精霊界にて
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
彼女の名はヨナ・サーワ。
異界漂流者である。
◇ ◇ ◇
「指名依頼、ですか?」
「はい、ヨナ・サーワ様ご本人名指しの依頼となっております」
わたしは首をかしげた。
ある程度、冒険者をしていれば指名依頼は経験するものだと聞いている。だから名指しの依頼が出てきたということは、いよいよ実績が認めてもらえるようになってきたというべきだろうと思うのだけど。
ただし依頼内容と料金、それと誰が依頼したかは重要なのは当たり前のことだ。
残念だけど超安価に買い叩こうとしたり、犯罪の片棒を担がせて使い捨てようなんて依頼も中にはあるからだ。
そして。
「こちらが受諾の書類になります、詳しい内容は奥でご説明いたしますので、ご記入を」
「お断りします」
またか。
わたしは、その受付嬢の言葉をぶった切った。
「サーワ様、こちらは特別な依頼となっておりまして」
「契約しないと名前も内容も明かせない、なんて怪しい依頼は受けません。
何度言えばわかるの?
誰の依頼であるか、依頼内容はなんであるかをまず示しなさい。
どうするかはその内容次第で、それはわたしの決める事。
当たり前の話じゃないの!」
わざと大声を出して、そしてドンと受付のデスクを叩いてやった。
これはちゃんと理由がある。
まず、周囲や背後にいる冒険者たちに、理不尽な依頼を突きつけられている事を全力アピールすること。
ギルドと冒険者を結んでいるのは信頼関係だ。
そしてギルドとはそもそも、あくまで個人の寄り合いであり権力に勝てない冒険者を守るためにある。
なのに、どうしてこんな馬鹿な話が出るのやら。
わたしがやっているのを一言で言えば、ギルドが権力者の横車に加担していますよ、ここのギルドはヤバイですよと宣伝しているようなものだ。
だってねえ。
『指名依頼です』の一点張りで、別の依頼を受けさせてくれないのよ。
しまいには、わたしの受けようとしたものを受けるには、こっちを受けるのが条件だとか言い出す。
いいかげんにしろっての。
だけど。
今日はなんと、周囲にいる冒険者たちすらも反応しないときた。
(ははあ、そこまでグルですか)
何様の囲い込み作戦かしらないけど。
さすがにあったまきた。
「……はぁ、もういいわ疲れた」
「そうですか、それではこの書類に──」
「帰る、じゃあね」
「え、サーワ様?サーワ様!?」
受付嬢が騒いでいるのを無視し、歩き出した。
背後で冒険者たちがざわめいているけど、これも一切無視した。
「え、これから引き払うの?」
「ギルドで依頼を受け付けてくれないんですよ。
なんか匿名の秘匿依頼を無理やりでも受けさせたいらしくて、こっちの貯金か気力が尽きるのを待ってるみたいなんですよね。
今日なんか、ロビーにいた冒険者までグルでしたよ」
「あらら、ここの冒険者ギルドってそんな事するんだ。それでどこ行くの?」
「しょうがないので、おこずかい稼ぎに行きます。
あまりこの手は使いたくなかったんですけどねえ」
「なんか問題のあるお仕事なのかい……まさか」
「違いますよ、健全なお仕事です。
それに、確実にギルドも国の手も届きません。
ただ、そっちで稼ぐと冒険者の修行にならないんですよね」
肩をすくめると、宿のおばさんはためいきをついた。
ははぁ、こりゃ、おばちゃんにも情報くらいは流れてるっぽいね。
それでも同調しないあたり、おばちゃんは敵じゃないと。
「……危険なところだったり、女としてきついようなとこじゃないんだね?
もしそうならおばさんとこにいるといいよ?雑用とかになっちゃうけど」
「ありがとうございます、そっちは大丈夫ですから」
頭をさげて宿を引き払った。
そして同時に、少しだけ位相をずらした。
さっさと宿から離れると、なんか人の群れがギルドから向かってきた。
それでしばらくすると宿から出て、今度は四方に散っていく。
ああ、乗合馬車も押さえるつもりなのね。
眼の前を走っていく男たちを、ばいばーいと小さく手をふって見送った。
やれやれ。
いい町なのになぁ、はぁ、ほんと残念。
わたしは町の中心にある、広場の噴水に向かった。
この噴水はもう二千年は、そこで噴水として存在しているらしい。
今は止まっている、その噴水の上によじ登った。
「ふう」
広場にはたくさんの人がいるけど、わたしには誰も気づかない。
だけど、これはあたりまえ。
わたしは宿を出てすぐ、自分のいる時空の位相を少しだけずらしたのだから。
空間魔法。
ひとは空間魔法というとアイテムボックスやテレポートが有名だけど、空間魔法はそんな安直なものではない。
空間魔法とはもっと奥深いもの。
「……」
噴水の上に座ると、目印の小さな光の玉を頭上に浮かべた。
これでよし。
わたしは噴水の上に腰掛けると、空間ポケットから本を出して広げた。
『異世界人から見た冒険者生活』著者、マムク・サーン。
普通に読むとそうあるんだけど、その横になんと日本語でこう書いてある。
『異世界の迷い方・冒険者編』著者、日比野正行。
なんとなく世代がわかるフレーズだよね。
このタイトル『地球の迷い方』のもじりでしょ。
この人は、ずいぶんと昔にこの世界で活躍したらしい。
伝説級のシーフであり、さらに多くの冒険者を助け、同郷者のヘルパーなんかもしていたらしい。
こちらの世界でふたりも奥さんもらって、さらに義理や後見人も含めると百名を越える子供たちを育て上げあげたとか。
けど面白いのは、当時もやっぱり理不尽な依頼はあったらしいこと。
で、それに対応する方法もたくさん書かれているんだよ。
そう、さっきみたいな理不尽な依頼についてもしっかり書いてあった。
『関わりたくないなら決して受けるなかれ』
『たとえ短期的に損をしたとしても決して、何ひとつ譲歩してはならない。
ひとつでも、わずかでも譲歩すれば、そこからつけこまれてすべてを失うだろう』
うん、そりゃそうだよね。
わたしも同意見だよ。
そんなことを考えつつ読んでいたら、チリンチリンと鈴のような音がしてわたしは顔をあげた。
夕陽を背景に、たくさんの精霊を載せた『ボンネットバス』のようなものが止まっていた。運転手さんがこちらを見ている。
わたしは光の玉を手にとり、運転手さんに渡した。
『お客さんどちらまで?』
精霊語で尋ねられた。
わたしも精霊語で答えた。
『ポンクルクロッソ・ルクリウムの43番地にいきたいんだけど?』
『それだとこのバスは直行じゃないよ。深夜便に乗りなさい』
『それだとわたしが起きられないの、乗り換えでもいいから乗せてくれる?』
『なるほど。
だったらこのバスに乗り、次のカランカラコムで青のバスに乗り換えなさい。わかるかね?』
『ええ、それでいいわ。乗せてくれる?』
『ほいきた。さあ、これがチケットだ』
光を渡して青い光を受け取り、乗り込んだ。
どこに座ろうかな。席がいっぱいだなぁ。
これは立つしかない?
『人間の娘さん、こっちにいらっしゃい』
見れば、何かイソギンチャクみたいな触手の塊さんが乗っていた。なんか触手がフワフワと手招きしてる。
一瞬ギョッとした。
『大丈夫ですよ、わたしは怪しい者ではありません』
「……す、すみません」
『うふふ、いいのですよ』
ほんとかよ。
でもまわりの精霊たちも「大丈夫だよー」というし、だったらとお言葉に甘えて、座らせてもらう事にした。
うう……気分は触手プレイ。
『ポンクルクロッソ・ルクリウムまで行くのですか、大変ですねえ』
「アルバイトなんです」
『おやおや、わざわざあんなところで?』
「以前にもやっていたんですよ。ツテがありまして」
かりに現地で断られても、求職の手はいくつかある。
そして、いけ好かない人間界の権力は決して追いかけてこない。
だってここ精霊界だもの。
そんなところに入ってくる人族は普通いない。
いたとしても、確実にこっちがわの人。
だけど当然ながら、冒険者としての実績にはならないのよね。
おまけに別の問題もある。
「ま、もうそろそろなんですけどね」
『おや、もしかして?』
「はい」
精霊と長くおつきあいをしていると、精霊界への出入りを教えてもらえる。
とはいえ、精霊術師などの多くは修行の一環で精霊界を見る程度で、積極的に住み着く者などいない。
なぜなら。
精霊界にいると人は次第に変質し、しまいには人でなく精霊になってしまうからだ。
たぶん。
わたしが、ひとでいられる時間はもう、そう長くはない。
「もう少しだけ人間でいたかったかなぁ」
『名残惜しいかい?』
「んー、少しだけ。
だけど、どんな人生でも心残りがゼロなんて事はないと思いますし」
精霊の世界と関わる人間といえば、いい例がわたしのような精霊術師。
だけど精霊に浸り過ぎたら、その者自体が精霊に変質してしまう。
だから普通の精霊術師は、あまり精霊界に入り浸らない。
魔界とつきあいの深い者が最終的に魔族に変貌するように、こういうのはどうしようもない。
『そうですか……ちなみにポンクルクロッソ・ルクリウムの?』
「43番地です」
『43?……もしかして、ララフェンの店かい?』
「ご存知なんですか?」
『ああ、時々いくからね。
……そういえば、しばらく前から冬になると人間の娘さんを入れてたよねえ』
ん?
「その子ってどんな子です?」
『たしか、おっぱいちゃんって呼ばれてたねえ』
「うわ、それ私です!」
『おやおや、じゃあ今年は早めにお店に戻るんだね?
それはいけない、わたしも予定を組み直さないと』
「お客様でしたか……今年も採用されましたら、よろしくお願いいたします」
◇ ◇ ◇
精霊界における人間について調べているカー・ラム・シュナムルによれば、水の精霊と言われる精霊ヨナは元々、ヨナ・サーワという名の人間だったという。
花の精霊ナツと並び、ひとの歴史にたびたび登場する彼女であるが、その出自は最近まで不明だった。
最近、その理由が判明した。
なんと、どうやら元が精霊術師でなく空間魔法使いだったらしいのだ。
空間制御を誤ったあげく精霊界に迷い込んだらしい。
奇跡のような確率で命をひろった彼女は精霊界と関わりをもち、自動的に精霊術師になった。
そのおかげで、今まで荷物運び程度しかできなかった仕事が討伐などもできるようになったが、実は精霊術使いなのを隠していると疑われた事から──当時は精霊使いと判明すると問答無用で国に確保され、死ぬまで使い潰されるのが普通だった──再び精霊界に逃げ込んだという。
そして精霊と深いかかわりを持ちすぎた彼女は人間としての存在を少しずつ失い、ついには精霊そのものになってしまった……という事らしい。
彼女を追い詰めた国はその直後に侵略を受けた。
当時の戦役では空間魔法使いによる輸送は生命線といってもよく、その貴重な空間魔法使い──ヨナは転移こそ使えなかったが、かなり大容量のアイテムボックスを所有していた──に直前で逃げられた事から戦争初期の作戦でかなりの負けを生み出してしまった。
もちろんすぐに対応したが、この時の負債はあまりにも大きかった。
それは長い時間をかけて致命的な両国の差となっていき……そして百年後の国の敗北、そして隣国への併合に結びついていくのであった。
地球の迷い方: 有名なガイドブック『地球の歩き方』の80~90年代くらいの時代の愛称。
現地情報なども忖度なしに載せていたが出どころ不明の怪情報も多かったため、地球の迷い方と旅人の間では揶揄されていた。




