素材職人
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
彼の名はマサハル。
異界漂流者である。
◇ ◇ ◇
「え?冒険者登録してない理由ですか?」
「はい、ちょっと気になりましてね。差し支えなければぜひ」
商業ギルドの一角。
ひとりは白髪の男性で、もうひとりはエルフと思われる女性。
男性は長年商業ギルドに素材を売っていたいわば『素材職人』と呼ばれる種類の冒険者で、女性は長いこと男性の担当をしていた商業ギルド側の人物だった。
そう……今日は男性が冒険者仕事を引退する日なのだ。
「話すのはいいですけど、あまり楽しい話じゃないですよ?」
「かまいません。
実はずっと昔から聞きたくて……でも冒険者の方のプライベートに立ち入るのはギルド規約違反でしょう?」
「なるほど、たまに困ったようなお顔をされていたのはそのせいですか。
わかりました。
けど簡単ですよ。
一度は冒険者登録したんです。
ですけど、はじめての討伐依頼でゴブリンの耳を200個持っていったら、どこで盗んできたって言いがかりつけられましてね。
しまいにはギルドマスターまで出てきて、不正を認めないとギルド員登録を取り消すと脅迫してきたんです」
「初めてで200ですか、凄いですね……たしかに初めて会った頃のマサハルさんでも行けそうですけど」
「簡単だったんですけどね。
要は巣穴ごと封をしてから風魔法で麻痺毒草の煙流し込んだんだし」
「その説明をしたんですか?」
「まさかですよ。
ギルドマスターが笑顔で脅してきた時点で、ああこいつら敵だって認識しましたもん」
男は肩をすくめた。
「自分は無実でそいつが悪い、文句があるなら除名でもなんでも好きにしろって言い切ってやりましたよ。
あと、そのまま耳を奪おうとしやがったんで、かっぱらって生活魔法で燃やしてやりました」
「200体分の討伐証明を?」
「受け付けてくれない討伐証明なんて、ただのゴミですからね」
「……たしかに」
「あとで知ったんですが、取り上げた討伐証明は自分たちの息のかかった冒険者の点数にしたり、自分らの飲み代の足しにしたりしていたようで。
そこのギルドでは、有望な新人君の通過儀礼だって言ってましたよ」
「ひどい通過儀礼ですね……」
「まったくです。
でもその一件で懲りて、冒険者ギルドには二度と近づかない事にしたんですよ。
一応ですが王都のギルドに匿名で名指しのタレコミをして、あとは野となれ山となれだ」
「……なるほど、あの事件だったんですねえ」
「え、知ってるんですか?」
「あの頃、突然に冒険者ギルドが激しく動いたかと思ったら粛清の嵐が吹き荒れたんですよ。
なるほど、あれのタレコミ元は貴方でしたか。
関係者だけの極秘ですけど、たしかギルドマスター数名を含む大量のギルド職員が処分されてますよ」
「へえ……」
男は驚いたように女を見た。
「貧乏くじを引いた新人冒険者にゲタを履かせてやる、というのは育成上、よくある事だそうですね。
ですが、それが非合法な不公平を生んではいけません。
自分が囲ってる冒険者の利益のために、他の冒険者の利益を非合法に奪ってそっちに与える、なんて権限は当然ですけどギルド職員にはありませんしね。
そもそも、そんな事をやっていたらギルドは信頼を失い、組合員はみな逃げてしまいますよ。
わかっているはずなんですけどねえ」
困ったものだわ、と女はためいきをついた。
◇ ◇ ◇
素材職人という職業を成立させた男マサハル。
昔は希少素材というと冒険者に依頼するのが一般的だったが、その方式は素材の供給を不安定にさせがちだった。
冒険者は素材集めという『地味な仕事』をやりたがらない。
結果として経験不足の新人君だけがそれを受けるわけで、当然のように品質も悪く供給も不安定。
高品質なものを得たいと思えば、高いお金をかけて人を雇うしかなかった。
この状況を根底から覆したのがマサハルだった。
彼は素材をいかに綺麗なまま、劣化させずに届けるかという方面で工夫を重ねた。
そして彼は高品質の素材を安定供給するための技術を確立した結果、薬草レベルの素材ですら、それだけで生活費を稼げる者たち──職業『素材職人』の最初のひとりとなったのである。
素材職人が商業ギルドから生まれた経緯にはいくつかの説があった。
そもそも採取素材は畑作不能か困難なものが多く、取りに行く先にはモンスターがいる事も珍しくない。
つまり素材職人のスキルは冒険者と結構重なるのである。
にもかかわらず、素材職人と冒険者は隔絶している。
その理由が今回判明した。
冒険者ギルドを仕切っているのは基本、元冒険者たちだった。
一部の例外を除けば彼らは元ベテランであり、採取仕事を軽視し、初心者向けの通過儀礼としてやってきた者たちだった。
だから当然、彼らも採取仕事を新人冒険者のシノギ仕事と軽視していた。
有望新人育成のためと称し、理不尽を採取仕事の者に押し付けるなど当たり前。
成果を横から奪われるなんて冒険者ならよくある事なのだから、その体験を兼ねてと尤もらしい言い訳もつけた。
もちろん奪うばかりではなく、状況が変われば逆に恩恵を与える事もあったのだが。
ただしそれはランクアップ時の判断に色を添えるなど、ギルド内で工作できるものに限った。
中には補償を求める声も出たが、それに対する返答はひとつだった。
つまり。
冒険者の華は討伐や護衛にあり、素材採取「ごとき」しかできない者がワガママを言うなと。
彼らは忘れている、あるいは理解できていない事があった。
あるいは覚えていても、いい経験くらいにしか思ってない事。
それは最初期の冒険者生活の苦労だ。
そして。
苦しい時に上前をはねたり、ひどい目にあわされた事を人は決して忘れないという事も。
昔なら、田舎から出てきた新人冒険者には他の行き先なんてなかった。
だから不満があっても冒険者ギルドを出ていく事などできなかった。
でも今は違う。
素材職人に進めば採取の技術も、戦闘の技術も学べる。
それはつまり、働きながら職業訓練を受けるような状態。
そして幸いなことに、素材職人と冒険者に求められる技術には重なりがある。
つまり。
もし経験を積んでから冒険者に戻りたいなら、それもまた可能なのだ。
素材職人の育成が軌道に乗り始めた地域では異変が起きた。
すなわち、冒険者ギルドに登録する若者が一気に1/10以下になったのだ。
だけど冒険者ギルドでは問題視しなかった。
むしろ商業ギルドが最初期の新人を自費で教育してくれると笑った。
素材をたくさん集めたいのだろうが、そもそも冒険者が素材集めごときに留まるわけがない。
力をつけたところでこっちに来るに決まっているのだから、自分たちは得しかない。
冒険者ギルドの関係者は、愚かな商業ギルドを嘲笑する者が多かった。
だが彼らもやがて現実が見えた。
素材職人から冒険者に転向する者はゼロではないが、ほとんど誤差のような数しかいなかったのである。
たしかにその者たちに脱落者もほとんどなく、即戦力で冒険者仕事ができた。
その点では彼らの狙い通りだったろう。
だけど人数が少なすぎる。
今後の事を考えれば、明らかに危機的状況だった。
素材採取や、そのために必要な戦闘技術も学んだ彼らはプロの素材屋。
英雄でもなんでもない彼らは、安定収入と、そこそこの戦闘もできる素材職人生活によく馴染んだ。
技術を磨き訓練を積み、錬金術師や農民では行きづらいところからいい素材を持ち帰る。
そうして稼ぎを増やす気持ちはあっても、荒くれ者に混じって冒険者をする気持ちはなくなっていた。
もちろん物語に出てくるような冒険者生活に憧れる者は今もいる。
だが現実の、冒険者ギルドによくいる荒くれ者たちが彼らには盗賊と重なって見えた。
つまり「あんな連中と仕事するのはイヤだ」という気持ちにもなっていたようで、当時の職人たちの日記にもそれが見て取れた。
そして。
最終的に冒険者ギルドは素材採取関係の仕事を補助的にしか扱わなくなった。
買い手がなくなっしまったので、内部的に消費するぶんしか引き取れなくなったためだ。
売る方も買い叩きがひどくなったので、商業ギルドに売りに行く冒険者があとをたたなかった。
そして。
体力などの衰えを感じていたベテラン冒険者が老後のため、そのまま素材職人に転職するケースも相次いだという……。
当時の是非はノーコメントとさせていただく。
だが一言だけ言わせていただければ。
彼は言動などの記録から転生者であり、その素材売り込みについては日記によると「冒険者ギルドを農協にたとえて、そういう既存のシステムを通さず道の駅や直売所に商品を卸す前世の構図を参考にしてみた」だそうで……よくわからないけど彼の行動はつまり「前世知識で仕返しをした」のだろうと思われる。
事実、この一件で冒険者ギルドの依頼の多数派であった非戦闘系の依頼を激減させ、ギルドの資金難と弱体化を招いたきっかけになったわけで、彼はものの見事に──しかもまったく合法的に冒険者ギルドに一矢報いたといえるだろう。




