日本版 エピソードⅡ 迷宮への挑戦
エピソードⅡ 迷宮への挑戦
色々な意味で衝撃的だった一日が終わり、次の日になる。
俺は朝の教室で、ぼんやりと春の空を眺めていた。どこまでも澄み渡る青い空を目にすると、心も少しだけ明るさを取り戻した。
教室を見ると、いつも通りの日常がそこにはあったし、俺が経験したことなど、みんな知る由もないだろう。
当の俺だって、穏やかな喧噪に包まれた教室にいると、つい、昨日のことは夢だったのでは思ってしまうからな。
もっとも、そんな風に現実逃避していては一生、学園から出られなくなるかもしれない。そうなったら、俺の人生は終わりだ。
いや、終わってくれないから、困ることになるんだろうけど。
現に今日の朝、俺は校門を潜ろうとしたが無理だったし。こんな状況がいつまでも続くのかと思うと先行きが不安になる。
とにかく、リバイン・テイルを製作したのがサンクフォード学園の生徒だという噂が確かなら、この状況を作り出した人物は、この学園にいると言うことになる。
だとすると、その人物が素知らぬ顔をして、この教室にいるということもあり得るのだ。そう考えると何だか怖いが、まあ、その辺は推測の域を出ないな。
ちなみに、昨日は本当に部室棟の空き部室で寝た。
寝袋は運動部が使っていた物を勝手に借りてきたのだが、寝心地は自宅のベッドの方が断然、良い。
ただ、女子と同じ空間で寝ていたことに対する抵抗感のような物は全くなかった。精神的に疲れ切っていたので、女子たちを意識する余裕もなかったのだと思う。
それとも、一緒に暮らすことになった彼女たちに、どこか家族に近いものを感じていたのか。
いや、昨日、顔を合わせたばかりの連中に、そんな思いを持つのはおかしいよな。考えすぎだ。
とにかく、いつまで学園に閉じ込められたままになるのかは見当も付かないが、今は何とかなると信じたい。
「よっ、篤志。随分と疲れ切った顔をしているが、どうしたんだ?」
景気の良さそうな声と共に悩みとは無縁の顔で話しかけてきたのは伸吾だった。
「別にどうもしないよ」
知らぬが仏とはこのことかと、俺は心の中で長息を吐いた。
「そうか。てっきり、夜遅くまでテレビゲームをやっていたのかと思ったぜ。テストですら一夜漬けで乗り切ろうとするお前が、普段の日に勉強するなんてあり得ないことだからな」
伸吾は俺の心中など知らずに軽口を叩く。ま、こいつの言う通り、現時点では勉強する気なんてまったく起きないわけだが。
「ゲームマニアのお前じゃないんだし、疲れ切るまでテレビゲームなんてやるわけがないだろ」
俺は無理に強がって見せる。寝るのも忘れるほどテレビゲームに夢中になったことなんて、ここ数年ないな。
「違いない」
伸吾はニヤッと笑った。
「こんなことを聞くと、おかしな奴だと思われるようで嫌なんだけど、もし俺が学園から出られなくなったとしたらどうする?」
俺は全てを打ち明けてしまえば楽になれるかもしれないと思って、そう切り出した。
「学校の怪談じゃあるまいし、そんな馬鹿な話があるかと笑い飛ばすな」
伸吾は鼻を鳴らす。
こいつはミステリーやオカルトの類いは全く信じてないのだ。特に宗教なんかは毛嫌いすらしているし。
「だよな。お前に相談しようとした俺が馬鹿だったよ」
斎禅会長も俺たちの身に起きていることは内密にしてくれと言っていたからな。
「いや、冗談だって。普通の相談なら、幾らしてくれても構わないんだぜ。俺たちは親友なんだし、俺だってできる範囲のことなら力になるつもりだ」
「そっか」
俺が逆の立場だったとしても、そう言っていたはずだ。困っている親友を見捨てるほど薄情にはなれないし。
果たして、学園に閉じ込められたのが伸吾だったら、今日の朝は一体どんな顔をしていただろうか。
「ただ、くだらない冗談なら付き合うつもりはない。俺は自分が冗談を言うのは好きなんだが、他人の冗談を聞くのは嫌いなんだ。長い付き合いだし、それくらいは知ってるだろ?」
伸吾の言葉に俺は少しだけ疲れが取れた気がした。やっぱ、伸吾はこうでないと。
「そうだったな。でも、そういうところはお前らしいよ」
俺は力なく笑った。笑うのがこんなに難しく思えた時もないな。
「だろ。何にせよ、お互いに水臭いのは無しにしようぜ。お前に元気がないと、俺も調子が狂っちまうからなっ」
そう言って、伸吾は俺の背中に張り手をかますと、自分の席に戻って行った。伸吾のような親友がいてくれたことは俺にとって、かけがえのない財産かもしれない。
俺は伸吾の背中を見送ると、離れた場所で座っている奈々子の方に視線を向ける。奈々子は特に変わった様子もなくいつものようにスマフォを弄っていた。
クールというか何というか、あいつにも心を許せる友達がいたら、きっと笑った顔も見せてくれるに違いない。
昼休みになると、俺は購買でパンを買った。
それから、図書室で新刊コーナーに置かれている文庫本でも読もうかと思っていると、スマフォが振動する。
メールはレクスからのものだった。
ちなみにレクスたちだけでなく、斎禅会長や藤村とも電話番号やメールアドレスの交換は済ませてある。
斎禅会長も連絡は積極的に取り合うべきだと言っていたし。
あと、迷宮探索部の部員となった俺たちは、全員、他の部には所属していなかった。その点は都合が良いと言うべきか。
俺はレクスの部室に来てくれと言うメールを見て、仕方なく部室棟に足を向ける。
渡り廊下を通り、真新しい壁を見せる部室棟の中を歩いて行くと、様々な文化部やサークルの部室が目に入るようになる。
その中でも一番、笑えたのが「集え、この世界を救わんとするキリストの戦士たちよ。神の正義は我らと共にある!」とかいう貼り紙が出されている部室だ。
よく教師たちが貼り紙を剥がさなかったものだ。
他にも「日本の萌え文化は最高なのにゃ。猫耳メイドさんの良さが分かる人は、是非とも我が部の門戸を叩くのにゃー」とかいうのもあった。
みんな部室が建て替えられたばっかりだからって、調子に乗りすぎている気がするぞ。
やや呆れながら歩いて行くと、俺は三階にある迷宮探索部というネームプレートが貼り出された部室に辿り着く。
そして、その部室の扉を開けると、そこは昨日とはまるで違っていた。
「やあ、篤志。君が来るのを待ってたよ」
そう言って、柔らかな笑みを向けてきたのはレクスだった。その顔には俺のような疲れは全く見られない。
「そうか。でも、良くこれだけの物を揃えられたな。あの殺風景だった部室が、ここまで様変わりするとは思わなかったぞ」
部室の中にはベッドやスチール製の本棚、長テーブルなどが置かれていた。他にも、テレビやパソコンもある。
たいした、充実ぶりだな。
「全部、斎禅会長のおかげだよ。会長が必要な物を全て揃えてくれたんだ。特にこの三段ベッドは良いだろう?昔、運動部の部室長屋に置かれていた物らしいね」
レクスの視線の先にはかなり大きめのベッドが置かれていた。高さもあるし、これなら三人は普通にベッドで寝られるな。
「へー」
さすが斎禅会長と言うべきか。その手腕は高く評価されるべきものだな。
テレビに出て来る政治家も、ここまで親身になってくれれば選挙にも行ってやろうと思えるのに。
「言っておくけど、ベッドを使うのはアタシたち女子だからね。篤志とレクスは昨日と同じように寝袋を使うのよ」
そう突き落とすような感じで言ったのは、さやかだった。
これには俺とレクスも苦い笑みを浮かべる。ベッドを誰が使うのかは、公平にジャンケンで決めろよと言いたくなる。
「そんなことだろうと思ったよ。でも、テレビやパソコンがあるのは良いよな」
俺的にはパソコンはもう一台くらい欲しいところだ。
「パソコンはネットもできるようにしてあるよ。テレビも小さいけどデジタルに対応してるから、ほとんどのチャンネルは映るし。これで夜の恋愛ドラマも見られるね」
そうニコニコしながら言ったのは美咲だった。女子たちと、見る番組を奪い合うようなことにはならないと思うけど。
「なら、退屈はしなさそうだ」
俺はさっそくテレビを付けてみたくなった。
「他にも電動ポットや電子レンジ、小さな冷蔵まであるのよ。至れり尽くせりとはこのことじゃないの?」
さやかは「カップラーメンが食べられるのは良いわよね」と付け加えるように言った。まあ、これから暑くなってくるし、部室で冷えたコーラが飲めるのはありがたい。
「何か、ここまでして貰うなんて、斎禅会長には悪いよな。あの人にとっては俺たちの抱えている事情なんて人事だろうに」
俺も斎禅会長には頭が下がる思いだ。
「き、気にしないでください。今回の一件を一番、楽しんでいるのは、たぶん会長ですから」
そう言い出したのは迷宮探索部の人間ではないのに部室にいた藤村だった。
「そうなの?」
俺は迷惑してるんじゃないかと思っていたので意外そうに尋ねる。
「ええ。会長も自分が迷宮を探索できないことについては凄く悔しがっているんです。なぜ、自分が選ばれなかったのか、と言って」
藤村は固い笑みを浮かべた。
「なるほどね」
斎禅会長の性格なら、それもあり得るだろうな。
きっと、少しでも良いから、奇跡的な体験をしている俺たちに関わりたいのだろう。そうすれば自分も同じ体験をする方法が見つかるかもしれないと思っているに違いない。
まあ、俺だって代われるものなら代わって欲しいくらいだからな。その相手が斎禅会長なら、何も文句はない。
「ですから、バックアップは会長と、私たち生徒会に任せてください。悪いようにはしませんから」
藤村の声には信頼できる響きがあった。
「分かった。じゃあ、必要な物が増えるようであれば藤村に伝えるよ」
俺がそう言うと、藤村は小さな笑みを浮かべた。
何というか、藤村も生徒会にいるだけあって、しっかり者らしいな。もっとも、それくらいでなければ、あの斎禅会長の下では働けまい。
それと、俺は藤村のことを昨日から呼び捨てにしてる。何となく、藤村さんと堅苦しく呼ぶのには抵抗があったのだ。
ま、俺もレクスたちだけじゃなく、藤村とも仲良くなりたいと思っているということだ。
「そうしてください。ちなみに迷宮探索部はしっかりと文化部として、登録されているので部費も降ります。なので、部費はみなさんが自由に使ってください」
「助かるね」
そうは言っても、学園から出られないんじゃ、せっかくの部費も自由に使えるとは言えないよな。
こういう時にネット通販を利用すると良いかもしれない。
「でも、この状況が長引くようなら、生活費は寺島先生がアタシたちの家から徴収するって言うのよ。だから、お小遣いも含めて、生活費は先生が管理するみたいね」
少し複雑そうな顔で言ったのはさやかだ。
「生活費の徴収はしょうがないよな。でも、そうなると、学園で生活するのに金銭面で困ることはないってわけか。他に何か問題はあるのか?」
俺は何とはなしにベッドの天辺を見ながら言った。
「お風呂はないけど、運動部が使ってるシャワー室はあるし、洗濯物なんかは藤村さんがクリーニングに出してくれるって言うから、問題はないんじゃないかな」
美咲の顔には不安の色はなかった。ただ、問題がないかどうかは、もう少し長く生活してみなければ分からない。
「抜かりはないってわけか」
ま、手筈を整えたのは斎禅会長だからな。間違いはないと言うことだ。
「そういうこと。でも、昨日は広く感じられた部室も、こう物が置かれると、狭く感じられるよね。部室棟が建て替えられてなかったらと思うと、ぞっとするよ」
レクスの言う通り、新しい部室棟の部室でなければ、この三段ベッドは絶対に入らなかったに違いない。
運んだ奴も大変だったろうな。
「まったくだ」
そう言って俺は話を締め括った。
その後、俺は部室のテレビを見ながら、運良く購買で買うことができた人気のピザパンを食べる。
レクスはLANケーブルが繋がれたパソコンでインターネットをやっていた。
美咲とさやかは、長テーブルでティーカップに入った紅茶を飲みながら藤村と話をしていたし。
そんな、美咲たちが食べているお菓子は藤村が差し入れしてくれた物らしい。
藤村は美咲たちに、自分は人付き合いが苦手なので、こうやってお茶を飲みながらゆっくり話せるのは嬉しいと言う。
それから、藤村は自分と普通に接してくれるのは斎禅会長だけだと寂しげに零した。
それを聞き、美咲とさやかはなら私たちと友達になれば良いと言い出した。藤村も二人の言葉に目を潤ませて笑う。
その様子を見ていた俺は苦笑しながら、こんな状況でもプラスになることはあるみたいだなと思った。
やはり女子たちの友情は美しい。これが男子だったら、むさ苦しさしか感じないだろう。
ちなみに奈々子は昼休みが終わるギリギリになって、部室に来た。こいつとはまだ距離を感じてしまうな。
放課後になると、俺は再び部室に行こうとする。特別な用事がない時はなるべくみんなで部室にいることを決めたからだ。
でないと、不測の事態が起きた時に対応できない。だが、そんなことはまるで知らない伸吾がいつものように話しかけてくる。
「よっ、篤志。一緒に帰ろうぜ」
伸吾は俺の肩を軽快に叩いた。
「悪い。部活があるから今日は駄目なんだ」
俺は申し訳なさそうに言った。伸吾とは一緒に帰ることも多かったからな。それができなくなるのは少し辛い。
「お前、部活なんてやってたのか?それならそうと、すぐに教えてくれれば良いのに」
伸吾は驚きに満ちた顔で言った。
「いや、昨日、入部したばっかりだったから、言いそびれたんだ」
さてどう説明したら良いものか。
親友の伸吾に嘘を吐きたくないのは確かだが、だからといって真実を告げるわけにもいかない。
俺ももう少し頭が良ければ気の利いた言葉で説明か、または誤魔化しができるんだけど。
「そっか。で、一体、どんな部に入部したって言うんだ?まさか練習のキツイ運動部じゃないよな?いきなり、青春の汗を流したくなったなんて言わないでくれよ」
はっきり言って、俺は汗を流すのが嫌いだ。そんなことをするくらいなら、静かに本を読んでいた方が良い。
「違うって。ちゃんとした文化部だよ。名前は迷宮探索部って言うんだ」
どうせ調べればすぐに分かることだから、本当の名前を教えてやった。伸吾のことだから部室に遊びに行きたいとか言い出すかもしれないし。
「何だ、そりゃ?どんな活動をしているのか全く分からないんだが」
案の定、伸吾は素っ頓狂な声を上げた。
「まあ、お遊びサークルみたいなもんだよ。これと言ったことはやっていないし」
「そうか。でも、迷宮探索部って名前はないだろ。てっきり、この学園に迷宮でもできたのかと思ったぜ」
その通りなのだが、例え真実を語ったとしても絶対に信じてはもらえないだろう。
「んなわけあるか」
ここは強く否定しておく必要がある。伸吾は巻き込みたくないし。
「だよな。でも、部員は誰なんだ?お遊びサークルって言うなら、お前一人ってわけじゃないんだろ?」
そこは教えたくないんだよな。特に女子がいることを教えたら伸吾も必要以上に関心を示してくるだろうから。
「ああ。男子はレオンハルト、女子は諏訪部と鳴瀬とウチのクラスの姫倉がいるよ」
俺はできるだけ平坦な声で言った。
「へー、けっこうたくさん部員がいるんだな。しかも、思いっきり個性的なメンツじゃないか」
伸吾はまだ教室にいた奈々子の方を一瞥しながら、言葉を続ける。
「それに諏訪部って、学園屈指の美少女として知られているあの諏訪部美咲のことだろ?」
伸吾は鼻の下を伸ばしながら尋ねた。
「そうだけど」
「そいつは羨ましいな。あんな美少女とお近づきになれるなんて。でも、人付き合いが悪い姫倉もいるのは驚きだ」
とはいえ、奈々子も俺たちを拒絶しているわけじゃないからな。ちゃんと、コミュニケーションは取れるし。
ただ、馴れ合いは好きじゃなさそうだ。
「俺もそう思うよ。とにかく、部活は毎日あるみたいだから、当分はお前と一緒に帰れない。悪かったな」
こんな説明で納得してくれるだろうか。
「そういう事情なら別に構わないさ。その代わり、諏訪部と仲良くなれたら、俺にも紹介してくれよな」
伸吾は特に気分を悪くした様子もなく笑った。こいつのこういう一面には俺も救われているんだよな。
「分かったよ」
俺が頷くと、伸吾は「せいぜい、上手くやれよ」と言って去って行った。
俺は本を返してなかったことを思い出し、図書室へと足を運ぼうとする。
まるで小説のストーリーみたいに学校から出られなくなったというのに、新刊コーナーに置かれている小説が気になってしまうなんて。
ま、本の世界だからこそ、許されるストーリーもあると言うことだろう。それはモンスターとの殺し合いで思い知った。
そんなことを思いながらブラブラと歩いていると、偶然にも廊下にいる美咲の姿を見かける。なので、俺も美咲に声をかけようとしたが彼女は男子生徒を伴っていた。
しかも、美咲とその男子生徒はただならぬ雰囲気を漂わせていた。それだけに俺も簡単には声をかけることができなかった。
美咲も俺の存在に気付いた様子はないし。
それから、少し後ろめたい気もしたが、俺は興味本位で美咲と男子生徒の後をつけていく。
そして、どこまでも高い青空が広がっている屋上へと来た。だが、二人の姿はすぐには見つからなかった。
が、視界を遮っている壁がある方向に二人の気配を感じる。
それを受け、俺がソーッと壁から顔を出すと、そこには向き合っている美咲と男子生徒がいた。
「僕と付き合ってくれないか、諏訪部さん」
男子生徒はピンッと糸を張るような声で言った。男子生徒はなかなかの美形だったし、性格も良さそうに感じられた。
とにかく、男子生徒の言葉を聞いた俺もすぐに状況を把握する。所謂、愛の告白ってやつだな。
とんだ場面を目撃したものだ。
「ご免なさい。私、あなたとは付き合えそうにない」
美咲は申し訳なさそうに頭を下げる。その際、亜麻色の髪が屋上に吹き付ける風で棚引いた。
「一体、僕のどこが駄目なんだい?ちゃんと言ってくれれば、君のために直すよう努力するから」
男子生徒は諦めきれないのか、そう尋ねてきた。
「どこって言われても困るけど…」
美咲も返答に窮する。
「こう見えても、僕は勉強もスポーツも得意なんだよ。成績だって学年じゃ、トップクラスだし。それに、自慢じゃないけど顔だって悪くはないと思ってるんだ」
そう言って、男子生徒は美咲に詰め寄った。
それを受け、美咲は後退りする。モンスターに対しても毅然として立ち向かったあの美咲が怯えている。
俺がそんな遣り取りを見てハラハラしていると、男子生徒は興奮したのか、美咲の肩に触れようとした。
「僕なら、絶対に君を失望させたりはしない。だから、試しに付き合ってよ」
男子生徒は美咲の肩に手を乗せると、そう押しつけがましさを感じさせるように言った。
それを受け、美咲は更に足を後ろに動かす。その震える肩は誰かに助けを求めているようにも感じられた。
そして、それを目にした俺は見過ごすことはできないなと思い、緊張感を漂わせる二人の前へと足を踏み出す。
「あれ、諏訪部。こんなところで何をしてるんだ?」
俺は美咲に向かって白々しく言った。気を抜くと表情が崩れそうになるので、懸命に堪える。
「う、うん、何でもないの」
美咲はしどろもどろになっている。
「なら、良いんだ。でも、今日は部活がるから、さっさと部室に来いよ。みんな待ってるはずだから」
俺の言葉を聞くと美咲は呆けたような顔をする男子生徒に向かって「じゃあ、私は部活があるから行くね」と言って、小走りで屋上から去って行く。
その横顔には安堵感が浮かんでいた。
が、男子生徒の方は自分の告白の邪魔をした俺を睨み付ける。
それから、「ちょっと可愛いからって、お高くとまりやがって」と言って小さく舌打ちをすると、肩を怒らせながら屋上からいなくなった。
俺はフーッと息を吐く。はっきり言って、モンスターと戦うことよりも、神経を使ってしまった。
でも、少しだけ美咲の怯えようも理解できたな。
その後、俺は図書室で本を返すと、新刊コーナーにあった本を借りる。その間、美咲の辛そうな顔が頭から離れなかった。
男と違って、持てる女は辛いのかもしれない。ああやって、一方的な気持ちを押しつけられるんだから。
誰かに告白される度に自分も傷ついてしまう。はっきり言って、俺なら耐えられないだろうな。
まあ、あんな言葉を吐くような奴の告白は断った方が正解だし、美咲も男を見る目はあるようだ。
そして、図書室を出ると俺はその足で部室に行く。
すると、部室の中にはレクス、美咲、さやか、奈々子の四人が揃っていた。四人とも部室の中でくつろいでいる。
こんな空気は青春物の小説でしか感じ取れないぞ。
まあ、嫌いな空気じゃないけど。
ただ、美咲は俺の顔を見ると、少し引き吊ったような笑みを浮かべた。やっぱり屋上であったことが後を引いているみたいだな。
「遅かったね、篤志」
レクスはパソコンから顔を上げて笑った。
「まあな。本を返さなきゃならなかったから、図書室に寄っていたんだ」
俺は新しく借りてきた文庫本をポケットから取り出してレクスに見せた。あと、奈々子が部室にいてくれたことにはほっとしている。
「そっか。それで、迷宮の探索はいつから始めようか?僕的には今すぐにでも迷宮に行きたいところなんだけど」
レクスは意外とバイタリティーのある人間みたいだな。実は強い男になろうとして、毎日、体を鍛えたりしていたら面白いかもしれない。
「俺はまだ昨日の疲れが抜けきってないから遠慮したいな。正直、授業を聞くのも辛かったくらいだし」
俺は肩を大きく落とす。書き取れなかったノートは伸吾に写させて貰おう。
「そうなんだ。なら無理をしちゃいけないね」
「ああ」
「でも、どうすれば迷宮を制覇できるんだろう。ただ、闇雲に迷宮の中に潜っても命を落としかねないし」
レクスの疑問はもっともだった。
迷宮の制覇が、一筋縄に行くわけがない。きっと、考えて行動しなければならない場面も出て来るだろう。
「まずは町の中で使えるお金を手に入れる必要があるんじゃないか?そうすれば良い武器や防具も買えるし、町での食事もできる」
お金なら、使い道は幾らでもありそうだ。
「そうだね。だけど、幾らモンスターを倒しても、ゲームのようにお金は手に入らないんだよね?」
「みたいだいな」
そこだけはゲームと大きく違うんだよな。
モンスターを倒したらお金が手に入るというシステムを最初に作った奴は案外、凄いかもしれない。
「それなら、冒険者の館で斡旋されてる仕事を請け負えば良いのよ。リバイン・テイルでも冒険者の館の仕事は大切な収入源でしょ?」
ベッドの三段目で横になっていたさやかが口を挟む。
ちなみに、さやかは既に、どこから持って来たのか分からないようなパジャマに着替えていた。
「ああ」
迷宮での仕事が俺たちにこなせるものなのかどうかは分からないが、避けては通れないだろう。
お金が欲しければ働くことが求められるのは、どこの世界でも同じだ。
「もっと簡単にお金を手に入れたいなら、モンスターが持ってる武器や防具を手に入れて店で売れば良いんじゃないの?昨日、戦ったリザードマンだって色々、持ってたし」
そう指摘するように言ったのはパイプ椅子に座ってスマフォを弄っていた奈々子だった。
「そうだったな。そのことについては俺も考えが及ばなかったよ」
こんな単純なことに気付かないなんて我ながら抜けていたな。奈々子も賢い奴だ。
「どっちにしても、今日は部室でゆっくりしようよ。アタシも篤志と同じように疲れが取れてないしー」
言葉、通り疲れたような顔をしているさやかはそう言った。ムードメーカーのさやかに元気がないと、俺も心細くなる。
「そうだね。今日はさっさと寝ちゃった方が良いかも。変に無理をして、モンスターに怪我でもさせられたらたまらないし」
美咲が説得力を持たせるように言った。
でも、その顔には影が差しているし、やっぱり男子生徒の告白を断ってしまったことに心の痛みを感じているのだろうか。
一方、そんなことは知らないさやかはさっさとタオルケットにくるまって寝てしまった。
それを見た美咲も暗い感情を払拭するように大きく伸びをすると、ブレザーの上着を脱ぎ、胸のリボンも外してベッドに横になった。
ま、疲れているのは俺だけじゃないってわけだな。
その後、俺は藤村が差し入れしてくれたというカップラーメンを電動ポットでお湯を沸かし、レクスと一緒に食べた。
それから、夜になると、保健室から貰ってきた様々な生活用品の中にあった歯ブラシを使って歯を磨く。
そして、十一時を過ぎると、消灯して寝袋に入り、眠りに就いた。
何だか、家族旅行で行ったイギリスのロイヤル・ホテルに泊まった時のことを思い出すな。
次の日になると、俺も早めに寝たおかげか、すっかり疲れが取れていた。精神的にも落ち着いていたし、今日なら迷宮に潜っても問題ないだろう。
そう思った俺は、昼休みになると伸吾と一緒に学食でカレーライスを食べ、その後は図書室で新刊コーナーにあった文庫本を読む。
それから、放課後になると軽い足取りで部室に行く。すると、そこには迷宮探索部の部員、四人と藤村がいた。
「来たね、篤志。今日こそ、迷宮に挑戦するよ」
レクスは青い瞳を輝かせながら言った。
「分かってる。昨日はぐっすり眠れたし、コンディションも万全だ。これならモンスターとも戦える」
もっと自分の力を試したいという気持ちが沸いてくるのだ。はっきり言って、今の俺なら負ける気はしなかった。
「でも、油断は禁物だからね、篤志。迷宮に出て来るモンスターがリザードマンだけってことはないだろうし」
そう釘を刺したのはさやかだった。そんなこと言われるまでもない。
「ああ」
俺は気負うことなく、無理のない笑みを浮かべて見せた。
「私も迷宮に入ったら、もっと積極的に魔法を使ってみたいな。迷宮の外に出ると、魔法は使えなくなっちゃうみたいだから」
美咲も戦いに対する心構えはできているようだった。
「どんな状態で迷宮に挑戦するにせよ、私の足を引っ張ることだけは止めてよね。私は役に立たない奴を助けるつもりなんてないし」
奈々子はあくまで冷たい物言いをする。でも、それは俺たちに対する信頼の裏返しのように思えた。
何にせよ、女子陣の心は思ったよりも強いようだな。
「が、頑張ってください、みなさん。私も戦うことはできませんが、みなさんが無事に学園に戻って来れることを祈っていますから」
そう健気に言ったのは藤村だった。もし、藤村が俺たちと同じように選ばれた生徒だったら、どうなっていただろうな。
きっと気の弱い藤村のことだから、モンスターを見た途端、泣き出してしまうかもしれない。
あくまで想像だけど。
その後、俺たちは部室を出ると、校舎の地下室に行って扉を開け、地下街へと続く通路を歩く。
そして、地下街に辿り着くと、俺たちは様々な種族で構成される地下街の住人を見ながら、冒険者の館へと向かった。
冒険者の館に辿り着くと、まず倉庫に向かう。そこで武器と防具を装備すると、他に役に立ちそうな物がないか探す。
すると、奈々子が迷宮の地図を見つけた。
地図には第一界層の構造がこと細かに記されていた。これを見て歩けば、迷宮で迷うこともなくなる。
それから、俺たちは広間にある掲示板へと向かう。そこには仕事を紹介する紙が貼り出されているので、みんなしげしげと眺めた。
「色んな仕事があるね。どれを請け負うべきか迷っちゃうよ」
そう言ったのは、楽しげな目をしているレクスだった。
「モンスターの角や牙、革なんかを取って来いって言うのは割とスタンダードな仕事じゃないの?」
さやかは掲示板の端っこの方にある紙を見ながら言った。
「でも、報酬の額はあまり良くないね。確か、百シュケムでジュース一杯が飲めるくらいだから三千とか五千シュケムっていうのは金額的には少ないかも」
レクスは顎に手を這わせる。この町のお金の価値は、日本のお金の価値とそう差はないようだった。
「店で武器を買うには最低でも一万五千シュケムは必要になるわよ。高い武器だと、十万とか平気で超えてくるし」
奈々子は武器や防具のことについては詳しく調べてありそうだな。
「だとすると、最初の内は余分な買いものをするのは控えた方が良いってこと?でも、アタシの武器は貧弱そうな弓だし、早く買い換えたいわ」
確かにさやかの弓はあまり質の良い代物とは言えない。弓は剣や槍とかと比べると繊細な武器だし技術だけでカバーできるものでもないだろう。
「私は魔法を中心に使うから、武器はあまり拘らなくても良いかもしれないね。でも、今の私は魔法使いなんだし、なるべく格好良いロッドを持ちたいかな」
美咲もちゃんと知っていると思うが、リバイン・テイルではロッドは魔力を高めてくれる効果もあった。
なので、その辺はよく考慮した方が良いかもしれない。
「そうだね。僕と篤志の使っている剣は、そんなに悪い物じゃないから、まずはさやかの弓を買うことにしよう」
レクスの言う通り、少なくとも俺の剣はすぐに折れてしまうような質の悪いものではない。
「弓は四万シュケムくらいで買えると思ったわ。矢も一本、三十シュケムくらいの手頃な値段だったし」
奈々子は良く知ってるな。ひょっとして、武器マニアか。
「なら、四万シュケム以上の報酬を貰える仕事を探そう。俺も革の胸当てだけじゃ防御面に不安があるから盾とか欲しいし」
俺は前衛で戦うオーソドックスな戦士タイプの人間と言える。だからこそ、防御力の強化は欠かせない。
やっぱり、盾なしじゃ強敵と戦うには心元ないし。
「それなら、この仕事が良いんじゃないの?迷宮でリザードマンたちを束ねているリザードマン・ロードを倒したら十二万シュケムくれるってやつだけど」
さやかが指さす先には、かなり大きめの貼り紙があった。報酬の金額が多いものほど、目立つ場所に依頼の紙が貼り出されている。
「報酬が十万シュケム以上の仕事は僕たちには早いんじゃないの?」
レクスは少し不安そうに言った。
まあ、最初は三万シュケムくらいの仕事が良いと思う。
迷宮内で光の消えかけている光石を新しいものに取り替えて欲しい、なんていう仕事ならできそうだし。
「でも、リザードマンなら昨日、戦ったでしょ。しかも、楽勝で倒せたんだから、アタシたちならきっと大丈夫よ」
さやかはあくまで楽観的だ。
「そうね。リザードマンと戦えば武器も集められるし、例えリザードマン・ロードを倒せなくても損はないかもしれない」
奈々子も合理的な見方をする。
「でも、勝てないようだったら、意地を張らずに逃げた方が良いよ。ゲームと違って、私たちは死んでもやり直せるわけじゃないんだから」
美咲は慎重さを滲ませながら言った。
確かにゲームみたいにセーブ&ロードができないのは、辛い。だからこそ、緊張感を持って行動しなければならないのだ。
試しに死んでみるなんてことは絶対にできないし、そんな勇気のある奴もいないだろう。
「とにかく、怖がってちゃ始まらないし、この仕事を請け負うわよ。たくさんお金が入ったら、弓だけじゃなくて、この町で売ってる服とかも買いたいし」
さやかは発奮するように言った。
ちなみに仕事を請け負う手続きは広間の受付カウンターですることができる。俺たちは基本的にどんな仕事でも請け負うことができるようになっているらしい。
ただし、他の冒険者も同じ仕事を請け負っている場合、報酬の受け取りはどちらが早く仕事の依頼を達成できるかで決まる。
つまり早い者勝ちというわけだ。
俺たちは迷宮の入り口に行くと、昨日と同じように警備をしている兵士たちに許可証を見せる。
それから、すんなりと迷宮の通路に足を踏み入れると、警戒しながら歩いて行く。
仕事の内容を記してあった紙によると、どうもリザードマン・ロードは迷宮の三階のフロアーの東側を住処としているらしい。
そして、人を襲う時は十匹以上の手下のリザードマンを引き連れて来るという。
だからこそ、力のない冒険者たちにとって、リザードマン・ロードは恐ろしい敵と言えるのだ。
俺は剣を抜きながら、ひたすら歩く。地図はレクスが持っているので、その案内どおりに進めば迷うことはない。
それから、十五分ほど歩くと、二階に下りる階段を見つけた。
下に行けば行くほど現れるモンスターも強くなると冒険者の館のスタッフからも聞いている。
なので、俺たちはより一層、警戒しながら歩いて行くと、四匹の見るからに凶暴そうなオーガと鉢合わせした。
オーガはグロテスクさを感じさせる異形の顔をしているし、その屈強な体つきを見るにリザードマンよりも手強い相手なのは確かだろう。
その上、オーガたちの手には木製のバットの三倍くらいの太さがありそうな無骨な棍棒が握られている。
あんなので、殴られたら肉は潰され、骨は砕けるぞ。しかも、オーガの腕力も考慮に入れると剣でまともに受け止めるのは危なそうだ。
ただ、オーガたちも数は少ないので、対応できないということはないだろう。
そして、オーガたちが奇声を発すると、俺たちはすぐさま臨戦態勢を取る。オーガたちの方も力強く足を踏み出し、床を蹴って襲いかかってきた。
そんなオーガたちはリザードマンを大きく上回る迫力を有していたが、俺たちの方もモンスターと戦うのはこれで二度目だし、心の準備は十分できている。
それにオーガたちも腕力はあるだろうが、スピードはさほどでもないと見た。気を付けて戦えば、棍棒の一撃をまともに食らうことはないはずだ。
俺は両手で勢いよく棍棒を振り上げたオーガに素早く肉薄する。オーガの方も俺の接近に怯むことなく空を砕くような棍棒を振り下ろしてきた。
オーガの豪腕から繰り出された棍棒の一撃が俺の体を叩き潰そうと迫る。
が、俺は棍棒の一撃をフワリと軽やかに身を捌いて避けると、反撃とばかりに風のように剣で斬りかかった。
その一撃は丸太のようなオーガの腕に食らいつく。だが、分厚い筋肉に剣の刃が押し返されてしまった。
これには俺も慌てて、剣を引き戻す。生半可な斬撃では、筋肉の鎧に覆われたオーガの体は切り裂けないな。
そんなことを考えていると、オーガは再び両腕を振り上げて、先ほどよりも更に膂力が籠もった棍棒の一撃を俺に叩きつけようとする。
それに対し、気合いを入れ直した俺は、まるで雷神が繰り出すような剣の一撃を放ち、オーガの両腕を一度に切断する。
硬さのある肉と骨を断つ生々しい感触が俺の手に伝わってきた。
それから、切断されたオーガの両腕は棍棒を握りしめたまま床にボトッと落ちる。その傷口からは鮮血が迸った。
両腕を失ったオーガはあまりの痛みにギャーッと絶叫する。
それを見た俺は少しだけ慈悲の心を込めながら、そのオーガの野太い首を切り飛ばす。オーガの頭は、バスケットボールのように飛んでいった。
床を転がるオーガの生首を見た俺は、苦しまずに死ねたと思いたいなと心の中で呟く。
一方、レクスはいつの間にか俺の背後に回り込んでいたオーガに閃光のような突きを放つ。その突きはオーガの心臓を正確に貫いたかに見えた。
しかし、突き刺した剣が心臓を僅かに逸れていたのか、オーガは絶命することなく、そのままレクスの体を棍棒で殴打しようとする。
そんなオーガの凶相を見て威圧された俺は思わずブルッとする。しかも、そのせいでレクスに加勢するのが遅れてしまう。
が、オーガの棍棒が当たる前にレクスの体がコマ落としを生み出すような早さで霞んだ。
その瞬間、今度は煌めくような銀光と共に、レクスと相対していたオーガは即座に喉を貫かれる。
結果、そのオーガは棍棒を振り下ろし終えることなく口から血を溢れさせて崩れ落ちる。それから、ピクピクと体を痙攣させた。
その戦いぶりを見た俺はレクスも容赦がないなと苦笑する。
まあ、モンスターを殺すのは可哀想だとか思っているのは俺と美咲くらいなものだろう。その証拠に他の三人の動きには少しの迷いもない。
そして、レクスの横では奈々子が顔と胸と腹を瞬時に槍で貫く三段突きを放って、オーガを難なく仕留めていた。
その見事な戦いぶりには俺も心が痺れる。
槍の扱いに関しては比べられるような人間があまりいないので表現に困るが、あの三段突きは映画で見た三国志を思い起こさせた。
とにかく、今の奈々子には無双という言葉がよく似合う。
そして、最後に残ったオーガに対しては美咲がファイアー・ボールを幾つもお見舞いしていた。
が、オーガは火には強いのか、火だるまになりながらも目を血走らせて、棍棒で美咲に殴りかかってきた。
美咲も猛進して来るオーガの鬼気に当てられたのか、身を竦ませている。俺やレクスもすぐさま助けに入ろうとしたが間に合わない。
しかし、そんなオーガの額にさやかの矢がストンっと綺麗に突き刺さった。鏃が脳にまで届いたのか、そのオーガは糸が切れたように倒れる。
俺もあまりにも呆気なく絶命したオーガを見て、きょとんとした顔をしてしまう。それは弓の力を改めて思い知った瞬間でもあった。
そして、目の前で倒れたオーガを見た美咲もほっとしたように小さく息を吐いた。
もう少し良い弓を買えばさやかの攻撃力も、もっと引き出せるだろうし、そうなれば戦略の幅も広がるかもしれない。
とにかく、かなり丈夫な体を持つオーガたちをそれほど苦労することなく打ち倒した俺たちは、互いの顔を見て笑った。
「やっぱり、僕たちは文句なしに強いよ。今度の戦いで、僕もそれを実感した」
レクスはオーガの屍を見下ろしながら言った。俺も今度の戦いで自信は付いた。
「俺も同じだよ。喧嘩なんて一度もしたことがないのに、こんなモンスターと渡り合えるなんて」
俺はオーガの光を失った目を見て、少しだけ後味が悪いものを感じながら言った。
「迷宮を制覇しろと言うからには、それ相応の力も与えられてるってことね。デモットも理不尽な要求をしたわけじゃないってことかしら?」
そう疑問を投げかける奈々子の顔はやはり涼しげだ。
「でも、まだ第一界層なのよ。この迷宮がリバイン・テイルの内容を反映してるなら第五界層まであるってことだし、気が遠くなるわ」
さやかはやれやれと肩を竦めた。
確かにリバイン・テイルでもリザードマンやオーガは弱い部類のモンスターに位置づけられているからな。
こいつらより強いモンスターがたくさん出て来るとすれば、どこまで戦えるか。
「だよね。しかも、モンスターと戦ったからって、ゲームみたいに確実に強くなれるとは限らないし。となると、やっぱり、特訓とかした方が良いのかなぁ」
美咲の言う通り、目に見える経験値なんてものは俺たちにはないからな。自分たちがどのくらいの強さなのかも数値化できないし。
「もっと先に進めば、特訓をする必要性も出て来るかもしれないわね」
奈々子は考え込むような顔をする。自分の強さが分からないというのは、やはり危うい。
「それに例えモンスターでも殺してしまうのはあまり良い気分がしないよ。甘いってことは私も分かっているんだけど」
美咲は悲しそうな顔で、死んでいるオーガを見た。
「でも、そんなことを言っていると足下を掬われるわよ、美咲。モンスターたちは本気で私たちを殺そうとして来るんだから」
奈々子はぴしゃりと言った。
「そうだとしても、殺さずに済むならそれに越したことはないよ…」
そう言うと、美咲は萎れたような顔をして、俯いてしまう。まあ、女の子に殺しをやらせるのは、俺としても心苦しいな。
「あんまり深く考えるのは止めようよ、みんな。アタシはゲームみたいなものだと思って割り切ってるし」
さやかは俺たちの空気を和ませるように言った。
「僕もこの状況を純粋に楽しんでるよ。クラスの友達も僕の置かれている状況を知ったらきっと羨ましがるんじゃないかな」
レクスの友達はともかく、俺の親友の伸吾なら泣いて羨ましがるだろう。あいつはゲーム、取り分け剣と魔法のRPGが大好きだし。
それだけに簡単には打ち明けることができないのだが。
「そうだな。今は自分のことを最優先に考えることにしよう。最悪なのは自分が死んでしまうことだからな」
俺も含めてだが、みんな、なまじ戦えるだけに死の恐怖を実感しきれていないところがある。
学校から出られないという状況もどこか絵空事のように捉えているのだ。
それだと奈々子の言じゃないが、いつか足下を掬われるだろう。死んでも生き返れるなどと言う救済措置が用意されているとは到底、思えないし。
俺たちはお喋りを止めると、再び歩き始める。そして、三階に辿り着くと、東側のフロアーに歩を進める。
すると、取って付けられたような扉があり、その前には二匹のリザードマンがいた。
どうも、リザードマンたちは扉の見張りをしているようで、俺たちの姿を見ると片方のリザードマンが槍の穂先を向けてくる。
ただ、扉の前から動こうとはしない。なので、俺たちの方から近づいていくとリザードマンたちはたちまち襲いかかってきた。
俺はリザードマンが突き出してきた槍をひらりと避けると洗練された太刀筋で剣を振るう。
その一撃はリザードマンの体を袈裟懸けに切り裂いた。血が吹き上がり、そのリザードマンは崩れ落ちる。
もう一匹のリザードマンは、曲刀で俺に斬りかかってきたが、さやかの矢に腕を貫かれて曲刀を落としてしまう。
その隙を見逃さずにレクスが機敏な動きでリザードマンの胸を小剣で突き刺す。そのリザードマンは小さい悲鳴を上げながら倒れた。
俺たちはこの扉の向こうに、リザードマン・ロードの住処があるに違いないと思いながら扉を開けた。
すると、扉の向こう側は大きな部屋になっていた。壁にはたくさんの武器や防具が括り付けられている。
他にも床には、様々な物が乱雑に置かれていた。まるで、盗賊のアジトだな。武器や防具は冒険者を襲って手に入れたものに違いない。
そして、部屋には鎧で身を包んだ今までの奴より一回り体の大きいリザードマンがいた。他にも十八匹ほどの普通のリザードマンもいる。
俺はリザードマンたちの数の多さを見て、背中からじっとりとした汗が吹き出すのを感じた。幾ら俺たちが強いと言っても、この数を相手にできるのか。
どんなに腕に覚えのある男でも一度に相手にできるのは三人まで、と俺が好きな格闘漫画にも書いてあった。
となると、俺たちは五人いるから一度に相手にできるモンスターは十五匹までなのかと思う。だが、俺はすぐにそんな馬鹿馬鹿しい計算はないなと頭を振った。
一方、鎧を着けたリザードマンは高く積まれた木の箱の上に座っていて、お椀を手にしながら何かを飲んでいたようだった。
他のリザードマンたちは群れるように鎧のリザードマンの周りにいる。
どうやら、鎧のリザードマンが、リザードマン・ロードと見て間違いないようだな。明らかに他のリザードマンとは放っているオーラが違う。
いずれにせよ、大群と言っても良いような数の敵が、この空間に存在しているのは確かだ。苦戦は免れないし、一瞬の気の緩みが死に繋がるだろう。
やっぱり、リザードマン・ロードを倒す依頼を引き受けたのは失敗だったかもしれないな。
だが、ここまで来たら後には引けないし、まだまだ先の長そうな迷宮を制覇するためにも、打ち勝って見せるしかないだろう。
「お前たちを退治させて貰うぞ」
俺が勇み立つように言うと、リザードマン・ロードはニヤリと笑う。その余裕のある笑みを見て、さすがリザードマンたちの親玉だと俺も感心してしまった。
そんなリザードマン・ロードが腰を上げて立ち上がると、各々の武器を手にしたリザードマンたちが一斉に俺たちを取り囲んだ。
そのササッとした動きを見て、俺も集団で人を襲うのには慣れているようだなと思う。
それに対し、俺たちもなるべく背中を見せないように陣形を組んだ。背後を取られないようにするのは戦いの鉄則だからな。
そして、リザードマンたちは四方八方から俺たちに襲いかかってくる。最初に俺の相手をしようとしたのは重そうな斧を手にしたリザードマンだ。
俺は斧を大振りに下ろしてきたリザードマンに雷撃のような斬撃を放ち、その手を切り飛ばす。
斧の一撃は破壊力こそあるが、いかんせ、スピードがなさ過ぎる。あんな遅々とした攻撃では俺の体は到底、捉えられない。
続けて俺はそのリザードマンの喉の辺りを切り裂いた。すると、喉を掻き毟るようにして、そのリザードマンは倒れる。
が、息を吐く暇もなく、すぐに他のリザードマンが横合いから、メイスのような打撃系の武器で俺に殴りかかってくる。
さすがに斧よりかはスピードの乗った一撃だった。が、それでも、今の俺にとっては欠伸が出る。
俺は真横から迫るメイスの柄の部分を器用に切断してのけると、すかさず唐竹割りをお見舞いする。
その強烈な一撃を食らったリザードマンは頭が二つに分かれて倒れた。その死体からは見るだけで気持ち悪くなるような脳漿もどろりと流れ出す。
どう見ても、天国に行けたとは思えないリザードマンの死に様を見た俺は心の中で合掌してしまった。
すると、今度は俺の胸に良い音を立てて矢が突き刺さった。幸い、胸当てを貫かれただけで、俺の体に鏃は届かなかった。
だが、避けることができなかった攻撃なので、危なかったとは言える。
俺は冷やっとしながら、矢が飛んできた方に視線を向ける。そこにはクロスボウを手にしたリザードマンがいた。
俺は遠距離からの攻撃には対応できないと焦る。
間合いを詰めようにも、他のリザードマンたちが壁となって立ちはだかっているからな。
が、すぐにクロスボウを手にしたリザードマンの額に矢が突き刺さる。矢を放ったのは俺の後ろにいてみんなの援護をしているさやかだった。
ナイス、フォローと言いたくなる。やっぱり、ここはさやかの見せ場だ。俺の出る幕ではなかったらしい。
だが、クロスボウを持っているリザードマンはもう一匹いて、さやかを標的にすると連続して矢を打ち込んできた。
だが、さやかはその矢を軽やかに避けると、今度は自分の弓で瞬速の矢を放つ。その矢はクロスボウを持つリザードマンの眉間に突き刺さった。
そして、そのリザードマンはカッと目を見開きながら倒れる。矢の腕前で、さやかと張り合おうとするのは愚かだな。
一方、レクスと奈々子も颯爽とした動きで武器を振るい、リザードマンたちに反撃の余地を許さない激しい攻撃を加える。
尋常ならざる手数から生み出された攻撃が、リザードマンたちの体を絶え間なく襲った。これにはリザードマンたちも、対抗することができずに深い傷を負う。
しかも、レクスと奈々子は息の合ったコンビネーションを見せて、迫り来るリザードマンたちを立て続けに屠っていく。
二人の周りを霧のような血飛沫が舞った。
そして、レクスと奈々子の二人は合わせて五匹のリザードマンを仕留めることに成功する。これでリザードマンたちの頭数もかなり減ったな。
そして、美咲もウィンド・カッターの魔法を使い、嵐のように荒れ狂う風の刃でリザードマンたちの体を切り裂く。
その攻撃で腕を切り落とされたり、胴を半ばまで切断されたりしたリザードマンは床をのたうち回った。
それから、追い打ちをかけるように美咲の掌からファイアー・ボールが放たれ、何とか立ち上がろうとしていたリザードマンの体を炎で包み込んだ。
美咲もモンスターを殺すことに躊躇がなくなってきた。やっぱり、奈々子に厳しく窘められたからだろうか。
そして、それを見て心を震わせられた俺も、仲間の死に取り乱しているリザードマンたちに獅子奮迅の如き気合いで斬りかかる。
大剣を振り下ろそうとしていたリザードマンの頭部が、銀影を帯びた斬撃と共に消えてなくなった。
残された体は倒れることなく、跪くような体勢で絶命する。まるで、神に向かって懺悔でもしているかのようだ。
ま、今のリザードマンたちを救ってくれる神はいないだろうが。
それから、少し離れた場所から鎖で繋がれた鉄球を投げつけてきたリザードマンもいたが、俺はすかさずその鎖を切り飛ばした。
飛来した鉄球は他のリザードマン顔を掠めて壁にめり込む。当たっていたら、顔が潰れていたはずだし、惜しかったな。
俺は武器が使い物にならなくなったザードマンへと敏速に間合いを詰めると、急所めがけて斬撃をお見舞いした。
それを食らったリザードマンは傷口から血を吹き上がらせつつ、仰向けに倒れる。
更に、俺は二本のナイフを手にして不意を突くように襲い掛かってきたリザードマンの攻撃も無駄のない動きで避けた。
それを受け、リザードマンの方も勢いを削がれることなく、何度も鋭利なナイフで俺に斬り掛かってくる。
が、間断なく迫る刃も、流水の如き動きを見せる俺の体には当たらない。
それから、俺はナイフの一撃を大きく空振りさせたリザードマンの胸を思いっきりかっさばいてやった。
そのリザードマンは短剣をポロリと落として力が抜けたように膝を折り曲げると、そのまま倒れ伏す。
最初こそ、その数の多さに恐れを感じていた部分はあったが、いざ戦ってみるとリザードマンたちも、たいしたことがないことが分かる。
この分なら、迷宮の深い階に出て来るモンスターも敵ではないかもしれない。
一方、残ったリザードマンたちは俺たちの果敢な戦いぶりに腰が引けてしまって、満足な攻撃ができない。
数の上では圧倒的な優位に立っていたリザードマンたちだったが、その動きは全く統率が取れていなかったのだ。
連携を絡めたような攻撃もしてこいなし、的確な動きを見せられたのも最初だけだ。所詮は烏合の衆だったみたいだな。
もっとも、相手がそこらの冒険者なら、数に任せて勝つこともできたんだろうが、俺たち相手にはそうはいかない。
なので、俺たちに一矢報いることすらできずに、リザードマンたちは為す術なく打ち倒されていく。
そして、あっという間に俺たちを取り囲んでいたリザードマンは残り二匹になってしまった。
その内の一匹はリザードマン・ロードに助けを求めようとしたが、背中から俺に斬り付けられて、無様に転げ回った。
それを見た俺は憐れむことなく、剣の切っ先をそのリザードマンの心臓に突き立ててトドメを刺す。
残虐なようだが、こいつらに殺された冒険者もたくさんいるみたいだからな。見逃してやるわけにもいかない。
そして、もう一匹のリザードマンは出口の方に向かって逃げ出そうとしたが、さやかの放った矢を後頭部に食らって倒れる。
さやかも俺と同じ気持ちなのか全くもって容赦がなかった。
こうして、俺たちは十八匹、全てのリザードマンを血だまりの上に沈めた。部屋の中が途端に静かになる。
残るはただ愕然とした顔をしているリザードマン・ロードだけだ。
リザードマン・ロードは俺たちの戦いぶりに狼狽したのか、大きめの斧、ヘヴィ・アックスを振り回しながら俺に襲いかかってきた。
その猪突猛進とも言える攻撃の仕方を見て、俺はリザードマン・ロードも恐れるほどの敵ではないなと見抜いていた。
だが、リザードマン・ロードの繰り出すヘヴィ・アックスの一撃に込められた威力は折り紙付きなはずだ。
なので、最後まで気は抜けない。
俺はリザードマン・ロードの攻撃を慌てずにかわし、カウンターをするように剣を一閃させた。
すると、リザードマン・ロードが腕に付けていた鱗の盾が断ち割られる。
これで盾に助けられることはなくなったし、このまま行くと次に断ち割られるのはリザードマン・ロードの体になるだろうな。
そんな俺の心の声が届いたのか、リザードマン・ロードは役目を果たさなくなった盾を投げ捨てると、頭に血が上ったようにヘヴィ・アックスを振り下ろしてきた。
が、華麗なステップを刻む俺には掠りもしない。
リザードマン・ロードも腕力だけはあるので、ヘヴィ・アックスの一撃はかなり早い。だが、早ければ命中するというものでもない。
とにかく、少し前までは戦いに関しては素人だった俺でも言えることがある。それは、大切なのは相手の動きを良く観察し、その力量を見極めるということだ。
そうしなければ、一生かけてもヘヴィ・アックスの一撃は俺に当たらないだろう。
もっとも、その見極めが一朝一夕にできるものではないということは、半ば押しつけられるようにして力を与えられた俺も理解していた。
そろそろ反撃に移るべきだなと思った俺はみんなに目配せする。すると、みんなも迅速な動きでリザードマン・ロードを取り囲んだ。
それを見た、リザードマン・ロードは爬虫類のような眼球を左右に忙しなく動かす。今度は立場が逆になったな。
手下のリザードマンがいた時に戦いに参加していれば、もう少し戦況は違っていただろうに。高みの見物をしていたツケがこれだ。
そして、俺たちは一気に攻勢に打って出る。
まずはさやかの矢が間髪入れずに、リザードマン・ロードの両腕と片足に命中する。すると、たちまちリザードマン・ロードの動きが鈍った。
続けてレクスの小剣の切っ先がリザードマン・ロードの鎧の隙間を縫うようにして突き刺さる。
それは、さやかの放つ矢に勝るとも劣らない狙いの正確さだった。
奈々子の槍の穂先も金属でできている頑丈そうな鎧を貫いて、リザードマン・ロードの胸に刺し傷を負わせた。
これにはリザードマン・ロードも激痛に顔の表情を歪める。
たぶん、鎧はなかった方が身軽に動けて良かったのではないかと思う。ま、わざわざ敵に助言などしてやらないが。
そして、トドメとばかりに美咲の放ったファイアー・ボールがリザードマン・ロードを火だるまにする。
だが、さすがリザードマン・ロードと言うだけあって、纏わり付く炎は強引に体を動かすことで消して見せた。
それから、リザードマン・ロードはヘヴィ・アックスを大きな動作で振り上げて、再び俺に襲いかかる。
迸るような殺気が押し寄せてきた。
俺は自らの神経を研ぎ澄ますと、大きなダメージを与えられる部分を狙うように剣を一閃させた。
その一撃はリザードマン・ロードの鎧を火花を散らせながら切り裂き、内臓のある横腹に裂傷を付ける。
鎧のおかげで、俺の剛風を纏った斬撃を受けても、何とか体を断ち割られずに済んだか。だが、二度目はないぞ。
一方、相当なダメージを受けたはずのリザードマン・ロードは、それでも怯むことなく猛然とヘヴィ・アックスを振り下ろしてきた。
たいした闘魂と言える。
それに対し、俺はその最後の足掻きとでも言うべき、攻撃を待ち受ける。
そして、リザードマン・ロードと交錯するように動いた俺は、一点の迷いもない太刀筋で、リザードマン・ロードの首を切断する。
その瞬間、刃の煌めきは残映となって消えた。
それから、頭部のなくなったリザードマン・ロードの体は後ろへとドサッと倒れて大の字になる。
床に転がった頭部の瞳は自分が死んだことに対する驚きに彩られていた。
完全に勝負あったな。
「これで終わりか」
俺はピクリともしなくなったリザードマン・ロードの屍を見ながら言った。
「そのようだね。やっぱり、リザードマンなんて何匹、出て来ても僕たちの敵じゃないよ」
レクスは喜色を浮かべた顔で、小剣を鞘に収める。
とはいえ、十匹以上のモンスターに囲まれるのは心臓に悪いものがあった。
もし、敵がリザードマンよりも、もっと強いモンスターだったら、数に押されて負けていたかもしれない。
まあ、自分の力を思う存分、発揮して、あれだけの数を誇るリザードマンたちを圧倒できたことは今後の自信に繋がるはずだ。
この戦いで得たものは思いの外、大きい。
「そうよ。でも、アタシの弓の援護があったから、楽に勝てたってことは忘れないでよね」
さやかは死んでいるリザードマンの頭を踏みつける。こら、死体に鞭を打つようなことは止めろよ。
「だけど、リザードマンにクロスボウを使われた時は俺も冷やっとしたぞ。モンスターにも知能があって、ちゃんと複雑な武器も扱えることは覚えておかないと」
俺はモンスターに知能があるなら、話し合うことはできないのかなと考える。
「うん。もしかしたら、魔法を使えるモンスターなんかも出てくるかもしれないし、気を緩めないようにしなきゃ」
美咲のような魔法を使うモンスターが現れたら厄介だな。
「とにかく、ここにある武器や防具は持てるだけ持って行くわよ。全部、売ればけっこうなお金になりそうだし」
奈々子は血が滴り落ちている槍を振って、勝利に浮かれている俺たちに檄を飛ばした。
その瞬間、ポケットのスマフォが計ったようなタイミングで振動する。メールの差出人はデモットだった。
『たいした戦いぶりだった、諸君。この調子で、迷宮の探索を進めていくが良い。だが、焦りは禁物だぞ(笑)』
デモットは俺たちの戦いぶりを見ていたというのか。
だが、ここには俺たちと床に這い蹲っているリザードマンしかいない。ひょっとして、デモットは千里眼でも持っているのだろうか。
俺は薄気味悪いものを感じつつ、スマフォの画面を見ながら立ち尽くす。まあ、デモットのことは幾ら考えても答えは出そうにないし、さっさと町に戻ろう。
無事、町へと戻ってきた俺たちは、その足で冒険者の館に行った。
そこでリザードマン・ロードを倒したことを報告する。すると、受付の女性は調査隊の確認が終わりしだい報酬を支払うと言った。
俺たちはすぐに報酬が貰えなかったことにがっかりすると、町の店屋で武器や防具などを売った。
が、思ったよりも安く買い叩かれて、全部で七万二千シュケムにしかならなかった。これには武器や防具を苦労して運んだ俺も落胆してしまう。
その後、俺たちはお腹が減ったので、町で食事をすることにする。
それを受け、俺は料理を食べていってくださいと言ってくれたエルシアのことを思い出した。
エルシアの宿屋なら、気兼ねなく食事ができるかもしれない。そのことをみんなに告げると、なら、すぐにでも赤貝亭に行こうと言う話になった。
俺たちは猥雑とした雰囲気を漂わせる歓楽街の通路を歩いて行く。
肌を露わにした女性たちが呼び込みをしているのを見た美咲やさやかは不快そうな顔をしたし。
それから、人外の連中が屯しているスラム街のような通路を歩いて行くと、みんな怖そうな顔をした。
そして、明るい光が漏れている赤貝亭に辿り着くと俺たちは中に入る。
「いらっしゃいませ」
そう言って、俺たちを出迎えたのはエプロン姿のエルシアだった。
彼女の健康的な笑顔を見て、自分の知っている女の子の中ではエルシアが一番、可愛いと俺は思ってしまった。
「前に言った通り、料理を食べさせて貰いに来たよ。ちゃんとお金は払うから、何か作ってくれないかな」
俺は口に合う料理だと良いなと思う。この町でどんな味の料理が主に食べられているのかはまだ知らないからな。
ただ、ナッツはエルシアの料理は旨いと太鼓判を押していたし、期待はしたい。
「分かりました。腕によりをかけて、ご馳走を用意します」
エルシアは意気込むように言った。
「いや、そんなに張り切らなくても良いって」
俺は何だか悪いなと思った。突然、こんな大人数で押しかけられるなんてエルシアも思ってなかっただろうし。
「そうはいきません。こんな場所にある宿ですし、普通の人間のお客さんは久しぶりなんです。ですから、思う存分、お持て成しをさせてください」
そう言って、エルシアは目を輝かせる。その言葉には、俺も心が暖かくなった。
「そっか。なら、期待しているよ」
俺がそう言うと、エルシアは「みんなさんは食堂の席に着いて待っていてください」と言ってカウンター席の奥に行ってしまった。
もしかして、この宿屋はエルシアが一人で切り盛りしているのか?
宿の外には人外のモンスターにしか見えないような奴らもいるし、危ないんじゃじゃないのか?
それから、俺たちはそれほど広くない食堂のテーブルに着いた。
「お前ら、血の臭いがするな。もしかして、迷宮に潜ってモンスターを殺してきたのか?」
食堂のテーブルにはドラゴンのナッツがいた。
ナッツはテーブルの上に山ほど置かれた肉や豆をムシャムシャと食べていた。食欲が旺盛な奴だ。
「ああ。リザードマン・ロードを退治してきたよ」
俺は自慢する風でもなく言った。
「そりゃ凄いな。あのリザードマン・ロードは相当、手強い相手だっただろ?この町の冒険者たちも奴には手を焼かされていたし」
なら、この町の人の役に立てたということか。まあ、誰も感謝なんてしてくれないだろうけど、悪い気分じゃないな。
「いや、あのリザードマン・ロードはたいしたことなかったよ。まあ、四人も仲間がいたおかげだけど」
とはいえ、一対一で戦ったとしても、勝てない相手ではなかった。
「そうか。それでもそう言い切れるとはたいしたもんだ。お前らは久しぶりに良い目をした冒険者たちだし、おいらも応援したくなるな」
そう言ってくれると、俺も負けられないなという気持ちになる。
「そうか」
ナッツの言葉には勇気づけられるものを感じた。
「ま、お前たちなら第一界層のボス、ダークドラゴンも倒せるかもしれないし、せいぜい頑張れよ」
そう言って、ナッツはたくさんの豆を口の中に放り込むと、にんまりと笑った。
その後、俺たちはエルシアが運んできた美味しそうな料理を食べる。実際に味も良くて、戦いで疲れた体に活力が戻るのを感じた。
そして、エルシアは良かったら二階にある部屋に泊まっていってくださいと言った。
俺は学園に戻るのも面倒くさいし、そうしようかなと思った。だが、女子たちは渋い顔で反対する。
いかがわしい店が軒を連ねる通路の奥にある上、モンスターのような奴らも彷徨いている場所の宿には安心して泊まれないと言うのだ。
それにお金も無駄に使いたくないと言ったので、結局、俺たちはエルシアの作ってくれた料理を食べ終えると、仕方なく学園へと戻ることにした。
迷宮から学園へと戻って来ると、俺たちは夜の部室でくつろぐ。
部室では美咲とさやかがお茶を飲みながら話をしていた。
レクスはネットサーフィンをしているし、奈々子はいつものようにスマフォを弄っている。
俺はテレビを付けっぱなしにしながら、文庫本を読んでいた。それから、昨日と同じ時間になると消灯する。
俺は隣の寝袋で寝ているレクスに何とはなしに話しかける。
「こんな調子で、夏休みが始まる前に学園から出られるようになると思うか?」
俺はどこか縋るように尋ねた。少しでも不安を取り除きたくて。
「それは僕たちの頑張り次第だろうね。ま、今は自分の力を信じて積極的に迷宮に挑戦するしかないよ」
レクスは当たり障りのない言葉を返してくる。
ただ、レクスの物事に対する姿勢は悪くない。モンスターと戦う時も、少しも恐れを見せなかったし、肝は据わっているようだ。
「そうだよな。でも、もし、一生、学園から出られなくなったらどうなるんだろう?」
そんなことにならったら、想像も付かない生活が待っている気がする。
「少なくとも、いつまでも学園にはいられるわけじゃないから、地下街で暮らすことになるんじゃないかな?」
地下街には学園に通じている入り口とは別の入り口が存在していた。そこからは地上の町へと行けるらしい。
が、何となく予想はしていたんだけど、俺たちはその入り口を通り抜けることはできなかった。
学園の外に出られないのと同じように。
一体、地上の町はどんな風になってるんだろうな。
地下街の人に聞いた話だと、普通に剣と魔法の世界の国であるサンクリウム王国の王都があるようなのだ。
が、そんなものが校舎の地下に存在できるわけがない。
もしかしたら、迷宮は校舎の地下ではなく、どこか異次元にあるのかもしれないな。
いずれにせよ、華やかで活気、溢れるサンクリウム王国の王都をこの目で見られないのは残念だ。
特に宮殿なんかが現実に再現されていたら、さぞかし、豪華絢爛なものになっていただろうに。
このまま迷宮を攻略していけば、地上にも出られるようになるというイベントは用意されていないものか。
もし、用意されていたら、俺ももっと頑張れるのに。
「そうか」
あの町で暮らすという発想はなかった。
「まあ、そうなると本当の意味で冒険者になるしかなくなるね。でも、住めば都って言う言葉もあるし、あの町で暮らすのも悪くないかも」
「俺は勘弁して欲しいけどな。迷宮の仕事で食っていかなければならなくなることを考えると何だか、ぞっとするし」
危険と隣り合わせの毎日が続くことにもなる。
「でも、会社でサラリーマンをやるよりはマシでしょ?」
「かもしれないが、レクスは金持ちなんだろ?サラリーマンじゃなくても、苦労して働くなんて嫌なんじゃないのか?」
レオンハルト家はドイツでは名門の貴族だったと、伸吾から教えて貰った。ただ、レクスの父親は事業をやっているので、その都合でレクスも日本にいるのだそうだ。
それと、これはあくまで噂だが、レクスは女だと言う者もいるらしい。
レオンハルト家の家督を継げるのは男だけなので、レクスは敢えて女であることを隠していると言うのだ。
かなり無理がある話だ。
まあ、レクスは本当に綺麗な顔をしているし、そんな噂が立つのも分かる気がするな。
「そうでもないよ。自分の人生は自分の力で切り開きたいという思いはあるから。だから、僕の父さんだって家の家督を継がずに、日本で事業をやってるわけだし」
だとすると、レクスに家督を継ぐ権利はあるのだろうか。
「その心根は立派だな」
嫌味ではない。レクスは斎禅会長とは別のタイプの大物かもしれないな。
「ありがと」
レクスは小気味よい声で言った。
「二人とも、あんまり先のことは考えない方が良いわよ。心に焦りが出ると戦いでは命取りになりかねないし」
そう言い聞かせてきたのはベッドの一段目にいる奈々子だ。迷宮の探索では常に平常心が求められるのは分かっているが。
「そうだよ。今は何とかなると思わなきゃ。アタシは早くパパやママに会いたいし、何年もこんな生活をするつもりはないから」
さやかは強い口調で言った。俺は親に会えなくても平気だな。ただ、親の方は寂しがってるかもしれない。
「私も。ホームシックってわけじゃないけど、やっぱり家には帰りたいよ。って、そんな弱音を吐いたら駄目だよね」
そう弱さを見せるように言ったのは美咲だ。こういうところはやはり女の子だな。
「そうだな。ったく、せめて俺たちがどういう理由で選ばれたのか分かれば、迷宮を制覇しなくてもこの状況を打開できるかもしれないのに」
俺は何の手がかりも掴めないことにもどかしくなりながら、そう言った。
エピソードⅢに続く。




