ふるさとに返して
──おまえの使命は世界を救う事だ。
そんな『女神』とやらの身勝手な言葉と共に元の世界から引き離され、見知らぬ世界に放り込まれた。
すべて終われば帰れるなどと空々しいウソも──こっそり城の禁書庫を調べたら、これまて絵に描いたような完全無欠な嘘っぱちだった。
過去に送り込まれた異世界人は誰ひとりとして帰還していないどころか、良くて無理やり貴族と結婚させられ、ひどい場合は奴隷にされる、あるいは行方不明──おそらく消されたのだろう。
ふざけるなよ。
幸いにも女神は神のルールとやらで、世界に直接干渉ができないようだ。
──ならば。
さっさと自分のすべき事を決めた私は、そのために一生の時間を使う事にした……。
「はぁ、長かったなぁ」
あの日と同じ禁書庫に──ただし今は誰もいないそこで、わたしはのんびりと本を読んでいた。
そこには、あの日になかった新しい本が追加されていた。
「うわ、なにこれ──魔王の側近たる黒い悪魔って」
自分たちで召喚しておいて、なんてひどい言い草だよ!
ぼやいていたら、光が現れた。
あら、この光は女神?
あらら、直接出てこられるという事はもしかして──。
『おまえはなんてこと!なんてことを!』
「ん?何をお怒り?あんたの命令通りにしたでしょう?」
『何が命令通りよ!』
たしかに間違いなくあの女神だけど……その力と声は笑っちゃうほど弱々しい。
ああうん、そりゃそうよねえ。
こいつは神。
パワーの源であるこの世界の『ヒューマン族の女神信仰』が途絶えた。
だから、こいつも急速に弱体化しているわけだ。
この『信仰』を吸い上げるためには、その世界に直接干渉してはいけないらしい。
だからわたしに色々と縛りをつけ、命令に逆らえないようにされて送り込んだ。
だけど。
わたしは思惑通りに動かず、だけど干渉もできず。
だけど『信仰』がどんどん減っていって、もうどうしようもなくなってしまった時点で。
とうとう女神様自身が「もうダメだ」と見限って、ここに現れたわけだ。
『人間族を守り、世界を救えって命令したじゃない!
なんで人間を滅ぼしてんのよ!
だいいち、なんで命令に逆らうなんて事ができるのよ!』
今さらのように阿呆な事を言ってくる女神。
さて。
おバカな勘違いをそろそろ訂正してあげようか。
「聞き捨てならない事を言いますね。
わたし、あなたの命令に逆らう力なんてなかったし、逆らったことも一度もないけど?
ちゃんと世界を救ったでしょう。
それにもちろん、ただのひとりも人間なんて殺してませんが何か?」
『なんですって?
神をなんだと思ってるの!
2億もいた人間を皆殺しにしておいて、その血まみれの手で誰も殺してないですって?』
はぁ?
何いってんのこの駄女神?
「2億ってなんの話です?
もともとこの世界には人間なんて一人もいないじゃないですか。
頑張って自然界を浄化し、害獣の群れを無害化したんですよ?」
『──え?』
「あなたもこの世界を司る女神様ならば、褒めてくれても──」
『ちょっと待ちなさい、人間がいないとはどういうこと?』
ああ、ようやく自分の計算違いの可能性に気づいたらしい。
なんで女神様ともあろう者が、こんなわけのわからない勘違いしているかね。
「まさかと思いますけど。
もしかして女神サマ、あなたあの害獣を人間と認識していたんですか?
けど、今さらそんな事言われたって困りますね。
たしかに地球人によく似てますけど、似てるのは見た目だけじゃないですか」
『なんですって……』
「疑わしいところがあったので調べてみたんですよ、くわしく。
そしたら見た目がそっくりなだけの模造品で、しかもこの惑星で生まれた生物でもない。
さらに自然界に有害な外来種でした。
どうしようか思ったけど、あなたと連絡もつきませんしね」
『!?』
ちなみに連絡がつかなかったのはこの女神のせいである。
女神を怒らせると、わたしにかかった呪いがきつくなる。
けど呪いがきつくなると女神の干渉も届かなくなり、しかも呪いは自然減を待つしかない。
それに気づいたわたしは、一度激しく怒らせてみた。
ひどい体調不良に見舞われたけど、女神からのアクセスも全く届かなくなった。
おかげでやりやすかったのなんのって。
「まぁどのみち、この世界を救うには彼らを無力化する必要がありましたが。
文明を壊し数を減らし、各地にごく少数分散するくらいなら、世界へのインパクトも自然回復できるだけになりますからね。
えっと、それで何でしたっけ。
繰り返しますけど、この世界に人間はわたし以外誰もいません。
いもしない人間をどうやって殺すんですか?」
『……な、なにをいってるの?』
どうやらわたしが本気で言ってると気づいてくれたようだ。
そして状況が認められないようだ。
やれやれ、やっとですか。
「わたしは言われた通り、この世界を救うために戦ってきましたよ?
イヤイヤ送り込まれたわけですが、この世界は確かに汚れ、ひどいありさまだった。
なるほどなるほど、女神サマが憂慮されるわけです。
なんで縁もゆかりもないわたしがとは思いましたけど、まぁ呪いで強制もされてますしね。
ええやりましたよ、この世界を浄化しましたとも。
世界を滅ぼす元凶になっていた自称ヒューマンなる害獣の文明を消し去り、汚染された環境の浄化を開始しましたとも。
見てください、この空のきれいなこと!
地球でも2020年頃にパンデミックで世界の工場が半分くらい止まりましたけど、完全に止まるとこうなるんですね……素晴らしいです!」
『なん……ですって?』
唖然とした顔でわたしを見る駄女神。
ああうん、ガチで理解してきたのね。
『……おまえは』
「わたしはこの世界に送られてきて、この世界を歪め、破壊しかけている人間によく似た生き物を見て胸を痛めました。
似ているだけで人間ではないと気づいて、ある意味ホッとしたけどそれからが地獄でした。
現住生物にしては知能もそこそこ高く、さすが人間に似た姿をもつ怪物だけの事はありましたね。
いやぁ、苦労しましたよ。
ほらほら、褒めてくださってもいいのですよ?」
『何が害獣よ!この人殺し!』
「それはどういう意味ですか?
再三繰り返しますけど、あの害獣は地球人ではありませんよ?
それに実際、わたしはその害獣ですら一匹たりとて直接殺害はしてないです。
環境を作り変える途中で勝手に文明崩壊させ、殺し合い、各地に分散してしまっただけですが何か?」
『な……な……』
女神は絶句してしまった。
ああうん。
ここまできてようやく、自分がやらかした司令ミスに気づいたようだ。
女神の最大のミスは『人間とは何か』をきちんと定義しなかった事だ。
言うまでもないがこの惑星は異星であり、地球に似た森羅万象あれど彼らは地球とは全くの異生物たち。
え、なんで確信したかって?
この世界にはサル──つまりヒトでない霊長類が一種たりとて存在しなかったからだ。
原始的な霊長類すらいなかった。
アレはどうも、なんらかの方法で外から持ち込まれた存在だった。
うちの弟の言葉を借りれば、侵略的外来種ってやつだ。
この世界の異物であり害悪で、さらに女神が特別扱いせよと規定した『人間』でもない存在。
まぁたしかに女神はこの種族を特別扱いさせたかったんだろうけど、わたしがそれに従う必要はない。
だいいち世界を救うためにはどう考えても彼らの産業文明は有害すぎる。
説得して汚染を止めさせる事も最初は考えた。
だけど、顔をあわせてみたら、目を見たら一発で無理とわかった。
だって全員が女神と同じ目してたもん。
あれは説得不可能だし、相容れもしないと一瞬で理解できたわ。
この世界にはエルフのような人に酷似した亜人族もいなかった。
つまり人間っぽいやつといえば、こいつらだけ。
だから人間を守り世界を救えと言えば、それでいいと女神は考えたらしい。
知らないよそんなこと。
地球人であるわたしにとり『同族』は同じ地球人だけだ。
かりにこの世界に仲間ができたとしても、それは『異種族の友人』であって『同じ人間』ではない。
あたりまえだろ。
ここ異世界なんだよ?
「なんでここまで気づかないかな。女神っていうけど随分とおバカなんだねえ。
それとも、他のことで忙しかったのかな……そう、よその神々との問題とか?」
『っ!!』
ああなるほどビンゴか。
思えば、よその世界から問答無用でそこの人間を誘拐するなんて普通の行動とは言えない。
たぶんそっちに忙殺されていたんだろうな──それも、神様ならでわの長いタイムスケールで。
ははは……対応に追われて自分の過失に気づけなかったわけか。
で、気づいた時にはもう手遅れだったと。
まあいい。
神の側の計算違いなんて、人間のわたしには心底どうでもいい事だ。
「さて、それじゃあこれで契約条件は正しく履行されましたね」
『なんのことよ!』
「わたしにかけられた契約という呪いは、世界の汚染浄化だった。
環境破壊を繰り返す危険生物はいなくなった。
しかも同時に植林を行い、ある程度の汚染物質の除去もした事で環境が活性化している。
もう外来のわたしが手助けの必要なんてなくなった。
世界を護れ。
あなたがわたしにかけた契約の履行条件は、今ここに満たされた」
『!?』
カシャンと、世界の何かが切り替わったようだった。
そう。
この女神と最初に交わした契約が働きはじめたのだ。
「それでは契約に従い、わたしを元の世界、元の場所、元の時間に元の若さで返してもらいますね」
『ま、待ちなさい、今の私にそんな事。
そんな力は今の私には』
「いえいえ今なら大丈夫ですよ、事実、時空を越えてここまで来られたじゃないですか。
大丈夫、きちんと最後の約束くらいは果たす力をまだお持ちですよ女神様?」
にっこりと笑顔で言い切ってやった。
うん、まぁ果たしたらどうなるか知らないけどね。
ちらっときいた話では、神として存在できなくなるだろうって事だけど。
まぁ勝手に誘拐されたうえに何十年もタダ働きをさせたんだ、その程度は罰は受けてもらうよ。
そう。
わたしは最初の頃、上から目線で命令してくる女神に約束をとりつけたのよ。
『世界を守るという仕事を果たしたら、元の世界に戻してあげる』って。
当時の女神はもちろん、わたしなんて捨て駒だと考えていた。
どうせ人間族に使い潰されて惨めに果てるのだから、夢くらい見せてやろうと思ったんでしょうね。すごい楽しそうに契約してくれたもの。
かなうはずがなかったはずの約束。
だが契約として成立した以上、不履行は許されない。
わたしは実際に世界を救った。
弱りきっていようが死にかけていようが、女神なんだから何がなんでも実行してもらう。
そう。
たとえそれが、死にかけた女神の消滅を意味したとしても。
【帰還術式作動開始──必要な魔力を回収】
『や、やめなさいっ!』
「さぁ、今こそ報いを受けなさい。
ああ──よかったね、今まであんたに使い潰されて消えていった子たちが微笑んでるよ。
じゃあね、さよなら──駄女神」
『あ……あぁ……──!──!』
消えていく女神の声のない叫び。
そして揺らぎだす世界を見ながら、わたしはためいきをついた。
「あー……帰れるのはいいけど、もう昔のお仕事なんて全然覚えてないよ。
さすがに、そこまで甘くはないよね。
転職するしかないかな?」
◇ ◇ ◇
とある田舎の世界線が突如として激変、文明が崩壊した事件について調査した。
その結果、異世界から召喚されたひとりの女性が原因の可能性が濃厚となった。
詳しくはいまだ不明であるが、現時点でわかっている事を書き記したい。
そもそもこの世界には本来、人類種はいなかった。
しかし人類種がおり文明もできていた。
この人類種がどこから来たのかというと、どこからか漂着した限定神的な存在(暫定的に偽神と仮称する)がこの世界そのものを勝手に耕作地とし、信仰心をエネルギーとするために送り込んだと判明している。
この種族の一方的な搾取により、惑星上の自然環境は深刻な問題が起き始めた。
汚染がひどくなると偽神は、さらなる手を打った。
つまり人類種に環境改善させるのでなく、浄化能力をもつ異世界の人間を勝手に連れてきた。
おそらくは神官職などの才をもつ一般人と思われる。
浄化能力にテコ入れし、さらに命令に逆らえないように縛り付ける事で、人類種のさらなる繁栄のため、浄化のための道具として死ぬまで働かせ、死んだら次をまたどんどん召喚するつもりだったと思われる。
これにより少なくとも十一名の異世界人が使い潰された。
そして最後の女性──名をかりにAとしよう──彼女もそのひとりだった。
Aは戦闘力もあったが自衛程度のものでしかなかった。
どうせ消耗品だし、あまり強くすると思い上がり、道具の立場を忘れて命令に逆らう可能性を懸念したためと思われる。
それよりも少し持っていた浄化能力に激しくテコ入れし、環境に干渉できるまでに高めた。
これにより偽神は、産業文明を加速化する人類種の汚物・廃物処理をやらせるつもりだった。
いくら強力なスキルを託そうと、たったひとりの女にできる事など知れている。
道半ばにして擦り切れて死んでしまうのは確実で、いつもどおり問題なしと考えたようだ。
(この推測については、A本人が偽神にそう聞いた旨の日記を残している)
結論からいうと、偽神側はAの能力はともかく知恵の方を低く見積もっていたと思われる。
そもそも世界とは、ひとの一生でどうにかなるようなスパンでは変わらない。
それなのに「故郷に返して」というAに「救えば返してやる」ともきちんと約束した……口約束でなく契約で。
それもまたAに頑張らせるための悪意の行動。
今まで使い潰してきた者たちも同様に騙されて命を使い切り──事実に気づいた時には単なる役立たずになり、恨み言と共に無様に死んでいったのだから。
ではAはどうしてそうならなかったのか?
それはAには深い科学知識があったからだ。
本人が詳しいだけでなく、動物大好き自然大好きの弟がいたのも大きい。
で、A自身も生き物とか地球とかの話が大好きで、小さい頃から二人でTVの前に陣取って科学番組を見たり、調べ物をしたりするような姉弟だったという。
そんなAだから、偽神に言われた通りにする無意味さにすぐに気づいた。
対抗手段はないかと、適当な理由をつけて自然界や動物界について調べた。
そして偽神の命令の穴にも、縛りの問題にもすぐに気づいた。
この世界を浄化する手段にも、それでおそらく気づけた。
そして実施したのである。
以下はわずかな記録からの推測になる。
樹木の育成にはとても時間がかかる。
そして地球のそれでわかるように、人類側でも何かしないと自然の浄化だけでは追いつけない。
だがその人類種側にそれを期待するのは不可能だとAは考えた。
偽神はその人類種に好き放題させる事で、彼らの信仰を得ているのだから。
ならば、文明からの攻撃を単純に押し返せばよいと考えた。
Aが具体的に何をどうしたのかはわかっていない。
だがおそらく、樹木より成長の速い藻類や、爆発的に増える微生物を活用したと思われる。
それらの生物は汚染物質を栄養源にどんどん増えた。
そして、それらの生物を足がかりに、今までよりも高効率な光合成を行う生物が大量にはびこった。
これらは汚染の激しい都心や工業地帯の周辺で特に爆発的に広がったため、環境がどんどん改善。
しかも増殖率もとんでもないため、その翌年には全惑星の空気まで正常化の兆しを見せ始めた。
自然界はこの変化を、わりと柔軟に受け止めた。
Aのもたらした変化は確かに急激ではあったものの、そもそも自然界のバランスは時々狂い、また戻るもの。
だから一部の種族が耐えきれず滅びたものの、他の種族がきちんと補填した。
それどころか、逆に温暖化や汚染で滅びかけていた種族が元気に動き始め、自然界は活性化した。
だが人類種に近い環境であればあるほど、悪い方にも影響が出た。
特に農業関係は最悪だった。
魔法と組んで一気に進んだ文明は素晴らしいものだったが、その技術進歩の恩恵が農業には未だ及んでいなかった。
ちょっと寒くなるだけで各地が大凶作となった。
もちろん備蓄がある国もあるが、普段あまり天災のない国では備蓄が少なかった。
これらの国では食料の奪い合いから泥沼の戦争が始まってしまった。
そうしている間にも容赦なく気温は低下していき、ついには天災レベルになった。
自然界はいくらか打撃を受けたものの、移動できる種は温暖な地域に逃げたし、休眠状態で切り抜けた生物種もあったし、これは人類種の一部も同様だった。
だが、ぬくぬくと偽神に守られてきた人類種の文明は大変なダメージを受けた。
これらの文明は偽神の指導の元、最も良い環境にのみすべてが作られていたからだ。
熱帯から寒帯まで広がる文明を持っていれば、寒い地域のノウハウを生かす道もあったはず。
だがそういうノウハウを一切持たなかった彼らの文明は寒さの中で一気に機能停止してしまった。
彼らは死に絶えるか、便利な文明を捨てて原始人のように逃げ出すかの二択になってしまったわけだ。
以上が、残されている記録からの推測である。
Aのその後はまったく不明である。
だがせめて、可愛い弟さんと元の平和な暮らしに戻れた事を祈りたい。




