなら力になれるはずだから」
マクミラン先生はそう言ったが、これ以上、何かして貰うのは気が引けるな。
「分かりました。これからは何か重要なことあれば、ジェイク会長やマクミラン先生の判断も仰ぐことにします」
つまらない意地は張るべきではない。
「それが良い。まあ、私も一応、迷宮探索部の顧問をしているわけだから、これからは積極的に部室に顔を出すことにするよ」
マクミラン先生が顔を出しても喜ぶ奴はいないと思うけど。
「そうしてくれると助かります。先生が部室に来てくれるなら、お茶の一杯でも出しますし、世間話にも付き合いますよ」
とはいえ、俺たちの生活スタイルにあれこれ口は出して貰いたくない。ま、生徒たちの自主性を重んじるのがこの学園の良いところだからな。
その点はマクミラン先生も理解していることだろう。
「それは嬉しいね。とにかく、迷宮の探索も良いけど、勉強も身を入れて励まなければ駄目だよ。幾ら私でも中間テストで赤点を取ったら、フォローできないからね。君も補習は受けたくないだろ?」
マクミラン先生は道化染みた声で言った。
「はい」
そう返事をすると、俺は気合いを入れて授業を受けなければと思いながらマクミラン先生と別れる。
ちなみに地下街で買った魔術書は次の日の休み時間にベティーの教室まで行って届けた。
ベティーも凄く喜んでくれたので今までの借りは返せたと思う。
エピソードⅣに続く。