どっかーん
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異世界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
残念ながら名前が判明していない。
だが間違いなく異界漂流者であった。
◇ ◇ ◇
乗合馬車の中、女が男にもたれて眠っている。
無防備に眠る女を、やさしく男がかばっていた。
「よく眠っていなさるね……大切なおひとなのかい?」
「ええすみません……王都で働いていたのですが、王都がああなったでしょう?
明るい子だったのですが、ひどい苦労をさせてしまいまして。
──静かなところで暮らさせてあげたいんです」
「そうかい──ああ、それがいいかもしれないね」
男の物腰の柔らかさと、それでいて平民を上から目線で見ない態度。
おそらく地方の下級貴族であろうと同乗者たちは推測した。
「王都は何やら、えらい事だったようだね……いったい何がありなさったのやら。
あちらから来なすったのなら、何かご存知ないかね?」
「うーん……私は元々別件で王都に向かっていて、外から目撃した形ですから。
そして、本当にひどいありさまで……土地者でない私にはどうしようもないものでした。
なのでまぁ、冷たいと思われる事は承知の上ですが、本来守るべき彼女だけを連れ出したのです。
彼女は生存者ではありますが……状況からして何も知らないでしょうし」
「そういうことか……すまんかったね」
「いえ、聞かれるのは当然の事と思いますから……こちらこそ、ありがとうございます」
「いやいや」
質問してきたのが一般人でなく、見逃してくれたと男は感じていた。
そして、質問してきた側も、男が王都に女をむかえにきたのでなく、おそらく二人で逃げ出した存在だろうと考えた。
だが、考えた上で──無関係の者として見逃してくれたのだろうと。
「やれやれ、当面は大騒ぎだろうね」
「そうなのですか?」
「ああ、イルマ王国はなんだかんだいって、長いこと、このあたりの国家群の中枢をになっていたからね。
そこで何かが起きた。
うん、当面はこのあたりの国々は揺れるだろうね」
◇ ◇ ◇
勇者召喚で有名だったイルマ王国の突然の崩壊。
しかも、王都がある日突然に途方もない大爆発で吹き飛んだ事件は、かの世界線を調査した事のある者なら誰もがご存知の謎だろう。
科学は未発達、魔法はあるが、これもそう強力なものは開発されていない。
そんな世界で突然、大量破壊兵器なみの大爆発が起きたわけだ。
爆発はおそらく一発でなく、少なくとも二回は起きていた。
そして最後の一回は、とてつもなく巨大なものだった。
何しろ、その威力ときたら上は成層圏を越え、電離層にまで影響を与えた。
200km近く向こうまで爆風が届いた。
爆心地は王城であったらしいが、肝心の王城が完全に吹き飛び、地下構造に至るまで破壊・陥没してしまっていた。
そのような状況であったから、わかりやすく原因を示すようなものは何も残っていない。
城下である王都も中心部同様に更地になっており、破壊を免れた建物はほとんどない。
もちろんそんな状況であったから、市民もそうだが当日、王都にいた王侯貴族の多くが死亡したという……登城していた当主はもちろんの事、王都の貴族居住区の屋敷にいた家族や使用人なども区別なく全滅したのである。
イルマ王国はこの破壊により消滅した。
後に周辺国の援助により、王都にいなかった王侯貴族や他国に嫁いでいた者などを中心に新生イルマ国を再興したが、勇者召喚技術は王城の研究チームと共に永遠に失われていたという。
以降は、たまたま外にいた関係者などの日記や、各種調査の結果である。
王国は定期的に異世界人を召喚して戦闘訓練を施し、隷属の首輪をつけて戦闘兵器として用いたり、他国に貸し出すなどの事で大金を稼いでいた。
言うまでもないが、勇者の美名は商売用のものだった。
だが全ての異世界人が戦闘スキルをもつわけではない。
それぞれの技能を生かして働かせるケースが多かったが、使い物にならないと認識した者については、性奴隷にしたり始末したり、様々に有効活用していた。
そんな彼らが召喚した中に、問題の二名の男女はいた。
男はスライムを操る者という特殊スキルを持っていた。
女は薬品や元素を操作する化学合成スキルを持っていた。
しかし王国は男を役立たずと考えたし、女も錬金術師のようなものと考え、やはり戦力外とした。
男はスライムの有効利用について辛うじて研究者の興味をひいていたが、奴隷落ちは時間の問題だった。
女は、最初から奴隷の首輪をはめられ平民騎士たちの夜伽をさせられていた。
男は女に惚れていたようで、何とか女を助けようとした。
具体的には、男の持っていた科学知識を駆使し、女に火薬の合成を頼んだ。
廃物や糞尿から硝石を作らせ、火薬を作る事で女の地位を確立する事で助けようとしたのだが、急ごしらえと素人知識による火薬では、彼らが評価するほどの爆発力を得られなかった。
そして彼らは、これが量産できる事の意味も理解できなかった。
このため、このような小細工がなんの役に立つと冷笑されるだけで終わったばかりか、その場で性奴隷として改めて皆に認知された上で、鎖で引き据えられた。
ついに絶望した女。
そんな女に、さらに男は提案した。
──だったら彼らに役立つものではなく、別のものを作らないか?と。
男が女に作らせた物質はおそらく、硝酸アンモニウムのたぐいであろうと考える。
なぜなら、男が操るスライムの中に、通称メルトスライムといって刺激物を周囲に放ち身を守るものがいたからだ。
この生成物がおそらく硝酸である、という会話を聞いた者がいるらしい。
また、トイレの尿を材料に危険物を作る話も記録にある。
これらの一部は火薬作りのためのものだが、他にも応用できる。
言うまでもないが、尿素からはアンモニアがとれる。
これと硝酸を女の化学合成スキルで調合すれば、容易に硝酸アンモニウムが得られた可能性は小さくない。
硝酸アンモニウムはニトログリセリンと同様に爆発の可能性がある物質であり、これを使う文明では例外なく、爆発により多くの人が命を落としてもいる。
おそらくであるが、男はこの硝酸アンモニウムに着目、女に合成させた。
そして配下のスライムに命じ、王城の地下で無制限に複製させたと思われる。
スライムといえば役立たずとつい考えがちだが、大量に使役できるとしたら話は別になる。
小さき生き物は、たくさん集めると驚くような仕事をする。
わずかな微生物が、条件さえ揃えれば、一晩で何トンという発酵を行うように。
ある種のスライムは、毒物や異臭を放つ物質をとりこみ複製し、身を守るために武器として放射する能力がある。
男はこの能力に着目し、利用していた事もわかっている。
であれば。
おそらく、ひたすら大量の硝酸アンモニウム──かりに別の物質だったとしても、大量に作らせたのはおそらく彼だろう。
王城の地下には、どんな用途か不明だが巨大な地下空洞があった。
ここを利用し、膨大な危険物を王城の地下にたくわえた。
そして王城に憎い相手がいる瞬間を狙い、なんらかの方法でそれに引火させたのだと思われる。
もちろん真相は不明、あくまで集めた話などからの推測である。
当事者が死亡してしまっているし、問題の男女に至っては生死すらもわからない。
冒頭の男女は実在したらしい。
目撃者がおり、ふたりは乗り合い馬車で国を出ていったらしい……しかもこの際に、賃料は全てイルマの古い貨幣で支払っており、召喚された異世界人の生き残りの可能性が示唆されている。
だが、問題の男女であるかは不明。
また数年後から、少し離れた農業国の業績が上向きになりはじめ、その国を中心とした食糧事情が改善された。多くの人が救われ、また崩壊したイルマから逃げ出した難民の一部も、農民として流れ込み就農した。
その中心人物であるという夫婦が、実はイルマで召喚された異世界人の生き残りとされているが、これまた問題の男女かはわからない。
だが個人的には、そうであればよいとは考える。
事情があったとはいえ、たくさんの人を殺めたのだから、そのぶんだけ人々に貢献したい──。
もしそんなことを考えた結果としたら?
だったとしたら、それはある意味ハッピーエンドではないかと思うのだ。
硝酸アンモニウムの件については、レバノンの首都ベイルートで起きた大爆発事件の記事を参考にしています。
2750トンの硝酸アンモニウムの爆発はTNT換算で1000〜1500トン相当、2020年現在で、核爆発以外では世界最大と言われています。
ただし硝酸アンモニウム自体は融点摂氏170度で化合物としては比較的安定しており、こうした大出力の爆発を引き起こすには、まず大量に引火、その上で発生した膨大な媒体が一気に反応、大爆発を起こすという流れになると思われる。
(このため、ベイルートで起きたように本稿でも複数の爆発が起きており、特に前の爆発的反応で大量に溶融気化したものを元に、王城を吹き飛ばすほどの大爆発を起こしたと考えられる)




