とらわれの姫
異世界に行く、送られる、漂流する話は数多くあり、多くの民が異世界にわたっている。
だが、彼らの全てが目立つ活躍をするわけではない。むしろ目立たぬようひっそりと生きるのが大多数であるが、それでは物語として地味だし、何よりこの手の異界物語を好む子供たちにウケが悪いのだ。たとえ非常識だろうとバカだろうと、危険に自ら飛び込んで死にかけるような者がそういう物語では王道とされている。
では、そうじゃない異界漂流者はどうなのか?
今日もここに、そんな人物のひとりを紹介しよう。
その人の名は紗絵子。
異界漂流者である。
◇ ◇ ◇
いきなりだが、江口紗絵子は体がちょっと弱い。
紗絵子はその事が、小さい頃から不満だった。
だって自分は転生者。
別に転生チートなんていらないけど、せめて健康が欲しかったと。
紗絵子は子供のある時代から、時々原因不明の熱を出した。
医者も原因がわからなかった。
しかも、心配するべき両親には逆に叱られた。
なぜなら紗絵子が倒れだしたタイミングは、彼らの別居が始まってからだったから。
仮病だと思われたのだ。
そして悲しいことに、紗絵子にはそんなイヤな事情まで理解できた。
両親は既にそれぞれの家庭をもっており、今や江口家は崩壊しようとしていた。
そんなタイミングで調子を崩した紗絵子を両親は、邪魔に思い始めた。
もともと、おまえの子だろ、あなたの子でしょと押し付けあう傾向はあった。
ここに来て、わずかに残っていた愛情すらも消えはじめた。
双方が自分の子でないと考え、相手に押し付ける事しか考えなくなっていった。
その対立は、おそろしい結果を生んだ。
「あの子の面倒くらい見てるでしょ」とお互いが都合よく考えた。
結果として幼い紗絵子は、何もなくなった生家に放置されてしまった。
家の権利は、それをめぐって係争中。
もちろんライフラインも間もなく停止。
真冬だというのに、暖房器具も布団も食べ物も、水すらもない家に。
いうまでもないが紗絵子は死にかけた。
普通なら間違いなく死亡していただろう。
もはや、紗絵子は隠すのを一切やめた。
そうせざるをえなかった。
当時、四歳だった紗絵子は前世の知識をフル活用、どんどん大人を巻き込みはじめた。
児童相談所やその他もろもろを担ぎ出し、安全な住居を確保。
何とか高校卒業までの養育費をせしめるのにも成功した。
一部の人々は、化け物を見るような目で見てきた。
だが、そんなの知った事ではない。
たった四歳の、言葉もたどたどしいはずの幼女がひとりぼっちで投げ出され、どうやって生き延びる?
他人の評価など気にしているヒマはなかった。
それに、ある種の第三者は、いわゆる記憶もちの異能だろうと普通に察してくれた。
気づいた上で、色々と配慮してくれていた。
ありがたいことだった。
とにかく、高校を出るまでの養育費をせしめる。
紗絵子はこのために奮闘してきた。
この国では高卒までは児童扱いなので、これは難しくない。
大学の方は難しいが、駄目なら奨学金制度を利用するつもりだった。
ひとりで生きていくのに学業は最も潰しの効く武器だ。
それに学歴社会ではないといっても、人生の折り目で学歴が絡むケースは意外に多いのだ。
出ておいて損はない。
そして……そうした彼女の奮闘が学園の理事の目にとまり、
そしてこの学園にと奨学金つきで呼ばれる事になったのだった。
「江口さん、江口紗絵子さん?」
「あ、すみません」
そこそこ順調に進んできたつもりだったが、この調子の悪さだけは紗絵子の悩みの種だった。
小さい頃はそうでもなかったが、思春期に入ってからは本当にひどい。
この不調を大人たちから隠すのに大変な苦労をした。
あまり心配させすぎると、施設なりなんなりに保護されかねない。
それはそれでありかもしれないけど、今後の予定が狂う可能性が高い。
できれば学業はこのまま行きたかった……前世で学んだことも応用できるし。
(なんだろう、このところの調子の悪さは?)
最近、本当にひどい。
特にこの学園にきてからは、たびたび上級生やクラスメートのお世話になっていた。
なんとも情けないと紗絵子は自嘲する。
これが、もし前世の記憶などを使いまくっていたせいというのなら仕方ない。
たしかに生き残るために多用してきたのだから、それが限界という事なのだろう。
だけど、ここまでは生きてこられたのだ。
だからせめて、ここを卒業するくらいまでは生き延びられないものか?
ねえ神様おねがい。
どうせ二度目の人生、贅沢はいわないから……だからせめて、と。
「江口さん、顔色が悪いですよ、保健室にいったほうがいいのでは?」
「はい……すみません、そうします」
「保健委員の人、江口さんを「いいです、何とかなりま」駄目ですよ江口さん「は……い」」
つい先日も運んでもらったのに、申し訳ないと紗絵子は頭をさげた。
しかし、保健委員の少女──そう、咲坂という──咲坂はいやな顔ひとつせず、紗絵子を保健室に連れて行ってくれる。
「ごめんね、咲坂さん」
廊下に出たところで、紗絵子は咲坂に謝った。
「ううん、いいの江口さん……実はね、ちょっとだけ不純な動機もあるんだぁ」
「え?」
「ほら、保健室っていうと、黒崎先輩がいらっしゃるでしょ?」
「え?ああ」
歩きながら、少女同士の会話は続く。
黒崎先輩とは、どうやら二人とも知っている人物のようだった。
「先輩が今日もいらっしゃるかなんて、わかりませんよ?」
「いーえ、今日はいらっしゃるのよ。だって──」
「え?」
「なんでもないわ。
とにかく、わたしは役得でつきそってるんだから気にしないで。ね?」
「役得……」
「うん!」
正直すぎる咲坂の物言いに、紗絵子はさすがに苦笑した。
「うん、でもありがとう」
「もう、気にしなくっていいっていってるのに〜」
妙に上機嫌の咲坂に、紗絵子は不思議な気持ちだった。
そうこうしているたちに、ふたりは保健室に到着した。
「失礼します、江口さんをお連れしました」
「ああ、入りなさい」
え、名指し?
しかも「お連れする」って?
そのことに一瞬違和感を覚えた紗絵子だったが、気づけば中に誘導されていた。
そして目の前にいる人物に目を向けて。
「──あ」
その瞬間、紗絵子の意識にはぼんやりと、霞がかかった。
◆ ◆ ◆ ◆
「それでは、失礼いたします」
「うん、ごくろうさま」
紗絵子を連れてきた眷属をねぎらい、教室に帰りなさいとうながした青年は、ドアを閉めると紗絵子の顔をとらえた。
「あ」
その瞬間、紗絵子の目がまるで夢うつつのようになった。
力なく、くたっと崩れそうになるのを青年が支えた。
そして無抵抗の紗絵子の首筋に、青年はやさしく噛み付いた。
──こくん、こくん。
やさしく紗絵子の体から何かを吸い上げると、紗絵子の顔から熱っぽさが引き、逆に少し血の気が足りないくらいになっていく。
「──」
その間、紗絵子はボーっと無抵抗のままだったが、そのうち変化が現れた。
「──ん」
(おや?)
少し吸いすぎたろうか?
急激な吸血は死に至る苦痛をもたらすが、やさしい吸血は逃げられぬ快楽をもたらす。
だが。
(いや違う、これはもしかして──)
紗絵子の調子を調べた青年は、ここで初めて彼女の中身に気づいた。
吸血はもう終わっていたが、そのまま接触面から彼女の『鑑定』を行うが──。
(……誰だ、記憶もちなんて報告だしやがったのは。
なんてこった、転生者じゃないか!
魔力量は俺以上なのに、強化系数種と生活魔法くらいしか使えないと?
なるほどな、そりゃあ魔力酔い起こすわけだ)
ただの記憶もちと、いわゆる転生者には大きな違いがある。
記憶もちは、本当に記憶があるだけだ。
しかし転生者は、魔力が大きいとか変なスキルがあるとか、何がしかの異能を飲み込んでいる。
うまく活かせれば、色々な事に使える。
だが持てあませば、それは災いを呼び、やがて危険物ともなりうる。
(魔力が美味しそうだから確保したんだが……なんてこった)
そう考えてみれば、たしかに納得だった。
幼児が生活魔法が使えるというのは、ひとつ間違えると大きな危険を孕んでいる。
ぶっちゃけ、火の魔法が使えるだけでも非常に危険だ。
だが彼女は、幼少時にすでに生活魔法を駆使していた事がわかっている。
記憶持ちのおかげで自制できているのだろうと思われていたが……。
なるほど転生者なら納得だ。
強化系が得意なのも生活魔法が使えるのも、転生者の知恵で有効活用してきたのだろう。
しかも。
(初対面では、正直いって貧相だと思っていたんだが。
こいつ、もしかして成長遅れてるだけ?)
青年は特に女好きというわけではないが、内外の女や子供を見慣れてはいた。
そのせいだろう。
紗絵子が聞いたら真っ赤になるような事にも普通に気づけた。
(おもしろい)
もちろん青年は、紗絵子を逃がす気なんて全然ない。
手ずから育て上げ、自分のものにする気まんまんだった。
(ああ、俺は幸運だ)
少しずつ魔力を浸透させていく。
凝り固まった心身をほぐし、正常な魔力の流れを誘導していく。
「んんっ!」
意識のないまま、艶めかしい声をあげようとする紗絵子の口をふさぐ。
おっとっと、あぶない。
別にセクハラするためにこんな事してるわけじゃないんだから。
ああ、そうだとも。
「ん……」
「ああよしよし、悪かった。
ゆっくり、ゆっくり、体内の気を高めて……それでいい」
◆ ◆ ◆ ◆
「──?」
ふと気づくと、紗絵子は自分がいつのまにか教室に戻っているのに気づいた。
(あれ、私、どうしたんだっけ?
いつのまに戻った?)
すでに授業などは終わったようで、ひとが動き出している。
眼の前には保健委員の咲坂がいた。
「あれ、私、どうしてたっけ?」
「大丈夫?サエちゃん?」
(サエちゃん?)
その言葉に対する違和感に、紗絵子は眉をしかめた。
「咲坂さん、私、サエって呼んでねっていったっけ?」
自分は目の前のクラスメートに、その名で呼ぶことを許したろうか?
「いったよぉ」
「そうだっけ……うん、そうだよね。ごめんね、さき──」
「ん、わたしもサッキーでいいよ」
これにも違和感があった。
いつ自分は彼女と、こんなに親しくなったのか?と。
しかし一瞬それた紗絵子の思考は、咲坂嬢の毒のない笑みに打ち消されていく。
家庭内不和の中で生きるのに必死だった紗絵子は、学校での友達は常に限りなくゼロだった。
だから、彼女のような裏の全く無い笑みに対する抵抗力がない。
内心に一瞬湧いた疑問を打ち消し、その笑みに紗絵子も応えた。
その、相手を信じ切った笑みは実に微笑ましいもので。
紗絵子は気づいてないが、周囲のクラスメートたちも、ほっこり笑顔で見ている。
「あ、そっか。ごめんねサッキー」
「ううんいいよ、──これから、うんと長いつきあいになるから」
「え?」
「ううん、なんでもないの」
それどういう意味、と紗絵子がいう前に、咲坂は心底嬉しそうに笑った。
「さ、それより先輩のとこ行くんでしょ?特製お弁当もらいに」
「……妙に嬉しそうだよね、サッキー」
「当然」
「うわぁ、全然隠しもしてないよこの女!」
「あはははは、さ、いこいこ」
「うん」
急いで記憶を掘り起こしながら、紗絵子は頭をかいた。
(そうだった、なんで忘れてたんだろ?)
昼に倒れたことで保険医の先生と黒崎先輩が、特別メニューを作ってくれる事になった。
というのも、黒崎先輩が紗絵子の不調の原因を知っていたのがその理由。
先輩の実家、黒崎家でもよくある事なのだという。
黒崎家の者は、それに対抗する特製料理が作れるということで、なんと先輩手ずから作っていただける事になったのである。
ちなみにバレたら大騒動なので、知っているのは咲……眼の前のサッキーだけ。
サッキーも少しだけお相伴に預かれるってことで、彼女はちゃっかりと紗絵子の親友宣言してしまったのである。
(黒崎ってたしか、すんごい旧家だってきいたけど……黒崎って名字にはあまり古さを感じないんだよね。どこかの分家か、それとも事情があって元の名字を隠してるとか?)
──紗絵子は気づかない。
突然わいてきた記憶の不自然さに。
いきなりできた親友の嬉しそうな顔の意味に。
無理もない。
虐げられてきた過去から、ひとの悪意に紗絵子は敏感だ。
だけど、そもそもサッキーには悪意などない。
彼女の善意や好意はまぎれもない本物。
ただ、紗絵子は二人のきっかけが、サッキーが保健委員だった事だと思っていた。
実際には、もともと咲坂は紗絵子に興味があり、それを見抜いた彼女の『ご主人様』が紗絵子のサポートを命じたためだった。
つまり咲坂にとり、紗絵子はお気に入りの友人であり、同時に敬愛する『ご主人様』のかわいい愛玩物でもあったわけだ。
そして紗絵子は、まだ知らない。
彼女がお世話になっている青年や一部の教員、理事長などが非常に強い力を持っていることを。
彼らに都合よく情報は改ざんされ、そしてクラスメートたちも同類。
何も知らないのは、入ったばかりの外部生の上、現在進行系で情報封鎖されている紗絵子だけ。
──だから、自分がどんどん囲われつつある事に、気づくことができない。
「強いねえサッキー」
「そりゃあもう、わたしはおサエと運命共同体だからねえ、こうなったら」
「大げさだよぉ」
「いやいや、全然大げさじゃないのよこれが」
「……サッキー?」
自称親友が突然、ニヒヒと満面の笑みで見てくるのに首をかしげる紗絵子。
「そんなに先輩と会えるのが嬉しいの?」
「当然!うれしいに決まってますって!」
「……はぁ。ま、いいけど」
「うんうん、いこ!」
「はいはい」
笑顔で話しながら教室を出ていく学園生ふたり。
そのさまはごく普通の女学生ふたりだった──。
◆ ◆ ◆ ◆
地球にごく近い世界線のひとつ。
ここで、とある学園に、国交関係の改善などのため留学してきた他国のお姫様が、暗殺されかかる事件が起きた。
しかしこの際、未曾有の大活躍でお姫様を救ったひとりの女学生がいた。
彼女の名は江口紗絵子、後の名を黒崎紗絵子。
かの世界線における『日本帝国』の貴族家のひとつ、黒崎家の次代の婚約者だった。
だが、近年の研究で彼女について調べているうち、奇妙なことがいくつも判明した。
まず、彼女が転生者である事。
彼女は平民出身のうえ元の家庭が崩壊していた。
そんな彼女がどうして貴族子女が通うような学園に入れたかというと、強い魔力と前世知識をすでに活かしていたからだ。
つまり、学園関係者に人材と見込まれ、特別枠で入学したのである。
次に、覚醒したばかりの若き吸血鬼であった事。
当時は吸血鬼の存在が一般には隠されており、しかも姫君側も、そして紗絵子を保護していた黒崎側も、それぞれの属する国有数の真祖の旧家だった。
そういう事情から内密にされたようである。
入学当時の彼女は人間だった。
ただ、巨大な魔力を持つのに、それを利用する魔術は身体強化や知覚強化のほかは生活魔法くらいだった。
つまり魔力過多症を起こし始めており、体調を崩しがちだった。
入学手続きの際に黒崎の次代が助け、そして見初めた。
以降、次代が手ずから治療を行い、そのまま吸血鬼化させて自分のものにしたらしい。
この『吸血鬼化』があった事で、彼女は一度、調査から漏れた経緯がある。
そもそも吸血鬼化直後、覚醒したての吸血鬼といえば本能のままに血をすするだけの存在のはず。
暗殺者から要人を守るなど普通はありえない。
だから実行者は別にいたとされ、いもしない関係者探しがずっと行われていた。
しかし、事実は違った。
襲撃の時、彼女はなんと覚醒直後。唇すらも乾いたままだった。
だが、わずか3つや4つで身体強化や知能強化を発現、両親の育児放棄も乗り越えて生きてきた彼女には、本能がもたらす強烈な『吸血命令』すらも跳ね返すほどの強烈な意志力があった。
それゆえに行動が可能だった。
そして他国の姫君の窮地を見て驚き、姫君を助けたわけだ。
姫君やその側近たちは、自分たちを凶刃から救い、倒れた紗絵子に駆け寄った。
乾いた唇のままなのを確認して二度驚き、ただちに最初の血を与えた。
与えたのは、なんと姫君本人の古き血。
吸血鬼にとって「最初の血」は大きな意味をもつ。
これにより吸血鬼としての紗絵子嬢は、日本と某国の両方につながった。
この事件をきっかけに姫君と次代に特別な交流が生まれた。
学園では立場を越えた友情を育み。
そしてこの事件が両国の友好親善にも、大いに寄与する事となったのである。
主人公がいきなりボス級に捕まるコースですね……メタなことを言うならば、女系のなろう作品で時々見かけるやつです。
しかし、あいにく紗絵子は主人公ではないので、当時は表舞台に出なかった。せいぜい、関係者の報道などの隅っこにチラチラ写っていた程度。
で、だいぶ後になってから「こんな人がいた!」と記録や日記から判明したというわけです。




