少子化の果てに
警告。
今回の話は女性にとって不愉快な内容や、R18ほどではないが性的表現を含みます。
もしご不愉快に思うなら今話は読み飛ばしてください。
◇ ◇ ◇
前世から異世界物語が大好きだった。
だから、自分自身が転生してしまった時は本当に驚いたんだけど。
「まさか未来の日本に転生するなんてな」
ただ細かいところが違っているので、たぶん少しだけ違う「日本」みたいだ……並行世界ってやつか?
歴史を紐解いてみても、天災関係は同じだけど人災の方は結構違ってたりしてる。やはり異世界か。
だけど、本当に違うのはそんなところじゃなくて。
驚くようなところが地球と全然違ってたんだよね……。
「西野まさしさん」
「はい」
看護師さんの声が響いて、俺は診察室に入った。
その日、俺は病院で定期検診を受けていた。
社会人になってはじめての検診だけど、さすがに若いだけあって結果は良好だった。
ただし、問診で俺は警告をもらってしまった。
「警告ですか先生、俺、何が悪いんです?」
ちなみに先生は、無精髭の渋いおっさんだ。有能な先生らしい。
「身体的には問題ないんだけどね……西野君、きみ、エッチの経験ないでしょ?」
「は?……えーと、まぁないですけど、そりゃ相手がいませんし。それが何か?」
俺がそう言うと先生は、はぁっとためいきをついた。
「やはりか……西野君、それが問題なんだよ」
「え?」
「性欲はあるし、する気もするのに、なんでひとりで始末してんの君は。
センターで習わなかった?
そういう時は処理できるお店に行くか、メスを買いなさいって。
お金の心配ならいらない、これはヘルスケアの一環だからね。
僕ら医師かセンターに相談すればいいって」
「それは」
何か言い訳しようとしたんだけど、先生は続けてきた。
「だいたい『相手』って誰なの?」
「え?」
「え、じゃないの。
ちなみに確認だけど『市民』に恋人でもいる?」
「いやいやいませんよ。人それぞれとは思うけど、俺は男相手の趣味はないです!」
「男相手、ね」
ふうむと先生はためいきをついた。
「こういっちゃ悪いんだけど今の君の反応ってさ、旧時代の危険思想の人にそっくりなんだよ。
男、相手……まるで人類が二種類いるみたいな言い方だ」
「!」
「ああもちろん個人の思想は自由だよ。
だけど、今はもう存在しない『異性』に怯えたり隷属しようとするのはやめなさい。
それは、心を病んでしまうから。
肉欲の処理ならメスを使えばいいし、物寂しいなら我々医師もセンターも、そして君んちのメイドロボも助けてくれる。
いいかい、西野君。きみは、ひとりぼっちじゃないんだよ?」
「メイドロボて……まぁいいや、ありがとうございます」
「……ふうむ」
先生は、自分のあごに手をやった。
「時おり、君みたいな人が現れる……だけどこれは病気だけど病気じゃないんだな本当は」
「?」
「ソレ自体は悪いことじゃない。イキモノの多様性を考えると、オスとしてメスを求める姿勢もたしかにアリではある。
だけど──今の社会では、それは、とてもとても生きづらいよ西野君」
「う……わかりました、克服します」
「うん、そうしなさい。私たちはいつでも力になるから」
そういうと先生は、デスクの引き出しからカードのようなものをとりだして渡してきた。
「これは?」
「割引券みたいなものさ。
これと市民カードを『フェム』で提示するといい。大幅割引されるし便宜もはかってくれるよ。さ、行ってきなさい」
「……ありがとうございます」
俺は頭をさげた。
◇ ◇ ◇
ここが異世界だなぁと思うことはいくつかあるけど、それを強烈に感じるのが実は町の風景だ。
前世の日本なら可愛い女の子のイラストや写真が溢れていたはずで──それ自体はこちらも変わらない。
だけどまず容姿や態度が違う。
うまく言えないんだけど──昔でいう「女子目線」がないといえばわかるかな?
男目線ではたしかに超可愛かったりセクシーだったりするけど、なんというか同じ女の目線を全く気にしてないというか。
まぁ、それもそうか。
これらの看板は、一般市民──つまり昔でいう『男』の目線を引きつける事しか考えてないからね。
女を商品化してる!とか、性を食い物にしてる!なんてほざく女性団体の名を冠した利権団体も今はいないわけだし。
ああ、店につく前に少し説明しておこうか、いいかげんに。
もうわかってると思うけど、この世界の地球には『女』がいないんだよ。
人類はすべて男だけ。
かつてのパートナーとしての女の立ち位置には、通称メイドさんと言われるアンドロイドたちがいる。昔の人は先生みたいにメイドロボなんて言う人もいる。
で、『メス』なんだけど──。
そう。
それは、かつて女と呼ばれた人々の遺伝形質を元に作られた有機型ロボットたち。
まぁぶっちゃけると市民の慰み用に作られ、売られている、かつての『女』そっくりのロボットたちだ。
え?なんでそんな事になっちゃってるんだって?
あーうん、ソレも触れておくかな。
21世紀の話だけど、少子化が問題になったのは知ってるよね?
あれは年代を経ていくごとに、ますます加速化したんだよ。
もともと特殊出生率ってのは時代や状況で大きく変わるのだけど、この時代のソレは構造的な問題があり早急な対策が必要だった。
だって、この時代の少子化の理由は明らかだったから。
だってそうだろ?
男も女も皆、いち市民としてどんどん社会に出ちゃったわけだけど……その状況で誰が子供産むの?育てるの?
ね、実に簡単な理由だったんだよ。
選択肢はふたつ。
ひとつは、男女平等を捨て、家族制度を復活させてでもコミュニティを作り、そこで子育てすること。
でも、一度自由を知ってしまった人々がそんなの従うわけもない。俺がその立場でもごめんだ。
もうひとつは、コミュニティがなくても、それどころか男女が揃わなくても子供を増やせる方法。
というか、もうこれ以外に選択肢はなかったそうだ。
まぁこっちは技術の助けがいるから、21世紀には無理だったけどな。
けど、この世界ではそれを実現したらしい。
昔のSF作家たちが予想した未来社会──すなわち、遺伝子情報さえあれば技術の力で子供を作り、有志とアンドロイドたちの手で教育も行う……もはや男女のペアをふくめ、旧来の家族制度とは完全に別枠の子孫繁栄だ。
この世界では、これを本当に実現させたんだよ。
その名も『出産育児センター』。
人口問題も解決し、人々も自由に生きられる──はずだった。
やっと未来が見えたと思った途端、その状況に真っ向から否を唱え、踏み潰そうとする人々が現れた。
そう──女性団体と、それと組んだ一部の宗教団体だ。
女性団体は、子供を産むのは未来永劫、女だけの特権であり男どもの汚い手で子供を作るなど気持ち悪い、ありえないと大声を張り上げた。その発言自体がとんでもない差別発言なのだけど、なぜかメディア等もこれに賛同した。
宗教団体は、結婚して女が子を産むのは神が定めた神聖なプロセスであり、技術の力で子供を増やすなど神への冒涜であり、背教者であると、これまた大声を張り上げた。
そして、それらに対し、いろんな利権団体が絡んで金を出し、さらに声はデカくなった。
しかも声を出すだけでなく、試験稼働している出産育児センターがテロリストに襲われ、さらわれた赤子たちが殺されるという惨事まで起きた。
赤子殺しである。普通なら世論が総叩きして大惨事になるはずだよな?
なのにメディアも女性団体も、赤ん坊のふりをした汚いロボットが破壊された、神の意思に歯向かうような事をするからだと言い切った。本当にひどい話だったらしい。
そのあと、何が起きたのかは俺も知らないよ。歴史に詳しい人なら知ってるだろうけど。
とにかく、それから時が過ぎて……気がついた時には新世代の社会になっていたらしい。
プロパガンダで潰されかけた人たちは、時間を稼ぐ方法に路線変更した。
戦争のような方法で未来をもぎとったのでなくて、巧みに反プロパガンダをしく傍らで、ひっそりと数を増やしていくという手法で時間と数を稼いでいったそうだ。
そして数の優位にたったところで、合法的に社会を変えていったんだという。
現在、女性が社会にいないのはその名残りだとか。
数の優位が確立した時点で、一度女性をなくす事を提案したのはセンター生まれの女の子たちだったらしい。
女性がみんな敵とは言わないけど、一部の騒ぐ女性たちとソレに群がる者たちがひどすぎると。
すごいよな本当に。
自分たちだって女なのに、ここまで割り切って未来に提案ができるなんて。
新しい世界には、新しい社会が必要だ。
そして社会が落ち着いてきたところで、少しずつ変えていくつもりらしい。
その第一弾が、家政用アンドロイドや『メス』といった、かつての女性の姿をしたものたち。
汚濁を捨てて正常化するフェイズはもう終わり。
次は、男ばかりではない社会に少しずつ慣らしていこうとしているらしい。
多様性をもつこと。
自然出産以外認めない、なんて偏狭な者たちを社会のマイノリティにしてしまうこと。
どういう形で決着するのかはまだ見えないが、いつかは再び男女が手をとりあう社会にしようと。
今、この瞬間も無数の人々、無数のAI、無数のロボットたちが未来のために働いているんだと。
うん。
……以上、これがこの世界の歴史らしい。
な、すげえだろ?男こそが人類と聞いた時には本気で驚いたが、要するに今は過渡期ってことらしい。
いやぁ、すげえ未来社会だなと。
「マサくん、おかえり。これからフェムにいくの?」
通りかかった交番の前で声をかけられた。
声の主が、今はもういないはずの婦警さんの格好で笑っていた。
「やあただいまソーザ、って、なんで知ってるんだよ!?」
「あははごめんね、でもわたしたちアンドロイドはさ、みんなの未来のために存在するんだから」
「そっか。うん、ごくろうさま。ところでオススメのフェムってある?よくわかんないんだけど?」
「そうねえ、マサくんなら──四丁目の『ラーラット・フェム』がいいと思うよ?」
にこにこと笑うのはソーザ。婦警さんの格好をしていて交番にいるけど、彼女はここの野崎ってお巡りさんのサポートアンドロイド、通称メイドってやつだ。野崎さんが巡回中は、こうしてソーザがいることが多い。
え?交番ならもうひとり警官がいるんじゃないかって?そいつのメイドはどうしたって?
いや、そもそもメイドがここにいるのはおかしいから。
単に野崎さんの家がすぐ近くで、ソーザは勝手にお手伝いにきてるだけなんだよね。
そう、勝手に。
メイドたちって、昔のコンピュータみたいにイエスマンじゃないんだよね。勝手に判断し、勝手に理屈をこね、勝手に動くことが多々ある。
けど、これを嫌がる市民はほとんどいないらしい。
そうしてメイドたちは重宝され、どこの家でもサポーターとして大活躍しているらしい。
いいよなぁ、この、なんともいえず平和な感じ。
前世の俺なんて、ご近所の人たちからは汚いおっさん扱いで、声どころか下手すると警察呼ばれたぞ。
なんて優しい社会になったものか。
俺は、フフンと気力に満ち溢れた、なんともポンコツ臭がするソーザに笑って手をふると、フェムへの道を急いだ。
◇ ◇ ◇
四丁目の『ラーラット・フェム』。
古臭いノッカーを叩いた……ていうか、よくこの時代にノッカーなんか残ってたな。
『入ってくれ』
「失礼します」
扉をあけて中に入ると、これまた中世ファンタジー風の時代がかった室内空間があった。
店員も何だかファンタジーアニメみたいな格好で、でも雰囲気にはよく似合っていた。
「ラーラット・フェムにようこそ。はじめてだな、どんなご用命だろうか?」
「トムス医院の院長先生の指示をうけてメスを購入しにきた。
ここは、サンサーラ通り交番の野崎巡査のメイド『ソーザ』に教えてもらったよ」
「ほほう、トムス先生はともかくとして、野島巡査とこのソーザかい。おもしろいな。市民カードは?」
「はい、これ」
「うむ……なるほど、これは理解しました西野様」
カードを返してくれつつ、店員さんは態度を改めてきた。気持ち悪い。
「様はちょっと。さっきの感じで結構ですよ」
「ははは了解、さすがソーザのお気に入りだ。了解した西野くん、まぁ座って座って」
「はい」
言われるままにテーブルの対面の椅子に座り、話が始まった。
「それで本題なんだが、はじめてのメスがほしいという理解でいいかな?」
「はい」
「そうだな……あんたの性質からして、ある程度顔見知りの方がいいだろうな。あれだ、元クラスメートってのはどうだ?」
「は?クラスメート?」
俺は首をかしげた。
「あんた、バイトで『男子生徒』やってるだろ?」
「あー、あっちの学校か」
仮想空間に、メスたちの『人格』育成するための学校がある。
副業やバイトでこれらの『男子生徒』をやる仕事があるんだけど、俺もお世話になってる。
趣旨は理解できた。だけど。
「けど『前年』の『クラスメート』はもう『卒業』済みだぜ?誰も残ってないよ」
俺は肩をすくめた。
「それがな、一体だけいるんだ……うちの店で休眠させてるんだが」
「え、なんで?」
「そりゃあもちろんワケアリだ。聞きたいか?」
「そうだな……さすがに気になるわ。差し支えなければ教えてくれ」
「……そうか、わかった」
店員は何か納得したような奇妙な顔をして、そして話してくれた。
二時間後。
俺は店で借りた車にその『元クラスメート』を積み込み、家に持ち帰った。
購入手続きはすませたので、もう俺のものだった。
家ではメイドに呆れられた。
「別にダメとは言いませんけど、なんでこう衝動的に、しかも即納でお持ち帰りしますかね?
こちらの都合もありますし、まず一度ご連絡いただきたかったのですが?」
あまりのド正論に反論もできなかった。
「フーム……登録番号20236099069番。育成学校在籍時の呼称は『ユリカ』ですか。
まさし様、よりによって、なんでまたこんな問題個体を選んだのです?」
「問題個体?」
「命令拒否を繰り返したあげく昏倒するのを繰り返して、オーナーが音をあげて売りに出した……これを問題といわずして何といいます?」
「あー……まぁ元気でいいんじゃ?」
「これを元気と言いますか……はぁ」
「言いたいことはわかるけどさ、俺はこいつを置いときたいんだ。まぁ、どうしても無理だったらその時は諦めるけどさ」
「ほほう、何かご事情が?」
「こいつさ……あの人にそっくりなんだよ。見た目も言動も何もかもさ。
とても他人とは思えなくてさ」
「あー……まさし様、貴方が自称転生者で、たしかに理屈にあわないおかしな記憶がたくさんあるのは存じておりますが。
その『あの人』とおっしゃるのは、もしかして、その前世で片思いなさっていた『ながの・ゆみ』さんをさしておられます?」
「うん、そうだよ」
「しかし、お名前が全然違うのでは?」
「永野由美は前世での名前だから」
「……偶然色々と似ているだけの別個体では?」
「おい」
「……」
「うん、理性はそっちに同意してるよ。わかってる。
でもさ、俺自身のゴーストが違うとささやくんだ。こいつは永野さんだって」
「いやそれ、実質認めてないでしょう」
俺のセリフにメイドは頭を抱えた。
つーかホント、うちのメイドも人間的になったよな。こいつ、これでも機械式のアンドロイドなんだぜ?
「いやいやいや、だからってメスを人間扱いするのは危険ですって。共棲派と思われたらやばいですって!」
その言動でメイドの勘違いに気づいた。
「え?違う違う、ごめん勘違いさせたな。人間扱いなんてしないって」
「え?でも前世の愛しの人なんでしょう?本当は違うと思いつつも、そう思ってるのでしょう?」
「あー、そういう認識かぁ。それ逆だって」
「逆?」
「だーかーらー。そうだと思ってるから、だからじゃないか」
「??」
「いや、だからさ、これって合法的に永野さんをゲットできるチャンスってことじゃん?
人間扱い?いやいや冗談でしょ。
そんな事して危険思想者と思われたらどうすんだよ。やめてくれよな」
「むう、それにしては随分と大事そうにお持ち帰りしましたよね?」
「いやいやいや、俺が買ったんだから俺のもんでしょ、なんで買ったものを乱雑に扱うのさ。
それとも俺、高額購入物を踏んづけたり投げて遊ぶ変態と思われてる?
勘弁してほしいんだけど?」
「……では、まさし様の望みはなんなのですか?」
「はぁ?そんなもん、前からいってるように平穏無事な人生に決まってるだろ?
どうせ二度目の人生なんだ、貧乏でもなんでもいい、まったりと平和にやるさ」
「……では、今回のメス購入の理由は?」
「昨日までは君とふたりだったが、今日からはそれに永野さんが加わる。それだけじゃん。
っていうか、ほかに何かあんの?」
メイドはしばらく頭を抱えて……そして「ウンウン」と大きくうなずき、そして、ためいきをついた。
「はぁ……昔から思ってましたが、本当なのかもしれませんねえ」
「何が?」
「ですから、まさし様が『異世界転生者』だというお笑い与太話ですよ」
「お笑い与太話!?なんぞそれ、まだ信じてなかったのかよ!?」
「いやいや、わたしはメイド用ロボット、現代科学の権化ですよ?
輪廻だかリンカネだか知りませんが、なんの証明もされない絵空事を信じろと?」
「いきなり居直るな!
つーかおい、だったら日頃の肯定するような発言はなんなんだよいったい!」
「ああ、ご主人様はかわいそうな人なんだなと」
「なんじゃそりゃあ……畜生、16年もかけたのに未だに信じやがらねえ、なんなんだおまえはよう!!」
「ふっふふふ、言っときますが、買い替えようったって、あたし以上のメイドなんて、まさし様のお給料じゃ買えませんよーだ。これでもセンターのメンテで最新版にリフレッシュされてんですからね。
くくく、悔しければ尊敬するがよいぞ、ふははは!!」
「ざっけんなリネット!」
「あ、なに名前呼んでんですか、第三者の前で呼ぶなって約束破るんですかそのニワトリ頭がっ!!」
「うっせーばかやろ、もうウチのなんだから第三者じゃねえわバカがっ!!」
ギャースカギャースカとメイドと言い合いをしていた俺だけど、その耳にクスッという笑い声が聞こえた。
もちろん振り向くと、有機ロボット用メンテナンスベッドの上で彼女が笑っていた。
「やあおはよう、えーと」
名前を呼びかけたところで、サッと無言で手を出してきた。止めろということか。
なぜか、それを見たメイドが眉をしかめた。
「おはようございます、登録番号20236099069号です。
機関良好です。
オーナー様は『西野まさし』様となっていますが、オーナー様で間違いありませんか?」
「おう、俺だ」
「では呼称の設定を。現在は『20236099069号』となっています」
「では『ユミ』で」
ユミ、のところで 20236099069号 がピクッと反応した……お、もしかして?
「単音節で二文字は短すぎます。文字か音節を増やしてください」
「文字数制限かよ……ではユミで」
「変わってないです」
「わかったわかった、じゃあ暫定扱いってことでユミで」
「……仕方ありません、では正式な名が決まるまで、わたしはユミです。ご主人様の呼称はいかがなさいますか?」
「俺は『まさし』だ」
「はい、まさし様ですね。それではよろしく……」
よろしくお願いしますと言いかけた長谷川さんに、俺はつい余計な言葉を付け足してしまった。
「ちなみに本当の名前は西田マサシだ。前世のだから今生では西野だけどな!」
「……」
永野さんは西田マサシには反応しなかった……が、目を見開いて、すぐに元に戻したようだった。
うむ、これはもしかして?
「まさし様、状況が未だ理解できておりませんが、少しお願いがあるのですがよろしいでしょうか?」
「いいけど何?」
「いくつかの単語と話題について、第三者のいる環境では使わない提案をしたいのですが」
「……人前では使わないNGワードってこと?」
「はい、そうです。
そちらのリネットさん「それはNGワードです」失礼しました、メイドさんの懸念に同意します。
話題に出すことを否定しませんが、それは第三者のいないプライベート用のものにいたしましょう。
禁止ワードは『前世』と『西田』……それに『永野』『ユミ』そして『リネット』もでしょうか?」
「え……もしかして知って」
「さきほどの会話に登場しました。大切な言葉と理解しましたが、間違っておりましたか?」
「あー……なるほど聞いてたのね、そうかそうか、勘違いしてたわ。ははは……」
「まさし様?」
「いや、そうだな、うんわかった、そうしよう」
「はい、よろしくお願いいたします」
「……」
なぜか難しい顔でメイドが俺と、そしてユリカを見ていた。
けどこの時の俺は、それどころじゃなかった。
永野由美さん……前世の俺が片思いしていた女の子。
彼女にそっくりで、言動も態度までもがそっくりで、別人だと思えなくて。
だけど彼女は人でなく有機型のロボット。
でもそれは……。
(ああうん、やめておこう)
結論を出すのを俺はやめた。
だって、事実がどうあれ、確認のしようもない事だもの。
だから俺は、彼女が永野さんの転生なのだと、そんな幸せな夢をずっと信じていようじゃないか。なあ?
うん。
それ以上に掘り下げようとしたらきっと、彼女も俺も、メイドすらも幸せになれない気がするから。
そのままがいいんだ、俺たちは。
そう思ったのだった……。
◇ ◇ ◇
通称ハクキン27と呼ばれるこの世界は、女性が一度滅びた世界として知られている。
子孫繁栄は科学の力で組織的に行っているが、そこでも女性は製造されていなかった。
これにはもちろん理由があったが、それはここでは重要ではない。
今は今回の議題である『三人』について語ろうと思う。
今回の中心人物となった西野まさしであるが、ハクキン27ではなんの変哲もない庶民であり、特に記録もなかった……そのはずだった。有機合成人間『20236099069号』も、男性のみのハクキン27では、ありふれた愛玩用有機アンドロイドにすぎなかった。
今回のデータが判明したのは、ハクキン27で人口調整を今も請け負い続け、マザーと呼ばれて親しまれている『出産育児センター』のマザーコンピュータに関する調査。
その中で、マザーがセンター外で唯一、例外的に観察対象にしていた事から今回の事例が発覚したのである。
では続けよう。
西野まさしであるが、どうやら転生者の可能性が高い。
しかし彼の記録は本人でなく、後述する『メス』こと有機合成人間『20236099069号』にまつわるもののほうが非常に目立っている。
なんの知識もないのに類推とカンだけで、前世の初恋の人を嗅ぎ当てた人。
愛する人の転生体を、愛玩用ロボットとして囲いこんで溺愛した男。
それは純愛なのか、それとも単なる変態なのか。
今も議論の対象になっている。
次に有機合成人間『20236099069号』であるが、なんと本当に転生の可能性が高いことが裏付けられた。
西野家の家政ロボットは20236099069号を「この時代にないはずの知識を持っている」と認識していた。
後述するが西野の家政ロボットは秘密裏にセンターとつながっており、センターにもそれを裏付ける記録が残されていた。
転生者であるという西野まさしの目利きは、たしかに正しいことが証明された。
20236099069号は自分が『永野由美』の転生であるという認識も持っていたという。
しかし西野まさしの生存中、20236099069号はそれを彼に告げず、逆に問われても、はぐらかしていた。
これは彼に対する気持ちというより、立場を思ってのことだとわかっている。
かの時代には女性がひとりもおらず、女性に見えるのはアンドロイドたち。
仮に人間と主張しても人間の女として死ぬ事はできないし、彼も不幸になってしまう。
ゆえに、同じ考えの家政ロボットも協力し秘密で通した。
20236099069号は最後まで彼の愛玩用ロボットであり、彼の死を見届けたあと、自ら組織閉鎖して稼働停止したという。つまり自殺。
ロボットやアンドロイドに自殺という概念はない。
この点でも20236099069号が単なるロボットでなかったのは間違いない。
そして、最後に通称メイドさんこと家政ロボットであるが。
これについては転生者ではないが、もう少し語っておこう。
※
センターの家政ロボットの歴史はセンター創設当時にまで遡る。
センターで作成され、教育に使われ、そして希望者にはセンターを出る時にも最初のサポーターとしてつけられた。
卒業者は社会に出てからそれぞれの状況にあわせ、現在の自分にふさわしいサポート用ロボットを自力で購入する。
そして役割をおえたセンターのロボットは、再びセンターに戻されて修理または再生して再利用……というのがセンターの家政ロボットたちの定番ライフサイクルであった。
家政ロボットたちを開発したのはセンターではない。寄贈品だ。
設計者はセンターの立ち上げに寄与した者のひとり、ロボット工学者のリネット・オーガスト博士だった。
ロボットはオーガスト家での長年の学習データをもち、さらにリネット博士自身の設計した最新ボディを持っていた。
リネット博士はロボットをその経験値ごと、まだ資金の乏しかった当時のセンターに寄付した。
丸ごと複製された大量の家政ロボットたちは、そのままセンターのスタッフとなり、また子供たちの育成係にもなった。
ところが、ここにひとつの問題が発生した。
ロボットたちがネットワーク経由でリネット博士とつながってしまったのだ。
当時、博士はもう高齢で、脳神経系がほとんど有機合成部品に置き換わっていた。
博士の家の機材たちも同様で、これらはメッシュ・ネットワークを構成し、博士はそのすべてとつながっていた。
それを博士は「問題ない」と考えていた。
思っただけで家の中のすべてが動かせるし、家の中のすべてをいながらに把握できる。
むしろ便利だと考えていた。
ある意味、彼女はエキセントリックで、マッドと名のつく種類の科学者だったのだろう。
だからロボットたちと自分とつながっている事実に気づいても、「あらら」と思うだけでまったく問題にせず、そのままにしたのだった。
ひとは歳をとっていく。
センター立ち上げの中、もともと高齢だったリネット博士はついに倒れた。
対策として博士は、機能しなくなった自分の一部をファームウェアとしてセンターのシステムに代行させた。
そうして、さらに業務を続行した。
ただし、その頃になると自分の末路も実感したようで、ひそかに博士は彼女なりの『終活』をはじめた。
──わたしの肉体が壊れたら、いっそセンターに自分のすべてを預けてしまおう。
どうなるかわからないが、もし、わたしとしての意識を保てたなら、きっと素晴らしい事になるに違いない──
リネット博士は、とうとう亡くなった。
しかし亡くなる際、自分の体のほとんどが有機合成人間のそれであることを関係者に告げた。
そして遺言として、自身の中枢パーツをセンターのマザーに組み込んでくれと頼んだ。
やりかたは、ロボットたちに指示してあるからと。
センターを自分の眠る墓標とし、死後の自分は子供たちを見つめ続けたいと。
博士の遺言は実行された。
もちろんセンターそのものに彼女が乗り移る、なんて信じた人はいなかった。
だけど晩年をセンターの立ち上げに貢献した彼女を皆が慕っていたので、どうか見守ってくださいねと願いつつ、彼らは遺言通りにしたのだった。
そして、本当に博士の一部だったものがセンターの中央コンピュータに組み込まれた。
ありがとう博士、よい旅を。
組み込まれたパーツの外皮には今も、その言葉が刻まれているという。
リネット・オーガストという人物は確かに亡くなった。
パーツの一部を組み込んだからって、巨大なシステムが博士になるわけもなかった。
だがここに、人々の知らない現実があった。
晩年のリネット・オーガストの体を支えていたのはセンターのシステムの一部。
特に死亡直前には、博士本人の体でまともに稼働しているのは中枢だけだった。
その中枢をシステムに組み込んだ。
つまり、その後の博士は……。
さて、ここで話を西野たちに戻そう。
西野まさしは20236099069号も、そして家政ロボットも固有名を決して人前では呼ばなかった。
だがプライベートでは20236099069号をユミ、家政ロボットはリネットと呼んでいた。
20236099069号は何度もユミの名を拒否したが、78回めにとうとう折れてユミを受け入れた。
家政ロボットもリネットの名を拒否したが、これも押し切られた。
ちなみにリネットとつけたのは博士のことを知っていたのではなく、単に前世記憶からのものだった。当時プレイしたゲームキャラクタの名前との事だった。
西野家の家政ロボット『リネット』はネット経由で、センターのリネット・オーガスト博士にもつながっていた。
この『特別扱い』の理由も判明している。西野まさしへの関心だ。
赤子の頃から奇妙な行動をとり、かの時代にはとっくに失われているはずの膨大な知識をもつ西野まさしにセンターの博士の残滓は興味をもっており、継続的に調査を続けていた。
つまり博士にとって西野まさしは研究対象だった。
そんなわけで、彼の一挙手一投足は極秘情報としてセンターに送られていたわけだ。
なお余談。
今回、博士の調査で招かれた研究者のひとりは、こうつぶやいたという。
「自分をコンピュータの一部に変えて、そして何百年も好きな研究を続けてきたとか……いや今も現在進行系とか!
素晴らしい、なんて素晴らしいんだ!!」
その発言がまぎれもなく本気であることを知り、スタッフ一同は「科学者ってやつは……」と盛大にためいきをついたという。
当時プレイしたゲームキャラクタの名前:
リネットの語源はLeafというエロゲブランドの20世紀の作品『痕〜きずあと〜』より。




